ウミとサカナ
サカナと言う名の男がいた。サカナは自分のことだけを考えて生きていた。人の都合など全く考えない。自分の損得が彼の行動の判断基準になる。自分が得をするように、自分に楽になるように巧みに振る舞って、周りの人に嫌な仕事を押し付けてしまう。それはサカナにとって、毎朝の歯磨きをすることくらいに自然にできてしまう。だから、彼の心の中に、悪いことをしたと言う罪悪感は全くない。
ウミと言う名の男がいた。ウミはいつも人のことを思いやって生きていた。自分のことを差し置いてでも、周りの人たちを助けることを優先する。誰かに感謝してもらうことを期待している訳ではない。見返りが欲しいなどと思ってもいない。ウミの行動は外に出かける時に靴を履くことと同じくらいに当たり前の行為だった。だから、彼の心の中に、良いことをしたと言う満足感など全くない。
なぜそんな対極の人格の人間が生まれるのだろう。育った環境のせいなのだろうか、元々持って生まれた人格なのだろうか、何かのきっかけでそんな生き方を自ら選択したのだろうか。それはだれにもわからない。
そんな二人が命を左右するアクシデントに遭遇してしまった。狭い空間に閉じ込められてしまったのだ。そこは高さ五メートルもある穴の中。穴の底の面積は、人が数人ほど動き回れる程度。壁はコンクリートでできているが、よじ登るためのはしごもロープも一切ない。声を上げても誰も来ない、どこにあるのかもわからない、人気のない場所にある。この二人は、どのような運命を辿るのだろうか。
サカナ:「このままだとここから出られずに、おれたち餓死するぞ」
ウミ:「本当だ、何とかして脱出しよう」
サカナ:「でもどうやって?」
ウミ:「諦めないで何か方法を探そう」
サカナ:「おまえが鈍臭いからこんな穴に落ちたんだ。おまえが何とかしろよ」
ウミ:「すまない、でも頑張って何とかしよう。君がぼくの両肩の上に立って、手を伸ばしてみて」
サカナはウミの肩の上に立とうとするが、細身の体のウミはなかなか立ち上がることができない。それもそのはず、サカナは肥満体型だからだ。誰がどう見ても土台になるのはサカナ、上になるのはウミだ。しかし、サカナは自分が土台になろうとはしないかった。ウミもサカナと代わってほしいとは思いもしなかった。
ウミは壁に両手を当てて、自分の体がぐらついてサカナが落ちてこないようにしながら何とか立ちあがった。ウミの肩に激痛が走るが、彼は必死で耐えた。サカナは両手を伸ばしてみるが、なかなかコンクリート壁の上端に届かない。サカナはウミの両肩を反力にして飛び上がったが、手が届かずウミの肩の上に落ちてきた。ウミはバランスを失って床の倒れ込むと、ウミの細い身体は巨体のサカナの下敷きになった。ウミは床に伏せて痛みに堪えていた。
サカナ:「大丈夫か?やっぱり無理だ、とても届かない」
ウミ:「諦めるな、何度でもやろう」
ウミはまたサカナを持ち上げた。サカナがジャンプするたびに落ちてくる。そしてまた持ち上げては、サカナが落ちてくる。二人は何度も、何度もそれを繰り返した。
何十回目のトライだろうか。サカナの指先がやっとコンクリート壁の上端に届いた。ウミは痛む腕でサカナの足を下から押し上げ、サカナは何とか穴から脱出することができた。
サカナ:「おまえも上がって来い!」
ウミ:「周りにロープはないか」
サカナ:「いや、ないなぁ。だれか助けを呼んでくる。それまで待っててくれ」
ウミ:「わかった」
サカナは走り出した。早く空腹を満たしたい、早く喉の渇きを潤したい。そんな感情が先走ってしまい、サカナはは穴の正確な場所を確認することを忘れて、走り出していた。
捜査が開始されてからウミが発見されたのは、サカナが脱出してから一週間が過ぎていた。ウミはすでに餓死していた。サカナがその事実を知った時、血の気が引いていく感覚を覚えた。
“自分だけが助かってしまったけど、ウミが土台になると自分から言い出したんだ”
検死の結果、ウミの両肩の骨が折れ、両膝の骨も砕けていた。サカナを何度も、何度も持ち上げている間に怪我をして、それでも諦めずにサカナを持ち上げていたのだ。サカナは今になって気が付いた。自分の肩の上からジャンプした時に、奇妙な音がしたことを・・・。
ウミはほとんど動けない状態で飢えと戦ったが、力尽きて死んでしまった。
「そんな惨い状況で亡くなったのに、穏やかな死顔でしたよ」
検死員はサカナにそう言った。サカナは喉が張裂けんばかりに声をあげた泣いた。ウミはサカナを何度も持ち上げている間に、悲しい結末が来ることをわかっていたのだろう。自分が死力を尽くして持ち上げている男から、自分を助けようとする意志を全く感じない。
“自分は助からないんだろうな”
ウミはそう思っていたのかもしれない。しかし、ウミはサカナと喧嘩をしてでも、自分が先に穴から脱出する選択はしなかった。
サカナはそれから人が変わったように優しい人になり、周囲の人から愛されるようになった。ウミを散々踏みつけた靴は、捨てることなく下駄箱の隅にずっと置き続け、その靴の存在を忘れることはなかった。
海を泳ぐ魚は、海と言う自由で広大な空間の中にいる。しかし、その自由な空間以外の世界を知らない。その空間では口を開けていれば餌が勝手に入ってくる。魚が生きていくにはこの上ない空間だ。魚たちは勝手気ままに海に中を泳ぎ回っている。しかし、海はそんな魚に何も言わない、何も期待しない。
そんな自由が溢れている海の中から、一匹の魚が這い出して来なければならなくなった。重い十字架を背負ってしまったがために、当たり前のように不自由なく暮らしていた海の中から、生き難い陸の上へと・・・。
利己的な人と優しい人が、たった二人だけで、命のやり取りをする空間に居合わせることになった。両者は永遠に平行線のままなのだろうか、それともどちらかがどちらかに同化するのだろうか、その結末がどうなってしまうのかは、皆様の想像にお任せする。このケースでは、利己的な人が優しい人に同化してしまった。優しい人の死と言う衝撃的な動機を伴って・・・。
優しい人には強い信念がある。いや、そうとしか生きられないのかもしれない。優しい人は悪人にはなれない。悪人になれるなら、最初から優しい人でいる訳がない。
利己的な人は一度たりとも善行をしたことはないのだろうか。そんなはずはない。良い行いをして感謝されたことは、少なからずあったのではないだろうか。きっと忘れているだけなのだ。根っから悪い人はいない。だから悪行に対する信念がない。
利己的な人が利己的な行いをするまでに、切実なプロセスがあったのかもしれない。しかし、嫌と言うほど善行を見せつければ、心の奥底に眠っていた自分をきっと取り戻すはずだ。
“善人は悪人にはなれない。しかし、悪人は善人になれる”
ぼくはそう信じている。




