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ヴェルナ霊導録 ――環の静寂  作者: 桐原 朔


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第一章 低脈席 第六話「第三班」

「班の構成は、術式適性・所属科・出身地域を参考に教官が決定する。学生の希望は原則として考慮しない。」

――王立霊脈学院 学外実習規程 第四条

 朝の第一刻が鳴る前に、カインは目を覚ました。


 窓の外はもう明るい。カーテンの隙間から差し込む朝の光は、少し黄みを帯びていた。夜が短くなっていた。


 着替えて廊下に出ると、空気の底に熱の気配があった。石畳はまだ夜の冷えを残しているが、そこに立っていても寒くはない。肩に入る力が、前より少なくなっていた。


 食堂へ向かう途中、演習場の脇を通った。


 音がした。


 演習場の中から、術式が展開される低い振動音が聞こえる。断続的で、間が一定だった。


 カインは足を止めた。入り口から中を見ると、中央より少し奥、石柱の手前に一人立っている。術式環を展開して、標的板へ向け、消す。また展開する。同じ動作を繰り返していた。


 速くはなかった。一回ずつが丁寧だった。目を引いたのは、環の縁の形が毎回ほとんど同じことだった。広げる角度も、維持する時間も、消すときの収め方もぶれが少ない。練習というより、何かを確かめているように見えた。急いでいる感じがない。


 しばらく見ていたが、向こうはこちらに気づく様子がない。気づいていて無視しているのか、本当に見えていないのか、それはわからなかった。


 カインはまた歩き始めた。演習場の前を通り過ぎても、振動音はしばらく背後に続いた。食堂の棟が近づくにつれ、それも遠のいていく。


   ◇


 食堂に入ると、窓際の席にぱらぱらと学生が座っていた。朝の早い時間で、いつもより人が少ない。盆を取って粥の碗を載せると、今日は碗の脇に小さな杯が添えられていた。冷たい果実水だった。


 席についてしばらくすると、トルが盆を持ってやってきた。向かいに座るなり、「早いな」と言う。


「少し前から」

「俺も早起きしたんだよ。今日、野外実習の班編成の掲示が出るって聞いたから」


 トルは果実水を一口飲んだ。


「冷たい。これ前からあったっけ」

「今日が初めてかもしれない」

「そっか。暖かくなってきたな」


 そう言って粥に向かい、少ししてからまた口を開く。


「学科関係なく班を作るって、本当なのかな。廊下で上級生が話してるのを聞いたんだよ。毎年そうしてるって。各科の学生を混ぜて班を作るって」

「そういう話があったのか」

「聞こえてきただけだけど。だとしたら、知らない奴と二日間野営するのか」


 トルは窓の外に目を向けた。


「まあ、何とかなるか。なってほしいけど」


 カインは粥を掬いながら、さっき演習場で見た人物のことを思い返した。この時間に一人であの場所にいるのが誰なのかは、まだわからない。


「そういや、あの演習場から音がしてたな」とトルが言った。

「こっちに来るとき、横を通ったら振動音がした。この時間から練習してる奴がいるのか」

「一人いた」

「誰だろ。早起きだな」


 トルは感心したように言ってから、また粥に戻った。


「俺には無理だ。この時間はまだ頭が半分寝てる」


   ◇


 掲示が出たのは、朝食を終えて本棟の廊下を戻る途中だった。


 人だかりができていた。掲示板には学科ごとに一枚ずつ紙が貼られており、それぞれに名前と班番号が記されている。同じ番号の者が一班になる仕組みらしかった。各紙の上部には「学外霊脈野外実習・一年生班編成」とある。編成の基準については何も書かれていない。


 カインは魔法戦術科の紙で自分の名前を探した。カイン・グレイ、第三班。隣にトル・ハセン、第三班。他の紙に目を移すと、観測科にリナ・ソルト、第三班とある。


 戦術科の紙の一番上には、エイヴァン・エイン、第一班とあった。


 カインはその名前を見て、朝の演習場をふと思い返した。


「お、カインと同じじゃないか」


 後ろからトルの声がした。肩越しに紙を覗き込んでいる。


「そうだな」

「リナも一緒か。良かった」


 トルは戦術科の紙から他の紙へと順に目を移していった。


「残りの三人は知らないな。ファリス・ロブは工学科。ブレン・ヨットは防衛統括科の欄にあった。コーダ・ヘイムは行政管理科か……全員話したことない」

「二日間一緒にいる」

「そうなんだよ、野営もあるしな」


 トルは眉を上げてから、「まあ悪い人じゃないといいな」と言った。


「普通に考えれば悪い人じゃないだろうけど」


 掲示板の前に残っている学生たちが、それぞれの紙を見比べながら班番号を確かめていた。同じ番号を見つけて隣の学生と顔を見合わせる者もいれば、黙って確認して立ち去る者もいる。エイヴァン・エインの名前がある欄のあたりで、何人かが視線を止めていた。確認というより、値踏みするような間だった。


「出発はいつだ」

「下に書いてある。三日後」


 トルは紙の下部を見た。


「早いな。準備どうしよう。着替え何枚いるんだろ」


 廊下の窓の外では、中庭の木の梢が風に揺れていた。葉の色は濃く、青みを帯びて見えた。


   ◇


 午前の講義は術式応用の座学だった。


 セッテ助教が黒板に誘導の変形式を書き、学生が書き写す。カインは羽根ペンを走らせながら、板書の内容を頭の中で整理していた。式の構造自体はわかった。ただ、「野外での誘導は教室と同じように行かない場合がある」という一言が助教の口から出たとき、教室の空気がかすかに動いた。


「今週の野外実習で体験することになる」と助教は続けた。

「何がどう違うかは、やってみてから考えればいい。今日はまず式の形を覚えること」


 その一言で、また元の空気に戻った。前席の学生が何かを書き足す音がした。


 昼前の休憩で、トルが「野外だと何が違うんだろ」とカインに言った。


「行ってみないとわからない、と助教が言っていた」

「それはそうなんだけど、なんか不安で」


 トルは羽根ペンをくるりと回した。


「お前は不安じゃないのか」

「不安の形がわからない」

「それ、どういう意味だ」

「何が起きるかわからないから、何を不安に思えばいいかもわからない」

「それって不安じゃないのか、めちゃくちゃ」


 トルは笑った。


「俺はとにかく、うまくできるかどうかが不安だ。わかりやすいだろ」

「わかりやすい」


 カインはそのまま言った。


 廊下の窓から、遠く演習場の方角が見えた。今はもう誰もいない。朝の音が残っている気がしたが、それは気のせいだった。


   ◇


 昼食のとき、食堂でリナを見つけた。


 声をかけると、「ちょうど良かった」とリナが言った。


「班編成、見た?」

「見た。同じ班になったな」


 リナは盆を持ったまま向かいに座った。


「観測科に知り合いがいて、工学科のファリス・ロブのことを少し聞いたんだけど」

「どんな人だって」

「はっきりした人らしいって。それ以上は会ってみないとわからないって言ってたけど」

「はっきりした人か」とトルが横から言った。苦笑いをしている。

「俺、そういう人が苦手なんだよな。悪い人じゃないんだけど、ペースを持っていかれる感じがして」

「会ってから判断すればいいんじゃないかな」とリナが言った。

「想像で苦手になるより」

「それもそうか」


 トルは頷いて粥に向かった。


「ブレンとコーダは何か聞いてる?」

「そっちは何も。防衛統括科と行政管理科に知り合いがいないからさ」

「もちろん俺もいない」

「三人とも、会ってからだな」とトルが言った。


 しばらく三人で食べていた。食堂の窓から差し込む光は白く、影の輪郭を硬くしていた。石畳の上に落ちる影も濃い。


「野外実習、観測科は何をするんだ」とカインが聞いた。


「波形の記録。観測板を現地に置いて、決まった時間ごとに書き留めていって、三日分持ち帰って学院のと比べるんだよ」


 リナはスプーンを置いた。


「学院の外の波形って実際に見たことないから、どんなデータが出るのか、正直まだわからない。比べる基準が学院のデータしかないから、何が普通かもわからないんだよね」

「楽しみなのか」

「楽しみかどうか、まだそういう気持ちにもなれてない。ちゃんとデータが取れるかどうかの方が先で」


 リナは苦く笑った。


「観測板、重いし」

「二枚持っていくと言ってたな」

「それが一番の悩みかもしれない」


 トルが「俺も荷物で悩んでる」と言って、三人でしばらく荷物の話をした。何を削るか、初日の昼食は自分で用意するのかどうか。答えが出ないまま、鐘が鳴って昼食が終わった。


   ◇


 夕方、廊下で声をかけられた。


「カイン・グレイ、第三班の人? 魔法戦術科の」


 振り返ると、こちらをまっすぐ見ている女子生徒が立っていた。髪を耳の上で短く切りそろえており、荷物を片手に抱えている。背丈はリナより少し高い。目の動きが速く、話す前にすでに次を考えているような顔つきだった。


「そうだ」

「ファリス。工学科。よろしく」


 早口だったが、敵意のある速さではなかった。


「ちょっと聞きたいことがあって。夕食のとき時間ある? 班のみんなにも声かけようと思ってるんだけど」

「構わない」

「ありがとう。同じ班にトル・ハセンって人もいるよね。伝えてもらえると助かる」

「伝える」

「助かった」


 ファリスはそれだけ言って廊下を歩いていった。足音が速かった。


 しばらくしてトルと合流すると、伝えた。トルは「会ったのか」と目を丸くした。


「はっきりした人だって言ってたけど、どうだった?」

「速かった」

「速い?」

「話し方が」

「ああ」


 トルは少し考えた。


「まあ、悪い感じじゃなかったか」

「そうだな」


 夕食まで少し時間があった。カインは部屋に戻り、荷物の中身を確認し始めた。着替えは何枚必要か、記録板以外に何を持っていくか。告知の紙をもう一度広げる。初日の昼食については「各自で用意すること」と小さく書かれていた。リナに伝えなければと思った。


   ◇


 夕食の席に、第三班のメンバーが顔を揃えた。


 ファリスが全員に声をかけ回ったらしく、それぞれが示し合わせたように同じテーブルに集まっていた。ブレン・ヨットは背が高く、席につくと自然に存在感があった。口数が少なそうで、座るときに「よろしく」と一言だけ言う。コーダ・ヘイムは穏やかそうな顔で、隣の席に荷物を置いてからカインの方を見た。


「行政管理科のコーダです。よろしく」


 丁寧な言い方だった。カインとトルとリナも名前を言い、六人が揃う。初対面の者どうしが集まった席特有のぎこちなさが、最初のわずかな間だけあった。


 先に口を開いたのはファリスだった。


「術式のこととか荷物の分け方とか、ざっと決めといた方がよくない? 観測科に術式が干渉したら困るって聞いたことあって」

「干渉の話を知ってたの?」とリナが意外そうに言う。

「工学科って機器をよく使うし、出力が周りに影響することがあるから、観測板も同じかなって思って。違ったら気にしないで」

「合ってる。術式をどんどん使われると波形がずれちゃう可能性があるんだよね」


 リナが答えた。


「だから使う前に声かけてもらえると助かるかも。私も測るタイミングは言うから」

「よかった、ありがとう」


 ファリスはテーブルの上に小さな紙を広げた。確認事項を書き出してきていた。字が細かく、整っている。


「あと荷物の話もしたくて。みんな何持っていくかわかると、重いもの融通し合えるかなって」

「外套と記録板と着替えと、あとは学院から霊導石が配布される」とカインが言った。

「食料はどうする? 初日の昼は移動中だよね」


 トルは一拍遅れて「あ、食料か」と言った。ファリスはすでに次を書いていた。


「各自で用意と告知に書いてあった」

「そうか」


 ファリスは紙に書き足した。


「じゃあそこは各自か。二日目からは学院が出してくれるみたいだから、そこは大丈夫」

「観測板が二枚あって重いんだけど」とリナが言った。

「移動中はなるべく自分で持つけど、野営の設置場所に運ぶとき誰か手を貸してもらえると助かるかな」

「俺が持つよ」とトルがすぐに言った。

「どのくらいの重さ?」

「石の板くらい」

「それはちょっと重いな」


 トルは苦笑したが、すぐに言い直す。


「でも大丈夫、手伝うよ」

「ありがとう」


 リナはほっとしたように息をついた。


 ブレンがここで初めて口を開いた。


「野営は現地で決めりゃいい。状況見てからでいいだろ」


 声は低く、静かだった。それだけ言ってスプーンを手に取る。


 ファリスは紙の上でペンを止めた。


「決められるところまでは決めといた方がいいと思うけど」


 一秒か、それより短い間があった。


「記録の話を先に片付けた方がいい」とカインが言った。

「……それでいい」


 ファリスが言って紙に線を引く。


「現地でって感じで。あと記録ってまとめ役いる? 各自でいいなら各自でもいいけど」

「各自記録とあった」

「じゃあ各自でいいですか」とコーダが頷いた。

「提出するやつですよね、あれ。どんな形でまとめればいいか、出る前に確認しておいた方がよくないですかね。あとからだと大変そうで」

「助かる」とリナが言った。

「観測記録は決まった書き方があるから自分はわかってるんだけど、他の人のは知らなかった」

「明日の朝に確認してみます」


 コーダは穏やかに言った。話しながら、すでに誰に聞けばいいかを整理しているような顔つきだった。


 コーダが手元の紙に目を落とす。


「通達に、班長という記載がありまして」と穏やかな声で言った。

「誰かが務めることになるかと思うんですが」


 場が一瞬止まった。


「私でもいいけど」


 ファリスが言った。言い切る前に少し間があった。


 誰も即座に頷かなかった。悪いという空気ではなく、ただ間がある。


「カインじゃないの」とトルが言った。

「なんとなく」

「向いていない」とカインは言った。

「なんで」

「まとめるのが得意じゃない」

「そうか?」


 トルは首を傾けた。納得したわけではなさそうだったが、それ以上は言わない。


 ブレンは黙って食べていた。


「じゃあファリスで」とコーダが静かにまとめた。

「よければ」

「構わない」


 ファリスはそう言って、紙に何か書き足した。


 それ以上は大きな議題がなく、自然と食事の話になった。トルが「明日の昼ごはん、何を用意すればいいんだろ」と言い、ファリスが「保存が効いて軽いもの、乾燥果実とか固パンとか」と答える。コーダが「乾燥果実はどこで買えますか」と聞くと、ファリスが「市場の南側に商店が出てる、明日の朝なら間に合う」と即答した。ブレンは黙って食べていたが、会話を聞いていないわけではなかった。話の流れでコーダが「北部のご出身ですか」とブレンに聞くと、「ヴォルタ港だ」と返す。「遠いですね」とコーダが言うと、「慣れた」とだけ答えた。そのやりとりで場が少し柔らかくなった。


「なんか、悪くない班な気がしてきたな」とトルが小声でカインに言った。


 カインは返事をしなかった。悪くはない、と思った。


 食堂を出ると、廊下の窓から夜の中庭が見えた。測定石が青白く光っている。いつもの光だ。廊下を歩きながら、明日持っていく食料の話が少し続いた。それも途中で自然に終わり、それぞれの部屋の方角で別れた。


   ◇


 翌日、装備配布の窓口が本棟の東廊下に設置された。


 朝から列が伸びていた。前後の学生が荷物の話をしている。二日行程で野営があることが皆の頭の中を占めているらしく、何を持っていくか、どこまで削るかという声があちこちから聞こえた。


「コーダが朝に確認してくれて助かったな」とトルが列を歩きながら言った。

「書き方とか、知らないままだったら後で困ってた」

「そうだな」

「行政管理科って、ああいうの得意なのかな。コーダ、昨日からちゃんとしてたよな」

「そういう科なんだろう」

「俺には向いてない気がする」


 トルは率直に言った。


「段取りより体で覚えるタイプだから。カインはどっちだ」

「どちらも必要なときにやる」

「それができるのがすごいんだよな」


 トルは遠い目をした。


「俺、計画立てるのは好きなんだけど、計画通りにいかないとすぐ崩れるんだよ。うまく切り替えられないというか」

「崩れたときにどうするかを考えておけばいい」

「それが計画を立てるのと同じくらい大変なんだよ」


 トルは苦笑した。


「まあ、今回は班に頼れそうだからいいか」


 列の前に立つと、係の者が記録板と紙を差し出した。紙は誓約書だった。「実習中の術式使用は定められた手順に従うこと」「体調不良の場合は速やかに申告すること」という文言が続き、その下にいくつかの条項が並んでいる。カインは最後まで読んでから署名した。


 配布されたのは実習用の外套と腰革帯、それに小型の霊導石だった。霊導石は道中の緊急術式用だと説明があった。「使用した場合は帰還後に申告すること」とも言われた。


「緊急なのに申告とかあるのか」とトルが受け取りながら小さく言った。

「そういうとき頭が回るかな」

「回らなくても、帰ってから言えばいい」

「まあそうか」


 トルは霊導石を眺めた。


「小さいのに温かいな」


 実習用の外套を広げると、制服より生地が薄かった。暑い時期を想定した薄い造りだとわかる。腰革帯は幅が広く、小道具を挟める細かい仕切りがついている。学院の演習では使ったことがなかった。野外では必要になる場面があるのだろうと思った。


 受け取りを済ませて廊下を出ると、外の空気がじかに来た。日差しが棟の壁に当たり、石畳の表面が白っぽく光っている。日が高い。光は強く、壁際の影を短くしていた。


   ◇


 出発前夜、部屋に戻ったカインは荷物袋の確認をした。


 外套を畳んで底に入れ、その上に記録板と誓約書の写し、着替えを重ねる。腰革帯は霊導石を挟んでから外套の上に置いた。初日の昼用に乾燥果実を小さな布袋へ。トルが市場で買ってくるというので一緒に頼んでいたものだ。袋の口を絞る前に中身を確かめると、必要なものは揃っている。


 揃っていると思ったとき、机の引き出しに目が行った。


 引き出しを引く。


 石がある。


 手に取った。重さは変わらない。老術士が黙って渡したあの日から、ずっと同じ重さだった。表面の粗さも同じ、色も同じ。何かが変わった形跡はない。入学してからずっとあの引き出しにあった。演習の日も、講義の日も、手を伸ばす日とそうでない日があった。今日は自然に引き出しが開いていた。


 荷物袋に入れた。


 理由は特にない。先に手が動いていた。


 袋の口を絞ろうとしたとき、足元の石畳を通じて、かすかな律動があった。


 朝、演習場の前を通ったときの振動音を、なぜかそのとき思い出した。


 音ではなかった。ただ、重さが似ていた。


 袋の口を絞った。


 廊下から話し声が聞こえてきた。荷物の話をしている声と、天気を気にしている声が混じっている。誰かが笑った。それからしばらくして、静かになった。


 窓を少し開けておいても、寒くない夜だった。開けた窓から入ってくる空気は、肌にそのまま触れても心地よかった。


 カインは窓の外を見た。夜の中庭に測定石の青白い光がある。石畳の表面に光が落ちて、輪郭のない影を作っている。今夜はそこに人影がなかった。朝の演習場の人物が誰だったのか、まだわからないままだった。


 足元の律動は、今夜も変わらず薄くある。


 明後日の朝、出発する。

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