8. 自由と責任(2) side.エルフリーデ
「お久しぶりです、姉上」
「まあ、フィリベルトなの?見違えたわ!」
公爵家の別荘へ到着した私たちを待っていたのは、二人の青年だった。
一人は言うまでも無く、弟のフィリベルトだ。三年ぶりに会った弟は背が伸びて、青年らしい顔つきになっていた。何よりもフィリベルトの纏う空気が以前とは違うように感じる。何というか、内側から自信が溢れ出ているみたい。
「ダルロザへ留学したい」とフィリベルトが言い出したとき、お父様は反対した。
他国ではどうしても警備が手薄になる。父の子は私たち三人だけだから、跡継ぎのスペアに何かあったら……と心配だったらしい。
だけど私は賛成した。
幼いフィリベルトは大人しく目立たない子だった。私は二人の弟を平等に愛しているつもりだったけれど、家族の中心はいつだってヘンリックだ。
それに弟たちは表向き仲良くしているように見えるけれど、どこか余所余所しい。フィリベルトの方が萎縮しているように感じる。
同世代の兄弟や姉妹は、互いにライバル意識を持つものだと聞いたことがある。フィリベルトは優秀な兄にコンプレックスを持っているのかもしれない。だから彼にとっては、新天地の方がその才を伸ばせるかもしれないと考えたのだ。
ヘンリックも「俺と姉上がいるのだから跡継ぎは心配ないでしょう。フィリベルトの好きなようにさせてやって欲しい」と援護してくれ、ようやく留学の許可が下りた。
「姉上。こちら、ダルロザのユストゥス殿下です」
フィリベルトの隣に立つ長身の男性が軽く会釈をした。
「お噂は聞き及んでいます。麗しのエルフリーデ王女殿下にお会いできるとは、光栄ですね」
「初めまして、ユストゥス王子殿下。こちらこそ、お目にかかれて光栄ですわ」
ダルロザの第三王子、ユストゥス殿下は銀髪に涼やかな瞳の美しい容貌に、均整の取れた体躯の持ち主だった。さぞ令嬢に群がられるだろうと思わせる美丈夫だ。
「ユストゥス殿下の辺境視察に同行していましてね。姉上がこの近くに来ていると、ローゼマリー嬢が連絡を下さったのです」
「我が家に出入りしている商人が、殿下がたが隣町にいらっしゃると教えてくれましたの。使いが間に合ってようございました」
そのまま夕食会となり、四人で会話を楽しんだ。話しているのはもっぱらユストゥス殿下と私で、時折フィリベルトやローゼマリーが加わった。
「いやあ、この辺境の植生はすばらしい!我が国では見られないヌユナヅタやナズヨウまである。ヌユナヅタは薬草にもなるんですよ。気候だけではなく土中の水分量も関係しているのか……興味がつきませんね」
「ユストゥス殿下は植物にお詳しいのですね」
「殿下、また早口になってます。姉上が引いてますよ」
「ああ、これは失敬!俺は植物が大変好きでして。本当は植物学を専攻して研究者になりたかったのですが、いかんせん王子という身では勝手もできませんからね」
意外だった。この方も、望む道を諦めたのだ。そう思うと何だか親近感が沸いた。
そして視察から話題が広がり、国の産業や文化事業などの話題になるとユストゥス殿下とフィリベルトは盛んに議論を始めた。大国の王子であるユストゥス殿下にも臆さず理路整然と意見を述べる弟に、目を細めてしまう。
フィリベルトがダルロザで高い評価を得ているという話は耳にしていた。やっぱり留学させて正解だったわと内心は鼻高々である。
いえ、本人が努力した結果なのだから、私が自慢する事じゃないのだけれどね。
「エルフリーデ殿下、こちらにいらっしゃいましたか」
「ええ。少しお酒に酔ってしまったものですから」
夕食会がお開きになり、酔いを醒ますべくベランダで風に当たっていたところへ、ユストゥス殿下がやってきた。
「一つ、お伺いしたいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「エルフリーデ殿下は即位を望まれているのですか?」
「……望む望まないは関係ありませんわ。必要ならば、成るだけです」
余りにも直球すぎて、少し可笑しい。
我が国の機密にも近い事柄を、他国の王族に答えるわけないでしょうに。私は当たり障りのない言葉ではぐらかそうとした。
「俺はいずれ臣下に降り、公爵位を賜ることになっています。しかし王族から離れたとしても自国のために生涯尽くすことに変わりない。そして妻となる女性にも、その責は負って貰うことになります」
「ええ、その考えには同意致しますわ」
「もし……もし貴方が王位につく必要がなくなれば。俺の妻になって頂けないでしょうか」
「随分、急なお話ですわね」
何となく、そういう流れだろうとは思っていたけれど。
なんという剛速球。貴族としてはどうかと思う。だけどそこが、ちょっと可愛らしいとも感じる。
「せっかちな性分でして。回りくどいことは苦手です。ああ、もちろん、答えは急ぎません。どうか、ご一考頂きたく」
とりあえず「考えておきます」とだけ答えておく。私の一存で決められる事ではないのだし。
「領地を貰ったら、そこへ植物園を作ろうと考えています。薬草の研究が進めば我が国のためにもなる。望んだ形ではなくとも、植物の研究を続けるという道はまだ潰えていない」
”道はまだ、潰えていない”
――心の中にある、閉じた扉。
それが一気にこじ開けられて、扉から吹き抜ける風が私の心を揺らす。それは紛れもなく、殿下の言葉のせい。
彼となら、私の望む生き方ができるかもしれない。
王都に戻った私は、ユストゥス殿下との婚姻を進めるべく動いた。
フィリベルトは既に王太子となるべく着々と足場を固めている。私も影ながら彼に助力しつつ、お父様の説得を続けた。
「貴方、辺境にいたのは偶然ではないのでしょう?」
「バレていましたか」
「あんな分かり易い罠、バレない方がおかしいわ」
いたずらが見つかった子供のような顔で、フィリベルトが笑う。
「怒っていますか?」
「いいえ。むしろ感心しているのよ」
第三子のフィリベルトが王位を望むなら、私とヘンリックを追い落とすしかないもの。
いつの間にかこんなに逞しい子になっていたのね。
策謀とはいえ、彼のやり方は真っ当だ。……ヘンリックよりも、ずっと。フィリベルトにならばこの国を任せられる。
「本当は私、女王になんてなりたくなかったの。だから感謝しているくらい。それにユストゥス王子は良い方だわ」
「ええ。姉上をお任せできる方だと思っていますよ」
「まあ、生意気なことを言って」
そうしてついに父上が決断を下した。
王太子はフィリベルト。私はユストゥス殿下へ嫁ぎ、ヘンリックは臣下に降る。
貴族たちは既にほとんどがフィリベルト支持へ回っており、この決断は歓迎を以て受け入れられた。
反対していたのはほんの一部の貴族とヘンリック、そしてお母様とお祖母様だけ。
特にお母様は発狂レベルで怒り狂い、フィリベルトや私に物を投げつけて暴れたため、病気扱いで離宮へ押し込まれた。
お祖母様は表面上は大人しくしていたけれど、裏でご自分の実家を巻き込んでフィリベルト派閥を崩そうとしたので同じく離宮へ。互いに嫌い合っている嫁姑と毎日顔を突き合せなきゃならないのだから、さぞ苦痛だろう。
跡継ぎ争いに私情を絡ませた罰としては軽いくらいだわ。
「姉上!考え直してください。ダルロザへ嫁いだら、もう二度とレクイオスへ戻って来れないのかもしれないのですよ!」
ヘンリックが泣きながら私に縋ってきた。
もう国中に公表されているのだから、今さら覆らないというのに。
「覚悟の上よ。フィリベルトにこの国を任せられるんなら、私は外へ嫁いだ方がいいわ」
「ならば俺が王になります!俺が国王になるから、姉上には傍で支えて欲しい」
今さら何を言ってるのだろうと呆れる。
貴方が選んだことでしょう?
あの子爵令嬢を選んだ時から、この結末は決まっていたはずよ。
「ならば貴方は、王になって何がしたいの?」と私はヘンリックの目を見据えた。
「それは……勿論、この国を導いていこうと」
「どんな風に導こうと考えているの?そのための具体的な政策プランは?」
「え、ええと……」
弟は目を泳がせた。
やっぱりね。この子は何も考えていない。
興味を持たなかったおもちゃを弟に取られたからって、癇癪を起こしている幼子と一緒だわ。
「少なくともフィリベルトは、国の行く末をきちんと考えているわよ。志を持たない者が王になるべきではないわ。貴方は臣下となってこの国へ尽くしなさいな。貴方の能力があれば、十二分に自領を治め繁栄させることができるでしょう」
「そんな、待って、姉上っ」
◇◇◇
「奥様、お手紙が届いております」
届いた手紙の差出人を見て、私は盛大な溜息を吐いた。
ヘンリックからだ。
これで何通目だろうか。中身は読まなくても分かる。
辺境は何もない、こんなはずじゃなかった。寂しい。姉上に会いたい。戻ってきて欲しい……
呪文かと思うほどに、いつも同じような文面が綴られているのだ。
「また弟君からかい?よっぽど慕われているんだな」
「ええ。いつまで経っても子供なのよ。甘える相手を間違ってるわ。もう妻帯してるんだから、甘える相手は奥様でしょうに」
「うーん。甘えているというよりは……」
「またその話?それは有り得ないわよ。姉弟なんだから」
夫は、ヘンリックが私へ恋をしているんじゃないかと推測している。
そんなこと、考えるのも嫌だわ。気色悪い。
きっと弟は子供の頃のまま、手を伸ばせば私が撫でてくれると思っているだけよ。
今の私は、公爵となった夫とともにダルロザの外交を任されている。
色々な国を旅してみたいという夢が叶ったのだ。子供の頃に思っていたような自由の利く身ではないけれど、これはこれで楽しい。
夫は夫で、様々な場所で手に入れた植物の種をホクホクしながら育てているようだ。
趣味は違えど、夫婦で同じ方向を向いて生きている。彼と結婚して本当に良かったと思う。
私とヘンリックが同じ道を歩むことは、もう二度と無い。それぞれ別の家族を持ち、住んでいる国すら違うのだもの。もしかしたら、敵対することだってあるかもしれないわ。
ヘンリック。私の可愛い弟。
姉として、貴方を大切に思う気持ちは今でも変わらない。
幸せであれと願っている。
だけど私たちはもう子供じゃない。
独りの大人として、貴族として立って歩かなければならないのよ。
今後弟からの手紙はすべて送り返すようにと執事へ伝え、私は手紙を暖炉へと放り込んだ。