22
「唯がどんな人だったか、聞いてどうするつもりなの?」
非常に長い沈黙、と有衣が感じた時間の後、慧は逆にそう尋ねてきた。
どうするつもりなのか、と言われても、考えたことのなかった有衣は答えに詰まる。
「…聞いて、真似でもする?」
「え? いえ、そういうつもりじゃなくて。ただ、気になっただけです」
真似なんてしたら、本当に身代わりのようになってしまうと思い、想像だけで有衣は震えた。
「名前が同じだから、直輝が君と付き合ったと思った?」
「…少し」
「でも、君は唯とは似てない。全く違う。だから代りにはなり得ない」
これ以上ない、というほどはっきりと言い切る慧に、有衣は妙なショックを受けた。
似ていると言われたら言われたで苦しいのに、これほどまでにはっきりと代わりになれないと言われるのも苦しい。
身代わりになるのは嫌なのに、たとえ身代わりでも直輝に必要とされたいと思う、矛盾。
再び黙り込んだ有衣を見て、慧は傷つけたかもしれないと少しだけ後悔した。
軽くため息をつきながら、補足する。
「本当に身代わりにするつもりなら、名前なんかじゃなく、外見か、あるいは中身が似ているひとにすると思わないか」
「それは、そうですけど…」
「でも、唯には敵わないと思ってる?」
「死んだ人には、勝てません」
「…そうだね。でも、死んだ人も、生きている人には絶対に勝てないよ」
尤もな言葉に、有衣は自分の中から卑屈な気持ちが霧散していくのを感じた。
やはり、想いに優劣をつけることは愚かなことなのだと、もう一度思いなおす。
有衣の表情が少し明るくなったのを見た慧は、止めとばかりに言葉を足す。
「それに、君は唯にはできなかったこともしたしね」
「…どういう意味ですか?」
「気づいてると思うけど、直輝は堅物で真面目な男で、常識から外れたことができないヤツだ。
でも、君はその壁をぶち壊した。制服着た子をお姫様抱っこなんて、今までのあいつならあり得なかったんだよ」
おかしそうに笑って話す慧に、有衣もつられて苦笑した。
病院に連れてこられたときのことを思い出して、急に恥ずかしくなる。
「まあ、あとは直輝に直接聞いてよ。多分、身代わりなんて考えもしてなかったと思うけどね」
慧はそれだけ言うと、結果をチェックしてくる、と言って出て行った。
有衣の心は、完全に晴れたわけではなかったが、少なくとも直輝に直接聞いてみる勇気は湧いてきた。
数針縫った額に手をやりながら、これも怪我の功名と言うのだろうか、と有衣は苦笑した。
安心してまた眠ってしまった晴基を抱えながら、有衣の母だと言う女性を目にした直輝は、固まってしまった。
今まで何度か会ったことのある、ハウスキーパを依頼していた派遣会社の社長だったからだ。
まさか、このひとが有衣の母親だとは思っていなかった。
しかしこれで、すべてに説明は付く。
高校生で派遣されてきたのも、一度有衣を傷つけた時に社長が電話してきたのも、有衣の母親だったからだ、とわかる。
「あの、この度は、すみません…」
言いながら、なぜ謝っているのか自分でもわからず、直輝はこっそりと冷や汗を拭う。
清香はそんな直輝を苦笑しながら見つめ、持ってきていた有衣の必要な荷物を直輝に差し出した。
「ご連絡ありがとうございました。今日はちょっと仕事を抜けてきましたので、すぐに戻らなくてはいけないんです。
有衣は、私よりも西岡さんにそばにいてほしいんじゃないか、と思いますし。宜しくお願いしてもよろしいでしょうか」
「え…」
直輝は、有衣との関係を知られていることで、内心かなり動揺した。
そして、それを認めているかのような清香の言葉に動揺が増したが、なんとか堪えて荷物を受け取り、清香を真っ直ぐに見据える。
「わかりました。結果が出ましたら、またご連絡します。…それから、今度、改めてご挨拶に伺います」
「ええ、お待ちしてます」
清香はにっこりと笑って軽くお辞儀すると、踵を返して去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、直輝は今の笑顔にそれ以上のものを感じたような気がして、どっと疲れを覚えた。
どこに行ったのか慧を探していると、診察室のひとつで、有衣のカルテを見ているところを見つける。
直輝も横から一緒になってカルテを覗きこみ、血液検査の結果に素早く目を走らせた。
「…8.1か」
「鉄剤初めてだってから、一応点滴だな。個室空いてるし、とりあえず今晩は入院させて、お前も泊れば」
「ああ、そうだな。助かる」
「この感じだと静注続けたほうが無難だな。ただ、まあ…婦人科回したほうが確実」
「それなら荒居さんで」
産婦人科の非常勤を含めた5人の医師のうち、女医は荒居1人である。
直輝がすぐにその荒居を指名したことに、慧は遠慮なく噴き出した。
「っとに、お前はめんどくさいというかどんくさいというか…損なヤツだよな」
「どういう意味だ」
「そんなに独占欲丸出しなのに、全然あの子には伝わってないし。
…あの子、知ってたぞ。自分が唯と同じ名前なんだってこと。ついでに、身代わりにされてるって勘違いもオプションで」
「え?」
直輝は、有衣には名前のことは言っていなかった。
有衣がどうして知ったのか、しかも身代わりだと思っているとは、と直輝は焦る。
「偶然写真の裏見たとか言ってたけど」
「写真…」
リビングに飾ってある唯の写真が、直輝の頭に浮かんだ。
もしかして、有衣はあの写真をずっと気にしていたのだろうか。
ずっと飾り続けているのは、無神経だっただろうか。
いつ知ったのかはわからないが、とにかく同じ名前だと知って、ショックは大きかっただろう。
それも、最近は直輝が少し距離を置こうとしていたため、尚更辛い気持ちにさせていたに違いない。
「まあ、俺も一応フォローはしたつもりだけど。あとはお前次第だろ」
「ありがとう。すまない」
慧は直輝の肩を軽く叩くと有衣のもとへ、直輝は清香に連絡するためにそれぞれ出て行った。
車椅子に乗せられたまま、個室に入った有衣は、物珍しさにきょろきょろと周りを見回す。
部屋の中にトイレとシャワールームがあり、簡易ベッドや冷蔵庫なども普通に置いてある。
昔一度入院したことがあったが、そのときは一室6人の大部屋だったため、こんな部屋は初めてだった。
「入院初めて?」
「いえ、二度目ですけど。こういう部屋は初めて、です」
慧に尋ねられて、自分の行動が子どもっぽく思えた有衣は、だんだん恥ずかしくなって最後は小声になる。
こういうところからして、きっと全然似ていないんだろうな、と改めて思う。
どこかしょんぼりとしてしまった有衣を見ながら、慧は小さく笑った。
おそらく直輝も、こういう素直で計算の無い気持ちやそれが表れた言動に、やられてしまったのだ。
「しばらくしたら、直輝も来ると思うけど。点滴終わるまではおとなしくしてて」
「あ、はい」
「ベッド、自力で上がれそう?」
「大丈夫です」
「じゃ、何かあったらナースコールしてね」
そう言って慧が出て行こうとしたときに、ちょうど入れ替わりで直輝が入ってくる。
有衣は、この後直輝とどう話をすれば良いのか、と若干緊張した面持ちを直輝に向ける。
しかしその直輝の後ろから、こっそり“がんばれ”と口を動かす慧が見えて、有衣は小さく笑みを浮かべた。
直輝は右手に晴基を抱え、左手に荷物を抱えていた。
車椅子から立ち上がろうとした有衣に気づき、慌てて荷物を床に落として晴基を簡易ベッドに寝かせると、有衣に近づく。
「自分で動いて平気?」
「大丈夫です」
有衣の返事を聞いていたのかいないのか、直輝はさっと有衣を抱き上げる。
本日何度目かのお姫様だっこに、有衣は恥ずかしさを感じつつ、だが諦めたように笑った。
そっとベッドに下ろされ、髪や服を直して掛け布団をかぶせられると、人形にでもなったような気分で気恥ずかしい。
それでも、触れられることが嬉しくて、温かさが心地よくて、有衣はおとなしくされるままにしていた。
直輝は、有衣の額や針の刺さった手の甲を痛々しそうに見てから、意味もなく点滴装置をチェックする。
そういえば荷物を床に置きっ放しだった、と思い出した直輝は、一度ベッドのそばから離れようとした。
どこかに行ってしまうのかと不安になった有衣は、思わず直輝の服の袖を掴んでしまう。
驚いた直輝が振り向いて有衣をじっと見つめ、有衣ははっとしてすぐに手を離した。
「あ、…ごめんなさい、つい」
直輝の驚いた顔が、有衣にはなぜか怒っているように見えたのだ。
緊張のせいで変な先入観が働いているらしい、もう一度見ると、浮かんでいたのは単に驚いた表情だけだった。
有衣は、自分で離してしまったために行き場を失った手で布団をぎゅっと握りしめる。
「いや。荷物を床に置きっ放しだったから、取りに行くだけだよ。どこにも行かないから」
直輝は、単に有衣が自ら自分に触れようとしてくれたことに驚いただけだった。
だが有衣が一瞬で不安げな表情になってしまったのを見て、最近の自分の言動のせいだと直輝は自らを罵る。
直輝は荷物を取って棚に置くと、ベッドの脇に椅子を置いて座り、有衣の手を布団から離して軽く指先を握った。
伝わる体温にほっとしたように息をつく有衣に、直輝は今まで無理に抑えていたいとしさが一気に内側から広がっていくのを感じた。
想いの優劣は生死には依らない、ということで。
慧のナイスフォローにより、有衣はなんとか持ち堪えました。
あとは、直輝と有衣とふたりで気持ちをぶつけ合うだけです^^
ここからが、ほんとの直輝のがんばりどころです~。
それにしても。
医者が相手だと、体のこと何でも知られそうで怖…^^;