04. 星屑の峡谷
時々魔獣に襲われつつも、一行は順調に旅を続けていた。
そしてついに、最初の難関である『星屑の峡谷』に到着する。なぜかダンに抱っこされて運ばれていたシシィが「一旦止まって」と言ったので、一行は峡谷の手前で立ち止まった。
「シシィちゃん、ここは……」
「ここが『星屑の峡谷』よ。夜になると魔力の粒子と夜空が溶け合ってすごく綺麗なんだけど、魔力が濃すぎるのよね。魔力酔いしないように気をつけて」
シシィはダンの背嚢を漁り、中から『消えぬ灯火』を引っ張り出した。それから自分の荷物からは『退魔の香木』を取り出して、消えぬ灯火の中に入れて火を灯す。ふわりと独特な香りが周囲に漂い始めた。
「霧の動きは読めるけど、完全に避けることはできないわ。エセルとフィルはできるだけこの灯りで霧を退けてね。呑まれると幻覚を見るから」
はい、と手渡された消えぬ灯火をフィルが緊張気味に受け取り、エセルがしげしげと眺めた。ちなみにフィルがランタンを受け取ったのは、弓使いであるエセルが両手を空けておくためである。
そうして一行はシシィを先頭に星屑の峡谷へと足を踏み入れた。
「あれ、ダンさんはランタンがなくても大丈夫なの?」
「…………」
「ダンは魔力による幻覚作用に耐性があるから平気なの。だからランタンはあなたたちだけで使って大丈夫よ」
実際はシシィの魔力を内包しているからこその耐性なのだが、そんなことまで説明する必要もないだろう。シシィは簡潔に答えると、峡谷の先を目指してひたすら足を進めた。
ちなみにダンは一度目の魔王討伐でもこのルートを通っている。あの時はパーティメンバーたちが幻覚に囚われてあっちこっち行くものだから大変だった。幸い人間にしては魔力の高い魔導士がなんとかしてくれたのだが、峡谷を出たと同時に魔力切れになってぶっ倒れていた。まあ、今となっては昔の話でしかないけども。
時々エセルとフィルの体調を確認しながらしばらく進んでいくと、不意にダンが眉間に皺を寄せて周囲を見回し始めた。そして霧の動きに合わせてちょうど足を止めたシシィに囁く。
「……シシィ」
「ん?」
「昔よりも霧が濃い気がする」
言われてシシィもぐるりと峡谷全体を見回した。昔から馴染み深い場所であるのと、耐性があることもあり、あまり気にしていなかったが……。
「……そうね。言われてみればそうかも。もしかしたら私が不在の間に霧の濃度が変わって」
「うっ……」
「エセル?」
呻き声と共に、なにかが地面にがちゃんと落ちるような音が聞こえた。振り返ってみるとエセルとフィルが地面にうずくまっており、落ちたランタンは地面に横向きに転がっている。ちょっとだけヒビが入っていたが、その程度で『消えぬ灯火』の火が消えることはない。ダンが面倒臭そうな顔をした。
「魔力酔いか」
どうやら魔力濃度が急に濃くなったせいで気分が悪くなってしまったのだろう。思わずランタンを取り落とし、霧に晒されてしまったらしい。退魔の香木は未だに有効であるが、一度でも幻覚に取り憑かれてしまうと抜け出すのは骨が折れることだ。
シシィが二人に歩み寄ろうとしたその時、ダンがいきなりシシィを抱えて地面を蹴った。まるでエセルとフィルを置き去りにするかのようなその行動にシシィは思わず悲鳴をあげる。
「ダン!?」
「『魔導衛兵』だ」
「え」
シシィは大きく目を見開いた。魔導衛兵とは、精密な魔力機構が組み込まれたカラクリ仕掛けの精鋭たちだ。普段は魔界都市の治安を取り締まっているはずの彼らが、なぜこんな場所に。
しかし考えている暇はなかった。ダンに抱えられたまま、シシィは襲い来るカラクリ人形たちの急所に狙いを定める。
一般的に、急所といえば心臓や頭部だろう。そのため敵を倒そうとする場合はまずそのあたりを狙うものだが、これら魔導衛兵たちにはそういう一般論が一切通用しなかった。心臓を潰しても頭部を破壊しても、十秒もすればすぐに復活して襲ってくる。
魔界都市が誇る高度な魔工技術。その結晶たる魔導衛兵たちの急所は、心臓でも頭部でもなく、左手の五本の指先であった。つまり彼らの爪の先を一つずつ丁寧に潰していかないと、あれを完全に止めることはできないのだ。
シシィは目を細めて四方から飛びかかってくる魔導衛兵たちの指先に狙いを定める。的が小さい上によく動くので、確実にそこを破壊するにはかなりの精度が求められた。聖剣を片手にダンがぼやく。
「あれって手首から切断してもだめなわけ?」
「ええ。指先の『核』を確実に破壊するまでは、全身バラバラになっても磁石みたいに元に戻るわよ」
「なにそれ羨ましい……」
百年前から体がバラバラなままのダンが渋い顔をする。シシィの再構築包帯をもってしても完全に体がくっつかないのは、よりにもよって魔剣でバラバラにされたことが原因だった。普通の剣ならばとうの昔に完治していただろうに、魔剣で斬られた場合はそうもいかない。魔王を上回る魔力の純度を誇るシシィがいなければ、ダンはとっくに命を落としていたに違いなかった。
ダンが見ている先で、シシィが魔導衛兵たちの左手の指を精確に捕捉し、十体ほどを一度に再起不能にする。あくまで作り物でしかない魔導衛兵たちは、核さえ壊してしまえば悪あがきすることもなく沈黙してくれた。
とはいえ数が多い。ダンはシシィを下ろして聖剣を両手で握る。
こちらを警戒しつつ遠くから様子を伺っている魔導衛兵たちが、まだ数十体はいた。ダンは舌打ちをする。さすがにこれだけ離れていれば、峡谷のあちこちにいる彼らの左手の指先だけを狙うのは難しい。ならばこちらから距離を縮めたほうが手っ取り早いか――。
「ねえシシィちゃん、あれの急所ってどこ?」
「左手の指先……って、え?」
反射的に答えたシシィがぎょっとして振り返る。
そこにいたのは、フィルに支えられているエセルだった。
「エセルさん、無理しないでください」
「だーいじょうぶ。あたしこう見えて金ランクの弓使いだし。せめて得意分野では活躍させてよ」
得意分野。
そう言って、エセルは一度に五本もの矢を愛用の弓につがえた。そして。
「いっけえええええ!」
放たれた五本の矢は、エセルの微量な魔力を含んで飛来していく。シシィは目を瞠った。ただ見事なだけの射芸では、ない。
魔導衛兵たちは飛んできた矢を小蝿のように叩き落とそうとする。しかし矢はまるで意志を持つかのような動きで魔導衛兵の攻撃を躱し、そして左手の指先だけを次々と破壊していった。見ていたシシィは感嘆する。射手としての腕はもちろん、微量な魔力を巧みに使いこなしてこその高等技術だ。
思わぬ伏兵に驚いたらしい魔導衛兵たちは、弓使い相手では距離を取るほうが危険だと判断したらしい。隠れていた者たちも続々と姿を現し、あっという間に距離を詰めてくる。だが、それこそダンが待っていた瞬間であり。
「は、頭悪すぎ」
カラクリ仕掛けの人形たちが、聖剣の射程圏内にいて生き残れる確率は、ゼロ。
シシィは慌ててエセルとフィルに「二人ともダンに捕まって!」と叫んだ。少なくとも勇者の半径三歩以内にいないと、一緒に吹き飛ばされてしまう可能性が極めて高い。
轟音がした。
振るわれた聖剣の凄まじい破壊力に、峡谷の地形が一瞬で変わった。
「おわ……」
「ひえ……」
反射的にダンの服を掴むことで難を逃れたエセルとフィルが、聖剣の威力に青ざめる。味方であっても恐ろしいほどのその力に、二人は改めて『勇者』と『聖剣』の特異さを思い知った。同時に、これほどの力がなければ魔王とまともに戦えないということに気づいてちょっと震える。……魔王討伐が人類を救うというのは、決して大袈裟な表現ではないのだ。
こうして一行は魔導衛兵を退けて星屑の峡谷を抜けた。さすがに力を消耗したため、抜けた先にあった川で一旦休憩することにする。
ダンが集めてきた薪に、千時間は消えない『消えぬ灯火』から火をもらって移した。退魔の香木も今しばらくは焚いておいたほうがいいだろう。そしてようやく落ち着いたところで、シシィは改めてエセルとフィルに向き合った。
「ところで二人とも、どうしてあんなにすぐ回復できたの?」
あの時、二人は間違いなく魔力酔いをして霧の幻覚にも襲われていたはずなのだが。あんなに早く回復できるだなんて聞いたことがない。
「えっと、フィルがね。助けてくれたの」
「フィル?」
シシィの視線に、フィルがなんともいえない顔で頰を掻く。
「いえ、特別なことはなにも……ただ、戦場での経験を活かせただけです」
「戦場? ……フィル、あなたもしかして『戦場癒術師』だったの?」
戦場癒術師とは、その名の通り戦場で活動する癒術師である。宿営を攻撃されても逃げずに兵士たちを助け続ける必要があり、自ら志願する者はそう多くない。どちらかといえば配属先がそこだった、という場合が多いだろう。
その代わり、それだけの極限状態に身を置くため、癒術師としての能力が格段に跳ね上がるというのも事実であった。だからこそフィルも癒術院においては五指に入るほどの逸材なのである。ガルドが推薦するのも納得の人選だ。
シシィの問いかけに、フィルは頷いた。それを見たダンは、このとき初めて興味を持ったようにフィルをじっと見つめる。
「戦場では体だけじゃなくて心も癒す必要もあるので……今回みたいに戦闘中に幻覚を見せられるような状況は、戦場とよく似ていました」
「そう……あなたがいてくれて本当に助かったわ。こういう精神攻撃はまたあると思うけど、フィルがいるなら心強いわね」
「は、はい! 少しでもお役に立てるように頑張ります!」
ずっと自信なさげだったフィルだが、どうやら今回の件で少しは前向きになれたらしい。シシィはエセルにも顔を向けた。
「それからエセル、あなたの弓の技術もすごかったわね」
「あ、僕もびっくりしました。弓ってあんなこともできるんですね」
シシィとフィルから尊敬の目を向けられてエセルが照れ臭そうに愛用の弓を撫でる。
「へへ、ありがと。あたし自分にちょっとだけ魔力があるってわかってから、どうにか活用できないかなっていろいろ試してたんだよね。かなり時間はかかったんだけど、なんとか形になってみんなの役に立てて良かった」
「すごく役立つ能力よ。やっぱり遠距離攻撃の達人がいると違うわね。戦闘に余裕ができるわ」
ダンも聖剣のおかげで遠くにいる相手とも戦うことができるのだが、いかんせん彼の場合は範囲攻撃に特化している。エセルのように一点集中でなにかを狙うような繊細な攻撃には向いていない。そしてシシィも全盛期の頃に比べたら格段に弱体化している。フィルは基本的に後方支援担当であるし、やはりここから先も続く難所の数々を突破するために、エセルの存在は必要不可欠だった。
「……本当は、もっと早くこの力が開花していれば良かったんだけど」
「え?」
「ううん、なんでもない。ところでシシィちゃん、次はどこに向かうの?」
なにやら気になることを呟いたエセルであったが、それ以上語る気がなさそうな彼女の様子に、シシィも今は深く訊かないことにする。自分がそうであるように、エセルにだって言いたくない秘密の一つや二つはあるはずだ。
「この先にある『嘆きの湿原』よ。水面にたくさん『嘆きの鈴蘭』が咲いているんだけど、触ったら幻惑効果で悲しみに囚われて動けなくなるから気をつけてね。ここも精神攻撃系だから、いざとなったらフィルにお願いするわ」
「わかりました」
魔界都市に行くまでの難所は五つ。星屑の峡谷、嘆きの湿原、月影の峠、幽光の樹海、そして裂魂の荒野だ。これらを避けて通るルートもあるにはあるが、そうやって遠回りすれば魔界都市まで一ヶ月以上かかってしまう。一方でこれらの難所を通過すれば十日程度で辿り着くことができるのだ。それまで聞き役に徹していたダンがぼそりと呟いた。
「……とはいえ、まさか星屑の峡谷で魔導衛兵が出るとは思わなかった」
今までは魔界都市の中でしか行動していなかった魔導衛兵。それが一番手前の星屑の峡谷に現れるのは想定外だ。ダンが難しい顔で腕を組む。
「シシィ、こっちの動きが魔王側に読まれている可能性は?」
「十分ありえるわよ。魔王が復活したことで、遅かれ早かれ勇者が送り込まれてくることは分かりきっているもの。魔導衛兵はカラクリ仕掛けで疲れ知らずだし、魔力を充填しながら見張り役としてあちこちに配置していたんでしょうね」
その時、川の水面がゆらりと不自然に揺れた。
周囲の木々がざわめき、鳥の声がやみ、まるで空気の色が変わったような心地になる。
その気配を、シシィとダンは知っていた。窒息しそうなほどの凄まじい威圧感と殺意。
――魔王家に戻れ、シトラシア。
響き渡ったその声に、シシィは大きく息を呑んだ。




