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有衣を送った後少し遅れて病院へ戻った直輝は、妙な居心地の悪さを感じた。
というのも、歩く先々で病院スタッフの視線をちらちらと送られていたからだ。
内科のスタッフたちに至っては、ちらちらどころではなく、じーっと見る者もいた。
師長に小突かれてようやく仕事に入っていく彼女たちを尻目に診察室へたどり着くと、ようやくほっとする。
昨日は夢中で意識していなかったが、有衣を運んだときはかなり注目を浴びていたような気がする。
今日の視線は多分それが原因なのだろう、と予想がつき、直輝はやれやれと溜息をついた。
午前の診察が終わったところで、携帯を掴んで席を立つ。
外へ行こうとしたが、事務処理をしているスタッフたちの会話が聞こえてきたため、直輝はその手前で立ち止まった。
「あれは溺愛してると見た」
「だよね。いまどきお姫さま抱っこって、ないない」
「にしても、高校生かぁ…」
「そこまで年下OKだったなんて、盲点だった」
「確かにー。でも奥さんは年近かったはずなんだけどなぁ」
「まぁ、年は関係なかったんじゃないの」
間違いなく自分のことが話題にされているのがわかり、出るに出られない。
仕方なく、しばらく彼女たちの会話に不本意ながら耳を傾けるはめになった。
「でもけっこうキレイな子だったよね」
「うん。先生の子と一緒に座ってた子でしょ?」
「そうそう、私も朝見た」
「制服着てなかったら、高校生には見えないかもね」
「あーいいなぁ、若くてキレイでしかも愛されちゃっててさぁ」
この会話で、有衣が看護師たちを気にしていたことの訳がわかる。
朝、会計が終わるのを晴基と待っていた時に、自分が病院に戻った時と同じような視線に晒されたのだろう。
この分だとむしろ自分よりもかなりの視線を受けたに違いない、と予想できる。
いくら無我夢中とはいえ、あの運び方はやはり無かったか…と、直輝は昨日の自分に苦笑した。
「でもさ、年の差かなりない?」
「確か先生が30で」
「で、高校生だから…3年として、とりあえず一回り?」
「うわー。干支同じ、ってやつ?」
この辺りで、直輝はだんだん頭痛がしてきそうな気分になってきた。
あまり考えていなかったが、干支が同じとは…と、今更ながら微妙なショックを受ける。
「もうあれだね、紫の上」
「言えてる」
“紫の上”という単語が耳に入った途端、直輝は思わずよろりとしてしまった。
有衣が紫の上ならば、直輝は源氏である。
気にいった若い女を勾引かして自分のものにし、理想の女性に仕立て上げた、源氏。
直輝は別段勾引かしたわけではないが、様々な面で有衣を自分好みに作り上げていくことは可能である。
ようやく有衣の年齢のことを克服しかけていたところで、思わぬ伏兵じみた言葉を聞いてしまい、直輝は深くため息をついた。
その後ろで人の気配を感じ、慌てて振り向くと苦笑を湛えた師長がいた。
「あ、すみません」
「いえいえ。…先生も、大変ですね」
午前の診察の際フォローに入ってくれたのは、ずっと師長だった。
他の看護師だと、おそらく昨日のことが気になってしまうから、師長が気を利かせたに違いない。
「…すみません」
いろいろな意味を含めて、もう一度謝ると、師長はさらに苦笑を深める。
「あの子たちも悪気があるわけじゃないんですけどね…」
「ええ、まあ…それはわかってます」
「でも、私としては少し安心しましたよ。先生は…いろいろとご苦労もありましたからね」
師長は、直輝の母親とあまり年が変わらない。
唯を亡くした時の直輝も知っている人だけに、温かな言葉が直輝の心に染みた。
「…ありがとう、ございます」
思わずお礼の言葉が口を衝いて出た。
師長は今度は苦笑ではなく、本当の笑みを浮かべる。
「ずいぶん大切にされてると見受けましたけど、ご結婚されるのかしら」
まだ考えたこともなかったことを言われ、直輝は頭が白くなってしまう。
「け、…っこん、ですか…。いえ、まだ彼女も未成年なので…」
「あら、未成年でも結婚すれば成年扱いですよ」
「は…それは、まあそうですね」
「年の差なんて、実は大した問題じゃありませんよ。どうせ最後は一緒なんですから」
ふふっ、と笑ってから、師長は直輝の前を通り越して先に出て行く。
そして無駄話をしていたスタッフたちを窘める師長の声が聞こえてきた。
そのすぐ後ろから直輝も出て行くと、聞かれていたかもしれないとぎょっとした顔のスタッフが目に入り、内心苦笑した。
屋上に出ると、もう風がだいぶ冷たい。
陽が射していなければ、羽織るものが必要になるだろう。
それでも、普段車で通勤していない直輝が少しの時間でも携帯を使える場所と思うと、ここしかない。
さっそく携帯の電源を入れると、有衣から短いメールが入っていた。
『今朝は、送ってくれてありがとうございました』
たったこれだけの文だ。
頬に軽くキスをして、恥ずかしそうにそのまま振り返りもせずに歩いて行ってしまった有衣を思い出す。
多分まだ照れていて、何と送ってよいかわからなかったのだろう。
そんな有衣の様子が思い浮かぶようで、直輝は小さく笑った。
無意識のうちに、有衣に触れられた頬を手で触っていた直輝は、先ほど師長に言われたことを思い出した。
「…結婚、か」
有衣を想うのに必死で、今まで一度も考えたことがなかった。
しかも、出会ってから、また付き合い始めてからまだたったの数か月しか経っていない。
だが、それでは結婚する気は無いのか、と問われればそんなことはない。
実際今の生活を考えてみても、朝晩一緒に過ごさないことを除けばほとんど結婚している状態と変わらない。
師長に答えた言葉からして、将来的には結婚すると決めているような答え方だった。
それに、結婚したときのことを想像してみると、幸せな気分になれることは間違いない。
しかし、実際問題有衣はまだ高校生であり、いくら結婚すれば成年扱いとは言え、やはり未成年には違いない。
有衣の親のこともある。
そういえば、清香に改めてご挨拶に伺う、と約束している。
直輝はそのことを思い出して、少しだけ重い気分になったが、先延ばしするわけにもいかない。
覚悟を決めると、直輝は清香に連絡を取るため、会社の電話番号をプッシュした。
スカートのポケットの中で、メールの着信を知らせる振動を感じ、有衣は手を止めて携帯を慌てて引っ張りだす。
『体調どう? 今日はもう辛くない?』
昼休みが終わって5限目も始まり、今日はお昼のメールは無いかと思っていた有衣は、嬉しさに顔を綻ばせる。
自分から送ったメールも、朝のキスの恥ずかしさが抜けきらず、何の味気も無い短いものしか送れていなかった。
だからいつも通りのメールを送ってきてくれたことでも、嬉しさが増す。
『大丈夫です。今日は授業もあんまりなくて、学祭の準備なので勉強するより楽ですし』
『学祭? 何するの?』
『うちのクラスは、コスプレ喫茶です。着る服作ってるんですよ~』
『ちなみに何着るの』
有衣は、ナース服を着ることになっていた。
ちなみにみどりはメイド服である。
素直に質問に答えてもよかったのだが、なんとなく気恥ずかしい思いもありすぐに返信できない。
それに、高校最後の学園祭に直輝が来てくれたら楽しそうだ、と思い有衣は答えは送らないことにした。
『まだ内緒です。あの、一般公開は今度の日曜なんですけど…直輝さん、来ませんか』
どきどきしながらお誘いのメールを送った有衣は、携帯を握りしめたまましばらく待つ。
周りで聞こえるミシンの音と、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
緊張しながら携帯を見つめるが、返事はまだ来ない。
学校に来るのはやはり抵抗があるだろうか、やめておいたほうがよかっただろうか、とだんだん心配になってくる。
やっぱり今の無しにする、と送ろうとしたときに、直輝からの返信がようやく届いた。
『ちょっと、考えさせてね。じゃあ、また夜』
とりあえず、すぐに断られはしなかったことに安心する。
気持ちが軽くなったせいか、その後の作業は心なしかすいすいと進められた気がした。
割当分の最後の一着、自分の衣装を縫い終わった有衣は、ぐっと腕を伸ばし背を反らせた。
周りを見回すと、みんなもだいたい縫い終わっており、まだの子もあともうひと仕上げというところのようだ。
みんなで試しにちょっと着てみようという話になり、教室のカーテンを閉め、できあがっている人から順に着替えて行く。
ナース姿になった有衣と、メイド姿になったみどりとで、お互いを見てみるとなんだか妙な気分になる。
有衣よりもだいぶ小柄なみどりは、フリルのあしらわれたメイド姿だとまるで人形のようでかわいい。
すらりとした有衣も、ぴったりと体のラインが出るしかも短めのスカートのナース姿だと高校生とは思えないほどセクシーに見える。
早い話が、ふたりとも似合いすぎていた。
「なに、あんたら似合いすぎ!」
「写真撮ろ。で、ちょっと加工してチラシにするのどう?」
「あ、それいい!」
「え、えぇー??」
抗議する間も与えられずポーズを取らされて写真を撮られ、チラシに写ることが決定してしまう。
そしてすぐに撮った写真がメールで送られてきて、有衣はみどりとふたり顔を見合わせて苦笑する。
それでも携帯のディスプレイを見ながら、もしも直輝が学園祭に来ないと言った時はこの写真を送ってみようかな、と思う有衣だった。
日常に戻りました。
病院内では噂されています^^;
直輝は“結婚”についてちょろっと考える機会がありましたね。
清香に連絡も取ったことですし、だんだん考えることも増えるかもしれません。
次回は学園祭です!!
直輝と有衣がうまくまとまったので、ようやく書けます…^^
一般公開日、直輝は来てくれるんでしょーか☆