02. 王都からの使者
雑貨屋の戸口に「臨時休業」の札をかけながら、シシィは店内で睨み合う二人を観察する。片やマントのフードを目深に被った包帯男、片や国軍の鎧を着た男。なかなかシュールな光景であるが、だからといって放置するわけにもいくまい。シシィは小さく溜め息をついて、重い足取りで店内へと戻る。
「勇者殿」
「…………」
「誤魔化そうとしても無駄だよ。貴殿が聖剣に選ばれた勇者であることは、こちらもすでに把握済みだ。まったく、抜いた聖剣をその場に放置して逃亡された時にはどうしようかと思ったが……」
そうだったのかと、シシィは静かにダンを見上げる。先ほども「何度捨てても戻ってくる」と言っていたが、どうやら本気で抵抗していたようだ。まあ聖剣の執念深さに負けて結局は腰に差しているわけだけども。
とりあえずシシィは客人に椅子を勧め、手ずから淹れたお茶を出す。当然ダンの機嫌は最悪で、お茶を淹れ終わった彼女を即座に自分の膝の上に乗せていた。シシィがこの客人をもてなすという行動自体は制限しないダンであるが、彼女の興味が自分以外の誰かに向くことだけは耐えられないらしい。膝の上に乗せたシシィをぎゅうぎゅうに抱きしめて、シシィがそちらを向かないようにしてしまう。
そんな二人の様子を見ていた客人は微妙な表情を浮かべていた。勇者がこんな人里離れた場所にいることはもちろん、まさかこんな子供と二人暮らしをしていたとはさすがに予想外だったのだろう。
「あー……ちなみにそちらのお嬢さんは」
「はじめまして、シシィと申します。勇者選抜の際にはうちのダンがお世話になったようで」
「やめてシシィ。こんな奴と口きかないで」
「そんなわけにはいかないでしょう。嫌ならあなたがちゃんと話しなさいな。そもそもあなたを訪ねてきたお客様なのよ」
真っ当なるシシィの言葉にダンはしぶしぶ客人と向き合う。しかしマントのフードの下から覗く眼光の鋭さに、客人は思わず息を呑んだ。
「…………あんた、誰」
「私は陛下にお仕えする国軍親衛隊の隊長、ガルド・ニーデルという」
「で、なんの用」
「陛下から貴殿宛ての書状を預かっている。これを」
殺伐としたやりとりであるが、両者ともに馴れ合うつもりがないのならこのほうが話が早いだろう。ダンの胸元に頬を押し当てられた状態のまま、シシィはそんなことを考える。……ダンの力が強くてこの体勢から抜け出せない。
シシィを両腕に抱えたまま、ダンは手渡された書状を一瞥した。しかし数分経っても受け取る様子がなかったため、シシィが「ダン」と咎めるように声をかければ、ダンはやはりしぶしぶそれを受け取る。シシィもなんとか首を動かして、ダンが開いたその書状を一緒に読んだ。そして案の定なその内容に、知らず眉間に皺が寄る。
「魔王討伐ね……覚悟してはいたけれど……」
「ほう。勇者殿よりお嬢さんのほうがいろいろと覚悟が決まっていると見受けられる」
どこか感心したように言うガルドに対して、シシィは軽く肩を竦めた。
「私の覚悟が決まっていてもどうしようもないのよ。勇者が行く気にならなければ意味ないもの」
とは言ったものの、ダンの覚悟もとっくに決まっていることはわかっていた。でなければ、嫌々だとはいえ腰に聖剣を携えているわけがない。
だから、とシシィはダンの背中をポンポンと軽く叩く。それだけで強張っていたダンの肩の力が抜けた。
「私も一緒に魔界都市に行くわ」
「え」
「は?」
ダンは固まり、ガルドが凍りつく。しかしそんな二人をよそにシシィは続けた。
「魔界都市に到着してからが本番だけど、そこに辿り着くまでの道のりもかなり危険よ。私なら道案内をしてあげられるから、一緒に連れて行ってほしいの」
「……どういうことだ。君のような子供がなぜ魔界都市を知っている?」
「年齢は関係ないわよ。だって私、魔界都市の出身だもの。魔界都市への最短ルートも、危険な場所をできるだけ安全に通り抜ける方法も知っている。だから一緒に行くわ。ダンの体のことも心配だしね」
そう言って、シシィはダンの袖をめくってガルドに見せる。ガルドは息を呑んだ。……肌が見えないほどに、包帯でぐるぐる巻きにされている腕。どうやら全身がこんな感じであるらしい。
しかし、いくらなんでも魔王討伐の旅にシシィのような子供が同行するのは危険すぎた。ガルドもそう簡単には許可できない。もしもシシィが危険な目に遭ったとしたら、勇者がそちらに気を取られることも目に見えている。最悪の場合、勇者ごと共倒れだ。
「……申し出はありがたいが、やはり危険だ。道案内なら、地図なりメモなりを書いて勇者殿に渡してくれないか。そうすれば」
「それだけじゃ難しいわ。でも、そうね、実際に通る道を今から説明したほうが早そうね。そうしたらきっとわかってもらえると思うし」
そしてシシィは適当な紙を引っ張り出してきて、そこにサラサラと地図を描き始めた。
一番最初に書かれた地名は『星屑の峡谷』だ。その名の通り、夜になると魔力の粒子が星屑みたいに輝いて、夜空と溶け合う美しい峡谷である。
しかし魔力が濃すぎて、幻覚作用がある『魔の霧』で覆われているのが特徴だった。そのため旅人の多くは幻覚に惑わされて道から外れてしまい、崖から落ちる事故が多発している地域でもある。魔界都市への最短ルートでもあるが、あまりにも危険であるため避けられることも多い。
「でも大丈夫。ここは『消えぬ灯火』で『退魔の香木』を焚けばわりと安全に通れるわ。それに霧の動きには法則があるの。私と一緒にいれば数時間で抜けられる。ただし、魔力酔いには注意したほうがいいわね」
退魔の香木:焚けば魔物除けの効果がある。かなりの大物でも尻尾を巻いて逃げ出す程度には強力。魔の霧にも有効。
あまりにも詳しい説明にガルドが呆気に取られている中、シシィはさらに地図を描き足していく。
続いて書かれた地名は『嘆きの湿原』だ。魔力が染み込んだ湿地であり、その魔力を含んだ水に触れると一気に体力を奪われる。さらに『嘆きの鈴蘭』と呼ばれる花が咲き乱れており、それに触れた者は過去の悲しみに囚われて動けなくなってしまうという。
「嘆きの湿原は、心の弱い者を試す場所ね。過去のトラウマを克服する荒療治に使えなくもないけど、最悪死ぬからおすすめはしないわ。とはいえ不用意に触らなければ大丈夫だし、通る予定のルートの中ではマシな部類よ」
「そ、そうなのか」
「ええ、そうなの。で、その次の難関が『月影の峠』ね」
魔力の波動で道が揺らぐという、切り立った山脈の峠。影狼と呼ばれる魔獣が徘徊し、魔力の波動で崩れた道は当然だが通れなくなってしまう。かつて聖魔女と魔王が戦った古戦場だともされているが、その点に関してシシィが言及することはなかった。
「魔力の波動は三時間ごとに弱まるの。その隙に抜ければいいわ。逆に言うと、そこを間違うと影狼の餌食になる」
ガルドはシシィが描く地図を凝視する。子供が描いたとはとても思えないほどの精巧さはもちろん、現在王城で厳重に保管されている魔界都市の周辺地図よりも遥かに詳しいことに驚愕した。
「あと危険な場所といえば、方向感覚を狂わせる『幽光の樹海』と、同士討ちを誘発する風が吹き荒れる『裂魂の荒野』かしら。樹海のほうは迷路に惑わされずに星の位置を読めばいいし、ざっくりとした地図なら私が持ってるし問題ないわ。荒野のほうは『鋼鉄のシルク』ですっぽり全身を覆っていれば大丈夫よ。もしも途中で誰かがトチ狂ったとしても適当に気絶させてその隙に通り抜ければ問題ないし」
最後の最後で急に雑になったが、少なくともシシィがいればどうにかなりそうなことはわかった。ガルドはガリガリと乱暴に頭を掻く。……今の説明を聞いて、そして目の前に広がる精巧な地図を見て、これ以上誰が彼女を足手まといだと言えようか。
溜め息をついた。シシィの同行は予定にないことであるが、魔王討伐に役立つのであれば子供だろうとなんだろうと利用する必要がある。そもそも「逃げた勇者を見つけ出して魔王討伐へ行くよう説得する」というのが王から任じられた彼の仕事であった。ガルドはちらりとダンに目を向けた。
「勇者殿のご意見は?」
「…………シシィが、そこまで言うなら……一緒に行く」
相変わらずしぶしぶであったが、結局はダンもシシィが同行することに同意した。危険な目には遭わせたくないけれど、離れたくない。そんな彼の葛藤が透けて見えるようだ。ガルドは改めてシシィと向き合った。
「それではシシィ殿。魔界都市への案内役は君に任せた。それと予備戦力についてなのだが」
「予備戦力?」
「ああ。いくらなんでも君たち二人だけで魔王討伐に行けというわけにはいかないからな。足りない人材を補給しよう。どの分野の人材が欲しい?」
この短時間で、ガルドはダンと話すよりもシシィと話したほうが早いと判断していた。おかげでダンにめちゃくちゃ睨まれるハメになっているが、睨まれるだけで済んでいるので気にしないことにする。まあ、視線だけで殺されそうな感じではあるけども。
「足りない人材……しいて言うなら物理での遠距離攻撃と、治癒系……弓使いと癒術師かしらね。いなくても問題ないけど、その二人がいてくれたら助かるかも」
「シシィ以外の同行者はいらない」
「そういうことを言わないの。あなたの体の不安定さを考えると予備戦力は必要よ。私だけじゃあなたを守りきれないかもしれないし」
フードに隠れたダンの素顔は判然としないが、それでもむくれた顔をしているだろうことはその声音からわかった。どちらが子供かわからないなとガルドは思ったが、実はシシィのほうが年上なのでこの力関係はあながち間違いでもなかった。
そして翌朝。
「はじめまして〜! 冒険者ギルドから派遣されてきた弓使いのエセルです!」
「い、癒術師のフィルです……よろしくお願いします」
明るい弓使いの少女と気弱そうな癒術師の青年がやってきたのだった。シシィは「はじめまして」と挨拶を返すが、ダンはてんから無視している。本当にこの人が勇者なのだろうかとエセルもフィルも疑問に思った。しかし面と向かってダンに確認を取るのも気が引けるので、エセルはすすすとシシィに近づく。
「ねえねえ、シシィちゃん。ダンさんって本当に聖剣に選ばれた勇者なんだよね?」
「ええ。腰に下げているあれ、間違いなく聖剣よ。聖剣は持ち主以外が使うことを嫌がるし、持ち主に置いていかれたら地の果てまでも追いかける特性があるから」
「え、なにそれ。初耳なんだけど」
「そ、そうだったんですか。意外と執念深いんですね、聖剣って……」
エセルはもちろん、聞いていたフィルも微妙な顔をする。聖剣に対してちょっとした憧れを感じていたようだが、今のシシィの返事ですべてが瓦解したらしい。ちょっとだけ遠い目をしながらフィルは「現実ってそんなものですよね」とか呟いている。
昨日から下げたままになっている「臨時休業」の札の下に「再開時期未定」と記した札も追加で引っ掛けて、シシィは人知れず溜め息をついた。できるだけ早く戻るつもりでいるが、……正直なところ、魔界都市に戻った自分がどうなるのか、まったく見当がつかない。
これも因果だろうかと、シシィはぼんやり考える。またあの場所へ戻らないといけなくなるだなんて、思いもしなかった。
遠い昔、聖魔女と呼ばれていた頃の記憶が蘇る。ダンを助けた際に九割以上失った魔力は、この百年で徐々に回復してきていた。だが、それでも全盛期に比べると半分にも満たない。これでは全然足りない。もしも魔王家の幹部たちと相対することになったら、まともに迎え討つよりも逃げることを優先すべきかもしれない――。
「シシィ」
「ええ、いま行くわ」
少し離れたところで待っていたダンのそばへと歩み寄れば、慣れた動作で彼がシシィを抱き上げる。あまりにも自然な動きだったから、見ていたエセルとフィルは目を丸くしつつも突っ込む機会を逸した。
ぎゅっと抱きしめられて、シシィもダンを落ち着かせるように腕を回す。恐らくはよそ者がそばにいることで、ダンの神経は過敏になっているのだろう。まあそのうち慣れるだろうと、シシィはしばらくダンの好きにさせることにした。




