8月9日から始まった 原爆にかき消された「もう一つの悲劇」
筆者:
8月9日と言えば「長崎原爆の日」が皆さん真っ先に思いつくことだと思います。
しかし、8月9日は実を言いますと「ソ連対日参戦」し、ソ連が北海道、満州や朝鮮半島などに対して総攻撃を開始し始めた日でもあります。
※原爆投下とその悲劇については大手メディアの記事などで無限に書かれているのでここでは触れることはしませんがあってはいけないことだったことは間違いないです。
この一件がシベリア抑留の悲劇や北方領土問題などの現代まで繋がっていると言っても過言では無いでしょう。
どうしてこのようなことになってしまったのか? 「裏の理由」を個人的に解説したいと思います。
◇「戦争犯罪」であるシベリヤ抑留
質問者:
シベリヤ抑留って教科書にはあるもののあまり知られていないと思うんですけど、復習として教えていただけますか?
筆者:
シベリヤ抑留とはソ連が第二次大戦後に満州を中心に樺太、朝鮮半島の日本兵40~50万人ほどをマイナス30℃にもなると言われるほどの劣悪な環境で食事も満足に与えることなく強制労働させ、5万人以上が亡くなったというとんでもない悲劇です。
※70万人とも200万人とも言われる説があるものの50万人がもっとも言われている数字になります。
本来であれば戦争犯罪にもあたる重大な事件ではあるのですが、
ソ連と言うのは捕虜に関する保護規定があるジェネーブ条約やポツダム宣言に参加していなかったために「スルー」することが出来てしまったんです。
1956年のソ連との国交正常化まで10年以上帰国できなかった方が多くいらっしゃったのは本当に凄惨な悲劇だったと言わざるを得ません。
質問者:
筆者さんがとにかく戦争はしてはいけないといつもおっしゃっているのはこういう事ですよね……。
結局のところ民間人や末端の軍人が一番割を食うという事になりますから……。
筆者:
僕は日本が先の大戦に参戦したのは結局「外交の失敗」に他ならないと思うんです。
資源争奪戦に敗れ、ABCD包囲網を突破するためには先制攻撃しかないと短絡的な発想に行きついたのです。
良かったとされる「アジア解放」は戦勝国の戦争の疲弊の結果として起きたことに過ぎず、明確な構想があったわけでは無かったようです。そのために、「対外的な綺麗なお題目に過ぎない」――と少なくとも僕は考えています。
敗戦国の戦争犯罪はとりわけ大きく取り上げられるのですが、原爆投下や民間人への執拗な空襲、シベリヤ抑留など戦勝国の戦争犯罪は「勝てば官軍」状態になってしまいますからね。
敗戦国日本はそれに対する補償も受けられないわけです。ましてやソ連と言う国はロシアが地位を継承しているとはいえ今は存在しない国ですからね。
◇「対日ソ連参戦」の裏側
質問者:
そもそもどうして、ソ連ってポツダム宣言に入っていないんでしょうか? アメリカとソ連が密約を結んだからソ連が日本に参戦したんじゃなかったんでしたっけ?
筆者:
それが今回の「本丸」と言っても過言では無い部分です。
終戦直前の1年を時系列で整理しますと、
45年2月 ヤルタ会談で密約
45年4月 米ルーズベルト死亡と反共のトルーマンの就任
45年7月 米核兵器開発に成功 ⇒ この時点でアメリカは日本を降伏させる自信を持つ。ソ連を抜きにして日本を占領しようとしソ連との密約を中途半端にしようとしていた可能性アリ。
45年8月前半 原爆投下 直後にソ連が侵攻、狙いは北海道の北半分まで占領だったが途中で断念。
8月15日ポツダム宣言でソ連が抜かれる
とこんな流れです。アメリカは恐らく7月の原爆完成の段階で「ソ連抜きポツダム宣言」を狙っていたに違いないと思います。
つまりヤルタ会談を結んだルーズベルトとポツダム宣言の反共のトルーマンでアメリカの大統領が代わっていたので民主党同士の大統領交代とは言え方針が変わっていたのではないのか? と言うのが僕の考えです。
質問者:
なるほど……ヤルタ会談とポツダム宣言とで大統領が違うと言うのはあまり分析がされていない着眼点ですね……。
筆者:
ソ連としては、大統領が交代して以降に密かに察知していた可能性はあります。そのために中立条約破棄して一気に攻め込む方向に切り替えたのでしょう。ヤルタ会談も密約なので反故にされかねない……と危機感を抱きつつあわよくば北海道を占領を狙っていたのでしょう。
ソ連がポツダムに参加せず、アメリカの日本の占領を認めないことは、同時に日本占領に関わることが出来ないのでマイナスの面もありますが、北方四島の所在を曖昧にすることに成功してシベリヤ抑留で強制労働させたのでメリットはありました(ヤルタ会談では認められた領土は樺太と千島列島までだった)。
アメリカとしては日本を今に至るまで事実上の従属国に出来ているので作戦としては成功だと思います。ただ、北海道本土まで占領されていたら誤算だったかもしれませんが日本が抵抗していたのでそれは避けられましたね。
◇樋口中将の抵抗が北海道を救った!
質問者:
筆者:
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20190125-OYT8T50003/3/
この記事に良い感じに1945年8月の北海道を巡る攻防がまとめられていますが、
日本の大本営が自衛のための戦闘すらも18日までにやめるようにという事を通達していたのですが、ソ連が占領のための攻撃を続けたのです。
しかし、千島列島の占守島で樋口季一郎中将を中心に抵抗を続け優勢のまま停戦協定に基づいて8月23日に完全武装解除をしたのです。
ソ連としては楽々と占領できると確信していたのを出鼻をくじかれた感じだったんでしょうね。
その後9月までにかけてソ連は北方4島の占領までは行いましたが、スターリンの野望としてあった「北海道北部占領」までは行われなかったのです。
流石に完全に降伏文章に署名した日本に対して北海道本土上陸までやってしまえばアメリカを刺激し過ぎになってしまいますしね。
ソ連とてドイツとの戦闘で大きく被害を受けていますからアメリカと事を構えるわけにはいかなかったのでしょう。
※満州国だった地域は北海道よりも広かったにも関わらず、ほとんどの領域が8月9日の宣戦布告から8月20日までに占領されていたことから、抵抗が無ければ北海道が占領されていた可能性もゼロでは無かったものと思われます。
質問者:
「終戦の日」としてある8月15日より後でも戦闘があっただなんて結構衝撃的です……。
筆者:
ポツダム宣言ってあくまでも欧米との関係に過ぎませんからね。
もっとも、日本は欧米中心に外交も経済も回っていますからどうしても欧米との関係の歴史に終始してしまいがちになります。
余談ではありますけど、意外にも日本が領有権を主張している北方四島だけでなく千島列島と南樺太に関しても「返還」はしたものの「返還先」については日本は言及しておらず、ロシアとの友好条約のための材料に利用しようとしているようです。
実は南樺太と千島列島は日露戦争により得た地域なのでサンフランシスコ講和条約にある「第一次世界大戦により得た地域」や「略取した地域」には含まれず、国際法上は「未定」とも言える地域なんですね。
北方四島は完全にロシアに占領されてはいますが、サンフランシスコ講和条約で国際法上では日本固有の領土と認められています。
https://www8.cao.go.jp/hoppo/mondai/03.html
質問者:
それは知らなかったです……。何だか詳しくなった気がしますね……。
しかし、この領土問題は中々解消できなさそうだなと言う感じもしました……。
筆者:
ウクライナ戦争を皮切りにさらに外交関係が悪化しましたから、北方四島返還や平和条約締結はさらに難しくなった印象を受けますね。
シベリヤ抑留や北海道を守ってくださった方々、そして領土問題についてもこれを機に考えていただければと思いますね。




