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6. その名前は誰のもの side.エルヴィラ

 物語のような恋に憧れていた。


 だから、彼を好きになるのは必然だったと思う。

 金髪で碧い目をした美しい王子様。容姿だけじゃなく、明るくて誰にでも気さくに接するヘンリック様には多くの女子生徒が恋をしていた。


「君は下の学年の子かな。名前を教えてくれないか?」


 彼に声を掛けられた時は夢かと思ったわ。それからヘンリック様は時々私へ話しかけてくれるようになった。

 庭園に猫が入り込んでいたとか、今日のカフェのランチは大好きなシチューだとか。そんなたわいもない話をするだけの時間が、私にとっては宝物だった。

 

 ヘンリック様に婚約者がいるのは知っている。

 ファインベルグ公爵家のご令嬢のローゼマリー様で、見目麗しい完璧な淑女。身分も能力も、あの人に私が勝てる要素なんて何一つない。

 だからこの恋心は胸にしまっておくつもりだった。



「子爵令嬢の分際で、ヘンリック殿下の側をうろちょろするなんて。身の程を知りなさいよ!」

 

 突然知らない令嬢の集団が下位クラスにやってきて、私を吊るし上げた。

 話の内容から察するに皆ヘンリック様のファンで、私が彼へ卑怯な手を使って近付いたと思っているらしい。


 私だって身の程くらいは知ってる。

 そもそも王族相手に自分から話しかけられるわけないじゃない。きっとヘンリック様だって、下位貴族の娘がちょっと珍しくて話しかけただけ。

 ……なんていいわけは聞いてもらえなくて。

 

 ただ涙を堪えて俯いていたら「君たち、何をしているんだ!!」とヘンリック殿下が助けにきてくれた。

 クラスの誰かが、殿下の側近へ助けを求めてくれたらしい。


「済まなかったね、嫌な思いをさせて」

「いいえ……。殿下のせいではありませんから」

「これから休憩時間は俺のそばにいるといい。側近たちもいるから、君を守ってあげられる」

「えっ……いいのでしょうか。私なんかが」

「本当はね、初めて見たときから可愛いと思っていたんだ」


 ヘンリック様が、私を……?

 その日は胸がドキドキして眠れなかった。

 

 それから私は、ヘンリック様のお傍に置かれるようになった。そんな私へ嫌がらせをしてくる令嬢もいたけれど、ヘンリック様に相談したらいつの間にか学院からいなくなっていた。それを見た令嬢たちは私に媚びを売り、群がるようになった。

 ちょっといい気分だったわ。以前の彼女たちは、ただの下位貴族令嬢だと私に見向きもしなかったもの。



「社交界で噂になっているぞ、エルヴィラ。どういうつもりなんだ」


 ある日、父のボーデ子爵が厳しい顔で私を問い詰めた。


「殿下には婚約者がいるんだ。お前は婚約者のいる男性に近寄ったふしだらな女と評判だ」

「そんな、ふしだらなんて……。私はただ、ヘンリック様のお望みのままにしているだけです」

「事実であろうがなかろうが、周囲にそう見られることが問題なんだ!」

「いいじゃないの。ヘンリック殿下は王太子の最有力候補よ。エリィが寵愛を得られたら、我が家の陞爵だって可能かもしれないわ」


 母は私と殿下の仲に賛成してくれたけれど、父は眉を顰めたままだ。

 

「例え殿下が王になったとしても、実家が子爵家では側妃も無理だ。愛妾になるしかない」

「高位貴族の養子になるという手もあるわよ。寄り親のヴァルター侯爵だって、次期国王の側室を出せるとあれば力になってくれるのじゃないかしら」

「……どのみちここまで噂が広がっては、エルヴィラにまともな縁談は来ないだろう。ヘンリック殿下に責任を取っていただくしかないな」


 両親は正式にヘンリック殿下に問い合わせてくれたけれど、回答は頂けなかったらしい。

 父からは溜め息混じりに「やっぱりな。もう殿下に近付くのは止めるんだ。嫁ぎ先が見つからないことも、覚悟しておきなさい」と言われた。


 分かっていたわ。きっと彼は学生時代の気まぐれで、ちょっと恋の真似事を楽しんだだけ。

 少しだけ。少しだけ、煌びやかなドレスを着て、皆から羨望の眼差しを受ける自分の姿を夢見させてもらった。それで十分。

 

 ……以前ならそう自分に言い聞かせて、諦められただろう。

 だけど私はヘンリック様と誰より近しい位置にいたのだ。身体を許したりはしていないけれど、肩を寄せ合い手を絡ませたことは何度もあった。

 その位置にいずれローゼマリー様が居座ると思うと、胸が焼け付くように熱い。


 

「えっ。婚約解消されるのですか?」

「元々、ローゼマリーとは政略で繋がっていただけだ。俺は王になりたいわけでもないしね。エリィと一緒にいられる方がいい」


 私は有頂天になった。ヘンリック様が、ローゼマリー様より私を選んでくれたことに。

 婚約解消を伝えられ、悲しげに目を伏せる彼女を気の毒に思うと共に、優越感を覚えてしまう。

 全てを持っているはずの公女様が、愛しい男の心だけは得られなかったんだもの。私と違って!



「何て事をしてくれたんだ!これでヘンリック様の立太子は絶望的になる」

「そんなに怒るようなことなの?臣籍降下して公爵か侯爵位が与えられるって、ヘンリック様が仰っていたわ」


 父が頭を抱えていたが、意味が分からなかった。

 嫁ぎ先が侯爵なら、子爵家の我が家にとっては快挙じゃない。

 そもそも王の妃なんて、私には荷が重いと思っていたし。


「ファインベルグ公爵家を始め、ヘンリック様を王太子へ推していた貴族は多い。我が家は彼らから恨まれることになるんだぞ!」


 父の言うとおりだった。事業取引を一方的に打ち切られ、ボーデ子爵家の財政はどんどん落ち込んでいった。

 ヘンリック殿下に相談しようとしたが、学院を休んでいて会う事もできない。王宮へ行っても「お取次ぎできません」と門前払いされた。

 

 しかも翌日から、学院の様子は一変した。

 今まで私へ群がっていた令嬢たちは私を遠巻きにして、ヒソヒソと囁き合っている。実技講習では、誰も私とチームを組もうとしないため一人ぼっちになった。

 

 

「ローゼマリー様!お願いです。嫌がらせを止めさせてください!」

 

 どうしようもなくなった私は、ローゼマリー様の元へ駆け込んだ。ヘンリック派の筆頭だったファインベルグ公爵の令嬢から取り成して貰えば、何とかなるかもしれないと。

 

「父の事業が勝手に打ち切られたんです!私も、学院で仲間外れにされて」

「当然ではなくて?」

「……え?」


 ローゼマリー様は扇で口を隠し、冷たい瞳で私を見つめた。


「ヘンリック殿下を追い落とす原因になったのだもの。そのくらい、覚悟の上で彼の手を取ったのでしょう?」

「そんな意地悪な言い方しなくたって……。私はただ、ヘンリック様が傍にいろというから従っただけで」

 

 彼女はフィリベルト殿下と婚約し、王太子妃になると聞く。それなのにヘンリック様を奪われたことをまだ根に持っているのだろうか。もしかして、嫌がらせも彼女が……?という考えが頭をよぎる。

 

「それを受け入れたのは貴方自身でしょう」

「だ、だって……王族に逆らう事なんて、出来ないじゃないですか!」

「貴方が本当に嫌だったのなら、私か、あるいは寄り親のヴァルター侯爵に相談することも出来たはずよ。そうすれば貴方をヘンリック殿下から逃がすことも可能だったかもしれない。結局、貴方は自らこの状況を選んだのではなくて?」

「私、こんなことになるとは思わなかったんです……」


 はぁ、とローゼマリー様が溜め息を吐いた。


「貴方、とても貴族とは思えないわね」


 侮辱されたと分かり、かあっと顔が熱くなる。ローゼマリー様の仰ることは正しいのかもしれないけれど。私たちはただ愛し合って、共にいたいと思っただけなのに。


「学院での嫌がらせは、私から止めるように言い聞かせるわ。だけど事業の取引先についてはどうにもならないわよ。彼らが貴方の振る舞いを見て、『ボーデ子爵家は信頼に値しない』と判断しただけのことですもの」


 

 ◇◇◇

 


 私は繕い物の手を止めて窓の外へと目をやった。眼下に広がるのは一面の畑と森だ。常に人が行き交っていた王都とは比べ物にならないほど、閑散とした場所。


 学院を出た後、私はヘンリック様と結婚した。

 当初は侯爵位を賜るはずだったのに、フィリベルト殿下へ狼藉を働こうとした罰としてヘンリック様は一代限りの伯爵位となった。与えられた領地は王都から遠く離れた辺境の地だ。

 付いてきてくれる侍女もいなくて、高い給金を払ってようやく老年の侍女と使用人を幾人か雇えた。人手が足りないので私も家事を手伝っている。


 実家のボーデ子爵家は破産し、領地はヴァルター侯爵預かりとなった。両親は侯爵家の下で働いている。


 ヘンリック様は、フィリベルト殿下とローゼマリー様の婚約を妨害しようとしたらしい。

 周囲は「今になって王太子の座が惜しくなったのだ」「ファインベルグ公爵令嬢に未練があったんだろう」と好き放題噂した。


 その理由をヘンリック様へ問い質したことはない。

 もし彼の答えが「ローゼマリー様に未練があった」だったら……この辛い状況に耐えられる気がしなかったから。


 尤も、聞いても答えてはくれなかっただろう。

 今のヘンリック様からは以前のような情熱を感じない。結婚式で交わした唇はひどく冷たいものだった。

 領地の館へ移ってからというもの、ほとんど会話らしい会話をしたことはない。


 子供でも出来れば少しはこちらを見てくれるかしら、と侍女へ話してみたことがある。


「旦那様は同意なさらないと思います。一代限りの爵位ということは、お子様は平民となりますし」

「どうして?平民となっても、生きていけないわけじゃないわ」

 

 一代限りの爵位とは子供を作ってはならないという事なのだと、侍女が教えてくれた。

 それが、ヘンリック様へ与えられた罰なのだとも。

 

 何でこんなことになったのだろう。

 王妃になりたかったわけじゃない。ただ、キラキラした王子様の傍にいたかった。

 

 ヘンリック様はもう、あの優しい笑みを私に向けてくれる事はない。「エリィ」と呼んでくれることもない。

 ただ一つの例外を除いて。

 

 閨の中でだけ、ヘンリック様は私の名前を呼んでくれる。

 明かりを消して月の光だけが照らす中、夫は「エリィ……エリィ……」と呟きながら激しく私を貪る。

 だけど朝になると、何も言わず背を向けて出ていってしまうのだ。


 ねえ、ヘンリック様。

 その「エリィ」は私のことなの?

 貴方は、誰の名前を呼んでいるの……?

ヘンリックは秘密裡に断種されています。エルヴィラは気付いていませんが、周囲は何となく察しています。

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うん、わかってたけどヘンリック最低だな(しかし、それが良い!!!) エルビィラは愚かだけど、幼いのか 打算的でない分、このままヘンリックに消費されるのかわいそうになってきた いや、自業自得なんですけ…
エルフリーデと同じ髪と目の色であり、エリィと呼べるから自分が目をつけられたって知ったらエルヴィラは発狂しそう。エルヴィラ個人の存在価値全否定ですよ。 恋に浮かれて実家を没落させ、学園でも白い目で見られ…
> 「えっ。婚約解消されるのですか?」 「元々、ローゼマリーとは政略で繋がっていただけだ。俺は王になりたいわけでもないしね。エリィと一緒にいられる方がいい」  私は有頂天になった。ヘンリック様が、ロー…
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