5. 間違い続けた結果 side.ギルバート
「このお話は無かったことにして下さいませ」
「何故です?まだお会いしたばかりではないですか。お互いにもっと良く知り合ってから、結論を出されても遅くないのでは」
「……はぁ。ご自分の胸に手を当てて、お考えになったら?」
令嬢は俺に蔑むような視線を向けた後、出されたお茶に手も付けず去っていった。
「また断られたか……」
報告を聞いた父がぎろりと俺を睨む。
俺、ギルバートはファクラー侯爵家の三男だ。
家督は長男、従属爵位は次男が継ぐ。三男の俺は婿入り先を探すか、騎士か文官になるしかない。俺は騎士には向いてないし成績も中程度だから、どこかの貴族へ婿入りするつもりだった。
しかし……婚約を打診して断られるのはこれで6回目だ。
「だからあの娘とは手を切れと言っただろうが」
「お言葉ですが父上、妾を持っている貴族など山ほどいるではありませんか」
俺には恋人、イリーネ・フィルツ男爵令嬢がいる。乳母の娘である彼女とは幼馴染で、年頃になってから愛し合うようになった。
フィルツ男爵家には長男がいるので俺が婿入りすることは出来ない。そもそもか細い領地しか持たない男爵家では、ファクラー侯爵家と縁づけるような相手ではないのだ。
だから俺はどこかの貴族家へ婿入りし、イリーネを妾に迎えるつもりだった。
「阿呆が。妾とは結婚して子供も出来た上で、妻の了承を得て迎えるものだ。結婚前から愛人を抱える男など、婿に欲しいわけないだろう」
父の言う事も分かるが、どうしても納得いかなかった。
何であの女どもは理解しないのだろう?どうせ政略結婚なのだ。正妻との間に愛など必要ない。
広大な領地を持ち、かつ様々な事業を抱えるファクラー侯爵家はかなり裕福だ。婚姻で我が家と結びつくのは、相手にとっても益があるはずなのに。
「あの娘と別れる気がないのであれば、婿入りは諦めて今からでも文官を目指せ。分かったな」
「……はい」
不服だったが、頷くしかなかった。一応文官の参考書を取り寄せてはみたものの、飽きてしまい途中で投げ出してしまった。
イリーネは文官の妻でも良いと言ってくれているが……。
俺の力では下級文官がせいぜいだ。給料などたかが知れている。だったら妾になるとしても良い暮らしが出来た方がいいじゃないか。
「王配になりたくないか?」
燻っている俺へ声を掛けてきたのが、ヘンリック殿下だった。
「姉上の夫に相応しい婿を探しているんだ。君の血筋は悪くないし、見目もまあまあだから丁度いい。姉上との白い結婚を約束してくれれば、その男爵令嬢とやらを愛妾に迎えられるよう取り計らってやるよ」
「それは……エルフリーデ殿下もご承知なのでしょうか?」
「俺が説得するさ。君は何も心配することはない」
俺はその魅力的な提案に飛びついた。
王配になれば、父や兄よりも上の立場に立てる。イリーネを妾にできる上、俺を見下してきた女どもを見返してやれる。断る理由がない。
それに白い結婚といっても、結婚してしまえばこっちのものだ。ヘンリック殿下が閨までついてくるわけじゃない。
男どもの垂涎の的であるエルフリーデ王女殿下の身体を好きに出来るかと思うと、心が躍る。
勿論、愛しているのはイリーネだけだ。だけど跡継ぎを作るのは、婿の役目だろう?
それから俺はヘンリック殿下の言われるまま、エルフリーデ殿下の婿候補の令息たちを陥れてやった。
娼館へ誘い込んだ挙句「あの令息は娼婦へ入れ込んで豪遊している」という悪評を流したり、適当な罪を着せて退学に追い込んだり……。
ヤバそうな事態になってもヘンリック殿下がもみ消してくれるから、やりたい放題だ。当初は良心の呵責もあったが、何度かやっているうちにそんなものは消えてしまった。
そんなことを続けて数年経った頃――。
「私、商家の後妻へ嫁ぐことになりました」
イリーネが涙を浮かべながら俺へ告げた。
「は?何を言ってるんだ。俺はエルフリーデ殿下の王配となって、君はその愛妾になるんだと言ったろう」
「貴方こそ何を言ってるの?王女殿下はダルロザの第三王子と婚約なさると聞いたわ。私のことは遊びだったのね。ありもしないことを言ってはぐらかして……ひとの人生を弄んで、そんなに楽しかった?」
「違う!俺は本当に、君を愛して」
「さようなら」
それから何度フィルツ家へ行ってもイリーネには会わせてもらえず、男爵からはやんわりともう来ないで欲しいと言われてしまった。
どうなってるんだ?王女殿下の婚約なんて聞いてないぞ。
「ヘンリック殿下!!エルフリーデ殿下が婚約とはどういうことです?俺の王配の件は」
ヘンリック殿下の執務室へ飛び込んだ俺の目に映ったのは、顔を歪めて爪を噛む殿下の姿だった。
「こんな……こんなはずじゃなかった……。相手はグラドネリアの皇太子じゃなかったのか?婚約を阻止するにはどうすれば……」
ぶつぶつと呟く殿下の瞳はあらぬ場所を見つめているようで、その狂気じみた様子に背筋が寒くなる。
「あの……俺はどうすればいいのですか?」
「知るかっ!今は忙しいんだ、出ていけ!!!」
殿下の絶叫と共に、俺は執務室から追い出された。
どうしよう。このままではイリーネが他の男に嫁いでしまう。それに卒業後の進路もだ。今から文官の試験を目指したって間に合わない。
ずっとヘンリック殿下の言う通りにして、輝かしい未来があると信じていたのに……。
呆然とする俺の目に、廊下を歩くエルフリーデ殿下の姿が目に入った。
そうだ。俺は彼女の婿候補だったはずだ。ヘンリック殿下がそう言っていたんだから。
「殿下!他の男と婚約なんて嘘ですよね?貴方は俺と結婚するはずで」
「何だお前は!!」
エルフリーデ殿下へ駆け寄った俺は、あっという間に護衛騎士に取り押さえられた。
「離せ!俺は王女殿下の配偶者になる男だぞ。こんなことをしていいと思っているのかっ」と叫んだが、騎士たちは聞く耳を持たず俺を縛り上げる。
「やれやれ、またこういう手合いか」
「お前で10人……いや11人目だな。『エルフリーデ殿下と結婚するのは俺だ~』とか言って突撃してくるバカ男は」
「そんな奴らと一緒にするなっ!約束したんだ。ヘンリック殿下に聞いてくれ」
「殿下は知らないと仰っている。美しい王女殿下に懸想するのは男として分からんでもないが、妄想と現実の区別くらいつけろよ」
そこでようやく理解した。俺は殿下の捨て駒だったということを。
「なんて事をしてくれたんだ、この恥曝しが!」
むち打ちの刑に処された後、ようやく放免され家にたどり着いた俺を待っていたのは、父の怒号だった。
父と兄は怒り心頭、母や妹は泣きながら俺を罵倒した。
「私たちは社交界で笑い物よ……」
「俺の婚約も破棄された。お前のせいでな!」
「殿下の温情で取り潰しは免れたが、我が家は伯爵へ降爵となった。お前の籍はすでに抜いてある。どこへなりと消えろと言いたいところだが、放り出しても他人に迷惑をかけるだろうから行き先は用意した」
それは川の汚泥を処理するという、平民でも下層の者たちがつく仕事だった。
臭い泥に浸かってひたすら掻き出すという、キツい作業だ。
貴族の俺がなんでこんな事をとふてくされたものの、働かなければパン一つ買えない。俺は毎日臭い汚泥に塗れながら、くたくたになるまで働いた。
「久し振りだな。元気そう……とはいかないか」
疲れで霞んできた目に映ったのは、フードを目深に被った男だった。
その下の顔は忘れもしない。俺をこんな状況に追い込んだ元凶――ヘンリック殿下だ。
俺が憎しみの目を向けている事にも気付かないのか。殿下は楽しそうな顔で「お前にいい話を持ってきたんだ」と勝手に語り出した。
来月フィリベルト殿下とファインベルグ令嬢の婚約式がある。それを妨害するから手伝いをして欲しい、と。
「成功したら報酬は弾むし、お前の実家に籍を戻すよう取り計らってやるよ。こんな生活を続けたくないだろう?」
さすがに俺でも分かる。
王太子殿下の婚約式を妨害?そんなことをしたら、間違いなく俺は処刑される。
そしてこの男はまた、俺を捨て駒にするだろう。
「嫌だね。俺はもう、あんたに関わりたくないんだ。帰ってくれ」
「はあ?貴族に戻れるんだぞ。こんな良い話を断るなんて、下層生活が続いて頭まで平民並みになったか?」
「王太子殿下に反逆しようとする奴よりマシだろ。出て行け!」
汚泥を投げつけてやったら、奴は「うわっ、臭い!お前、不敬罪で捕まえさせるからな!」と叫びながら逃げていった。
その無様な姿に、少しだけ溜飲が下がった。
やれるもんならやってみろ。捕まっても構わない。これ以上、堕ちるところなんてない。
その後風の噂で、ヘンリック殿下が伯爵位まで降爵されたと聞いた。
どうやら本当に王太子殿下の婚約式を妨害しようとしていたが、事前にバレてお咎めを喰らったらしい。
あの男が何をしたかったのかは、未だに良く分からん。
あのまま公爵令嬢と結婚していれば国王になれただろう。
王になれなくても、大人しくしていれば侯爵位くらいは与えられただろうに。
……人の事は言えないか。俺だって間違った。
早々にイリーネと別れていれば、どこかへ婿入りできたかもしれない。
あるいは真面目に文官を目指せば、裕福では無いかもしれないが幸せな家庭を築けたかもしれない。
選択を間違い続けた結果が、このザマだ。
馬鹿だったよな。俺も、ヘンリック殿下も。