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Home Sweet Home  作者: ミナ
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直輝はキッチンにいた。

土曜日のいつもの習慣で、ビールを飲んでいたのだが、緊張のせいか酔えなかった。

後から一気に酔いが回る可能性を考えると、それ以上飲むのも気が引け、コーヒーを入れることにした。

有衣も、緊張しているようだった。

多分、昼間のできごとについて気にしているのだろう。

眠った晴基を抱えて、逃げるようにベッドルームへ行ってしまった。

有衣は、怖がっているようにも見えた。

しかし、何を?

「…俺を、か」

昼間の直輝を見たときの表情が、直輝の目に焼き付いている。

あの晩、泣くのを我慢していた有衣の表情と、交互に直輝の脳裏に浮かんでは消える。

豆を挽きながらそんなことを考えていると、途中で刃に大きな豆が引っかかり、手に衝撃が走った。

「痛ぇ…」

手の痛みは、然程なかった。

本当に痛みを訴えているのは、心だ。

慧や妙の言うとおり、まず自分の気持ちだけでも伝えなければならない。

受け入れられるかは別としても、今日こそ、現状を打破したい。

けれど、目を合わせたときに頬を染めて俯いた有衣に、少しだけ期待と楽観することは忘れなかった。


有衣がドアを開けた瞬間、ガリガリという音とが聞こえ、馴染みのある香りがした。

直輝はリビングにはおらず、キッチンで作業しているのが見えた。

有衣は慌ててキッチンに入り、直輝から作業を引き継ごうとする。

「あの、座っててください。私、やりますから」

「いいよいいよ。俺やるし」

直輝の返答を待たずに有衣が手を伸ばしたため、直輝のそれと触れ合ってしまった。

「…っ」

お互いが息を詰め、体を強張らせ、手を引こうとしたため、コーヒーミルがぐらつく。

直輝がそれに気づいて手を伸ばしたが、間に合わなかった。

「あ」

意味のない音が口から出たが、どうしようもない。

台から落ちたミルは傾いて有衣の体にぶつかり、ほぼ挽き終わっていた豆の粉も宙を舞った。

有衣はミルや豆の粉を床に落とさないように、慌ててしゃがみ込んでエプロンの裾を広げた。

「…大丈夫?」

「だ、大丈夫、です。すみません…私が、無理に代わろうとしたから」

「いや、俺も、ごめんね」

直輝は謝りながら、有衣の膝の上からミルを取り上げ、台の上に置き直す。

そして、少し躊躇した後、有衣に手を伸ばした。

「粉、かかっちゃったね」

「え?」

自分に伸びてくる直輝の手に、直輝の意図を理解した有衣は焦った。

だが今エプロンから手を放してしまえば、せっかく落とさずにいた粉を、床にぶちまけてしまう。

どうしよう、どうしよう。

そもそもこんな事態になったのだって、直輝の手と触れてしまったからではなかったか。

こんな、この上直輝に触れられてしまったら、どうにかなってしまいそうで、怖い。

直輝の手が触れる直前、有衣は思わず目を瞑ってしまった。

だがそんな甘い恐怖は、すぐに熱に取って代わる。

直輝の手が、そっと有衣の髪や頬に触れて、付着した粉を少しずつ払っていく。

その触れ方は、優しくて、まるで愛されているかのように、錯覚してしまうほどだった。

有衣の心臓は、音が聞こえてしまうのではないか、と思うほど脈打っている。

それに気を取られていたせいで、有衣は直輝の言葉をほとんど聞いていなかった。

「エプロン、外すよ」


直輝は、有衣の髪を少し上げ、うなじで結んであるエプロンのひもを外そうとした。

ひもに触れた時、必然的に有衣の首筋にも触れることになり、直輝はぎくりとする。

何も考えていなかったが、実際今の体勢はといえば、まるで直輝が有衣を抱き込んでいるようだった。

有衣はおとなしくしているが、息を詰めているようだし、肩も強張って見える。

直輝は、できるだけ自然に、と頭の中で念じながら素早くひもを外す。

しかし、結んであるのは一か所だけではなく、腰にもあると気づいて、直輝は迷った。

この体勢のまま腰に手を伸ばせば、本当に抱きしめるような格好になる。

しかしわざわざ体勢を変えると、かなりわざとらしくなるような気がする。

有衣が押さえている場所を直輝が代りに押さえれば済む話なのだが、直輝は頭が回っていなかった。

結局同じ体勢のまま、密着を避けるように右手を有衣の肩に置き、左手を伸ばして腰のひもを解く。

エプロンがするりと下に落ちると、有衣の手をエプロンから外して、シンクの上でエプロンをはたいた。

そして、床に散ったわずかな粉は、ふきんで拭いてきれいにする。

直輝は冷静になるために有衣を見ないようにしていたのだが、有衣がずっと身動きしないので、心配になる。

「…有衣ちゃん?」

呼びかけにも、応答がない。

いよいよ心配になり、直輝はしゃがみ込んで有衣の顔を覗きこんだ。


有衣の頭の中は混乱していた。

エプロンを外す、と言われたような気はしたが、まさかあんな体勢になると思わなかった。

指先だけでなく、体温まで感じてしまう距離が、有衣の閾値を超えていた。

けれど、緊張していたのは自分だけだ、と思う。

直輝は何も感じなかったからこそ、普通に後片付けをしていたに違いない。

直輝に名前を呼ばれても、有衣は咄嗟に反応を返せなかった。

覗きこまれる気配に、有衣はぱっと片手を直輝のほうへ突き出し、もう一方の手で自分の顔を覆う。

「何でも、ないです。ごめんなさい」

恥ずかしい。

多分、今顔は真っ赤になっている。

心なしか、目も潤んでいる気がする。

今、見られてしまったら、自分の気持ちは直輝に筒抜けになる。

だから、見られたくなかった。


有衣の、拒絶と思えるその反応に、直輝は傷ついた。

自分が悪いのは、わかっている。

手ひどく傷つけられた男相手に、あんな風に近づかれたくないだろう。

豆を挽きながら考えていたことを、今度は口に出してみる。

「俺が、…怖い?」

その問いかけを実際に言葉にしてしまうと、その意味は直輝の心に直接重く響いた。

それはそうだろうな。

またいつ怒られるか、またいつ傷つけられるか、わかったもんじゃないし。

昼間もあんな顔してたしな。

直輝は、心の中で思っていたその自答を、無意識に口に出していたことに気づいていなかった。


俯いていた有衣は、聞こえてきた直輝の小さな呟きに唖然とした。

直輝は、有衣が直輝自身を怖がっていると誤解している。

しかも、その口調は、どこか傷ついているように聞こえた。

自分が今どんな顔をしているのかも忘れ、有衣は顔を上げてきっぱりと言う。

「それは、違います」

「え?」

驚いた直輝がこちらを向き、有衣はようやく自分の顔を思い出して、また俯いた。

直輝には、顔を見られてしまった。

きっと、自分の気持ちも伝わってしまっただろう。

それならもう、隠す意味もない。

顔を俯けたまま、それでもはっきりと口に出す。

「直輝さんが、怖いんじゃ、ないです。怒られたり、傷つけられたり、そういうことじゃなくて。

 私が怖いのは…直輝さんに、嫌われること、です。怒らせるようなことを、してしまうこと、です」

いったん口を開くと、あとは止まらなかった。

「私は、直輝さんのことが」

「ストップ!」

「え…?」

好き、と言いたかった。

結果フラレるとしても、この際気持ちは伝えてしまいたかった。

やはり、それは許されないことなのか、と有衣は落ち込みかけた。


有衣が何を言いだそうとしているのか、いかに鈍い直輝でもわかってしまった。

いやその前に、必死に覆っていた顔を上げてくれたときに、その表情から伝わってきた。

必死に隠していたのは、自分の気持ちを隠しておきたかった、ということの表れだ。

だから、それだけは有衣に最初に言わせてはいけない気がした。

そうなってしまえば、有衣はずっと負い目を感じてしまうような気がしたのだ。

思わず制止をかけた瞬間の有衣の表情が、かわいそうに思えたが、仕方ない。

「ごめん。俺に、先に言わせてほしいんだけど…」

「え?」

「…君が、今言おうとしたこと」

「…え!?」

何を言われているかわからない、という怪訝そうな表情から一変、有衣は驚きに目を見開いて直輝を見つめる。

信用無いな、と直輝は苦笑しながら、ようやく自分の気持ちを言葉にした。

「俺は、君のことが、好きだよ」

口にしてみて、本当に好きだ、という気持ちがじわじわと全身に広がる。

どうして今までこんな大事なことを言えずにいたのか、直輝は自分自身のことがわからなくなりかけた。

「あの晩のこと、俺は自分の願望だった、って説明したでしょう。

 君がハルの母親に代ること、つまり、…俺のものになってほしい、って本当はずっと思ってたんだと思う。

 最初から、俺は君のことが気にかかっていたし、君と居るのが心地好かった。

 それなのに自分で認めるのが怖かったんだ。そのせいで、傷つけたり、怖がらせたりして、悪かった。

 今日の昼、俺を見て怯えた顔したのがわかって、本当に反省したよ。…許して、くれるかな?」

有衣の目に、涙が盛り上がるのが見えた。

許しの言葉はまだ得られていないが、有衣は拒否しないだろう。

直輝は有衣の頬を手で包み、目に親指を滑らせて涙を掬った。


あの晩、直輝が“君”と言った時、有衣の心は凍った。

でも今、直輝が“君”と言った時、有衣の心は温かくなった。

触れられている手から、直輝の温度が伝わってきて、有衣は心地好さに目を閉じる。

「直輝さんを許すとか、そういうことよりも…私も、謝りたいです。

 ハルくんのママになってあげる、なんて直輝さんの知らないところで勝手に言ったこと、後悔してました。

 …それから、私も、直輝さんのことが、好きです」

「うん。ありがとう…」

有衣の頬にあった直輝の手が、肩へ背中へ下がり、有衣はそのまま直輝に抱き寄せられた。

温かい腕の中で、お互いの心音が溶け出して重なるのがわかり、直輝も有衣も幸せそうにほほ笑んだ。


お待たせいたしました。

ようやく本当の両思いに…!

あぁ、長かったです^^;


しばらくは平穏な日々が続く、かもしれませんが(!)。

まだお互いのことをほとんど知らないふたり。

問題は山積み、障害は壁のよう!?

これまでと変わらず、応援してやってください^^

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