07. 解放派の村
とりあえずグェンの家にお邪魔することになった一行は、グェンの母アロンドラから魔界都市の現状について聞くことになった。
「魔王城がある中心部は統制が厳しいぶん治安は良好ですが、外縁部は相変わらず貧富の差が顕著です。窃盗や小規模な暴動が頻発していますが、魔導衛兵によって速やかに鎮圧されます」
「『魔力監視網』はまだ有効なの?」
「よくご存知ですね、シシィ様。ご推察の通り、魔力泉の力を利用した『魔力監視網』は、泉の管理者である聖魔女が不在の間も変わらず都市全体を覆っています。そのため反逆者はすぐに居場所を特定されてしまいますね」
なにかを考えているシシィを、ダンが心配げに見つめる。
その間に、出されたお茶を飲んでいたエセルが「聖魔女?」と首を傾げた。
「聖魔女って今は魔界都市にいないんですか?」
「はい。百年前に魔王を斃した勇者と共に消息を断ちました。そのため魔王家や上級魔族たちからは裏切り者――『禁忌の聖魔女』と呼ばれております」
「そうなんだ……聖魔女って私たちの中では聖女みたいなイメージがあったら、会ってみたかったんだけど」
「ふふ。大丈夫ですよ、きっと会えますから」
なぜかシシィのほうに向くアロンドラの視線に、ダンが嫌そうな顔をした。シシィが秘密にしていることを明かすような真似はやめてほしいものだ。
「それに私たち解放派や人間たちの間でも、聖魔女は今も変わらず尊い存在として知られていますよ」
「あ、そうなんですか?」
「もちろんです。魔王陛下は魔族優遇で人間排除の方針ですから。魔族と人間の平等を目指す私たちにとって、聖魔女は希望の象徴なんですよ」
ちなみにフィルはグェンと一緒に村を回っているため今は不在だ。彼の癒術を必要としている人々がいるらしい。辺鄙かつ解放派の村ということもあり、癒術を扱える者も限られているようだった。アロンドラが説明を続ける。
「私たち解放派は、魔界都市で暮らす人間や、人間と魔族の混血、さらには魔王家の抑圧に反発する下級魔族たちで構成されています」
「えーと、ちなみにアロンドラさんは……?」
「私は下級魔族です。夫が人間で、数十年前に死別しました。寿命が違うことは初めからわかっていましたが、やはり堪えましたね……」
人間と魔族の違いは、魔力の有無でしかない。魔力がない、あるいは極めて少ないのが人間、そして膨大な魔力を持っているのが魔族だ。魔族の寿命が人間よりはるかに長いのも、この魔力量の差が原因だった。見た目の違いはまったくないので、エセルがアロンドラの種族を見分けられなかったのも当然である。
なお、人間とは比べようもないほどの魔力量を誇る魔族の中でも、さらに圧倒的なのが魔王家であった。そしてそんな圧倒的な魔王家の中でもさらに群を抜いているのが魔王と聖魔女であり、特に聖魔女は魔力の純度においては魔王を上回る存在だ。
説明を聞いたエセルは身震いする。本来であれば魔王と聖魔女が揃っていて初めて魔界都市のバランスが保たれるだろうに、現在は魔族優遇の魔王の一強になってしまっているのだ。そんな場所に住んでいる人間たちは、一体どんな思いをしているのだろう。
「シシィちゃん、魔界都市の人間たちや抑圧されている魔族たちを助けないと!」
「…………」
「……シシィちゃん?」
ずっとなにかを考え込んでいたシシィが、ここにきてようやく顔を上げた。
「彼らはもちろん助けるけど……魔界都市に入ったら、まずは魔力泉に向かいましょう」
「え?」
「魔王と戦うには、私も魔力を取り戻さないといけないの。今のままだと、たぶんアロンドラさんのほうが上よ」
シシィのその言葉に顔色を変えたのは、エセルではなくアロンドラだった。
「まさかシシィ様……そのお姿なのは意図的なものではなく、魔力不足が原因ですか?」
そのお姿、という言葉に、やはりアロンドラもグェンと同じくシシィの正体に気づいているのだとわかった。まあ、体が縮んだだけであとは聖魔女の特徴そのままのシシィなので、観察力のある者ならばすぐに見破れてしまうのだろう。シシィは頷いた。
「ええ。魔界都市まではなんとか保たせるつもりだけど、ヴェルザードと戦うには全然足りないわ。魔力泉があるのは魔王城の近くだけど……行かなきゃ」
魔界都市の中心部に行けば、間違いなく拘束される可能性が高まる。魔導衛兵や正規兵たちとの戦闘は避けられない。
それでも、シシィにはあまり時間がなかった。一刻も早く魔力を回復させなければ、助けられるものも助けられなくなる。
「シシィの好きなようにすればいい」
ここにきて、ダンが初めて言葉を発した。頑なにマントのフードを脱がない不審な勇者に、アロンドラがハッとしたように視線を向ける。
この百年、ダンが顔を隠し続けていたのには三つの理由があった。一つ目は、百年経っても一向に衰えない容貌を人間たちから隠すため。二つ目は、群を抜いた美貌を隠すことによって厄介ごとを避けるため。そして三つ目は、自分が百年前の勇者だと魔族にバレないようにするため。百年も経てば人間は寿命を迎えるので、世代が変われば顔を出してもバレないだろう。しかし、寿命が長い魔族相手にはそうもいかないのだ。
ダンがフード越しにシシィの顔をじっと見つめる。
「シシィが望むことは全部叶える。でもそれは、シシィが無事であるのが大前提の話だから。そうじゃないなら止めるよ」
「ダン……」
「だから好きに動けばいい。僕がシシィを守るから」
まっすぐな視線を向けられて、シシィは「うん」と頷いた。
わかっている。誰かを救うのと引き換えにダンを置いていくような真似などできるわけがない。それならその誰かを犠牲にしてでもダンを選ぶのがシシィだった。何度でも。たとえ世界中の人々に非難され、糾弾されるようなことであっても。
――誰かを見殺しにしてでもダンを選ぶ。それがシシィだ。
先ほどエセルとアロンドラが、聖魔女のことを聖女だの希望だの言っていたが、とんでもなかった。シシィはそんなご立派な存在などではない。ただ、救える時に救えるものを救うだけ。取捨選択しなければならない時は、いつだって自分にとって一番大事なものを迷わず選ぶ。
そういう意味で、確かにシシィは誰よりも魔王家らしい性格をしているかもしれなかった。残酷なまでの一途さが、聖魔女シトラシアの一番の特徴でもあったから。
「ただいま戻りました」
「あ、おかえりフィル。グェンさんも」
そうこうしているうちに、治療が必要な人々のところを回っていた二人が戻ってきた。フィルの顔を見て、エセルがおやと目を丸くする。
「フィル、なにかいいことあった? なんかすごく嬉しそうだけど」
「え? そ、そうですかね?」
どこか照れ臭そうに頰を掻きながら、フィルがはにかむように笑った。
「……なんだか、すごく久しぶりに誰かの役に立てた気がして。戦場癒術師だった頃はあんまり考えませんでしたけど、やっぱり僕は癒術院にいるよりも現地にいたほうが向いているみたいです」
「あ、それはなんかわかるかも。フィルって僻地の村を回る旅の癒術師とか向いてそうだよねえ」
エセルの提案に、フィルが「それ、すごくいいですね……!」と目を輝かせた。見ていた他の面々は妙に微笑ましい気持ちになる。見た目はともかく、実年齢ならばこの場にいる全員がエセルやフィルよりもだいぶ年上なのだ。夢見る若人たちの姿があまりにも眩しくて、今にも目が潰れそうだ……。
「ところで皆さんはなんの話をしていたんですか?」
「あ、魔界都市に到着したらどう動くかって話。シシィちゃんの要望で、まずは都市の中心部にある魔力泉に向かおうって話になってて」
「私が言い出したことだけど、二人は本当にそれでいい?」
シシィの問いに、エセルとフィルは揃って頷いた。
「もっちろん! だって魔力泉に行かないとシシィちゃんが大変なことになるんでしょ? ならシシィちゃんの回復が最優先!」
「僕も賛成です。シシィさんには旅の道中ずっと助けられてきましたから。シシィさんにとって必要なことなら、どこにだってお付き合いしますよ」
心強い二人の返事に、シシィは「ありがとう」と笑った。旅の同行者がこの二人で良かったと、今さらながらガルドに感謝だ。本当に良い人材を寄越してくれたものである。
そんなわけで、一行はこの村で一泊してから魔界都市に向けて再び旅立つことにした。宿泊場所は村長でもあるアロンドラの家で、グェンが「一部屋しかないんですけど……」と申し訳なさそうだったが、四人は別に気にしなかった。旅の初めこそなんとなく男女で分かれてテントで寝ていた一行であったが、ここ数日はいろいろ面倒臭くなって四人で雑魚寝をしていたのだ。まあ、寝る時にシシィと引き離されるダンが無駄に不機嫌になるから、というのも要因の一つではあったが。
しかし、村での平和な休息も長くは続かなかった。
夜半、見回りに出ていたグェンが血相を変えて家に駆け込んできたのだ。
「母さん、魔導衛兵が村に!」
「…………っ! 勇者様たちの行方を追っていた連中ね。迎撃の用意をしなさい! 勇者様一行をなんとしてもお守りするのよ!」
だがそんな親子のやりとりを四人はちゃんと聞いており、そして普通に出撃した。自分たちを匿ったせいで村が襲われて犠牲者が出ようものなら大変である。
「って、なにあれ! すっごい数多いんだけど!?」
「私たちをこの村ごと殲滅するつもりかしら。こんな村の真ん中じゃ聖剣の範囲攻撃も使えないし、でも地道にやってる場合じゃないし……ん?」
不意にシシィが怪訝な顔をする。ややあって、エセルもその違和感に気がついた。
魔導衛兵が、襲ってこない。つい先ほどまでは村人たちを攻撃していたというのに、シシィたちが外に出てきてから、ぴたりとその動きが止まったのだ。
ダンが聖剣を構えたまま眉間に皺を寄せ、負傷者の治療をしていたフィルも戸惑いつつそちらを見つめる。ざわめいていた村人たちもやがて口を噤み、村には不気味なほどの静寂が落ちた。
異様な膠着状態を破ったのは、意外にも魔導衛兵のほうだった。並び立つ魔導衛兵のうちの一体が、カクカクとお辞儀をしたのである。
「裏切り者ノ聖魔女シトらしア様」
しゃべった。まずそう思ってしまったシシィは我ながら呑気だなと呆れた。魔導衛兵が続ける。
「我が主君、魔王ゔェルざード様がお待ちでゴザいまス。ご同行願イマす」
「願イまス」
「ネガイマス」
なんだこれ……。妙にシュールな光景に、誰もなにも言えなかった。たぶんものすごい危機的状況なのだが、次々と「ネガイマス」と言いながら頭を下げる魔導衛兵を見ていたら緊張感が薄れてしまう。本当になんだこれ。
しかし、微妙に可愛く思えるその光景に、まったく全然これっぽっちも感慨を抱かなかった者がいた。言うまでもなくダンである。
「うるさいんだけど」
そう言って、ダンはスタスタと魔導衛兵たちの目の前まで歩いて行って、そして無造作に聖剣を振るったのだった。単なる素振りのような気軽さで振るったそれは、星屑の峡谷の時とは違って地形を変えたりはしなかった。
しかし、あろうことかその風圧だけで魔導衛兵たちは木っ端微塵に吹き飛んでいく。その余波で背後にいたシシィたちも風圧の影響を受けて、何人かが尻餅をついたり、民家の屋根が剥がれたりする被害が続出した。
「誰も彼もみんな、聖魔女、聖魔女ってさあ……。聖魔女がいなければなんにもできないわけ?」
どこか苛立った口調で、ダンは吹き飛んでいった魔導衛兵を追撃して容赦なく核を破壊していく。
「ああもう、本当に腹立たしいな。僕とシシィは二人で静かに暮らしていければそれで良かったのに。なんでみんな僕たちの邪魔をするんだろうね」
背後から追いかけてくるシシィやグェンたちの声が聞こえる。他はともかく、シシィを巻き込んだら困るので、これ以上は力任せに暴れるわけにはいかない。
「ダン! いくらなんでも一人でこの数は……!」
「勇者様、ご無理はなさらず……、……え、これ……え?」
追いついたシシィとグェンは、目の前に広がる光景に絶句した。ダンは感情のない声で淡々と答える。
「胴体部分はだいたい破壊したから、あとは復活する前に残ってる核を破壊するだけ。悪いけどシシィ、手伝ってもらえる?」
「え、ええ。それはもちろん。でも急にどうしたの? なんだか怒ってるみたいに見えたけど」
聖剣すら使わず踵で核を破壊していくダンの顔を、シシィが下から覗き込んだ。揺れる瞳に自分の姿が映り込んで、そこでようやくダンはシシィが不安がっていることに気がついた。とりあえず足元で復活しかけていた魔導衛兵の核を砕いて黙らせてから、ダンはシシィを安心させるように微笑みかける。
「大丈夫。シシィの顔を見たら余計なことは全部忘れたよ」
「またそうやって隠して……」
「本当だよ。シシィがそばにいれば、他のことは全部どうでも良くなる。この百年、ずっとそうだった」
寒気がするほどの美貌で微笑まれて、シシィは虚をつかれたような顔をした。普段はダンの美貌を意識していないシシィであるが、ふとした拍子にこうして前面に押し出されると、否が応でも意識せざるを得ない。
「……そう。なら、とにかく魔導衛兵たちを倒してしまいましょうか」
「うん」
そうして二人はグェンたちと一緒に残りの核を残らず破壊していった。途中で復活した魔導衛兵たちとの交戦もあり、結局すべてが終わったのは夜明け頃だった。さすがに寝不足だったので、シシィたち四人は仮眠を取ってから出発することにする。
昼過ぎ。目覚めた一行はそれぞれ出立の用意を始めた。装備の確認をしていたエセルが、ふと顔を上げてアロンドナに尋ねる。
「あの、アロンドナさん、この村は……」
解放派の拠点の位置がバレてしまったことを考えると、もうここにはいられないだろう。心配そうなエセルに、アロンドナは「ご心配には及びません」と逞しく笑ってみせた。
「拠点の移動には慣れていますから。それに次の拠点はもう決まっているんです。なので皆さんを送り出してから、私たちも出立の用意を整えます」
「そうですか……また会えますか?」
「ええ、もちろん。魔界都市にいる仲間たちにも勇者様たちのことは伝えておきますし、近いうちにグェンをはじめ数名を魔界都市に送り込もうと思っています。それまで、どうかご無事で」
こうしてシシィたち四人は解放派の村から旅立った。
魔界都市までに待ち構えている難所はあと二つ。『幽光の樹海』と『裂魂の荒野』である。




