四話
祝言当日。小春は髪結いから髪を結ってもらい、ふみから化粧を施してもらった。
鏡に映る自分をまじまじと見る。普段はひっつめ髪で化粧はしないし、着古した質素な着物を着ている。整髪と化粧をし、白無垢に身を包んだ姿は自分じゃないみたいだった。
「とっても綺麗だよ」
花嫁姿になった小春を見て、ふみは涙を流した。
「入るぞ」
明雄と兄の泰樹が部屋に入ってきた。
「おお」
明雄は感嘆の声を上げ、
「この姿なら、嫁に出しても恥ずかしくない」
満面の笑みで何度も頷いた。今日はいつもに増して機嫌がいい。
「いや、見ちがえたよ」
泰樹は物珍しげに、小春を凝視する。泰樹は普段、小春に無関心だが、花嫁姿には多少の興味があるようだ。
明雄は着物の袖口から懐中時計を出し、時刻を確認した。
「そろそろ行くぞ」
もう出発の時間のようだ。明雄と泰樹が部屋を出る。小春はふみに手を引かれ、退出した。ふみの温もりを逃がさないように、しっかりと手を握る。
外に出ると、人々が集まっていた。老若男女が百人以上はいる。小春の姿を確認したのか、彼らは歓声のような声を上げた。
「小春ちゃん、素敵だよ!」
「おめでとう!」
四方八方から、祝福の言葉が矢のように飛んでくる。
「ありがとうございます」
結婚が全く嬉しくない小春は、精一杯の笑顔を作って言う。明雄のほうが自然な笑顔で嬉しそうだ。まるで明雄が結婚するみたいだ。
人力車の周囲も人で溢れていた。身動きが取れない車夫は困り顔だ。
「もう行かないといけないので、すみません」
明雄が群衆に向かって頭を下げると、人々は蜘蛛の子を散らすように人力車の側から離れた。
小春はふみと、明雄は泰樹と人力車に乗り、四人は池内家に向かった。嫁入り道具を積んだ大八車が、後ろから追いかけてくる。
道中、人々の視線をしっかり感じた。親世代、熟年層からは祝福の眼差し。子どもからは、無邪気な視線。同年代の娘からは羨望だった。中には茶会に参加していた娘もいた。私が妻になりたかった、と目が訴えていた。
苦しい。彼女たち視線が、小春の心の中で降る雨をさらに強くする。ここで溺れないよう、小春はふみの手をさらに強く握った。
人力車は池内家に到着した。家の前には智紘が待っていた。
「お待ちしておりました」
彼は使用人なのだろうか? 茶会のときにも思ったが、彼は使用人にしては上等な背広を着ている。常に雅臣の側にいたし、特別な存在なのかもしれない。
「ご案内いたします」
池内家の和洋折衷の母屋に案内され、座敷に通された。
「お待ちしていました」
雅康が明雄に声をかけた。
「今日という日を迎えられて、たいへん嬉しく思います」
明雄がぺこぺこと頭を下げ、雑談を始めた。
小春は祝言用に装飾された座敷を見る。雅臣はすでに、床の間の前の新郎席で待機していた。前髪を上げ、紋付き袴を着ている雅臣は凜々しく男前だった。容姿だけ見れば、娘たちが憧れるのも分かる。性格を知ったら憧れなどなくなると思うが。
明雄たちの雑談が終わったようだ。
「早く始めましょうか」
雅康は言い、席に着いた。
小春も新婦席に座る。雅臣からちらりと見られた。ぎろりとした冷たい視線。驚きで脈が速くなる。
明雄たちも席に着き、祝言は始まった。
列席者は佐野家が三人。池内家も雅康、祖父らしき老人と智紘の三人。町長の一人息子の祝言だから、池内家側が大量の親戚を呼んで豪勢なものになると想像していたが、思いの外質素だった。
三献の儀や親族固めの儀など、全ての儀式を行い、祝言は終わった。
祝言終了後、夫婦で写真を撮ったあと、小春は雅臣とすぐに外へ出された。母屋の前に、馬車が用意されていた。
「乗るぞ」
雅臣は言い、馬車に乗った。雅臣は手を貸してくれず、小春は馬車に乗るのが一苦労だった。
二人を乗せた馬車は、池内家を出発した。
ひづめの音が晴れ空の下に響く。どこに行って何をするのか小春は全く知らない。
馬車は徒歩をわずかに上回る速さで、民家の前を通り過ぎて行く。道行く人々の視線がこちらを向く。
「町長さんのとこ……」
「花嫁の子……」
人々の声が流れていく。最後まで聞き取れない。
馬車は町の大通りに入った。礼服姿の二人を乗せた馬車の通行に、大通りはざわめき出す。全ての視線が二人に向く。驚きや好奇心、視線をよこす人々の感情は様々だ。
雅臣は顎を上げて、自分を見ろと言わんばかりに胸を張って前を見ている。大量の視線を浴び、気分が悪くなった小春は視線を下げる。
池内家で挙げた祝言は前座で、こっちが主だ。全然、質素な祝言じゃない。一人息子のために町を巻き込んだ、豪勢で大規模な祝言だ。と、小春は思った。
町の細道以外を全て通った馬車は、池内家に引き返す。視線を浴び続けて気が張りっぱなしの小春は、もうぐったりだ。雅臣は平気なようで、いまだに胸を張り、進行方向を見据えている。
前から荷台を引いた男性が歩いてきた。荷台には、こちらに背を向けて座る女性も乗っている。
小春は後ろ姿だけで誰か分かった。荷台に座っているのはふみだ。佐野家を出て、もう実家に向かっているようだ。
すれ違う瞬間、小春はふみの顔を見た。目が合った。ふみの瞼は赤く腫れていた。
小春は振り返った。赤くなった瞼を細めながらこちらに手を振るふみが遠ざかる。
「前を向け」
真横から冷たい声が聞こえてきた。
「……はい」
ふみが見えなくなるまで後ろを見ていたかったが、小春は雅臣に従った。母の最後の笑顔は何があっても絶対に忘れない。
馬車は池内家に到着した。降車のときも、雅臣は手を貸してくれなかった。代わり御者が手を貸してくれた。
「ついてこい」
小春は雅臣の後ろを歩く。着いたのは座敷だった。
「ただいま戻りました」
「おお、おかえり」
座って待っていた雅康たちの前に、膳が並んでいる。
「二人とも、席に着いて。食事にしよう」
小春と雅臣が席に着くと、宴会が始まった。
酒を飲んですっかりできあがった明雄は、雅康と老人の肩に手を回して楽しそうに話している。泰樹は席を離れ、雅臣と話している。
小春は一人、怒りを感じていた。この場にふみがいないことを、誰も気にしている様子がない。最初からふみはいなかったみたいだ。
自分だけ楽しんじゃって最低。実家に帰るお母さんのことを想像してみろ。小春は、顔を真っ赤にしたへべれけの明雄をこっそり睨みつけた。
宴会が終わり、明雄たちは帰った。祝言は完全に終わった。小春はもう、池内家の嫁だ。
これから雅臣に怯えるであろう生活が始まる。憂鬱で仕方がない。心の中で降る雨は、さらに強くなった。もう滝の中にいるみたいだった。
母屋で暮らすと思っていたが違った。二人の家は、敷地内にある大きく立派な日本家屋だった。現在の 母屋を建てるまで、ここが母屋だったという。家具は、雅臣が結婚したときのために処分せず取っておいたらしい。どれも上等そうな家具だった。
小春は雅臣のあと、風呂に入った。いつ張ったのか分からない湯はぬるい。今日は女中が湯を張ってくれたが、明日からは小春の仕事だ。湯は熱くてもぬくるてもダメ。雅臣が好む温度にしなければならない。ちゃんとできるか不安だ。
風呂から出た小春は髪を拭き、居間に戻った。
居間では雅臣が本を読んでいた。小春に気がつくと、本を閉じた。
「寝床に布団を敷いて、行灯の火をつけておけ」
「は、はい」
小春が返事をすると、雅臣は本を片手に居間から出て行った。
小春は照明を消し、寝床に向かった。
寝床の天井を見る。この部屋には照明がないようだ。真っ暗な部屋に、行灯に火をつける。部屋の隅に置かれていた布団を、部屋の中央に並べて敷いた。
敷いたはいいが距離感が分からない。ぴったりくっつけるのは、雅臣と近すぎるから嫌だ。でもあからさまに離すと怒られそうだ。とりあえず、掌二つ分離した。
布団の上に正座をし、雅臣を待つ。
祝言を挙げ、夫婦になった。今夜は初夜だ。雅臣が戻ってきたら何をするか、考えなくても分かる。
覚悟を決めないと。そう思っても、暴君との契りを想像すると、怖くて体はぷるぷると震えてしまう。
体の震えが収まる前に、雅臣が寝床にやってきた。
雅臣は小春の正面に立つ。小春は肩を掴まれ、押し倒された。寝間着の帯をするりと解かれる。
行灯の光が雅臣の顔を照らす。女を抱こうと決め、気持ちが高ぶっている男の顔だ。
やっぱり怖い。心の中でたまり続けた雨が溢れ出し、涙が出てきてしまった。雅臣の顔がにじんで見える。
行灯が小春の涙を雅臣に見せたのだろう。雅臣の手が止まった。
「怖いか?」
「あっ……」
喉が詰まって声が出せない。
「はっきり答えろ。怖いか?」
「……はい」
声を震わせながら答えた。「いいえ」と言うべきだと頭では思ったが、心が先に喋ってしまった。
雅臣の手が離れた。気を損ねたからぶたれるかもしれない。小春は奥歯を食いしばる。
「今日はもういい。寝ろ」
吐き捨てるように言うと、雅臣は小春に背を向けて床についた。
助かった。小春は安堵し、雅臣に背を向けて眠りについた。




