2. 手に入れたかったのはただ一つ side.ヘンリック
幼い頃から、自分が他者より優れていることは自覚していた。
王子という生まれ、見目麗しい容姿、そして知能の高さ。
大抵の人間は思い通りに動かせた。純真な少年、優秀な生徒、母親思いな息子……相手の望む姿を演じてやればいいだけだ。
欲しいものは何だって手に入った。
だけどそんな俺にも一つだけ、どうにもできないものがある。
俺の姉上、エルフリーデ王女。
賢くて美しくて誇り高い、最上の女性。だがどんなに恋い焦がれたところで、彼女は俺のものにはならない。
なぜ姉弟では結婚出来ないのだろう。あの美しい身体に他の男が触れるなど、考えただけで気が狂いそうになる。
結婚以外で俺が彼女の傍に在るには、姉上を王にするしかない。
幸いにも我が国は女性でも王位継承権がある。姉上が女王となり、俺が摂政となればいい。
それから俺は自分の実力を隠し、平凡な王子を演じるようになった。
とはいえ、あまりにもダメ王子では将来女王を支える立場になれない。ある程度のところで手を抜き、そこそこの評価を保つように尽力した。
弟のフィリベルトも王位継承権を持ってはいるが、あいつは何をやらせても俺より下だから気にする必要はない。
しかし念のため、俺や姉より目立つ振る舞いをしないよう脅しつけた。侍従や使用人のいない所で殴ってやったら、びくびくして俺へ従うようになったのは面白かったな。
「侍従から、フィリベルトの身体に痣が出来ているとの報告があった。誰かに殴られたような跡だと。身に覚えはあるか?」
弟への暴力を繰り返していたところ、父上に呼び出されて詰問された。
「兄弟喧嘩に少々熱が入ってしまって……申し訳ありません。反省しています」
「何故すぐに報告しなかったのだ?」
「そんなに強く殴ったつもりはなかったのです。軽く押したつもりでした」
「ヘンリックが理由もなく暴力を振るうはずはありませんわ。きっとフィリベルトがタチの悪い悪戯をして、ヘンリックを怒らせたのでしょう」
母上が味方をしてくれたおかげで、説教と数日の謹慎だけで済んだ。
弟も思い知っただろう。言いつけたって無駄なことだ。負け犬王子を顧みる奴なんて、誰もいないんだよ。
しばらく後、フィリベルトはダルロザへと留学した。当人の強い希望だったらしい。
負け犬でいる状況に耐えられなくて逃げたんだろう。
目障りな奴が消えて清々する。そのままダルロザで婿入りでもすればいい。
あとは俺がこのまま平凡王子を演じ続ければ、王位継承者は姉上に絞られるだろう。
姉上を欲しがる身の程知らずの男たちもいたが、全て手を回して陥れてやった。
実際に事を行ったのは取り巻きの奴らだが。特にファクラー侯爵令息ギルバートは使い勝手の良い駒だ。いずれ王配にしてやると言うと奴は喜んで従った。
勿論、あんな男に姉上を渡すつもりはない。
初夜の前に薬を盛って不能にしてしまうつもりだ。形だけの王配でも、男避けくらいにはなるだろう。
姉上には清らかな身でいて欲しい。美しくて賢くて、俺だけの姉上のままで……。
婚約者のローゼマリーに興味はなかったが、俺が摂政となって国政を握るためには、ファインベルグ公爵家の助力はあった方がいいだろう。それに万が一にも弟と結びつかれては困る。
優しい王子様を演じてやれば、ローゼマリーはすぐに俺を慕うようになった。
いずれはローゼマリーとの子供を姉上の養子にするのもいい。
そうすれば姉上と俺は、王太子の父と母として並び立てる……そんな、甘美な妄想に浸る日々。
エルヴィラ・ボーデ子爵令嬢を側に置いたのは、本当に気まぐれだった。
姉上どころかローゼマリーの足下にも及ばない、下賤な女。妻にする気など毛頭ない。だがハニーブロンドの髪に顔を埋めれば、まるで姉上を抱きしめているようで気分が良かった。
「グラドネリア帝国の皇太子が姉上を?しかし彼には妃がいたはずだが」
「は。ですから側妃にと」
「姉上ほどの方を側妃だと!?無礼にも程がある!」
側近から、グラドネリアの皇太子が姉上を望んでいるという情報が入った。
重臣たちの一部も賛同しているらしい。どうせグラドネリアの利権目的だろう、馬鹿どもが。次期女王たる姉上を他国へ嫁がせるなど、損失でしかないと何故分からないのか。
俺はローゼマリーへ婚約の解消を言い渡した。
多少強引だが、一刻も早く姉上を王太女にする必要がある。
グラドネリアには代わりにローゼマリーを嫁がせればいい。姉上ほどではないにしろ、ローゼマリーは公女で容貌も良く教養も高いのだ。皇太子も彼女を見れば気に入るだろう。
次の縁談を用意すると言ったのに、ローゼマリーは拒否した。
慕っていた俺に振られて拗ねているのかもしれない。女はこれだから面倒だ。嫌がるようなら、父上から王命を出して貰うか。
これで姉上を守ることが出来たと安堵していた、その数週間後。
「フィリベルトを王太子とする。お前はいずれ王族から除籍し、爵位を与える」
父からそう申し渡された。突然の事に頭が回らない。
弟が王太子で俺が王族から除籍?どうしてそうなる?
「は?次期国王は姉上でしょう?」
「エルフリーデはダルロザの第三王子との婚約が内定しておる」
「なっ……」
グラドネリアからの縁談は回避したはずなのに。ダルロザからも縁談が来ていたなんて話は聞いてない。
しかも内定だと!?俺に知らせもせず、何を勝手なことを……!
「父上、正気ですか!?フィリベルトなんかに王が務まるわけがない。王太子に相応しい人間は、姉上だけです」
「フィリベルトは帰国してのち様々な献策を行い、国政に貢献している。今や貴族の半数以上がフィリベルトを推しているのだ」
「し、しかし。姉上や俺をさしおいて弟が王になると言うのは、筋が通らないのでは」
「お前は国王になりたくないとさんざん言ってきたではないか。それに臣籍降下すれば、あの子爵令嬢との結婚を認めてやる。ファインベルグ公爵家を敵に回してまで、あの娘と添い遂げたかったのだろう?」
色々と言い訳をしたが、父上は「もう決めたことだ」と取り合ってくれなかった。
クソっ。エルヴィラは子爵令嬢だ。俺の妃に出来るような女じゃない。姉上の縁談を回避するための大義名分が、まさか足を引っ張ることになろうとは……。
「立太子を辞退しろ。お前なんぞに国王が務まるわけないだろう、身の程知らずめ」
「私利私欲で跡継ぎ選びを混乱させている兄上にだけは、言われたくありませんね」
俺は弟をこっそりと呼び出して脅したが、奴は全く動じない上に口答えまでしてきた。いつも怯えて俺に従っていたくせに。
「王に相応しいのは姉上だ。お前じゃない」
「姉上はユストゥス殿下へ嫁ぐことを望まれているんですよ。弟なら、姉の幸せを喜ぶべきでは?」
「政略結婚の駒にされて、幸せなわけがあるか!姉上はこの国で、清らかなまま女王として君臨するんだ。それこそが彼女に相応しい、輝かしい未来だ!」
フィリベルトが冷ややかな視線を向けてくる。可哀想なものを見るような、見下した目で。
「今や貴族の半数近くが俺を支持しています。姉上の嫁ぎ先が他国に決まったこと、そしてローゼマリーとの婚約でファインベルグ公爵が俺に付いたと知れば。ほとんどの貴族が俺に付くでしょうね」
「は?ローゼマリーがお前と婚約?あいつがお前を選ぶわけない」
「彼女との婚約を解消したのは下策でしたね。大人しくしていれば、侯爵位くらいは与えられるよう手配してあげますよ、兄上」
「この……出来損ないのくせに!」
目の前が怒りで赤くなる。
俺はフィリベルトの襟をつかみ、殴り掛かった。留学先で持ち上げられて、いい気になったんだろう。俺には敵わないのだと思い知らせてやらねば――。
しかし次の瞬間、俺は地面に転がっていた。
「え……?」
頭がふらふらする。弟に投げ飛ばされたのだと理解するまで、しばらく時間を要した。
「やれやれ、この程度ですか。ずいぶんと鍛錬を怠っていたようですね、兄上」
「貴様……兄に向かってこんなことをして、良いと思っているのかっ」
「先に手をあげたのはそちらですよ。話がこれだけなら失礼します。この後、来賓との会食があるので」
「ま、待てっ」
俺の制止に耳を貸すことなく奴は去っていった。その背中を呆然と眺める。
こんなのはおかしい。
弟は出来損ないのはずだ。俺の下にいるべき人間だ。こんなこと、あっていいはずがない!
何より、このままでは姉上がダルロザへ嫁いでしまう。
どうすれば。どうすればこの状況を覆せる?
「俺が間違っていた。ローゼマリー、やはり俺には君が必要だと気付いたんだ。俺ともう一度婚約してくれ」
思いついた起死回生の策が、ローゼマリーとの再婚約だった。
ローゼマリーは俺を慕っていた。俺が愛を囁けば、喜んでフィリベルトとの婚約を解消するに違いない。
愛娘が強く願えば、ファインベルグ公爵も俺の派閥へ戻ってくるだろう。そうすれば、フィリベルトの立太子を阻止できる。
「婚約を解消なさったのはヘンリック殿下ではありませんか。エルヴィラ様はどうなさるのです?」
「俺が愛しているのはローゼマリーだ。エルヴィラは王族の妃として何もかも足りない。あの女へ入れ込んだのはひと時の過ちだ。寛大な君なら、許してくれるだろう?」
優しくローゼマリーの手を握り、唇に押し当てる。しかし彼女は表情を変えることなくその手を振り払った。
「私はもう、フィリベルト様との婚約が決まっておりますわ」
「公表はされていないだろう。今なら間に合う。君だって不本意だろ?フィリベルトなんかと婚約させられて」
「いいえ。フィリベルト殿下は夫として、敬愛に足る人だと思っております」
「意地を張らなくていい。ローゼマリー、君だって俺を愛していた筈だ」
あんな男より俺の方がいいに決まってるだろう。
さあ、早く「はい」と言え。あの生意気な弟に、思い知らせてやるために。
「貴方を慕っていたこともありましたわね。ですがそれは過去の事。私はフィリベルト様と結婚致します。私自身がそう決めたのです。ヘンリック様も、エルヴィラ様とお幸せに」




