【書籍化記念SS】 運命の娘 side.アレクシス
「どうしたんだい、可愛い僕の姪っ子ちゃん?」
瞳いっぱいに涙を溜めたその幼い娘は、僕の愛した女性の面影を残していた――。
僕はずっと、透明な存在だった。
亡き母は他国の伯爵令嬢だった。外交で訪れた当時のレクイオス国王、つまり父上が見初めてかなり強引に娶ったと聞く。
他国から来た後ろ盾もない令嬢が王宮でどう扱われるかなど、自明だろう。父上は母を寵愛したが、それもまた貴族たちの不満を煽るだけだったに違いない。後宮の侍女たちには日々嫌がらせをされ、夜会に出ればヒソヒソと後ろ指を指される。
元々気の強い性質ではない母には耐えられなかったのだろう。僕が幼いうちに母は儚くなった。
曲がりなりにも王族である僕自身に対する嫌がらせはないが、この国の社交界において僕は居ない者だった。そこにいるけれど誰の視界にも入らない、透明な人間。
正妃様の子である兄上が立太子を済ませた後、ようやく僕にも婚約者としてアマーリア・キンツェル伯爵令嬢があてがわれた。
キンツェル伯爵家は歴史こそ古いが、これといった特産も無いそこそこの領地を持つ凡庸な貴族だ。僕が兄を差し置いて王になろうなどと言う野心を持たないように――そんな意図が透けて見える。
透明な僕はそんな考えなど欠片も持ったことがないというのに。
「アマーリアと申します。アレクシス殿下、よろしくお願い致します」
艶やかにたわむ金の髪にエメラルドの瞳、涼やかな声……。僕はひと目で彼女に惹かれた。
アマーリアの美しさは幼少期から有名で、いくつもの高位貴族から求婚の申し出があったと聞く。僕は初めて自分が王族であることに感謝した。そうでなければ、僕が彼女の婚約者になることなどなかっただろう。
「ハシェに博物館が出来たそうよ。旧ルァローン国の遺物もあるんですって。アレクシス殿下もご興味あるでしょう?視察名目なら陛下もお許しになるわ!王宮に閉じこもってばかりじゃあ良くないもの」
「この小説、いま令嬢の間でとっても流行ってるの!劇にもなってるのよ。私、殿下と一緒に行きたいわ」
人目を避けて籠もりがちな僕を、アマーリアは強引に外へ連れ出した。書物でしか知らなかった経験を重ねるうちに、僕の灰色だった世界は輝くような色彩で満ち溢れるようになった。
くるくると良く表情が変わるアマーリアは見ていて飽きない。感情を表に出すところは貴族令嬢らしくないかもしれないが、僕は彼女のそういうところが好きだ。
アマーリアがデビュタントを済ませた後は、夜会へも同行するようになった。男たちの嫉妬混じりの視線が僕へ向く。彼女のおかげで、僕は透明な人ではなくなったのだ。
僕は外交公務へ携わるようになった。もっともっと外の世界を見てみたいと思ったのだ。人脈を繋いでいずれ国王となった兄をアマーリアと共に支える……。そんな未来を夢見ていた。
「アレクシス殿下、よろしければこちらをお納め下さい」
「これは……御守りかな?」
「はい。この国に古くから伝わる御守りの一種で、旅人へ授ければ災いを避けられると言われています。殿下の帰路が無事であるようにと」
「ありがとう。君の気遣いに感謝する」
ニェリア国で知己となった友人から贈られたそれは、木の輪に羽のついたオブジェだった。遥か昔、この地域はまじないが盛んだったらしいから、その名残りだろう。
帰ったらアマーリアに見せよう。あまり女性向けのデザインじゃないから彼女は喜ばないかな?などと無邪気に考えながら帰国した僕を待っていたのは、地に頭を擦り付けるように謝罪を繰り返す兄とアマーリアだった。寄り添うように並んで座る二人の距離感から、その親密さが否が応でも伝わってくる。
「済まない、アレクシス」
「兄上、アマーリアは僕の婚約者です。そんな横暴が許されると本気で思っておられるのですか?それに、兄上には婚約者がいらっしゃるでしょう」
「婚約解消は先方へ既に伝えてある。どうか許して欲しい。俺たちは愛し合っているんだ」
「申し訳ありません、アレクシス殿下……。私、どうしても彼と添い遂げたくて」
「アマーリア……しかし……」
「お前には悪いと思っている。だが仕方ないのだ。アマーリアには新しい命が宿っている」
ショックのあまり、しばらく言葉を発することも出来なかった。
以前から王太子とアマーリアが親しいのではないかという噂はあったが、僕は否定していた。信じたくなかったのかもしれない。
まさか僕が不在の間に身体の関係を持ち、子まで成していたなんて。
僕とアマーリアの婚約は解消され、彼女は兄の婚約者となった。王妃様は最後まで反対していたが陛下が許したのだ。
「親子揃って何と愚かな……」と王妃様が遠い眼差しで呟かれていたのが印象的だった。
それから僕は王宮の隅に居を移し、公務以外では極力他者と関わらないようになった。元々身体が弱い方だったから、体調が悪いと言えば誰も何も言わなかった。
僕はまた、透明な存在となったのだ。
品行方正で優秀な兄を尊敬していた。天真爛漫なアマーリアを愛していた。
……どこにも行けない想いが纏わりついて、透明な僕を黒に染める。
そんな日々を過ごしていた時だった。庭園の隅でうずくまる女の子を見つけたのは。
王族しか入れない庭園で、最高品質の素材を使ったワンピースを身に付けている子供。しかもアマーリアに良く似た顔立ちとくれば、兄上の一番上の娘エルフリーデだとすぐに分かった。
「え……と、貴方はもしかして、アレクシス叔父様ですか?」
「そうだよ。よく覚えていたね」
僕は極力兄一家と顔を合わせるのを避けていたのに、幼い彼女が僕を覚えていたことに驚く。聡い子だ。
泣いている彼女を放っておけなくて、僕はそのままエルフリーデと長い時間話をした。
エルフリーデは元王妃、すなわち王太后様から躾を受けているが、それはひどく厳しいものであるらしい。今日もきつく叱られ鞭で腕を叩かれた。弟のヘンリックの教育は辛くなさそうな様子なのに……と涙目で彼女は愚痴る。
「辛くなったらここへおいで。愚痴くらいなら、いくらでも聞いてあげるよ」
僕は彼女から話を聞くとともに、王宮内へと探りを入れた。
王太后様はアマーリアから産まれたばかりのエルフリーデを取り上げ、直々に養育を行っている。躾が厳しいのは仕方ない、王族なのだから。問題は、恐らくだが王太后様がエルフリーデに愛情を示さないことだった。
王太后様は「息子を誑かした女」とアマーリアをひどく嫌っている。彼女からすれば孫とはいえ、アマーリアそっくりのエルフリーデを愛せるはずもないだろう。
そして当のアマーリアは長男であるヘンリックばかりを寵愛し、結果としてエルフリーデの気持ちは宙ぶらりんになっているのだ。
僕はエルフリーデへ愛情を注ぐようになった。
徐々に心を許して明るく笑うようになったエルフリーデを見ていると、幼い頃のアマーリアを思い出す。もし僕とアマーリアが結婚していたら、彼女のような愛らしい子が産まれていただろうか。
エルフリーデもまた、僕に懐いてくれているようだった。僕を自分に関心のない父親の代わりにしているのかもしれない。
それでも構わない。少しの時間を共にできるだけで嬉しかった。彼女の笑顔は、僕に纏わりついた澱を忘れさせてくれるから。
「叔父様、体調はどう?」
「ああ、今日はだいぶいいよ。その花束は僕に持ってきてくれたのかな?」
「ええ。侍女と一緒に庭で摘んできたのよ。叔父様の部屋、殺風景なんだもの」
花瓶に生けるよう、侍女へ指示を出すエルフリーデをこっそりと覗き見る。幼女から少女へと育ちつつある彼女は輝くような美しさを放っている。
王族に相応しい気品と教養、そしてこれ程の美貌。彼女が望むと望まないに関わらず、エルフリーデの存在はまた嵐を巻き起こすだろう。きっとそういう星の下に生まれついているのだ。
彼女を守ってあげたいけれど、僕に残された時間は少ない。
……大丈夫だ。エルフリーデはもう赤子ではない。
教養や貴族としての振る舞いは王太后様がきっちりと仕込んでいる。その原動力が気に喰わぬ嫁への対抗心だったとしても、エルフリーデが身に付けたモノは鎧となって彼女を守るだろう。
そして鎧の中には折れぬ真っ直ぐな心がある。僕がそうあるように育てた……というのは言い過ぎかもしれないけれど。彼女は今や、逆境にも負けぬしなやかで逞しい心の持ち主だ。
「エリィ。これをあげよう。ニェリア国で手に入れたものでね。これを持つ者は、災いを避けられるというお守りなんだ」
エルフリーデ――運命の娘。
どうか、君のこれからの旅路に幸あらんことを。
そして君を支え理解してくれる、良き伴侶に巡り合えることを願っている。




