09. 魔王ヴェルザード
後半戦です。のんびり更新です。
気長にお付き合いくださいませ。
魔王城の最奥。魔王の間にて。
ヴェルザードは玉座に腰かけて目を閉じていた。
「…………」
眠っているわけではない。むしろ彼の意識は、現在この魔界都市全体に張り巡らされた魔力監視網の中にあった。そしてたった今、その監視網越しに都市全体の魔力の質が跳ね上がったのを感じ取ったのだ。
意識を遮断して、ヴェルザードは目を開ける。ふ、と無意識に唇が緩んだ。
「力を取り戻したか、シトラシア」
ヴェルザードの大切な従妹。彼が魔王になったのも、聖魔女たるシトラシアにふさわしい魔族の楽園を作り上げるためだった。まさか途中で彼女が自分を裏切って勇者を選ぶとは思わなかったが、それはさしたる問題ではない。彼女は戻ってきた。それだけで十分だ。
玉座から立ち上がれば、近くに控えていた魔導衛兵が「オ出かけデスか」と顔を上げる。ヴェルザードは頷いた。
「シトラシアを迎えに行ってくる」
「ソレでしたらグろリアーな様が行かれルとのこトでシタが」
グロリアーナ。魔導衛兵が出したその名前に、ヴェルザードは顔をしかめた。
「あいつはまた勝手なことを……」
「お止メいたシまスカ?」
「いい。俺が行く」
せっかく久しぶりにシトラシアの魔力を感じて気分が高揚していたというのに、グロリアーナのせいで台無しだ。ヴェルザードは八つ当たり気味にそこにいた魔導衛兵の首を刎ねた。頭部を失ったことによりがしゃんと床に崩れ落ちた魔導衛兵だが、どうせあと十秒もすれば何事もなかったかのように復活する。ヴェルザードは気にせず魔王の間をあとにした。
◆ ◆ ◆
魔力泉の周辺は、先ほどまでの激しい戦闘とは打って変わって静まり返っていた。
「シシィ……?」
まるで見えない糸で引かれるように、ダンがよろめきながらもシシィへと歩み寄る。
百年ぶりに見る、シシィ本来の姿だった。煌めく紫眼が、柔らかく笑む。
「ただいま、ダン」
しかしシシィは、ダンの体が限界に達していることをすぐに見てとって顔色を変えた。
ダンの体をバラバラにした魔剣が近くにあることで、呪いが強まっているのだ。このままでは再構築包帯でも肉体固定術でも、彼の体を繋げておくことは不可能になる。
解決策はただひとつ。魔王を斃すことだ。そうすれば魔剣は力を失って、おのずと呪いも解けるだろう。そのためには……。
考え込んでいる間にもそばに歩み寄ってきていたダンが、恐る恐るシシィの頬に触れる。
「本当に、昔のシシィだ……」
「そうよ、ダン。今も昔も私はあなたのシシィよ」
あまりにもダンが呆然としているようだったので、シシィは冗談めかしてそんなことを言ってみる。しかしそれを聞いたダンはきゅっと唇を引き結んで、包帯が解けかけた腕でぎゅうっと抱きしめてきた。
「うん。どんな姿でも、僕の大好きなシシィだ」
「あら。……困っちゃうわね。なんだか照れちゃう」
「照れてる場合じゃないですよ、シシィさん!」
「そうだよ二人とも! シシィちゃんめちゃくちゃ綺麗だけど! めちゃくちゃ推したい光景だけど! あとにして!」
魔導衛兵に取り囲まれている現状を考えると、これ以上再会を喜んでいる場合ではない。
しかし二人が再会を喜べたのは、魔導衛兵が全然襲ってこないからだった。シシィが魔力泉から出てきた瞬間、本当にぴたりと攻撃の手を止めたのだ。
「シとラしア様ダ」
「禁忌ノ聖魔女しトラシあ様」
「裏切り者のシとラしア様ダ」
どうも最近の魔導衛兵はしゃべるようになったらしい……。シシィはこの百年間で変なところが改良された魔導衛兵に微妙な気持ちになった。いやたぶん、他の性能もちゃんと向上しているのだろうが。なんだってこんな余計な機能をつけたのだろうか……。
そんなことを考えながら、シシィはダンの包帯を手早く巻き直す。しかし巻いても巻いても緩んでくるため、シシィはちょっと聖剣を睨んだ。自分で選んでおいて、こんな肝心な時に勇者を助けないだなんて。あとで強引に叩き起こさねば。
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけてきた魔王直属の正規兵たちが飛んできた。そしてシシィの姿を見てぎょっと目を見開く。
「これは何事だ!? ……な、し、シトラシア様!?」
「シトラシア様のご帰還か!?」
「こ、拘束せよ! 魔王陛下を裏切った禁忌の聖魔女だぞ!」
そうは言っても、魔導衛兵たちは「聖魔女ダ」とか言いつつ一向に動かないし、他の兵たちも将軍位がいくら怒鳴ってもなかなか動けずにいる。
百年前に魔王陛下を裏切った、聖魔女シトラシアを拘束せよ。
そんなことは兵士たちの誰もがわかっていることだ。だが、魔王に絶対の忠誠を誓っている正規兵たちでさえなかなか動けないのは、相手があまりにも悪すぎたからだった。
シトラシア・アルベルティーナ・ヴォリス。
魔王陛下と双璧を成す、ヴォリス魔王家の中でも群を抜いた才覚と力の持ち主だ。魔王と対立して何度か月影の峠で激突したりもしていたが、いずれも勝負がつかずに引き分け。そしてなにより、罪人指定されて魔王家の系図から抹消されたはずの今でさえ、魔王陛下の『お気に入り』なのが彼女だった。
ダンの後ろにいたシシィの視線が、ついと正規兵たちへと向けられる。すべてを見透かすかのような静かな眼差しと、全身から放たれる凄まじい存在感で、息をするのも忘れそうになった。至高の紫眼が妖しげな光を帯び、大地がかすかに振動する。
魔族としての本能が、彼女への畏敬と畏怖が、彼らの全身を震え上がらせた。
魔王陛下とはまた違う意味で、兵士たちはその場に膝をつきそうになる。
その時、シシィたちとも兵士たちとも違う第三者の声が響き渡った。
「情けないこと。たかが裏切り者ひとりに手も足も出ないだなんて」
びゅ、と風を切る音が聞こえたと同時に、シシィが反射的にエセルが抱きかかえ、ダンが聖剣でなにかを思いきり弾き飛ばす。シシィは目を細めならがら、やってきた彼女の名前を呼んだ。
「グロリアーナ……」
「ごきげんよう、お兄様を裏切った聖魔女さん。今さらどのツラを下げてここまでやってきましたの?」
ダンが弾き飛ばしたものが、地面にザンと突き刺さった。身の丈ほどもある大斧。エセルとフィルが大きく目を見開く。こんなものを、軽々と投げ飛ばしてきた魔族の少女。あまりにも明確な強い殺意に、今さらながらエセルはちょっと震えた。
シシィはエセルをフィルに預けて、グロリアーナと真正面から向き合う。シシィの記憶の中の彼女は、もう少し幼かった。だが、この百年で彼女も成長して随分と大人びていた。シシィの後ろを「次の聖魔女には私がなるんだから!」とか言いながらついて回っていた頃がちょっと懐かしい。
「お久しぶりね、グロリアーナ。魔王軍の最高司令官が直接会いにきてくれるだなんて、光栄だわ」
「……嫌味? あなたがいなくなったあとでさえ、わたくしは聖魔女に選ばれなかったのに……!」
グロリアーナは振り返り、シシィに手を出せずにいた兵士たちに強い口調で命じた。
「なにを躊躇っているの! シトラシアは魔王陛下を弑逆しようとした大罪人よ! 今すぐ捕縛なさい!」
最高司令官の命令に逆らえる者など誰もいない。正規兵たちは全員、躊躇いながらもシシィに武器を向けた。ちなみに魔導衛兵たちも普段はグロリアーナにも従うが、魔王の命令とグロリアーナの命令が異なる場合は、魔王の指示に従うように造られている。そのため魔導衛兵たちは「シトらしア様トは戦わナイ」と棒立ちのままだった。
とはいえ、星屑の峡谷や嘆きの湿原では普通に攻撃してきたので、恐らく命令が書き換えられたのはそのあとだ。シトラシアが勇者と一緒に魔界都市に向かってきていることが確定してから変更したのだと思われる。
ダンが聖剣を握り直したのを見て、シシィはそっとその手を握って「あなたは休んでて」と囁いた。これ以上動き回って体をバラけさせるわけにはいかない。この場を切り抜けたらすぐに処置をする必要があった。
シシィはグロリアーナと兵士たちに視線を向けた。そして仕方なさそうに溜め息をつく。
「一度しか言わないわ。退きなさい、グロリアーナ」
「なに、命乞い? そんな脅し聞くわけ……」
「いや。ここは退け、グロリアーナ」
突然響いた新たな声に、居合わせていた兵士たちが一斉に、ほぼ反射的に膝をついた。
「魔王陛下……!」
その言葉に、エセルとフィルがバッと顔を上げた。
そこに悠然と現れたのは、黒衣の青年だった。漆黒の髪に、静かに燃える炎の瞳。グロリアーナとよく似た、けれど彼女が『動』なら、彼は『静』の象徴のようだった。そしてそれは、どことなくシシィと似た雰囲気でもあった。
すべての兵士たちがひれ伏すなか、魔王と呼ばれた黒衣の男はコツコツとシシィたちのほうへ歩み寄ってくる。グロリアーナが解せないと言わんばかりに彼に食ってかかった。
「なぜですか、お兄様! 長く魔界都市を離れていた裏切り者に、わたくしが劣るとでも!?」
「ああ。お前ではシトラシアには決して勝てない。かつて単独で魔界都市全体の魔力監視網を支え、維持し、全力で魔力を放てば都市ひとつを丸ごと消失させるほどの力を持っている。俺でさえ直撃は避ける必要があるくらいだ。お前ごときに耐えられるはずがない」
「でも、まだ魔力を回復したばかりで全力は出せないはずですわ! 今なら……!」
それでも食い下がる妹に、ヴェルザードは心底呆れた顔をした。
「忘れたのか、グロリアーナ。魔力をほぼ失って赤子同然になったはずのシトラシアが、お前がかけた追っ手をすべて返り討ちにして、手負いの勇者を連れて魔界都市から逃げ切ったことを」
「…………っ」
唇を噛み締めるグロリアーナから興味を失ったように、ヴェルザードは改めてシシィに向き直った。
「百年ぶりだな、シトラシア」
「ヴェルザード……」
シシィが彼の名前を呼んだ時、ヴェルザードは小さく笑みを浮かべ、対照的にダンは眉を顰めてシシィに握られていた手を強く握り返す。それを見たヴェルザードもどことなく不機嫌そうになったが、とりあえずダンを視界に入れずにシシィにだけ話しかけた。
「シトラシア、お前が戻ってくるのを待っていた。お前のための魔族の楽園はもうすぐ完成する。そこでまた一緒に暮らそう」
「楽園って、昔からあなたが言っていた人間を排除した理想郷でしょう? そんなの……」
「人間排除は必要なことだ。お前に人間は必要ない。脆弱な人間はお前の力を欲しがるが、お前は人間の力を必要としたことなんて今まで一度もない。違うか?」
シシィは言葉を失った。
いつからか頑なに人間排除の方針を打ち出し始めたヴェルザード。魔族優遇のその姿勢に疑問を抱いて、何度も彼とぶつかってきたけれど、もしかしなくてもその理由は……。
「お前にふさわしいのは生粋の魔族だけだ。人間や半魔族なんて釣り合わない」
自分のためでも、魔族のためでもない。
すべては聖魔女シトラシアにふさわしい楽園を築くため。
「ヴェルザード、私は」
「ああ、返事を急ぐ必要はない。お前は慈悲深い。いま一緒にいる人間たちと別れるためにも、時間が必要だろう」
ヴェルザードは「全軍撤退せよ」と命じてすべての兵を立ち去らせる。最後まで留まっていたグロリアーナも、シシィに強い視線を投げつつ渋々撤退していった。シシィに仇なす者がいなくなったのを見届けてから、ヴェルザードも踵を返す。
「だが俺は、お前と違ってそこまで気が長いほうじゃない。制限時間は三日間。三日後にお前の答えを聞かせてくれ」
「待って、ヴェルザード。私の答えはもう決まっている」
「だとしてもだ。お互いの目的を果たそうじゃないか。――なあ、勇者?」
この時、ヴェルザードは初めてダンへと目を向けた。その瞳はシシィを見つめていた時とは全然違い、敵意と憎悪で燃えている。そしてまた、ダンがヴェルザードに向ける視線は氷よりもはるかに冷たく、あらゆるものを凍りつかせるような明確な殺意を帯びていた。
勇者と魔王、という立場だけがそうしているのではない。両者ともにシシィに執着しているが、やはりそれが理由のすべてでもない。
百年前。魔剣によってバラバラにされたダンと、聖剣によって致命傷を負わされたヴェルザード。こうして対峙している今も、二人の体は万全とは言えなかった。ダンの体に影響を与える魔剣の呪いが強まっているように、ヴェルザードもまた聖剣の影響に苦しんでいる。
完全復活を遂げるには、どちらかがどちらかを殺さねばならない。
「シトラシア。お前の答えがどうあれ、三日後には勇者も一緒に連れて来い。そいつと俺は決着をつける必要がある」
「…………」
「お前が俺の理想に賛同してくれることを願っている」
そう言って、ヴェルザードは溶けるようにその場から消え去った。




