03. 聖魔女伝説
こうして魔界都市に向けて出発した一行だったが、早くもエセルとフィルが大きな壁にぶち当たっていた。
「シシィ」
「大丈夫。対応できるわ」
出発してから間もなく、一行は魔獣の群れに襲われていた。幸い人里離れた平原であったため周囲に被害はなかったが、ダンが聖剣を一閃するだけで魔物の大半が消し飛び、残りはシシィが小さな爆発を起こして一掃。エセルとフィルが動く前にシシィとダンがあっさりと殲滅してしまう。
これ、自分たちがいる意味あるのだろうか。そんな思いを抱えつつも、とりあえず二人はシシィとダンについていく。
ちなみにこの二人、どちらも決して無能ではなかった。むしろすこぶる優秀で、エセルは弓使いとして唯一の『金ランク』冒険者であり、フィルは癒術院において五指に入る治癒の使い手だ。
が、しかし。文字通り百年以上の経験を積んだシシィとダンに敵うはずもなく、今はまだ粛々と彼らについていくしかない二人である。
「……あー、でもやっぱり落ち込むー! シシィちゃん、なんかこう、ドーンと一気に強くなる薬とかない!?」
この日、思わぬ大群と遭遇したことでついに出番がきたエセルであったが、囲まれたことにより怪我を負ってしまっていた。もちろんフィルが治療済みだが、それでも本人は悔しいらしい。弓使いなのだから囲まれて不利になるのは当然なのに、本人は涼しい顔で大量の魔獣を撃破していくダンとシシィが羨ましいようだ。
戦闘のせいで解けたダンの包帯を巻き直しながら、シシィは頬を膨らませるエセルに苦笑する。
「一過性のものでよければ『極限反応酒』があるけど、反動が大きいしおすすめはしないわ。自己過信のもとよ。それより地道に訓練を積んで強くなったほうが後々あなたのためになるし」
極限反応酒:いわゆる『火事場の馬鹿力』を人工的に引き出すことができるお酒。その代わり生命維持に必要な血流が制限されたり、判断力の低下を引き起こすなどの重い副作用が出る。
「それはわかってるけどさぁ。今からこんなんなら、魔界都市に行ったらみんなの足手まといになっちゃいそうで嫌なんだよねえ」
「あ、そういうことなら、僕もです」
エセルの切実な悩みに共感したのは隣にいたフィルだった。今日の彼は無傷であるが、二日前に魔獣の群れに襲撃された際には怪我を負っていた。その時は本人の希望でシシィの『宝石薬』を提供したのだが、案の定「甘辛苦いっ……!」と地面をのたうち回っている。ちなみに怪我は飲んだ瞬間に治っていた。
フィルがぎゅっと膝の上で拳を握る。癒術ならば心得があるのである程度は役に立てるが、そもそも誰も怪我をしないのが一番だし、シシィの宝石薬があればはっきり言ってわりと無敵だ。そして戦闘面においては完全に足手まといな自覚がある。
「正直、僕なんていなくてもいいじゃないかなって毎日のように思っています。ガルドさんから癒術師が必要だって言われて派遣されてきましたけど、本当に必要だったんでしょうか。シシィさんがいれば事足りると思うんです」
すっかり自信を失って意気消沈している二人に、シシィはうーんと眉を寄せた。包帯を巻き終わった瞬間にダンの膝の上に乗せられた彼女であるが、それどころじゃないと手足をバタバタさせて降りたいと主張する。ダンは不機嫌になりつつもシシィを解放した。
自由になったシシィはとことこと自分の荷物へと歩いていき、そしてなにやらゴソゴソし始める。
「シシィちゃん?」
「二人に渡したいものがあって。出立自体が急だったし、ちゃんとサイズを測っていないから形があれだけど……ああ、あったあった」
不思議そうに首を傾げるエセルとフィルに、シシィはなにやら畳んだ服らしきものを渡してくる。
広げてみればやっぱり服で、ポンチョのような形状の上着だ。羽織ってみればどちらもぴったりで、生地自体はさらりとしていて肌に触れている部分が心地よい。再びダンの膝の上に戻されたシシィが続ける。
「それ鋼鉄のシルクで作ったの。それを着ていれば下手な防具よりもはるかに安全よ」
「なるほど、鋼鉄のシル……こ、鋼鉄のシルク!?」
「さ、さささ最高級素材じゃないですかっ……!」
腐敗の森の最奥にいるボスからのみ採取できる糸で紡がれた、非常に防御力の高い生地である。剣で斬られる程度なら完全に無傷で済み、業火に晒されてもまったく燃えない。そんな代物を気軽にポンと渡されて、エセルもフィルもうっかり顎が外れそうになった。
「こ、これ本当に私が使ってもいいの……?」
「ええ、もちろん。代金は出世払いでね」
「も、もちろんですっっ!!」
フィルが大真面目に頷いて、冗談で言っただけのシシィが笑う。別に料金を請求する気は初めからない。が、反応が面白いのでこの旅が終わるまで黙っていようかなとは思うけど。
「あ、じゃあもしかしてシシィちゃんとダンさんが着ている服って」
「そう、全身丸ごと鋼鉄のシルク素材。軽いし手触りもいいし普通の服と変わらないから重宝するのよね」
売れば数年は遊んで暮らせる金額が手に入る代物を、なにも気にせず普段着にしている二人である。しかし素材を手に入れるのも加工するのも全部自分たちでやっているので、出来上がったものをどう使おうがそれは彼らの自由であった。
そんなわけで意図せず最強の防具を手に入れたエセルとフィルは早速それをしまいつつ、改めてダンとシシィに向き合った。
「まだまだ未熟な私だけど、ガルドさんに声を掛けられた以上は絶対に貢献するから! せっかくこうして勇者の旅に同行させてもらえているんだもん。頑張るから見ててね!」
「僕もです……! 今できることに精一杯取り組みます……!」
シシィから防具をもらったことで、二人は自分たちもこのパーティの一員であると再認識して決意を新たにらしい。まあ、肝心の勇者はシシィにしか興味がないようだが、それはそれで別にいい。少なくともシシィが認めてくれている限りはうっかりダンに殺されることもないだろう、たぶん。……たぶん。
「それにしてもシシィちゃんって、ちょっと『聖魔女』に似てるよねえ」
「……聖魔女?」
「あれ、知らない? 冒険者の間じゃかなり有名なんだけど」
知らないわけがない。ダンの膝の上でシシィは無意識に身を強ばらせた。
魔王一族の中から選ばれる、桁違いの魔力量と純度の高さを誇る『聖魔女』。魔界都市の生命線たる『魔力泉』の管理者であり、都市の絶対守護者でもある存在。魔王に次ぐ地位にあり、同時に魔王でさえ制御できない唯一の人物だ。
そしてそれこそが、シトラシア・アルベルティーナ・ヴォリス。魔界都市におけるシシィの本当の名前である。
抱えているシシィの体から緊張が伝わってきたのか、ダンが安心させるようにぎゅっと腕に力を込めた。それからエセルへと視線を向ける。
「その話もっと詳しく」
「あれ、ダンさんも興味ある?」
意外そうな顔をしつつも、エセルは律儀に『聖魔女伝説』とやらを教えてくれた。
曰く、聖魔女は息を呑むほどに美しく、その絶大な魔力の輝きが彼女を神聖な存在に見せていたという。迷い込んだ外部の冒険者たちの命を救い、無事に帰れるように知恵を授け、その慈悲深さから『聖女』だの『賢者』だのと、人間の冒険者たちからはやたらと人気の高い存在なのだという。ダンの腕の中でシシィがプルプル小刻みに震えた。どうやら羞恥で顔を上げられない状態らしい。
「だからシシィちゃんと似てるなーって。それにほら、シシィちゃんってあと四、五年もしたら絶対に絶世の美女になるでしょ!? もしかしたら間違えられちゃったりして!」
「……だってさ、シシィ」
「やめて、ダン。この流れでどんな顔しろっていうのよ……」
本当は魔界都市に行く前に、エセルとフィルには自分の正体を明かしておこうとシシィは思っていた。どうせ魔界都市に着いた時点で必ず話さなくてはならないことだ。が、予定変更。少なくとも今夜は絶対に打ち明けない。
こうして無意味にダメージを負ったシシィであったが、彼女を抱えているダンもダンで複雑そうな顔をしていた。息を呑むほどに美しい聖魔女……。
「…………」
勇者としての一度目の旅と、今にも事切れそうだったあの時のことを思い出す。
すべてが終わった魔王の間で、こつりとヒールの音が響いた。唯一動く首を動かして、ダンはその方向へと目を向ける。
その瞬間、一切のことを忘れ果てた。
左右対称の完璧な顔立ち。比類なき至高の紫眼と、抜けるような肌の白さ。腰まで届く白銀の髪が、歩調に合わせてゆるく波打っている。絶大な魔力が内側から滲み出ているのか、かすかに体が発光しているようにようにも見えた。
たとえ地上のすべての詩人たちが彼女の美しさを言葉にしようとしても、決して再現できないだろう圧倒的な美貌と存在感。――聖魔女シトラシア。
いま思えば、恐らく彼女は魔王を治療するために現れたのだろう。けれどダンは彼女を見たその瞬間、まだ死ぬわけにはいかないと思った。強烈に生きたいと思った。だから。
『生かして』
振り向いた彼女は透明な眼差しをダンに向けた。そしてそれが、勇者ロダンと聖魔女シトラシアの邂逅だった。
「ダン」
名前を呼ばれてハッとする。見れば腕の中に収まっていたシシィが心配そうにこちらを見上げていた。その姿を見て、ダンは小さく唇を噛む。
エセル曰く「四、五年もしたら絶世の美女になる」と言われたシシィ。彼女の姿が十二歳くらいまで縮んでしまったのは、ひとえにダンを助けるためにほぼすべての魔力を注いでしまったからだった。おかげで一命を取り留めたダンであるが、人間ではあり得ない魔力をその身に宿したことで、彼もまた魔族とほぼ同じ寿命を獲得することにもなった。ダンとしてはシシィと添い遂げる気満々なのでまったく問題ないのだが、シシィのほうは人間ではなくなったダンに罪悪感があるようだった。そしてダンも、シシィを弱体化させてしまったことに少なからず罪悪感がある。
「ダン、大丈夫? なんだか落ち込んでいるみたい」
「……大丈夫。ねえシシィ、ずっと一緒にいようね」
「? なあに、どうしたの急に」
不思議そうな顔のシシィをぎゅうぎゅうに抱きしめて、ダンは瞳に決意を宿す。
――大いなる力を手放して、魔王一族を裏切ってまでダンを助けてくれたシシィ。今度は絶対に自分が彼女を守る。なにがあっても。なにと引き換えにしてでも、絶対に。




