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Home Sweet Home  作者: ミナ
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02

仕事は夕方から始まる。

まず最初にすることは晴基を保育園に迎えに行くこと。

カメラ付きのインタフォンで到着を告げると、先生が晴基を外に連れてきてくれる。

ここまでしないといけないとは、本当に物騒な世の中になったものだと、初めて来たときには驚いた。

有衣を見つけた晴基の顔は本当にうれしそうで、その笑顔を見ると有衣も嬉しくなる。

それから、手をつないで一緒にマンションへ歩いて帰る。

そして、夕食の準備をして一緒に食事し、後片付けも一緒にする。

最初はひとりで片づけていたのだが、一度お皿を運んでもらったら、お手伝いが嬉しいらしいとわかったので、

以来ずっと、運べるものはすべて晴基に運んでもらうことにしている。

お皿一枚、コップ一個、と効率は悪いが、一生懸命運ぶ姿は実に微笑ましい。

「上手に運べたね」

「ありがとうね」

運んでくれるたびにそんな言葉をかけてあげると、晴基は嬉しそうにしてますます一生懸命働いた。

食器を洗っている間、晴基は有衣の足もとで本を広げている。

後片付けが終わると、しばらくはお遊びタイムだ。

晴基がはまっているのは、積み木遊びと、レールの上で電車を走らせる遊びだ。

ひととおり気が済むまで遊んだら、晴基が片づけている間に有衣も手早く掃除し、今度は入浴。

さすがに有衣は入らないが、浴室に一緒に行ってあげてお手伝い。

浴槽に入ったら100まで数えるのが、お風呂でのルールらしい。

途中つっかえながらも数え上げると、どうだ!とばかりの誇らしげな顔で有衣を見上げる。

そんなひとつひとつの仕草や表情が、有衣にはかわいくてたまらなかった。

髪にドライヤをかけてあげて、歯磨きを終えた晴基をベッドルームへ連れていく。

晴基の寝つきの良さには、毎回驚かされる。

ベッドに入って、掛け布団をかけてあげると、ものの2、3分で寝息を立て始めるのだ。

眠る前はぐずつく子も多いと聞くが、晴基がそうしたことは一度もなかった。


有衣はいつも、晴基が眠るとすぐにベッドルームを出ていく。

最初に感じた奇妙な緊張感が、いつまでも抜けないせいだ。

晴基の小さなベッドの隣の、大きなサイズのベッドが否応なしに目に入るせいで、意識せずにいられなくなる。

このマンションで直輝に会ったのは、最初の1回だけなのに、なぜか気になる。

やわらかな声が耳から離れないし、情けなさそうに笑った顔も、なぜか強張った顔も、脳裏に焼き付いている。

それらを振り払うように、部屋の中を点検し、玄関以外の電気を消して部屋を出る。

そうすると、だいたい夜の8時半を過ぎる頃だ。

家に着くのは9時10分過ぎ頃で、まだ会社にいる清香さんに軽い夜食を作ってあげてから、2階に上がる。

清香さんは忙しい人だったから、家事をするのは慣れている。

それにオプションで晴基が付いてきた、というくらいのイメージで、西岡家での仕事は楽しいものだった。

通い始めて2週間、無味だった夏休みが、気づけば充実していた。


いつも通り帰ろうとした時、携帯を持っていないことに気づいた。

どこに置いただろうか、とキッチンやリビングを探し回るうちに、ふと写真が目に入る。

たくさんの写真たちの中で、ひと際目を引いた2枚の写真。

直輝と、儚げに笑った綺麗なひとの写真、それからそのひととまだ生まれたばかりと思しき晴基の写真だった。

「ハルくんのママだ…」

どうして今まで気づかなかったのだろう、と不思議なくらい際立って見えた。

有衣はなぜだか、目が離せなくなっていた。


と、急に大音量の着うたが流れた。

まるで悪いことをしていたときのように、有衣の体はびくりと揺れる。

音が聞こえたのは、ベッドルームのほうからだった。

これでは眠った晴基が起きてしまう、と慌ててベッドルームへ向かう。


急いで携帯を床から拾い上げ、ボタンを押して音を止める。

晴基は起きていないように見えた。

けれど、不自然なまでに息を詰めている様子が有衣に伝わる。

「ハルくん」

声をかけると、ぴくりと小さく肩が揺れる。

その様子を見て、有衣は自分が小さなころのことを急に思い出した。

父親が亡くなった直後、清香さんを心配させまいと、毎晩よく眠れるふりをしたことがある。

本当はショックで眠れなかったのに、寝ないと清香さんが心配するから、だから必死で寝たふりをしていた。

晴基ももしかしたら、そうだったのではないか、と思った。

「ハルくん。音で起きちゃったかな。それとも、さっきからずっと起きてたかな」

怒っている、と思われないように、優しく静かに話しかけてみることにした。

晴基は反応を返さなかったが、有衣は辛抱強く待つことにする。

やがて晴基は、もぞもぞと動き出し、寝返りを打って有衣のほうを向いた。

「ゆいちゃん」

「なぁに?」

「ぼく、ねてなかったの」

「うん。そっか…」

「おこらない?」

「怒らないよ」

有衣が晴基の頭を撫でてあげると、晴基は照れたように笑った。

それから、不思議そうに有衣の顔を見上げる。

「ゆいちゃん、ぼくがねてなかったの、どうしてしってたの?

 ひろみさんもしらなかったんだよ。ゆいちゃん、すごいねぇ」

「うーん…ハルくんと、おんなじだったから、かな」

「おんなじ?」

意味がわからずとも、“おんなじ”という言葉には惹かれるらしい。

晴基は少しだけ、嬉しそうな顔をした。

「ハルくんにはママがいないんだよね」

「うん。ママはしゃしんだけなの」

「私にはね、パパがいないんだ。パパが、写真だけなの」

「パパがいないの? ぼく、パパはいるよ。

 ゆいちゃんは、パパがいなくて、かわいそうね…」

晴基の無垢な言葉が、有衣の心に染みた。

片親がいないという事実は同じなのに、自分にはいる父親が有衣にはいないことがかわいそうだと言う晴基。

「ハルくんは、優しいね」

「やさしいと、うれしい?」

「うん。嬉しいよ」

「じゃあ、いっぱいやさしくなる!

 あのね、ゆいちゃんパパがいなくてかわいそうだからね、ぼくがゆいちゃんのパパになってあげるよ」

「ふふ、ありがとう」

とってもいいことを思いついた!と言わんばかりの口調に、有衣は思わず笑顔になった。

小さい子どもの考えることは、とてつもなく大きい。

でも優しさが嬉しくて、かわいくて、こんな小さなパパができるのもいいかもしれない。

有衣は幸せそうにほほ笑んだ。

「それでね。ゆいちゃんは、ぼくのママになるの」

「えっ?」

そのとんでもない言葉に、有衣の表情は一瞬強張った。

晴基が有衣のパパになる、という言葉とは、持つ意味も重要度も、次元のまったく違うものだったからだ。

「いつもじゃなくていいの。ぼくがおねがいしたら、そのときだけママになって」

それでもけな気に言い募る晴基に、有衣はどうしても頷かざるをえなかった。

多分、晴基は母親がいないという自分の特異性を、保育園という小さな世界だけでも十分に感じているだろう。

その疎外感を、たとえその場しのぎだとしても、少しでも軽くしてあげたいと有衣は思った。

「じゃあ、ハルくん。ひとつだけ約束できるかな」

「なぁに?」

「今のお話はね、パパには内緒にするの」

「どうして?」

「うん。パパが悲しくなるかもしれないから。

 ハルくんがパパに秘密にできるなら、それならハルくんがなってほしいときに、ママになってあげる」

晴基は、しばらくうーん、と悩んでいたが、やがて笑顔になって頷いた。

なぜ直輝が悲しくなるのかわからない様子だったが、有衣が承諾したことの嬉しさのほうが勝ったらしかった。

安心したところで眠気が襲ってきたようで、晴基は小さなあくびを何度もする。

それでも、目を閉じたらすぐに有衣がいなくなってしまうと思い、近くにあった有衣の左手をぎゅっと掴んだ。

「ハルくん。ここにいてあげるから、眠くなったら寝てもいいんだよ」

「…うん。いてね。やくそくだよ」

「約束」

すぐにでも眠ってしまいそうだったが、それでも晴基の小さな手は有衣の左手を掴んで離さない。

有衣はその小さな手に、余っていた右の手をそっと載せてあげた。

ゆったりとあやすように、その手を撫でてあげるうちに、晴基はやがて本当に眠りに落ちた。


晴基が眠って、10分ほど経った。

いつもならすぐに帰るところだが、今日は帰れないでいた。

晴基の優しさと、内にある寂しさに触れて、しかもここにいてあげる、と約束してしまったから。

せめて直輝が帰ってくるまでは、いてあげなければいけない気がしたのだ。

そういえば、直輝がいつ頃帰ってくるのか、有衣は知らなかった。

いつも晴基がどれほどの時間この部屋でひとりきりで過ごしていたのか、知らなかった。

そして、晴基のことを考えるその片隅で、直輝に会いたいと思っている自分がいることも、否定はできなかった。


今回は、“有衣とハル、心の絆ができる”の巻でした。

ハルは大まじめに言ってましたが、実際ハルがパパだといろいろ大変そうです…(笑)。


まだひとり蚊帳の外の直輝。

この人が何を考えているのか、早く書きたいな、ということで、次回へ続く!です。


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