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08. 魔界都市

今回で物語の前半部分が終了です。そのためちょっと長めです。


 結論から言えば、方向感覚を狂わせる『幽光の樹海』も、同士討ちを誘発する『裂魂の荒野』も、シシィたちの足を止めることはできなかった。



「シシィちゃん、これなに?」


「樹海の地図。私のお手製だから、ちょっと縮尺がおかしいかもしれないけど」


「縮尺……これで??」



 幽光の樹海では、シシィがお手製の地図を使って先頭を行ってくれたことで問題なく通過し。



「魂を揺さぶる風が吹く荒野ですか」


「誰か狂ったら殴って気絶させればいいだけだし問題ない」


「はいはい、エセルとフィルは前にあげた『鋼鉄のシルク』製の上着を着てね。それたぶん結構効くから」



 裂魂の荒野では、絶対防御機能付きの『鋼鉄のシルク』を風除けにすることで凌いだ。凌げなかったらダンに殴られることは目に見えていたので、特にエセルとフィルは頑張った。

 こうして出発から二週間ほどで、ついに一行は魔界都市へと辿り着いたのだった。とはいえ真正面から堂々と中に入ることはできないので、四人は都市を守る城壁を遠巻きに眺めつつ作戦会議を始める。



「ええと、なんだっけ。確か魔界都市には『魔力監視網』が張り巡らされてるんだっけ?」


「ええ。だからそれを欺かないといけないんだけど」


「真正面から門をくぐっても、こっそり門を乗り越えても、魔界都市に足を踏み入れた段階で気づかれてしまうんですよね?」


「そう。だから私の出番よね」



 そう言って、シシィは適当な棒きれを拾って地面に地図を描き始めた。



「これが都市の城壁だとすると、四つある門はここ。外縁部はここからここまで。中心部はこのあたりで、魔王城と魔力泉の位置関係はこんな感じ」


「お、おお……」


「すごいですね、シシィさん……」



 みるみるうちに地面に描き出される精巧な地図に、エセルとフィルが呆気に取られるしかなかった。人間、驚きすぎるともう驚けなくなるものである。二人の反応を気にせずシシィは説明を続ける。



「魔力監視網のことはあまり心配いらないわ。さすがに真正面から突撃したらバレるけど、そうじゃなければほぼバレないはず」


「どういうこと?」


「アロンドナさんも言っていたけど、魔力監視網は魔力泉由来のものよ。だから、魔力泉とほぼ同じ魔力純度を持つ私は感知されないはずなの」



 エセルとフィルはシシィを見つめた。もう二人とも、シシィが何者なのか薄々勘づいてはいた。解放派の村で、魔導衛兵たちが「聖魔女シトラシア様」と呼んだのを二人は確かに聞いている。

 それでも、シシィ本人の口から聞くまではなにも言うつもりがなかった。本人が避けている話題を不用意に持ち出して追い詰めるつもりは毛頭なかったので。



「だから私の魔力を込めたもので体を覆っていれば、あなたたちも魔力監視網に引っかからないわ。その鋼鉄のシルクの上着、魔界都市にいる間は脱がないでね。暑くても我慢してね」



 意外と使い道の多い鋼鉄のシルクだった。この旅が終わったら追加で注文しようかと真剣に悩むエセルとフィルである。



「で、魔力泉は関係者以外立ち入り禁止で、一般の魔族も入れないの。許可がないと入り口で弾かれちゃうから、私が回復しきるまでは外で待機していてもらわないといけなくて」


「なるほど。じゃあ僕たちはシシィさんが回復するまで邪魔が入らないように、入り口を守りきればいいんですね」


「……たぶん、すごく危険だと思う。何度も訊いてごめんね、本当に大丈夫?」



 シシィの問いかけに、エセルとフィルは互いに顔を見合わせた。そして揃って力強く頷いてみせた。



「大丈夫! あたしたちに任せて!」


「完全回復したシシィさんに会えるのを楽しみにしていますね」



 シシィは押し黙った。……シシィの正体に気づいていても指摘しない二人の優しさには、シシィも気づいていた。

 ぎゅっと両手を握り込めば、なにかを悟ったらしいダンが励ますように手を重ねてくる。その温かさに勇気をもらって、シシィは息を吸い込んだ。



「……私の本当の名前は、シトラシア。シトラシア・アルベルティーナ・ヴォリス。魔王ヴェルザードとは従兄妹同士で、彼は私を妹みたいに可愛がってくれていた」



 突然の告白に、しかしエセルもフィルも驚かなかった。ただただ静かに受け入れてくれた。



「百年前、私は勇者に(たお)されたヴェルザードを助けるために魔王の間に向かったの。でもそこで、勇者ロダンに出会った」


「へえ、百年前の勇者の名前ってロダンっていうんだ。なんかダンさんと似て……。…………。え、偶然?」


「ロダン……ダン……えっ、も、もしかしてダンさんって……?」



 二人の視線を受けて、ダンが雑な動きで頷いた。



「僕のこと」


「えっ……えええええ!?」



 二人にとっては、シシィが聖魔女だったことよりもはるかに驚愕の事実だったらしい。そもそも百年前の勇者は魔王と相討ちになって死んだことになっているし、もし生きていたとしても、百年以上生きているとは誰も思わない。ましてや当時と外見が一切変わらないだなんて。


 そのあとシシィが語ったのは、瀕死のダンを助けた経緯と、その際に魔力が枯渇して肉体が縮んでしまったこと。一命は取り留めたものの、ダンの体は未だにバラバラなこと。魔王の宿敵である勇者を助けたことで、シシィはもう魔界都市にはいられなくなったこと。そして二人の逃亡劇と、雑貨屋を開くまでの話であった。

 シシィの正体開示から始まる一連の物語に、なぜかエセルもフィルも泣いた。泣かれたシシィとダンは首を傾げた。そんなに悲劇的なことでもなかったはずなのだが。



「いい話だねえええええええ」



 違った。どうやら感動で泣いたらしかった。シシィとダンは再び首を傾げる。別に感動的な話でもないはずなのだが……。

 まあいい。とにかくずっと隠していたことは全部言った。これでバレて困るようなことも晴れてなくなり、シシィは二人にハンカチを渡しながら清々しい気分になる。やはり隠し事というのは人をやましい気持ちにさせるものなのだ。なお秘密と隠し事は違うので、仲間内であっても秘密はあっていいと思うシシィである。



「そういうわけだから、魔力泉で力が回復したら私の体も元に戻ると思うの。別人だと思って無視しないでね」


「うああああ、すっごく楽しみ。聖魔女のシシィちゃん、伝説の通りすっごい美人なんだろうなあ」


「残念、シシィは伝説なんかより何千倍も綺麗だから」


「そこをいちいち訂正しなくてもいいのよ、ダン……期待はずれだったらどうしてくれるの……」



 そんな余計な話をしつつも、一行は夜になるのを待ってから城壁の中へと潜入した。しばらく様子を窺ってみたものの魔導衛兵が飛んでくる気配はなく、どうやらシシィの読み通り監視網を上手く掻い潜れているらしい。

 しかし、ここで別の問題が生じた。



「あれ……? 気のせいかな、ちょっと息苦しい気がする」


「あ、僕もです。シシィさんとダンさんは大丈夫ですか?」



 エセルとフィルの感想に、シシィが「しまった」と顔をしかめた。



「ごめんね、伝え忘れていたわ。魔界都市は魔力濃度が人間の街よりずっと濃いのよ」



 もっとも、ここに辿り着くまでの道中で濃度は徐々に高くなっていたので、エセルとフィルにもある程度の耐性がついているはずだった。星屑の峡谷で魔力酔いしてしまったのは、魔力濃度が急激に濃くなったからだ。

 ただ、やはり人間にとって魔界都市の魔力濃度は高すぎる。ここに住んでいる人間たちは、誰もが若干息苦しい思いをしながら生活していることだろう。


 苦しそうなエセルとフィルの様子に、シシィは荷物の中から小さな瓶を取り出した。瓶の中には美しい宝石がたくさん入っている。

 とはいえ、それがなんなのかをエセルとフィルは知っていた。特に経験者であるフィルはちょっと青ざめた。



「はい、宝石薬」


「…………」


「魔力酔い系に効くのは、そのアメジストみたいな色のやつね。他の色の薬は風邪薬とか傷薬とかだから、間違わないように気をつけてね」


「……………………。はい。ありがとうございます……」



 二人は観念した。魔界都市にいる間はずっとこうだというので、フィルが癒術でなんとかしようとしてもさほど効果がないのだろう。恐らくは休まずに延々癒術をかけ続けなくてはならないはずだ。それはいくらなんでも現実的とはいえないし、はっきり言って無理である。そんなことをしたら魔力酔いとは別の意味で倒れてしまう。

 となると、ここはシシィお手製の効果抜群な宝石薬に頼るしかなかった。死ぬほどまずいけど仕方がない。



「……あーーーー! まっずいっっっ!!」


「ううっ……これ何度飲んでも慣れませんんん」



 のたうち回る二人だったが、そうしている間にも息苦しさが綺麗さっぱり消えていく。相変わらずの即効性で、まずくても飲む価値はもちろんあった。だがシシィから「一日一回は飲んだほうがいいわね」と言われて絶望する。こんなまずいものを一日一回……。

 そんな悲哀がありつつも、四人は夜の闇に紛れて外縁部を移動し、明け方までに身を隠せる場所へと辿り着いた。シシィとダンが百年前にも使った通路だ。そこで四人は交代で休憩をとりながら、都市の中心部へ向かって入り組んだ通路を進んでいく。

 通路の外はもう明るくなっているようだったが、四人は息を潜めつつ歩き続け、途中で魔道衛兵に遭遇すればダンが一撃で破壊し、ついにシシィがなにかを感じ取ったように顔を上げた。



「……あ、このあたりで出たらちょうど良さそう」



 そっと扉の向こうを確認すると、外はすでに暗くなっていた。しかし寂れた外縁部とは違って夜だろうと真っ暗ではない。周囲の様子を確認しながら、まずはダンが慎重に扉を開けて外に出る。続けてエセルとフィルが、最後にシシィが外に出て、四人は魔界都市の中心部へと足を踏み入れた。


 そこに広がっていたのは、魔力で浮かぶ街灯をはじめ、あらゆる機械が魔力で動いている光景だった。見たことのない高度な技術に、エセルとフィルは大きく目を見開く。



「すっごいねえ……外縁部と全然雰囲気違うし、そもそも王都にだってこんなに高度な技術はなくない?」


「そうね。ここは魔工学がかなり発展しているから。人口は約百万。都市としての規模も王都よりだいぶ大きいわね」



 とっくに日付が変わった時刻であることもあり、開いている店はほとんどなかった。しかし明るい時間帯に市場に行けば、『破れても十回までは自己修復する服』や『食べる者の魔力の質によって味が変わる料理』など、外部から来た者には楽しい店が軒を連ねる。シシィが雑貨屋を始めたのも、実はこの市場を意識してのことだった。

 しかし、当然ながら今は買い物を楽しんでいる場合ではない。今のうちにと、四人は夜の闇に紛れて魔王城に隣接している魔力泉へ一直線に向かった。途中で何度か巡回の兵と鉢合わせてしまったが、怪しまれた瞬間にダンが相手を昏倒させるので足を止めることなく突き進む。エセルとフィルが若干引いたが、ダンは別に気にしない。


 そうして明け方近くになって、四人はついに魔王城のそばまでやってきた。空が薄ぼんやりと明るくなり始め、少しずつ周囲の景色が見えるようになってくる。



「……あ! もしかしてあれが魔王城ですか?」


「うわあ、すごく綺麗……想像してた魔王城と全然違う……」



 エセルの言う通り、黒曜石と水晶で作られた魔王城は、王都にある城よりもよほど壮麗で美しかった。そして魔力泉があるのは、そのすぐ隣にある聖域だ。



「ちょっとわかりにくいけど、あそこに水晶でできた扉があるのは見える? あれが魔力泉の入り口よ。ガラスドームの温室みたいな造りになっているの」


「入り口はあそこだけですか?」


「ええ。だからあそこを突破されないようにしてほしいの。魔力が回復したらすぐに戻るわ」



 全回復までにどのくらいの時間がかかるかはわからない。もしかしたら途中で切り上げないといけないかもしれない。が、できればぎりぎりまで粘りたいところだ。そう思いつつ、シシィは隣にいるダンを見上げた。



「じゃあ行ってくるわね。エセルとフィルをよろしくね、ダン」



 恐らく十二歳姿の彼女を見るのはこれが最後になるだろう。ダンがシシィをぎゅっと抱きしめた。

 彼にとっては、どんな姿でもシシィはシシィだった。大人でも、子供でも。聖魔女でも、雑貨屋でも。



「……待ってる」



 耳元で囁かれて、シシィの体が一瞬だけ跳ねた。しかしすぐに平静を取り戻して「うん」とダンに笑顔を返す。三人に見送られて、シシィは一人で魔力泉へと続く扉を押し開けた。



「――――」



 途端、よく馴染んだ魔力の気配に全身が歓喜する。

 そこに満ちていたのは自分の魔力。歴代の聖魔女たちの魔力の上に、長い長い時間をかけて自分の魔力を馴染ませていったかつての記憶が蘇る。



『頑張っているな、シトラシア』


『ヴェルザード!』



 そして思い出すのは、幼い頃から可愛がってくれていた従兄の姿。シシィが聖魔女なら自分は魔王になるのだと宣言して、他の候補者たちを蹴散らして本当にその夢を叶えてしまった自慢の従兄。努力家で、ひたむきで、一度決めたら最後まで貫き通す鋼の意志。そんなヴェルザードと一緒に魔界都市を支えていけることを、ずっとシシィは誇りに思っていた。でも。



『ヴェルザード、人間を差別するのはどうかと思うわ』


『差別? 違うな、シトラシア。これは必要な選別なんだ。魔族がこれからも繁栄していくためには、このたりでテコ入れする必要がある』


『テコ入れ? これが? 私には特権階級による差別と抑圧と搾取にしか見えないけれど』



 いつから彼は変わってしまったのだろう。魔力泉に浸りながら、シシィはひとり考える。



『シトラシア。お前は人間に肩入れしすぎる。自由と平等を願うのは構わないが、ほどほどにしろよ』


『ほどほどって……あなたは一体なにが目的なの、ヴェルザード』


『いずれわかるさ。その時は、お前にとってもこの世界は楽園のようになっているはずだ』



 ちゃぷ、と静かな水音が響く。

 魔力泉のおかげで、枯渇しかけていたシシィの魔力が徐々に、そして確実に回復していくのを感じた。


 だが、それと同時に外からかすかに戦闘音が聞こえてきて顔を上げる。ダンとエセルとフィルが、シシィのために時間を稼いでくれている音。

 魔力泉に浸かったまま、シシィは自分の手をじっと見つめた。魔力不足による震えはとっくに止まり、気づけば手足がすらりと伸びていた。




◆ ◆ ◆




 その頃、待機していたダンたちは魔導衛兵の軍隊に取り囲まれていた。そして容赦なく攻撃されている。



「ああもうっ! これでも食らえバーーーーカ!」


「エセルさん……だいぶ口が悪くなっていますよ」


「悪くもなるでしょ!? なんなのこの数! こっちに戦力集中させてないで、手分けして貧しい人たちの家の修理でもしやがれっつーの!」



 無茶苦茶な口調になりつつも、エセルの矢は次々と魔導衛兵の核を破壊していく。が、徐々に距離を詰められて弓での応戦が難しくなってきた。



「あっ、ダンさん危ない!」


「っ!」



 ダンの包帯が解けかけて、うっかり体がバラけかける。ダンは舌打ちした。ここに来るまではほとんど問題なかったというのに、魔界都市に入った途端にこれだ。恐らくは魔剣の呪いと関係しているのだろう。気をつけていないとすぐに全身がバラけてしまいそうだ。背に腹は変えられないと、ダンはここにきて初めて仲間の名前を呼んだ。



「フィル」


「は、はいっ!?」


「『肉体固定術』は使えるか?」



 肉体固定術は、精神安定術と同じくらい難易度が高い大技だ。しかし戦場癒術師だったフィルならば、使えたとしても全然おかしくない。ちなみにダンの全身を覆っているシシィの『再構築包帯』も、その肉体固定術を応用した代物だったりする。



「で、できます!」


「よし、頼む」


「はい!」



 こうして当面の危機は回避された。やはりフィルは優秀だ。もしかしたら癒術院で五指に入るどころか、この国でも一、二を争う最高位の癒術師かもしれない。

 そんなことを考えつつ、ダンは目を眇めた。魔導衛兵たちによる包囲網が、少しずつ少しずつ狭くなってきている。このままでは追い詰められるのも時間の問題だ。となると、ここはやはり聖剣の範囲攻撃を使うべきだろうか。無関係な者たちも大勢巻き添えになるだろうが、躊躇っていてはこちらが不利になるだけで――。


 その時。背後にあった魔力泉へと繋がる扉が、眩いばかりの光を放った。



「!?」


「えっ、なに!?」



 ダンたちだけでなく、魔導衛兵たちも警戒するように一斉に扉から距離を置く。

 ややあって、水晶の扉がゆっくりと内側から開き始めた。エセルが息を呑み、フィルが大きく目を見開く。そしてダンは、ほとんど無意識にその名を呼んでいた。



「シシィ……?」



 一切の隙がない完璧な容貌。星空を閉じ込めたように輝く深い紫眼。抜けるような白い肌と、柔らかく微笑む赤い唇。腰まで届く白銀の髪が、内側から溢れ出る魔力で緩やかに揺れている。



「ただいま、ダン」



 ――禁忌の聖魔女シトラシア。

 誰かの呟きが、まるで波紋のようにその周囲一帯に広がっていった。


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