ストロベリー・キャンディ
「アナタ、死神なんでしょ?」
白い壁に囲まれた個室の、白いシーツの上で、少女がぽつりと呟くように言いました。彼女が体を起こしているベッドのすぐ横では、その横顔をじっと観察するように見つめている者があります。彼は少女の言葉を受けて少しだけまん丸の目を見開くと、空いている左手で頭をかきながら、不思議そうな顔をしました。
「よく言われる。どうしてみんなわかるのかなあ?」
少女の言う通り、彼は正真正銘の死神でした。そしてこの死神というものは、普段は人の目にうつらない存在であるはずなのに、仕事先で出会った者には、なぜか必ずその姿を見られてしまうのです。
見たところ年齢は二十歳くらい、クセのある短い黒髪に、全身を黒い服で固めていましたが、端整な顔立ちに透き通るような白い肌、そして高いとも低いともとれない声のせいで、男か女かを見分けるのはとても難しいのでした。いえ、そもそも死神に年齢や性別を見出そうとすること自体が、大きな間違いなのかもしれません。
質問を返された少女は退屈そうに目だけを動かして、死神の方を見ました。
「そんな大きいカマ、死神くらいしか持たないわ。……じゃあ、あたしはアナタにころされるのね」
死神は少女の視線を追って、自分の右手に目をやります。そこには死神の身長を軽く超えるほどの、巨大な鎌が握られていました。少女がこれを見ていたとわかると、彼はああ、と間抜けな声を出します。
「ころしはしないよ。これはキミを傷つけるものじゃない。ただキミの身体から、命を切り離すだけのものなんだから」
確かに、鎌の先に光る銀色の大きな刃には、宝石のような石がいくつも散りばめられていて、何かを切るのには不向きなつくりです。
「ドコが違うの?」
「うーん、痛くないトコ?」
「……やっぱり、アナタは死神なのね」
死神を死神だと確信したわりに、少女はこれっぽっちも表情を変えません。
「ずいぶん落ち着いたコだなあ。なんか調子狂っちゃうよ」
すっかり困り顔の死神を気にもしないで、少女はベッド脇の小さな引出しから、可愛らしい小瓶を取り出しました。それをそのまま、死神の目の前に差し出して、
「ハイ死神さん、これあげる」
死神は呆気にとられ、透き通る小瓶を見つめました。中には一粒だけ、濃いピンク色の、小さいガラス玉のようなものが転がっています。
「あたしのおうち、お菓子屋さんなの。これはパパがお見舞いに作ってくれたキャンディよ。最後のいっこはアナタにあげるわ」
「え、いらないよ。カミサマは食べ物なんか必要ないもの」
「カミサマだって味くらいわかるでしょ? あたしはもうすぐ食べられなくなっちゃうんだから、代わりにアナタに食べてもらいたいの」
言い返す隙もない態度に、死神はしぶしぶ小瓶を受け取ってしまいました。少女はそれを見届けると、ふっと子どもらしい笑顔を見せます。
「パパのキャンディは、とってもおいしいのよ」
死神はその時、初めて少女の笑った顔を見たのでした。
「怖くないの?」
鎌を振り上げながら、死神は少女に訊ねます。
「痛くないんでしょ?」
「うん」
「ならいいよ」
「……ホント、調子狂うなあ」
病院の狭い個室で静かに尽きようとしていた少女の命を、死神は当初の予定通りに刈り取りました。
それが彼に与えられた仕事。たとえ相手にどんな事情があったとしても、それは役目を放棄する言い訳になりません。
仕事を終えた死神は、昼過ぎの街の上空をあてもなく漂っていました。
「あら、もう店仕舞いなさるの?」
そんな言葉と甘い香りに鼻をくすぐられ、ふと地上を見ると、マーケット通りの一角にある、洋菓子店のガラス戸にかかったプレートを、店の人らしき女性が『CLOSE』の字を外に向けるように裏返したのが見えました。先ほどの声は、彼女の後ろに立っている上品そうな婦人のものだったようです。この店のお菓子を求めて来たのでしょう。
女性は振り返り、ばつが悪そうに笑って頭を下げました。
「申し訳ありません。今日は娘のお見舞いに行くんです」
「ああ、そうでしたか……それも、お見舞いの?」
言いながら婦人が目を留めたのは、女性の右腕に提げられた小さめのバスケット。上から布を被せてあるので中身をすべて見ることはできませんでしたが、隙間から死神の持っているのによく似た、しかし色とりどりのあめ玉がぎっしりと詰まっている小瓶が、顔を覗かせていました。それも一つだけではなく、まだいくつも入っているようです。
「はい。焼きたてのアップルパイに、キャンディがたくさん! 前にお見舞いに持っていったキャンディがなくなってきたと言ったら、主人がとても張り切ってしまって……」
女性の朗らかな笑顔につられて、婦人はくすくすと笑い声をこぼします。けれど気が咎めたのかすぐにやめ、労りを帯びた表情を見せました。
「お嬢さん、早く元気になるといいですわね」
「ええ! 本当に」
『本当に』と言ったときの女性の顔には、とても薄っぺらな作り笑いと、沼のように深い哀しみの陰りが浮かんでいました。
死神は、街で一番背の高い時計塔に腰を下ろすと、少女から託された小瓶を取り出しました。赤く色づけされたガラスの蓋を抜き、中からたった一粒だけ残っているあめ玉を、手のひらの上に出します。そしてそれを摘まんで日の光に透かし、ピンク色に煌めく姿をしばらく見つめていました。
やがてそれにも飽き、ためらいがちに、そっと口へ運びます。
「……甘い」
そうとしか言えませんでした。口の中にじわりと広がっていく甘さの中には、ほんのりすっぱかったり、やっぱり甘かったり、何かの味がするような気がします。しかし、その何かとはいったいなんなのか、今まで何一つ口にしたことのなかった死神には、わかるはずもありませんでした。
あめ玉をじっくりと味わいながら、死神は今日の仕事相手だった少女のことを思い出します。
自分を前にしても、少しも動揺しなかった女の子。最後のキャンディを差し出しながら、『もうすぐ食べられなくなっちゃうんだから』と言いながら、あの子は心の奥底で、どんなことを思っていたのか。
それから、先ほどの店の女性。娘のお見舞いに行くと言っていましたが、もし彼女があの子の母親だったとすれば、自分の娘がもういないと知ったら、あの人は、いったいどんな顔をするのか。
死神の頬に、つ、と一粒の滴が流れました。
けれど、
「……おいしい」
全身を包みこんでいく、キャンディのとろけるような甘さに気をとられてか。
死神は、自分の目から涙がこぼれたことになど、ちっとも気づきはしないのでした。
この作品は何年か前に書いたものをサルベージして、少しだけ手を加えたものです。
またこのような童話やファンタジーな感じのお話を書きたいとは思っているのですが……
ここまで目を通していただき、まことにありがとうございました