十七話
翌週の日曜日。
「商店街にお買い物に行きませんか?」
今度は小春から買い物に誘った。
「ああ、いいよ。行こう」
雅臣は二つ返事で快諾してくれた。
十時過ぎ、二人は買い物に向かった。夕食は、雅臣の希望の鰤大根にする。大根は家にあるから、魚屋にだけ行く。
小春は、胸を張り、顎を上げて偉そうに歩く雅臣の一歩後ろを歩く。外に出れば、雅臣は雅康の理想を演じる。
日曜日に商店街に行くと、一緒に買い物をしている夫婦が多かった。仲が良さそうな彼らが視界に入る度、嫉妬で心が苦しくなった。自分を、破顔している女性に置き換えてみて、虚しくなったこともある。
自分たちは外で仲睦まじくはできない。それでも、今日、雅臣と一緒に買い物に行けるだけで、小春は満足なのだ。
商店街に入った。どこもかしこも、買い物客や威勢のいい商人の声で賑わっている。
活気に溢れる商店街を偉そうに歩く雅臣は、注目の的だった。数多の人がいるが、どこにも雅臣のように歩く人はいない。鶴柄のワンピースを着て買い物に来たとき以上に視線が集まる。彼がこんなに注目されるなんて、小春は思っていなかった。
前から、五十代くらいの婦人二人が歩いてきた。
婦人たちは薄ら笑いを浮べた顔を寄せ合い、何かを話しているようだ。雅臣との距離が近くなると顔を離し、すました表情になる。だが、すれ違う瞬間に顔を伏せて、嗤笑した。そしてまたひそひそと話をしだす。小春はそれを見逃さなかった。
婦人たちのあの顔は、雅臣を小馬鹿にしている。小春は直感したのと同時に、雅臣に申し訳なさを感じた。
雅臣の背中を見やった。注目され冷笑されても雅康の理想を演じ続け、姿勢を崩さず歩いている。表情はもちろん見えない。眉間に力を入れて表情を保っているんだろな、と思う。無駄に辛い思いをさせてごめんなさい。小春は心の中で謝罪した。
矢のように飛んでくる視線を浴びながら、魚屋に到着した。
「いらっしゃいませ」
言った魚屋の奥さんは瞠目して、前のめりになった。
「今日は若旦那様と一緒なんだね」
「はい」
奥さんはニヤリと口角を上げると、小春の耳に顔を寄せた。
「最近、若旦那様とうまくいってるんでしょ?」
「えっ」
驚いた小春の声はひっくり返った。確かに今は、雅臣とうまくいっていて幸せだ。でも奥さんに雅臣のことを話していない。どうして奥さんは分かったのだろうか。
「若奥さん、最近、笑顔が増えたもんな」
横から店主が言った。
小春は自分がどんな顔をして、買い物をしているのか気にしたことがなかった。でも、疲れた顔か無表情で、楽しそうな顔はしていなかったと思う。
奥さんが雅臣のほうを向いた。
「ハイカラなものを買ってあげるだけじゃなくて、ちゃんと若奥様の心も大切にしなさいよ」
言いながら、雅臣の二の腕をポンポンと叩いた。
「ええ」
「よく言った!」
奥さんは笑みを作ると、視線を小春に戻した。
「今日は何がご入り用?」
「鰤をください」
「はいよ」
奥さんは、今日の売り物の中で一番大きな鰤を選んでくれた。
魚屋から数歩進んだところで、
「荷物を持ってやろう」
雅臣が振り返って言った。雅康の理想では、妻の荷物を持ってあげるなんて親切はダメだろう。
「お気遣いありがとうございます。でも自分で持ちます」
小春は買い物カゴを背中に隠す。
「いいからよこせ」
雅臣は口調こそ強いが、小春から買い物カゴを取る手は優しかった。
「ありがとうございます」
「帰るぞ」
「はい」
偉そうに歩く雅臣に、買い物カゴは似合わない。それもまた、人々の注目を集めた。
自宅に向かって歩いていると、
「小春さん!」
溌剌としていて、よく通る声に鼓膜を揺さぶられた。この声には、何度も名を呼ばれた覚えがある。小春は振り返り、足を止めた。名江の姿が真後ろにあった。
「名江ちゃん!」
「やっと会えました!」
陽光を反射する水のように、名江の目はきらきらと輝いている。
「私、ずっと小春さんのこと探してたんですよ。今日はもう買い物、終わったん……」
気持ちよく喋っていた名江は、急に口を閉ざした。表情を曇らせると、
「今日は雅臣さまと一緒にお買い物なんですね……」
声色を落として言った。
「私は邪魔ですよね……。今度会ったときは一緒に買い物をして、お茶でもしましょうね」
名江はうつむきがちになり、こちらに背中を向けようとした。
「おい、待て」
雅臣が名江を呼び止めた。名江は肩をびくりさせ、動きを止めた。雅臣を見る目は左右に揺れ、怯えている。
「二人で茶でも飲みながら話でもしろ」
雅臣は言うと、買い物カゴを持ったままこの場を離れた。名江は遠ざかる雅臣の背中を見ながら、目をぱちくりとさせた。
「名江ちゃん、行きましょう」
あ然とし、動こうとしない名江を小春が促す。腕をつつくと名江は、
「あっ、はい」
と、はっとした。




