06. 月影の峠
出発時よりもだいぶパーティとしての絆が芽生えてきた一行は、ようやく魔界都市までの道のりの半分近くまで到達していた。
「この『月影の峠』を越えたらだいぶ魔界都市に近づくわ。……まあ、直線距離ではの話だけど」
実際には峠を越えた先にある『幽光の樹海』がとんでもない迷路になっているので、空でも飛べない限りはまだまだ距離があるのだった。
月影の峠は魔力の波動で道が揺らぐ難所だ。ただしシシィ曰く「魔力の波動は三時間ごとに弱まる」らしいので、その隙に進めるだけ進んでしまうのがいいだろう。さらにこの峠には『影狼』と呼ばれる魔獣が徘徊しているのだが、これに関しては退魔の香木を焚いておけば近寄ってこないので問題なかった。
しかし、徒歩で峠を越えるには最低でも半日かかる。そして三時間の待機時間があるのも結構痛い。安全に進むためにはやむを得ないが、やはり途中で集中力が切れるのも仕方のないことであり。
「あ」
「え?」
「わわっ!?」
途中でエセルとフィル、そしてシシィとダンの間で道が分断してしまったのだった。三時間待てば道は繋がるとはいえ、その間に襲撃でもされたら大変だ。幸い『消えぬ灯火』はフィルが持っていたので、彼らが影狼に襲われることはないだろうが。
問題はシシィとダンのほうである。ふぅ、とシシィが気怠げに溜め息をついた。
「あのね、ダン。相談があるんだけど」
「なに?」
「魔界都市に着いたら、できるだけ早く『魔力泉』に向かいたいの」
手持ち無沙汰に聖剣の手入れをしていたダンが、マントのフード越しにシシィをじっと見つめた。百年ずっと一緒にいたから、シシィがなにを考えているのかは大体わかる。
「……もしかして、魔力不足?」
「まだ余力はあるわ。魔界都市に近づくにつれて、徐々に空気中の魔力も増えてきてるし。今すぐには枯渇しない。でも」
このままだと、みんなを守りきれないかもしれない。そう弱々しく語るシシィを、ダンは膝の上へと抱き上げる。
本来であれば魔力不足などあり得なかったシシィがこんなにも弱くなってしまったのは、ひとえにダンに魔力の九割以上を注ぎ込んでしまったからだ。この百年で回復できた量は、ほぼ無尽蔵であった全盛期の半分以下。そしてここに来るまでの道中でも、何気にかなりの力を使っている。雑貨品を作るために必要な魔力は微々たるものだが、戦闘で使う魔力の量はその比ではない。このままでは回復量が追いつかなくなる。
「ごめん、シシィ」
「謝らないで。あなたは悪くないわよ。あの時ヴェルザードじゃなくてあなたを助けたこと、一度だって後悔したことなんてないわ」
生きたいと、まるで血を吐くような執念で願った勇者ロダン。今にも息絶えそうな状態のくせして、全然諦めていないその姿があまりにも印象的で、そしてどうしようもなく惹かれてしまった。
シシィは死にたがりには興味がない。いつだって生きようとする者に強く心惹かれる。それがどれだけ無様でも、滑稽でも、シシィにはまったく関係なかった。
ただ、一つだけ心残りがあるとするなら。
「人間のまま生かしてあげられなくて、ごめんね」
この百年、まったく姿が変わらないダン。もともとシシィが持っていた凄まじい魔力をその身に宿し、下手したら上級魔族よりも純度の高い魔力を持っているかもしれない元人間。
シシィを抱きしめるダンの腕に、さらに力が込められた。謝らなくていいというのは、こっちのセリフだった。
「人間とか、人間じゃないとか、どうでもいい。僕はただシシィとずっと一緒に生きられるならなんでもいい」
シシィを残していくことも、残されることも、嫌だった。同じだけ生きたい。ダンが望むのはそれだけだ。
目を閉じて、シシィはダンの心音を聞く。とくり、とくり、と静かに鼓動する心臓の音。今まさに生きている者の音。
「そうね。ずっと一緒にいましょうね」
あっという間だったこの百年。それは聖魔女として魔界都市で過ごした数百年よりも、はるかに愛おしくて楽しい時間だった。百年程度じゃ到底足りない。もっと、ずっと。……許される限り永遠に一緒にいたい。
その時、以前も聞こえたあの声が、再び周囲に響き渡った。
――家族に戻れ、シトラシア。お前の居場所はこちら側だろう?
シシィがハッと顔を上げたのと、ダンの目つきが鋭くなったのは、ほぼ同時だった。
◆ ◆ ◆
一方その頃、エセルとフィルはランタンを真ん中に置いてそれぞれの過去のことを話していた。
「そっか、フィルも戦場で親友を亡くしたんだ……」
「はい。癒術師は万能じゃありませんし、戦場で誰かが死ぬのは避けられないことだとわかってはいます。でも、あいつの場合は……助けられたかもしれなかったので」
火矢による攻撃で、宿営が燃え盛っていた。フィルは親友を連れて退避しようとしたが、他でもない親友がそれを止めたのだ。……彼にはもう、両足がなかったから。
戦場においては、助けられない命のほうが多いかもしれない。それでも、助かったかもしれない命を救えなかった悔いは、いつまでもフィルの心に深い傷を残す。エセルが小さく呟いた。
「やっぱりみんな、なにかしら抱えているものなんだね……」
自分だけじゃなかった。そのことにエセルは少しだけホッとした。
もちろんそれでエセルの過去が軽くなったわけでも、罪悪感が消えたわけでもない。それでも「自分だけではない」という意識は、確かにエセルをちょっとだけ前向きにしてくれた。
「……あれ?」
「え、なに? どうしたの?」
「あ、エセルさんは弓使いですから視力もいいですよね。あそこに人影っぽいものが見えるんですけど、気のせいでしょうか?」
フィルが指差した方向にエセルが目を向けると、確かに人影のようなものが遠目に見えた。魔王側の幻覚とかなら困るが、どうも違うように感じる。エセルは目を細めた。
「あれって……もしかして誰かが影狼に襲われてる!?」
「ええっ!? た、助けないと!」
何気に最強のランタン持参で二人は人影がいる方向へと駆けていく。そしてそこで見たものは、思った通り幻覚などではなく、本物の影狼が若い男性を襲っている場面だったのだ。
「まずい、このままじゃ間に合いません! エセルさん!」
「わかってる! せいやーーーー!」
思いきりの良い掛け声と共に、エセルが放った矢は見事に影狼に突き刺さった。見上げるほどの巨体であるためその一撃で倒せはしなかったが、そもそも全力で走りながら矢を射って的に当てるだけで普通にすごい。
攻撃されたことで影狼の意識がエセルとフィルに向けられる。そしてものすごい勢いでこちらに突進してきたが、フィルがかざしたランタンから漂う『退魔の香木』のおかげで一発撃退だった。尻尾を巻いて逃げ出していった影狼にホッとしつつ、二人は先ほどまで襲われていた人物に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ありがとうございました……」
「あっ、怪我してるじゃないですか! フィル、これ治せる?」
「もちろんです。少しじっとしていてくださいね」
こうして治療も無事に終え、三人は改めて向き合った。まず助けられた男性がエセルとフィルに深々と頭を下げる。
「助けていただき本当にありがとうございました。俺はこの峠の向こうに住んでいるグェンといいます」
「フィルです。僕たちもたまたま通りかかっただけなので……でもお力になれたなら良かったです」
「あたしはエセル。フィルと一緒に旅をしているんだけど、グェンさんはどうしてここに?」
エセルの問いに、グェンはなにかを気にするように一瞬だけ周囲に目を走らせた。それから慎重な声音で訊いてくる。
「……お二人は……人間ですよね?」
「え?」
「はい、そうですが……」
エセルとフィルの怪訝そうな顔を見て、逆にグェンは二人が本当のことを言っているとわかったらしい。なぜかホッとしたように肩を撫で下ろす。
「良かった……ということは、もしかしてお二人は勇者一行のお仲間ですね?」
まさか言い当てられるとは思っていなかった二人は咄嗟にグェンから身を引いた。シシィとダンから、すでに魔王がこちらの行動を読んでいると聞いている。まさか……。
しかし一気に警戒を深めた二人の様子にグェンが慌てたように「違います!」と首を振った。
「俺たちは断じて勇者様の敵じゃありません! むしろ味方です!」
「味方……?」
「待って、いま俺たちって言った?」
なおも怪訝そうな二人に、グェンは観念したような顔で白状した。
「俺は人間と魔族の混血で、〈解放派〉と呼ばれる組織に所属しています」
予想外のその言葉に、エセルとフィルは大きく目を見開いた。グェンが続ける。
「ぜひ勇者様と一緒に、俺たち〈解放派〉の拠点……村まで来てください。歓迎します」
◆ ◆ ◆
しばらくして。魔力の波動が弱まった隙を見逃さず、エセルとフィルは無事にシシィとダンに合流することができた。が、しかし。
「解放派?」
ものすごく警戒した声のダンが、シシィを抱えたままグェンから距離を置く。警戒心の塊みたいな勇者の態度にグェンは少なからず衝撃を受けたが、抱えられたシシィが「ああ」とあっさり頷いた。
「魔族と人間の平等を目指す地下組織ね」
「なにシシィ、こいつらのこと知ってるの?」
「ええ。私が魔界都市にいた時代から存在している組織よ。魔界都市の人口のうち約二十パーセントは人間なんだけど、労働者階級には人間と魔族の混血も多くてね。彼らがいる環境はとても恵まれているとは言えないわ」
淡々と説明しつつも、シシィが微妙に気まずそうな顔をする。解放派の存在は、いわゆる魔王家による支配の影の部分でもあるのだ。かつて魔王家の一員だったシシィが気まずいのも無理はない。
ダンに抱えられているシシィを、グェンはじっと見つめた。正確には、彼女の容貌や、髪色や、瞳の色を。そしてなにかを確信したように頷いた。
「勇者様。そしてお連れの皆様。ぜひ我が村までいらっしゃってください。大したおもてなしはできませんが、食事と休む場所を提供することくらいならできます」
「別にいい」
「ダン、せっかくのご厚意なんだから」
シシィに嗜められて、ダンはしぶしぶグェンの提案を受け入れた。
そんなわけで、四人はグェンと一緒に峠を越えて、その麓にある森の中へと分け入った。解放派の拠点である村は、この奥深くにあるらしい。怪しさ満点ではあるが、シシィが解放派について知っていたのと、いざとなったら聖剣で村ごと殲滅できることもあり、大きな不安もなく四人はグェンについていく。歩きながらシシィがグェンに尋ねた。
「解放派の拠点って、昔は魔界都市の外縁部にあったはずだけど」
「その通りです。ですが魔導衛兵の監視が厳しくて、拠点を変えてもすぐに見つかってしまったようで。それで数十年前に都市の外へと拠点を移しました。ですが都市の中にも協力者はちゃんといますよ」
数十年前、というグェンの言葉にエセルとフィルの視線がシシィへと向けられる。なぜまだ十二歳の彼女がそんな昔のことを知っているのだろうか……。
しかしグェンは全然驚いていなかった。その様子から、シシィは彼が自分の正体に気づいていることを敏感に察する。
やがて、鬱蒼とした森の中にぽかりと拓けた空間が現れた。一行は目を丸くする。まさかこんなところに本当に村があるなんて。
立ち並ぶ家々と、こちらの様子を窺う村人たちの姿が見えた。警戒されて当たり前だが、先頭にいるのがグェンだと気づいたようで、村人たちの中から一人の壮年の女性が走り出てくる。
「グェン!」
「ただいま、母さん。勇者様たちを連れてきたよ」
息子のその言葉に、女性は四人を見つめて、そして。
「ようこそお越しくださいました……! 我々〈解放派〉はあなた方に全面協力するとここにお誓い申し上げます」
どうやらグェンの母がこの村の村長、もとい解放派のリーダーらしかった。




