第十話 夏の下り坂
セミの鳴き声にそろそろ耳障りに感じてきた。夏休みも気づけば半分が過ぎようとしている。
「夏休みだし、家族でキャンプしに行こうか」
「いいわね!楽しそう!」
4人揃う朝食で、卓哉さんの提案を前向きな母。
「貴大君はどうかな?」
「あ、いいですね」
楽しみとも言えないけど、否定する理由もなく、答えながら珠凛の方を見る。母も俺と同じ方に顔を向けて
「珠凛ちゃんも行こうよー」
「うん」
「やった!楽しみー」
さすがに卓哉さんからは話を振らないかと、母に感謝しつつホッとしている俺がいる。
「今日、学校に課題提出だよねー?」
「え、全然やっていない」
「そんな多くないから、私の写していいよー」
珠凛は朝食を終えて、逃げるように部屋に戻っていく。追うように俺も朝食を一気にかきこみ珠凛の部屋に向かった。
珠凛の部屋は半開きになっていた。
「課題のやつ借りていい?」
「入ってきていいよー」
「あ、うん。失礼します…」
ドキドキしながら初めて入る女子の部屋。落ち着く優しい香りに、視界がピンク一色。
髪の毛を耳に掛けながら、鞄を漁る珠凛が少し大人に見えた。
「あった!4枚ぐらいだからすぐ終わるでしょ?終わったら一緒に出しに行こう!」
「うん、ありがとう。すぐ終わらせる」
「たかぴーはキャンプ楽しみ?」
「えっ」
部屋を出ようとしている俺は珠凛の顔は見えてないけど、何かポジティブな感じはしない。
「まぁ緊張するかな」
曖昧に答えながら振り返る。少し内を向いたつま先。珠凛の足元からゆっくり見上げていく。
「そうかー!早く終わらしてきてー!」
「あ、せっかくだし、Missyの服着ていこう」
「いいねー!着ていこー!」
さっきまでの柔らかい空気が、少しだけ硬くなった気がして、機嫌を取るようにMissyの話が意思よりも先に口から出ていた。
「じゃあ、すぐ終わらせる!」
「オッケー!」
柔らかい空気に戻って、ジェットコースターのような空気感に数分間で気持ちが疲れた。
風で木が揺れる音を聞きながら、山と湖が広がる景色。
壮大な気持ちになっていると横から
「貴大!あんた男なんだから頑張りなさいよ」
「わかったよー、とりあえずテント建てるんでしょ?」
「そうねー、任したから」
なんか高揚感から現実に戻された感じがして、母にイラついてしまった。
卓哉さんは車から大きな荷物を運び、母は小さい荷物を抱えている。
珠凛も俺と同じで自然に浸っていた。たぶん家族イベントが久しぶりで何やればいいのか、お互いわかっていないんだと思う。
「珠凛ちゃん、一緒にテント建てよ?」
「オッケー!山とかすごいねー!びっくりだよー」
「やばいよね!めっちゃ興奮したわ」
「ってか、車の中にボートっぽいのあったから乗ってみようよ!」
「あの膨らませるやつ?」
「それそれ!膨らませるのは、たかぴーね!」
理由があるわけじゃないけど、テントの組み立てを一つ一つ丁寧に時間をかけていた。
テントとボートを終わらせるのに1時間弱かかったけど、珠凛との共同作業は胸を熱くさせた。
鉄板を挟んでサングラスをかけた卓哉さんが向かいにいる。煙で白く濁っているけど。
「卓哉さんの作った焼きそば美味しいです!」
「そうだろ!貴大君たくさん食べなさい!」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ、珠凛をありがとね」
笑っていた卓哉さんが少し真面目で、弱々しくなっていく。
「いやいや、いつも助けられてるのは僕ですから」
「最近はよく笑うようになったよ。一応、親だからわかるけど、本当に心から笑ってるって」
テントで笑っている珠凛と母を見ながら、俺のおかげなのかと胸がざわついた。
「そうなんですか…さすがですね」
「本当はもっとワガママの子なんだけどね。たぶん貴大君の前だと素を出せてるんじゃないかな」
「そうですかね?えへへ。でも母も卓哉さんと一緒にいると楽しそうですよ!」
つい照れながら、これはギブアンドテイクなのか?褒め返したくなっていた。
「そうか。それは良かったよ。お互い助け合おうな。珠凛を頼んだよ」
卓哉さんは少し涙目になりながら、俺にグータッチを要求してきた。
「頑張りましょう!」
拳が優しく触れた時に、少し大人の男になった気がした。
「たかぴー!湖行こうよー」
「一緒にボート持って!」
珠凛に呼ばれる俺を見て、卓哉さんは何も言わずニコッ笑っていた。
「じゃあ先に珠凛ちゃん乗っていいよ」
「めっちゃ楽しみなんだけど」
珠凛が片足をかけた時に、ボートが揺れる。
「あっ」
バランスを崩した珠凛を咄嗟に抱え込んでいた。
水面の反射でよく見える珠凛の照れた顔が、胸を締め付ける。
心臓の音がやけに近い。
抱え込んだ時の温もりがまだ手に残って、その手で珠凛をボートにエスコートする。
「けっこう揺れるんだねー!危なかったよ、ありがとう!」
「いえいえ、それにしても久しぶりに夏休みっぽいことしてるわ」
「山に囲まれて、湖でぽつんとボートで2人きりって……世界の終わりみたいだね、あはは」
「怖いこと言うなよ!全然笑えないって」
珠凛の「2人きり」の言葉が、本当に2人しかいないような気持ちになる。
ボートが揺れるたびにぶつかる足に、その度にドキッとする。
恥ずかしさを隠すようにMissyの歌を口ずさむ。
「もっとそばにおいでよ」
「2人だけ許され…、あー夏休み楽しんでるねー」
「ライブ行って、キャンプして、めっちゃいい感じだね」
「ライブ中のたかぴーの踊り、マジでウケたし」
「珠凛ちゃんも途中テキトーだったじゃん」
2人だけの思い出を募らせながら、この夏が下り坂に差し掛かっていることに、寂しさを覚える。
夕陽に照らされながら心地よいリズムで揺れる車の中。俺は目を閉じながら、珠凛の寝息と身体を受け止めている。
運転する卓哉さんと母はずっと話している。
「今日は楽しかったね!卓哉さんありがとう」
「久しぶりの家族で遊びに行って楽しかったよ」
「またどこか行きたいですね!」
「それにしても2人が仲良さそうで良かったよ」
「なんかカップルみたいよね、うふふ」
「まぁ貴大君なら珠凛の旦那さんでも良いかもね」
「珠凛ちゃんならもっと良い男いるわよ」
家族じゃなかったら、すんなりと珠凛のことを好きになっていたかもしれない。今だけはと、珠凛に身体を預けてしまう。けれど珠凛のことを意識すると必ず頭によぎるのは前川さんの存在。
目を瞑っていても夕陽の眩しさがあって、瞼の裏に浮かぶ二人の笑顔が、夕陽に溶けていく。




