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Home Sweet Home  作者: ミナ
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4限目の終了を知らせるチャイムが鳴ってしばらく経っても、有衣は立ち上がれないでいた。

体が鉛のように重い。

周りの声が遠く聞こえ、逆に自分の鼓動や呼吸が大きく聞こえる。

机に突っ伏したまま、有衣は手の中の携帯をぼんやりと見つめた。

直輝とのメールはそこそこ続いているものの、昼休みにしていた頻繁なやり取りは、最近ではほとんどない。

忙しいのだと思っていたが、どうやら違うらしいということに気づいて以来、有衣から送ることにも躊躇してしまう。

なんとなく直輝とシンクロしていたくて行っている屋上も、今は果てしなく遠く感じた。

「有衣、貧血? 顔色かなり悪いよ…」

「うん、今日、二日目…」

心配して近づいてきたみどりに、有衣はなんとか答える。

普段はそうでもないが、毎月一度、このときばかりはかなり貧血がひどくなる。

連日の忙しさによる疲労も関係しているのか、今回はかなり辛かった。

「保健室で休んでたほうがいいんじゃない? それか帰るか…」

「…保健室行く」

「うん。じゃ、一緒に行ってあげるから」

みどりに支えられて立ち上がり、保健室に向かいながら、こんなときでも携帯を手放せない自分に有衣は苦い思いを抱く。

期待することが、やめられないのだ。

だから、躊躇しながらも結局メールを送ってしまうし返信も待ってしまう、という堂々巡りに陥る。

そんなことが、体調の悪さに拍車をかけているような気がして、有衣は重い溜息を吐き出した。


痛い。気分が悪い。…それから、寂しい。

言えば、直輝が心配してくれることはわかっている。

それでも、今のふたりの状況を考えると、こういうことで気を引こうとするのは卑怯な気がして嫌だった。

鳴らない携帯を握りしめながら、有衣の意識は暗く沈み込んだ。


午後の授業が終わり、有衣の荷物を保健室へ持っていこうとしたみどりは、いつもよりひとつ多い鞄に眉を顰めた。

中身はもうわかっている。

制服をきらう直輝を気遣って、有衣はここ何日かわざわざ着替えを持って来ているのだ。

真面目なのはいいが、それで有衣が傷つくのは見るに堪えない。

真っ白な顔色で、ベッドに横たわる有衣を見つめて、みどりは小さくため息をついた。

その気配に有衣は目を覚まし、体を起こすと一瞬くらりとしたが、なんとか大丈夫そうだった。

「…もう、終わったの?」

「うん。どう? 少しは具合いい?」

「んー…大丈夫」

「お願いして今日は早めに帰ってきてもらうとか、できないの?」

有衣の性格上、そういうことは言わないとわかってはいても、みどりはそう聞かずにはいられない。

このまま小さい子どもの世話をしていたら、有衣は本当に倒れてしまいそうに見える。

だが案の定、有衣は首を横に振った。

「大丈夫。それに、心配かけるのやだ」

その言葉に潜む本当の意味を、みどりも知っている。

どうあっても自分では言わないつもりだとわかり、みどりは今度こそ大げさにため息をついた。


なんとか保育園へ行くと、珍しく晴基は寝ていた。

話によると、お昼間に遠足があったようで、疲れてしまったらしい。

起こすのもかわいそうで、そのまま抱いて帰ろうかと思ったが、有衣は荷物も多くしかも今日は体調も悪い。

この状態で、眠って脱力した3歳児を連れ帰るのは、かなり至難の業だ。

どうしようか、と思っていると、見かねた譲が口を開いた。

「俺、今日は暇だし。晴基連れてってやろうか」

「え、大丈夫なの?」

「ああ。それに、顔色超悪いし、荷物も多すぎだし」

「じゃあ、お願いしようかな。…ありがとう」

限界に近い有衣は、譲の厚意に素直に甘えることにする。

結局、譲が晴基を抱っこし、有衣の荷物も持ってくれることになった。

途中で寄るスーパーでも、有衣はベンチに座って待ち、譲がメモを持って買い物をした。

ようやく家につくと、玄関先で有衣は晴基と荷物をそれぞれ受け取る。

晴基をベッドに寝かせ、もう一度玄関に戻って譲に声をかける。

「ほんと助かった。ありがとね」

「それはいいけど。ほんとに大丈夫か? ハルパパにメールとかした?」

「大丈夫。…直輝さんには、言ってないよ。てか、今は言えないし」

「なんか、そういうのって変じゃね? 付き合ってんのに遠慮とか。だいたい、高校生なのがそんなに悪ぃことかよ」

「うん…。でも、ほんとに大丈夫だから。今日は、ありがとう」

譲の言うことも、尤もだ。

内心同調したいと思う面もある有衣だったが、はっきりとは言わずに笑って済ませる。

何を言っても仕方ないと思ったのか、譲はもうそれ以上は何も言わず、お大事に、とだけ言って帰っていった。

年齢のことは、直輝の気が済むのを待つしかないのだと、有衣は思っていた。

それに下手にこちらから何かを言って、本当に離れて行ってしまうことになったら、と思うと怖かった。


譲がエントランスを出ると、ちょうど直輝がタクシーから降りる姿が見えた。

直輝も譲の姿に気づき、驚いたような顔をした。

「こんにちは」

「こんにちは。…どうか、しました?」

「いえ、ハルが寝てしまってて、彼女も具合が悪そうだったので、付き添ってきました」

「そう、ですか」

譲は、直輝が自分を見るその視線の中に、はっきりと嫉妬のような敵愾心のようなものを感じ取っていた。

それは以前から感じていたものだが、今日はさらに強い。

そんなに有衣を思っているなら、どうして有衣にあれほど悩ませたままでいるのか、逆に不思議だ。

強がる有衣は見ていて痛々しいほどで、それを間近に見る譲としては、何とかしてやりたかった。

「ひとつ、お尋ねしたいことがあるんですが。…彼女の、友人として」

直輝を煽ることも忘れない。

案の定、最後の言葉に直輝はぴくりと反応した。

「何でしょう」

「高校生だと、何が悪いんですか」

譲の問いに、直輝はぎょっとしたように譲を見つめる。

つい最近まで自分も知らなかったのに、なぜ譲は知っているのだろう。

有衣の“譲くん”と呼んでいた声が、耳元でちらついた。

「…なんで知ってるんだ、って思いました?」

図星を突かれた直輝は、黙ったまま譲の次の言葉を待つ。

「俺、彼女の後輩なんですよ」

「後輩…じゃあ、君も、高校生なのか?」

「制服着てなければわからないでしょう。でも、中身は同じだ。

 あなたにとっての彼女も、そうじゃないんですか。

 今日、俺が勝手にここに来たのは、悪かったとは思ってます。

 けど、あなたが彼女に距離を置くようなことをしてなかったら、間違いなくあなたを頼りたかったと思いますけど。

 …生意気言ってすみません。じゃあ、失礼します」

直輝は、何も言えないまま譲の後ろ姿を見送る。

譲の言葉は、的を射ているだけに直輝の胸に突き刺さった。

慧に、有衣が具合が悪いらしいと聞いて、急いで早退して戻ってきたのだが、人伝の情報に胸が苦しかった。

有衣が自分を頼れない状況を作り上げたのは、自分自身であると直輝もよくわかっている。

直輝は、自身を叱咤し、エントランスへ足を急がせた。


まだ、夕食の準備を始めるには早い時間だった。

買ってきたものを冷蔵庫にしまうと、有衣は先に掃除をしようと思い立ったが、まず着替えることにする。

鞄に手を伸ばそうとした時、視界の中でチカチカと白っぽい星が瞬くのを感じた。

まずい、倒れる前兆だ。

とにかくしゃがみ込もうとローテーブルに手をついたが、置いてあった写真立てに手が当たって落ちてしまった。

どうにかやり過ごして、落ちた写真立てに目をやると、ストッパが外れ、中の写真が外に出てしまっている。

直輝の亡くなった妻と、まだ生まれたばかりの晴基が映っているものだ。

その写真を手に取り、有衣はぼんやりと眺める。

ここにこの写真と、直輝とふたりで写っている写真があるのは、有衣もだいぶ前から知っていた。

だがいつからか、まともに見ることができなくなって、掃除の時も見ないようにしていた。

多分、直輝を好きになってしまった頃からだろう。

視線が恐ろしかったのかもしれない。

この、儚げな、綺麗なひとには、絶対に勝てないと思うから。

想いに優劣をつけるのは愚かだと知ってはいても、どうしても、その思いは抜けなかった。


何の気もなしにしたことだった。

有衣は、写真をただ元の位置に戻そうと、写真立てに入れようとしただけだった。

そのとき、写真の裏側に文字が書いてあるのが見えた。


“Hospital, Yui & Haruki”


「ゆ、い…?」

衝撃だった。

そして瞬時に、ここで直輝に初めて会った日のことが思い出された。

晴基に名前を教えていた時の、派手な食器の音、直輝の驚愕の表情、そして妙な質問。

同じ、名前だったのだ。

だから、名前の漢字まで聞いてきたのだ。

「唯一のゆい…。唯…」

単なる漢字の説明なのに、“唯一”という単語がひどく重たく感じられる。

有衣は、もうひとつ思い出してしまったことに、眩暈を感じた。

直輝は、有衣が晴基の母親に代ることが、願望だったと言ったのだ。

それはただ単に代わるものになることだったのだろうか。

本当は、同じ名前の有衣に、身代わりになってほしかったのではないだろうか。

だが、有衣が高校生だと知って、それはあまりにも不自然だと思って、それで急に距離を開けたのだろうか。

そう考えると、全ての辻褄が合ってしまうような気がして、有衣はショックのあまり茫然とした。

「ま、まさか…」

必死にその考えを打ち消そうと、できるだけ静かに写真を元の位置に戻す。

しかし一度考え出してしまったものはなかなか消えてくれない。

それどころか、正解はそれしか無いようにさえ思えてくる。

落ち着きを取り戻そうと、キッチンから水を取ってきたが、頭がくらくらして足取りがおぼつかない。

急に嫌な汗が吹き出し、視界がだんだんと白く覆われ出した。

このままだと倒れてしまう、と有衣は焦り、手に持ったグラスをどこかに置こうとした。

が、有衣の意識はそこまでしか保たれなかった。

手から滑り落ちたグラスは床に落ちて割れ、有衣はその上に倒れ込んだ。


譲からのパンチもあり、直輝も吹っ切れそうですね。

でも有衣は名前のことを知ってしまいました><

直輝、がんばりどころです!

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