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Home Sweet Home  作者: ミナ
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入浴すれば少しは頭もすっきりするかと思ったが、期待していたほど効果は得られなかった。

相変わらず慧に言われていた言葉が、直輝の頭の中を行き廻っている。

しかもダイニングからキッチンはよく見えるし、中で働く有衣のこともよく見える。

セーラー服の上のエプロンが、アンバランスで目の毒だ。

直輝は慌てて目を逸らし、目の前の食事を早く終わらせようと集中することにする。

いつもは食べているときテーブルに一緒につくが、今日はキッチンで何かやっておきたいことがあるらしい。

今日の有衣は、忙しそうにキッチンの中で動き回っている。

習慣から外れほんの少しの物足りなさを感じつつも、今日に限って言えば、直輝は助かったと思う。

まだ、頭が混乱している。

有衣が、高校生だということなど、知らなかったのだ。

確かに、自分よりもずいぶん若いとは思っていた。

少なくとも5歳以上は年下だとも思っていたが、社会人だと思っていた。

高校生が派遣会社を通して、しかもハウスキーピングに来ることなど、一般的見地からしてもあり得ない。

そこで直輝は、慧が有衣の名前について知っていたことを唐突に思い出した。

成り行き上知った、とは言っていたが、その成り行きとは何だったのだろう。

慧の口振りからして、知っているのは名前だけではなさそうだ。

あの時言っていた“思ってもいないこと”とは、年齢のことだったに違いない。

だから直輝に、もう少し話し合いが必要だ、と促したのだ。

直輝はテーブルに両肘をつき、両手で目のあたりを覆って溜息を吐きだした。


有衣は、キッチンの中から直輝の様子を時折盗み見ていた。

今日の直輝は、帰ってきたときから少しおかしい。

有衣を見たとき、直輝が硬直し、その目が少しだけ泳いだのを、有衣は気づいていた。

なんとなく不安が有衣を襲ったが、気づかないふりをして鞄を受け取りリビングへ歩いたのだ。

有衣がキッチンへ入ってしばらく経ってからようやく、直輝がバスルームへ向かう音がした。

そして食事を食べ始めても、途中で何度かぼーっとし、また食べ始める、その繰り返しだ。

食べ終わった今は、完全に頭を抱えてしまったかのような姿勢になっていた。

病院で何かあったのか、それとも知らないうちに自分が何かしてしまったのか、よくわからない。

とりあえず疲れているだけかもしれない、という可能性を考えたが、それも自信は無かった。


器が置かれる音とあたたかな温度が伝わり、直輝は顔を上げる。

テーブルの上には、いつもの緑茶ではなくティーカップに入った紅茶が置かれていた。

視線を上げ、有衣の顔を見るとどこか心配そうな表情だった。

「あの、なんだか疲れてるように見えたので…」

「紅茶?」

「ちょっとだけリンゴ酢とはちみつ入れたので。疲れが取れるかな、って思って」

いつもと変わらない有衣の優しさが、直輝を包み込む。

カップに口をつけると、ほんのりまったりとした味わいが、温かさと一緒に全身に沁み込んだ。

「ありがとう」

お礼を言うと、有衣は嬉しそうにふわりと笑った。

かわいい。触れたい。抱きしめたい。

直輝の中に、そんな想いがざわざわと駆け巡る。

だが今日は、目の前にある制服が恐ろしい抑制力となり、それを行動に移すことはできなかった。


帰りのタクシーを待つ間、直輝と有衣はソファで隣り合って座る。

いつもは少なからずあるスキンシップも、今日は直輝が仕掛けないために、何も無い。

有衣は何か言いたそうな表情を一瞬したが、それでも隣に座っていることで満足しているようだった。

直輝は、有衣のスカートをちらりと見てから、重い口をなんとか開く。

「何年生?」

「え? 3年ですよ?」

「そう…」

有衣は、今さら何を、というような、質問自体を不思議なものと感じたような顔をした。

直輝はその意識の違いに、曖昧な笑顔を浮かべる他ない。

どうしたものか、と思い悩むうちに、ふたりの間には沈黙が落ちる。

直輝が疲れていると思っているため、直輝の口数が少なくても、有衣もあまり話そうとしなかった。

やがて時間が来ると、直輝は有衣を見送るために立ち上がる。

だが、有衣がいつものように手を繋ぐのを待っている気配に、直輝は内心頭を抱えた。

リビングから玄関までの、短い距離だ。

しかし、今の直輝にとっては、とても短いとは思えない。

それでもそうしなければ、直輝の考えていることなど何も知らない有衣を傷つけてしまうだろう。

有衣を傷つけないために妥協した直輝は、有衣の手を取って玄関へ向かう。

そして、玄関に到着した直輝は、別れの挨拶代りにこれまでしていたことに気づき愕然とした。

視線は自然と、有衣の唇へ落ちる。

有衣もうっすらと頬を染めて、まるで儀式のようにキスを待っている。

顔を近づけると、有衣はきゅっと目を閉じた。

その瞬間、直輝の脳裏に“淫行”の文字が鮮明に浮かび上がり、直輝はぎくりと硬直した。

そして目をぎゅっと瞑り、観念したように、有衣の唇ではなく額に軽くキスをする。

繋いだままの手が、異常に汗ばんでいるような気がして、直輝は気が気でない。

いつもと違う突然の額へのキスに、有衣は一瞬拍子抜けしたような顔をした。

そしてそれから、それを恥じらうように笑い、額を手で押さえる。

「あの、おやすみなさい…」

「うん。おやすみ。気をつけて…」

名残惜しげに手を離し、有衣はドアの向こうに消えた。

ドアが閉まると、直輝は壁に背を当てながらずるずるとしゃがみ込んだ。

直輝を襲ったのは、もっと触れたいという強い衝動と、そしてそれを遥かに上回るひどい罪悪感だった。


恋愛経験が少ない、どころではない。

有衣は、完全に初めてなのだ、と直輝は確信した。

額にキスした後の反応が、その確信と相まって、直輝にさらに罪悪感を抱かせる。

有衣が物足りなさを感じたのは、自分が教え込んだせいだ。

付き合い始めてからの数週間で、もう何度キスをしたか知れない。

その度に腕の中でおとなしくキスを受けていた有衣の表情を思い出し、直輝は眩暈がした。

30の男が、高校生相手にすることではない。

だがそれでも、触れてしまいたい。

衝動と理性の凄まじい鬩ぎ合いに疲れ、直輝はしばらく立ち上がることができなかった。


ベッドに入っても、有衣はなかなか寝付けなかった。

今日の直輝は、やはりどこかおかしかった。

口数は極端に少なく、ほとんど全くと言っていいほど、言葉を発さなかった。

それに、手を繋ぐのを一瞬躊躇っていたようにも見えた。

しかも、キスも無かった。

そこまで考えて、無意識のうちに指で唇をなぞっていた有衣は、一気に頭に血が上ってしまう。

誰も見ていないのに急に恥ずかしくなり、体をうつ伏せて枕に顔を突っ伏した。

恥ずかしい、恥ずかしい。

これでは、まるでキスが欲しかったみたいだ。

いや、本心を言えば、本当は、欲しかった。

直輝はいつも、有衣が緊張しているのに気づいて、余計な力が抜けるまではそっと掠めるようなキスをする。

それから有衣が慣れてくると、今度は唇を食むように、まるで味わうように、熱い唇と舌が触れる。

最初の頃びくびくしていたのに、今ではそれを望んでいる自分に時々気づく。

そんなことを思い出していると耳まで熱くなってきた。

有衣はごろりと仰向けに戻ると、今日ひとつだけもらったキスの跡、額を手で触れる。

帰る時のキスも、なぜか唇でなく額にだった。

それが少しだけ物足りないような気になってしまったのは、やはり自分がキスを望んでいるからだろう。

でもたまには、こんなのもいいのかもしれない。

どちらにしても、幸せな気分を分けてもらえるのは変わらない、と思った。


翌朝、直輝は出勤すると真っ先に慧の部屋へ向かった。

入ってきた直輝の顔を見ると、慧は大体の事情が掴めた気がして苦笑する。

「お前、知ってたんだな」

「…高校生だって?」

慧の答えに、直輝は溜息をついた。

頭痛がする。

ゆうべは、平日は飲まないはずのビールを遅くに飲んでしまった。

おまけに朝までろくに寝付けもせず、今日のコンディションは最悪だ。

「どうしてわかった?」

「…制服、着てきた」

地を這うようなテンションの返事に、直輝の衝撃の大きさを思い、慧は直輝を哀れに思った。

直輝は良くも悪くも真面目で真っ直ぐな男だ。

父親が厳しかったせいか、直輝も常識や良識に忠実で、それから外れることが嫌いだ。

だから大学病院の体質が合わず、医局内でも孤立することが多かった。

自己抑制の傾向も強い直輝に、有衣が高校生だったという事実は、かなりの苦痛だったに違いない。

「それで、どうするつもりなんだ」

直輝は、こめかみのあたりに指を置き、目をきつく瞑っている。

慧はそう尋ねながらも、直輝の答えは恐らく予想の範囲を超えない、と思った。

そして、その通りだった。

「…無理だ」

苦しそうな直輝の声が、部屋全体にどんよりと浸透した。


常識人直輝、苦しんでます。

思わず、無理とか言っちゃいました!

好きなのに。大切なのに。

でも多分そこら辺は、慧が何とかしてくれるでしょう^^;


そしてその直輝の不審な態度に、今後有衣は何を思うのか…。

まだもうしばらく、雲は晴れません。


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