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Home Sweet Home  作者: ミナ
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電車に揺られながら、有衣は自分の携帯をいじっていた。

落ちていた電源は、自然に電池が切れたのだと思っていたが、電源を入れてみると電池はまだ満タンだった。

残っている着信履歴は、全部あの日の夜中のもので、みどりが大量に電話をかけたことを物語っている。

有衣自身は、自分の直輝に対する感情と晴基に対する不用意な言動が悪かったのだと思っている。

だが事情を全ては知らない優しいが激情家の幼馴染みは、自分の惨状を見て怒ったのに違いない。

だから、有衣が直輝の家に携帯を忘れたことに気づいて、わざとかけ続けたのだろう。

そのときはまだ電源が入っており、恐らく鳴りやまないために、直輝が電源を落としたのだろうと予想がついた。

直輝のベッドに置かれていた携帯。

あの日、夜中まで眠らずにいた直輝。

今日有衣を呼びとめた、掠れた呼び声。

それらが何を意味するのか、有衣にはわからなかい。

そして、自分に都合のいいように考えてしまいそうな自分が、正直怖かった。

そんなことをしてしまえば、またあの晩のようなことになりかねないのだ。

直輝のことを考えまいと、有衣は降りる駅までの間ずっと無意味にネットサーフィンをし続けた。


避けられている、という事実は、有衣の復帰で浮上しかけていた直輝の気分をまた急降下させた。

有衣が帰った後ベッドルームに入った直輝は、枕元に置いてあった携帯が持ち帰られたのに気づいた。

もともと有衣のものなのだから、それは当然のことなのだが、どこか心もとなさを感じた。

有衣の態度は翌日も変わらず、直輝が部屋に帰ると同時に、有衣が部屋を後にする。

直輝は何も言えないまま、相変わらず玄関のドアを見つめるはめになった。

テーブルの上には、温められたばかりの料理が載っている。

湯気が立ち昇るのを目にしながら、直輝はなぜか、温かさを感じられなかった。

力無く椅子に座り箸をつけるのだが、あれだけうまいと思っていたものが、今は砂を噛むように味がしない。

違うのは、一緒にテーブルに着いて、いろいろな話をしてくれていた有衣が、今はいないということだけなのに。

視界がやけに開けていて、いつもと変わらないはずの部屋の広さが、もっと広く感じる。

有衣がこの家に来る前までの日常は、直輝にとっても既に日常ではなくなっていた。


「先生、大丈夫かね?」

左方向から急に聞こえた声に、直輝ははっと意識を戻した。

一瞬、直輝は自分がどこにいるのかを認識するために、視線を素早く巡らせる。

カルテの広がるコンピュータのディスプレイと、座る馴染みの患者のヨシさんが目に入り、直輝は慌てた。

「あ、すみません。えぇと…、検査の結果でしたよね」

「それはもう聞いたから、あとは薬のことだけ…。今日は先生のほうが具合悪そうだねぇ」

「は…、すみません」

よくディスプレイを見れば、確かに処方箋を入力し始めたところで止まっている。

勤務中に、しかも患者の目の前で、こんな呆けたことになってしまうとは、と直輝は慌てて入力を再開する。

「タケプロンは、8週目なので今回で最後ですね。あとはいつもの消化剤お出ししておきます。

 何か異常があったら、また診察に来ていただいてけっこうですので」

「ありがとうございました。…先生も診察してもらったほうがよさそうだけどねぇ」

「…お大事に」

患者がヨシさんで、まだよかった。

診察室から出ていく際の言葉に苦笑しながら送り出すと、後ろから冷気を感じて直輝は振り向く。

看護士である白井(しろい)の、失態を責める冷たい視線に、直輝は益々苦笑を深める羽目になった。

「ごめんね」

「私に謝られても…。というか、先生最近変ですよ。

 近頃急にウキウキしだしたかと思ってたら、ここ1週間くらいは逆に葬式かって雰囲気で」

「はは、そうか…」

個人経営の病院であり、加えて経営陣の性格のせいか、ここでは看護士も医師もほぼ対等に渡り合っている。

しかも白井は直輝より7つも下なのだが、正直な性格の故なのか、歯に衣着せぬ物言いが特徴である。

例にもれず今回もぐさりと来るような言葉を言われ、直輝は渇いた笑いを漏らした。

気を取り直して次の患者のカルテナンバを見ようとすると、白井が横からそれを掻っ攫う。

「先生の担当の患者さんじゃありませんから、お隣に回します。

 患者さんに心配されるような顔が直るまで、休憩でもしててください」

口調はきついのだが、その目の奥に微かに心配そうな気配を感じて、直輝は素直に従い、診察室を出た。

確かに、患者に心配されるようではお終いだ。

しかし、自分はそこまでわかりやすい性格だったか、と思い直輝は首を傾げた。

唯が亡くなって以来、その必要性もなかったのだが、あまり感情を動かされたりはしなくなっていたはずだ。

それでも、最近の気分の激しい変動は、自分でもわかってはいる。

有衣のこと、自分の気持ち、そして唯のことで、直輝の内面は混乱と無秩序に陥っている。

そして白井の言う“近頃”というのが、恐らく有衣が来始めてからだろう、というのは容易に考えられた。

「はは…」

思わず、自分で自分を笑ってしまった。

結局のところ、始めから有衣に惹かれていたのだ、と再認識してしまったのだ。

ちょうど屋上のドアを開け、目に飛び込んできた鮮やかな青と白を言い訳に、直輝はぎゅっと目を瞑った。


直輝の気分とは裏腹に、すっきりと雲ひとつない青空が広がり、真っ白なシーツが風に揺られている。

シーツの波間をくぐるように、直輝は歩を進め、フェンスのそばまで行く。

白衣のポケットに手を突っ込み、額をフェンスに預けて眼下を覗くと、その隙間から落ちていきそうな気になる。

「ここで自殺なんて、やめてくれよ」

突然、後ろから笑いを含んだ声が聞こえてきて、直輝は振り返った。

立っていたのは、院長の甥にして次期院長と名高い、経営陣の一人である四谷 慧(よつや けい)だった。

しかし直輝にとって慧は、ただそれだけの関係ではない。

慧は直輝の大学の2年先輩であり、大学病院からこの病院へ引き抜いてくれた恩人でもある。

さらに、慧は唯の従兄でもあるため、直輝にとっての親戚でもあり、そして友人また理解者でもあった。

「死にそうな顔してるって聞いたけど」

途端に白井の顔が浮かび、余計なことを言ってくれた、と直輝は顔を顰めた。

きっとヨシさんの前での失態についてもしゃべってくれたに違いない。

「…ほんとにそんな顔してるな」

慧はほんの少しだけ楽しそうな顔で、珍しそうに直輝を見ている。

慧は機微に敏いところがある。

直輝は、慧に何もかも知られたような気がして、内心ぎくりとした。

有衣のことは、慧には何も話していないし、話そうという気も起きなかった。

多分それは、唯のことに関して、後ろめたさがあるからだ。

「唯が死んだときと、似てる」

その慧の言葉に、今度こそ直輝は動揺を抑えられずに、慧をまともに見ることになった。

心臓が、強く早く打つせいで、息苦しささえ感じる。

探るような慧の目に、恐ろしいほどの狼狽を覚えつつも、直輝からはその目を逸らせない。

少しの間を置いて、納得したような慧が、ひとりで頷きながら視線を他にやる。

「誰にも遠慮するな。俺にも、唯にもだ。唯は、もういないんだ。

 それに、だいたいお前はまだひとりでいられるような年じゃないし、ハルだっているだろ」

歌うような、軽い口調だった。

実際、慧の発した音声も、軽く風に流されたように空へ消えた。


やはり慧は気づいた。

直輝が唯からほかへ心を移したことに、気づいている。

何も言えないでいた直輝に向かって、慧はもう一度念押すように言う。

「変な遠慮とか迷いのせいで、せっかく見つけた大切だと思える人間をまた失うのは嫌だろ?」

有衣の来ない数日間は、気の遠くなるような日々になった。

有衣が来ても、温かい時間は今、手の届かないものになっている。

そのうち、永遠に失われる日が来るかもしれないとは、考えたくもない。

「…悪い」

「謝るなよ」

「正直…、俺もまだ混乱してるんだ」

「…そうだろうな」

短い返答に、様々な想いが感じられて、直輝は不覚にも泣きそうになり手で目を覆った。

慧とは、もともと唯に紹介されて出会ったのだ。

直輝の唯に関わることは、慧もほとんど全てを知っている。

恐らく、直輝と同じくらい、もしかするとそれ以上に、慧も心がざわついたに違いなかった。


「で? そんな顔してる、ってことはうまくいってないんだな」

徐に聞く慧の質問に、直輝は当面の問題を思い出した。

とにかく、有衣に避けられている事態を何とかしなくてはいけないのだった。

結局慧にどんな状況なのかを直輝は吐かされ、聞いた慧は呆れたように直輝を見やった。

「その臆病さ加減、どうにかしろ。そんなの、さっさと謝って掴まえろ、っつー話だよ」

それは、そうなのだが。

自分でもわかってはいることをさらりと指摘され、直輝は苦く笑う。

「…ハルをダシにするとか」

「は?」

「逃げられたのはハルがもう寝てた日だろ。仕事が終わったから、ここぞとばかりに帰ったんだろうよ。

 だからハルが寝てないうちに帰って捕まえれば、……早退しろ。外来は代りに俺がやってやる」

「はぁ?」

「どうせそのせいで仕事になってなかったんだろ。いいから、今日は帰れ。

 うまくいかせて、来週からきちんと仕事してくれればそれでいいし」

提案に目を丸くした直輝だが、言われたことは理にかなっているため、直輝は従うほかない。

直輝は慧に追い立てられるように、早退手続きを済ませると、実際に出口まで見送られてしまった。

「今度、紹介しろよ」

挨拶代わりのそんな言葉に、直輝は曖昧に頷いた。

紹介できるような間柄になれれば、の話なのだと思いつつ、妙に気分は良かった。


やっと出てきました、直輝の味方キャラ。

うじうじくんな直輝に発破かけてくれるキャラは、唯の従兄の慧でした。

慧のおかげで直輝も元気が出てきたようですね。

次回、とうとう、ようやく、溝が少し修復できる…かも?^^;


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