十六話
「明日、買い物に行かない?」
夕食の場で雅臣から言われた。明日は日曜日だから、雅臣は休日だ。
「商店街にですか?」
小春は、毎日商店街に食品を買いに行っている。雅臣も商店街に用があるなら、一緒に買い物に行ける。
「いや、都市部に」
「行きます」
小春は即答した。食品の買い出しは、都市部から帰ってきて行けばいい。
「よかった」
と、雅臣は目を細めて嬉しそうだ。
「十時に自動車を予約してるから」
「はい」
四月以来の都市部。それに加え、雅臣との外出だ。小春は楽しみで仕方なく、頬が緩むのを押さえられなかった。
翌日、小春は午前中の家事を大急ぎで済ませた。
自室に入り、鏡台の前に座る。四月に都市部に行ったときは、時間がなくて化粧ができなかった。
白粉をはたいて、唇に紅をさし、髪はまがれいとにした。着物は茶会のときに着た一張羅にした。茶会の日は一段と重く感じたのに、今日は軽く感じた。
支度を終え、雅臣が待つ居間に向かった。
「お待たせしました」
雅臣と目が合った。雅臣はわずかに口を開けると、おかしなものを見たときのように目を瞬かせた。思わしくない反応に、小春は不安になってしまう。
「都市部に行くのに、この格好はおかしいですか?」
いやっ、と雅臣は胸の前で両手を振った。
「いつもと雰囲気が違うから、ちょっと惚れ惚れして……」
「惚れ惚れなんて……。……嬉しいです」
雅臣は照れ隠しをするように視線をそらし、時計を見た。小春もつられて目をやる。九時五十五分だった。身仕度に約一時間もかかっていた。
「行こうか」
「はい」
二人は居間を出た。
履物に足をかけた。雅臣が玄関戸に手を伸ばす。取っ手に手をかける直前、
「あっ」
と、小春のほうを向いた。
「車中では父さんの理想を演じるから。運転手が父さんの知り合いなんだ」
「はい。分かりました」
雅臣は玄関戸を開けた。外に出ると、胸を張り、顎を上げて歩き出した。
ついこの間まで怖かったこの姿も、頑張って演じているのかと思うと愛おしい。
二人は、池内家の敷地の外で待っていた自動車に乗り込んだ。
「では、出発いたします」
「お願いします」
雅臣の声は素のときよりも低い。この声で喋るのは、かなり疲れるらしい。
自動車が発進すると、雅臣は偉そうに腕を組み、大股を広げた。けれど今日は、小春がゆっくり座れるゆとりを残してくれている。
無言の車中には、うるさいエンジン音だけが響いている。
運転手が雅康の知り合いでなければ、雅臣と会話をしたかった。手持ち無沙汰の小春は横を向いて、車窓を眺めた。日頃見られない流れる景色は、二度目でも面白かった。
小春は時折、雅臣側の車窓も見た。だが景色よりも、雅臣の横顔に目がいってしまう。
運転手が父親の知り合いだからだろう。雅臣は眉間に薄らとシワを寄せて、険しい表情を作っている。年を取ったら眉間のシワが深くなりそう、と嘆いていた。
雅臣がこちらを向いて、目が合った。雅臣は目こそぴくりとも動かさなかったが、口にはかすかに笑みを作った。
小春は自分側の車窓に顔を向けた。そしてにやけた。
自動車は都市部に入った。今日はどこで買い物をするか知らない。おそらく、雅臣の買い物だろうと思う。
自動車が停まった。四月に来た婦人向けの洋服屋の前だった。
二人は自動車から降りた。雅臣は真っ直ぐに洋服屋に入った。小春も後に続く。
四月は暖色の商品が多かった店内。今は、白や水色など涼しげな色合いの商品に変わっている。まるで雰囲気が変わっていて、違う店に来たみたいだ。
運転手の目がなくなったからか、雅臣は眉間に力を込めるのをやめた。
「ほら」
雅臣は、小春をずらりと並ぶワンピースの前に促した。
「好きなものを選んで」
雅臣の言葉に、小春の顔はぱっと明るくなった。
「はい!」
自分の好みのものを選べる。小春は子どものように目をらんらんと輝かせ、ワンピースを物色した。
水色でプリーツが入ったものは爽やかでかわいいし、白地に青の小花柄のものも捨てがたい。どちらにしようか、と吟味していると二着に雅臣の手が伸びてきた。
「選べないならどっちも買おうか」
「二着も買ってもらうのは悪いです」
「いいさ。気にしないで」
雅臣は二着を抱えると、勘定場のほうに歩いていった。小春も勘定場に行く。
「これを包んでください」
「はい。かしこまりました」
自分が気に入った二着が、包装紙に包まれていく。自分のものになると思うと、嬉しくて仕方がない。
雅臣が支払いをしている間に、小春は店員からワンピースを受け取った。
洋服屋を出て、雅臣は向き合う。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
小春は包装紙に包まれたワンピースをぎゅっと胸に抱いた。早く着てみたい。そして、雅臣に見てもらいたい、と思った。
その後は、レストランで食事を摂って、百貨店に行った。百貨店で小春は雅臣から、「ネクタイを選んでほしい」と言われた。深い紺色のものを選ぶと、「いい色」と言ってくれた。
百貨店で買い物を終えた後、二人は帰路についた。
帰宅後、小春は自室に直行した。まず、水色のワンピースを着てみる。化粧をしたまま、気に入ったものを着ているからか、鏡に映る自分が輝いて見えた。
早く雅臣に見てもらいたくて、居間に急いだ。襖を普段より雑に開けて、室内に入る。
「どうですか?」
雅臣の前で一回転してみせる。裾が傘のように広がった。
「よく似合ってるよ」
お世辞かもしれないが、感想を言ってくれるだけで嬉しい。
「もう一着も着てみます」
自室にとんぼ返りし、小花柄のほうも着て、雅臣に見せた。
「こっちもよく似合ってるよ」
と、言ってもらえ、小春は大満足だった。




