3. 貴方の知る私はもういない
――遡ること一年ほど前。
「お久しぶりです、ローゼマリー嬢」
「本当にお久しぶりですわ、フィリベルト殿下。最後にお会いしたのは出国前でしたから、もう四年前ですわね」
父が「お前に会わせたい人がいる」と連れてきたのは、第三王子フィリベルト殿下だった。
今まで彼が王太子候補に挙がったことはない。
真面目な方ではあるし決して無能ではないのだが、大人しい性格だったことや兄姉の優秀さが目立ったため陰に隠れる形となっていたのだ。
幼い頃にフィリベルト様とお話しする機会は何度かあったけれど、オドオドとしていた印象しかない。
しかし以前の印象と違って、今のフィリベルト様は長身の堂々とした青年に成長していた。
四年前にダルロザ国へと留学してからは優秀な成績を修め、向こうの貴族たちと積極的に交流を持ち高い評価を得ていたそうだ。
「ローゼマリー嬢。俺がここへ来たのは、貴方へ結婚を申し込むためです」
そう来るとは思わず、私は息を呑んだ。
「ご自分が何を仰っているか、お分かりですの?私はヘンリック様の婚約者ですわ」
「兄の心無い振る舞いについては聞き及んでおります。このまま兄と婚姻することを、貴方は本当に望まれているのでしょうか?」
フィリベルト様が私を真っ直ぐに見据えた。
……気付いている。この方は、気付いているのだわ。
「政略結婚ですもの。私の意思など関係ございません」
「貴方だけではない。この国にとっても、現状は決して良いとは思えません。これは公爵とも話し合った上での結論です」
そしてフィリベルト様は私の知らない事を教えてくれた。
父が早い段階でヘンリック様に見切りを付け、フィリベルト様へコンタクトを取っていたこと。
我が派閥が密かにフィリベルト派へ鞍替えしようとしていること。
そしてフィリベルト様もまた、憤っていたそうだ。私利私欲で跡継ぎ争いに混乱を招く兄も、彼を甘やかす王妃様にも、優柔不断な国王陛下にも。
「混乱した国政を立て直す為に、俺は王位が欲しい。そのためにはファインベルグ公爵家の力が必要です。それと貴方の力も」
「……私もですか?」
「ローゼマリー嬢、貴方は貴族たちの間でも評価が高い。元々の資質もあるでしょうが、それは王子妃となるべく日々研鑽を重ねられた結果。今この国で、貴方ほど次期王妃に相応しい女性はいないと言っても過言ではない」
「お世辞が過ぎますわ」
「事実を述べているだけですよ。いずれ王となった暁には、共に支え合って立てる相手だと考えています。どうか、俺の手を取って欲しい」
――私はずっと、ヘンリック様に恋をしていた。
実姉への道ならぬ恋を胸に秘めていたとしても。
彼が真っ当に王として在ろうとするのならば、支えようと思っていた。あるいは女王となった姉を支えて傍に立つのなら、王弟妃として夫へ尽くそうと思っていた。
愛する女性にはなれなくとも、愛する家族にはなれるだろうと信じて。
あれはいつだったか……。
「姉上は何でも出来るように見えるだろうが、王族として血のにじむような努力をしてきた結果なんだ。そんな姉上を俺は本当に尊敬している」とヘンリック様が仰ったことがある。
ならば私は何なのか。貴方を支えるために寝る間も惜しんで自らを磨き、淑女の規範たるべく自分を律してきた私は?
そう叫びたかった。
だけどヘンリック様の目はエルフリーデ殿下だけに向いていて、私の方を見ようともしなかった。
そしてあっさりと私を切り捨てた。彼は私の恋心だけでなく、私の積み重ねた努力をも否定したのだ。
もう恋は真っ平だわ。
共に生きるのなら、私の資質や努力を正当に評価してくれる人がいい。
「フィリベルト殿下。この話、お受け致しますわ」
留学から戻ってきたフィリベルト様は精力的に動いた。
各領地を回り、食料生産量向上に関する改革案を上げたり、新規事業を提案したり。在学中に培った人脈を使い、ダルロザとの取引を広げたい国内貴族たちの橋渡しをしたり。
そしてフィリベルト様の評判はどんどん上がっていった。これは父や我が派閥の者たちのおかげもある。父は表向きヘンリック派を装っていたが、裏ではフィリベルト派を増やすべく暗躍していたのだ。
エルフリーデ殿下の婚約を押し進めたのも、私とフィリベルト様だ。
ダルロザのユストゥス王子殿下は見目麗しい美丈夫だが、身分と容姿のせいで擦り寄ってくる多くの令嬢たちに辟易していたそうだ。だから彼女たちに立ち向かえるような優秀で美しく、身分の高い女性を求めていた。
だけどヘンリック様に知られれば、当然妨害しようとするだろう。
そこでまず、グラドネリア帝国の皇太子が姉を求めているという噂を流した。実際は皇太子が、酒の席で冗談がてら言っただけの話。それを針小棒大に広げて、ヘンリック様の耳へと届くようにした。
それでヘンリック様は焦って私との婚約を解消したってわけ。予想通り過ぎて、笑いをこらえるのが大変だったわ。
そしてヘンリック様の目がそちらへ向いている隙に、エルフリーデ殿下とユストゥス殿下との会合を実行した。ダルロザとの国境付近にある我が家の別荘へ、避暑の名目で王女殿下をお呼びし、偶然を装ってユストゥス殿下と会わせたのだ。二人はすぐに意気投合した。
麗しい二人が並んで立つ様は、絵画のように美しかったわ。ヘンリック様が見たら歯ぎしりして悔しがったでしょうね。
エルフリーデ殿下の婚約が決まったこと。ほとんどの貴族がフィリベルト様を支持したこと。
その事実により、陛下はついにフィリベルト様を王太子にと決断した。反抗した王妃様と王太后様は離宮に押し込まれたらしい。遅すぎるくらいだと思う。
再婚約を打診し、私に断られた時のヘンリック様の顔ときたら……今思い出しても愉快だわ。
自分に惚れている私に愛を囁けば、すぐになびくと思っていたのでしょうね。
エルフリーデ殿下を駒扱いするなと憤っていたらしいけれど、自覚はないのかしら?
貴方こそ、私を……いいえ、自分と姉以外の人間全てを、自分の手駒扱いしていたのでしょうに。
だけどね。駒にだって、意志も意地もあるのよ?
ヘンリック様を一途に慕っていた私はもうどこにもいない。
ここにいるのは、王妃となって生涯この国へ尽くす目標と覚悟を定めた女よ。
最近のヘンリック様は、自分の評価を上げてフィリベルト様を引きずり降ろそうと懸命になっているらしい。
ヘンリック派の貴族なんてもうわずか。それに彼の側近のうち、有能な者はフィリベルト様が引き抜いた。
いま彼の側にいるのは、男に媚びを売ることしか能のない下品な女と、主君の言うことに諾々と従う無能な側近だけ。
せいぜい足掻いて下さいな。そんなか細い手駒で、状況を覆せるとは思えないけれど。




