13. 聖剣と魔剣
魔王城内部に足を踏み入れた瞬間、シシィは眉間に皺を寄せた。
魔界都市では魔導衛兵たちが巡回しており、城門前には城を守る正規兵たちがいた。そして当然、城内にも正規兵や魔導衛兵が山ほどおり、大臣たちやら魔王家の者たちがいると思っていたのだが。
コツ、と。シシィのヒール音がやけに大きく響き渡る。
どこか遠くでかすかに魔力炉の起動音がする程度で、それ以外の音はない。ただただ静寂に支配された魔王城。
不意に、ダンがシシィの手を握った。指と指の隙間を埋めるように、深く握り込んでくる。シシィは繋がれた手を見下ろしたが、特になにも言わずに歩き出した。ダンに限って言えば、片手が塞がれているから戦闘に支障が、という心配はなかったので。
繋がれた掌から、ダンの体温がじわりとシシィに伝わってくる。彼がどうして手を握ってきたのかは、すぐにわかった。
「……シシィ、寒い?」
「平気。でも、あなたの手は温かいわね」
魔王城に入った瞬間、シシィはひどい悪寒に襲われていた。これがなんらかの魔力操作による影響なのか、はたまた精神的なものなのかはわからない。けれどシシィがふるりと無意識に体を震わせたのを見逃さなかったダンが、そっと手を繋いでくれたのだ。本当は、抱きしめてあげたいのだけれど。それではいつまで経っても魔王の間まで行けないので。
「やけ静かね……」
「うん。百年前とは全然違う」
淡々としたダンの言葉に、シシィは百年前の勇者襲来を思い出した。
確かあの時は、勇者一行を迎え討つために厳戒態勢が敷かれていたはずだ。ただシシィに限っていえば「お前は切り札だ。出てこなくていい。俺がやられた時はあとを頼む」とヴェルザードに言われていたので、決戦終了まで部屋から一歩も出ずに過ごしていた。
繋いだ手を、ダンがなんとなく揺らす。どこか子供っぽい仕草にシシィが顔を上げれば、なぜかダンは笑っていた。
「どうしたの?」
「百年前は、魔王の間まで一直線に向かいながらひたすら敵を倒していったんだけど」
「ええ」
シシィは頷いた。魔王の間まで勇者一行を行かせてはならじと、それはもう凄まじい猛攻が仕掛けられていたはずだ。自室にいたシシィであるが、魔王城の中で戦闘が繰り広げられていれば感知できる。それでもヴェルザードには出てこなくていいと言われていたので、趣味で作っていた雑貨品の試作をしつつ、やがてヴェルザードの気配が途切れたあたりで魔王の間へと向かったのだ。
「じゃあ百年前はこの廊下にもたくさん兵士たちがいたのね」
「うん。でも今回はシシィと手を繋いで歩いているからなんだか楽しい」
それが笑顔の理由なのだった。ダンにとっては城内の静けさなどはどうでも良く、ただシシィと一緒なのがひたすら嬉しいようだ。そんなことを言われては、シシィとしても毒気を抜かれる。
りぃん。
その時、不思議な音が響き渡った。シシィとダンは一瞬警戒するように顔を見合わせて、それから同時にダンの腰へと目線を落とす。
聖剣が、かすかに光を放ちながら、りぃんりぃんと鳴っているのだ。ダンは眉間に皺を寄せる。百年前は、こんなこと一度もなかったのに……。
シシィが半ば強引に起こした聖剣。百年前は叩き起こせる人物がいなかったため、性能を完全には発揮しきれていなかった。だが、今回はシシィが聖剣と喧嘩しながらも言うことを聞かせたので、聖剣本来の力を発揮しつつあるようだ。
そこまで考えて、シシィはとある事実に気がつき、次いで戦慄した。
「……ダン、あなたはもしかして……」
だが、最後まで言い終わることはなかった。
繋いでいた手を強く引き、ダンがシシィを自分のマントの中へ引きずり込む。
「勇者ハ排除」
「勇者ハ排除」
「勇者ハ魔王陛下ノ敵」
もうすっかり聞き慣れてしまった魔導衛兵たちの声がした。ダンはマントの中にいるシシィが一瞬だけ体を固くしたのがわかった。しかしすぐに出てこようとするシシィを押し留め、ダンは片手で聖剣を構える。なにやらりんりん鳴っているがどうでもいい。
「邪魔。どいて」
そうしてダンは軽く聖剣を振り、轟音が響き渡る。マントの下で、シシィはぎゅっと目を瞑った。
解放派の村で見せたのと同じように、風圧だけで魔導衛兵たちを粉々に打ち砕く聖剣。全身はおろか、急所である指先まで完全に破壊されて、もはや魔導衛兵は原型をほぼ留めていない。粉微塵である。
ぷはっとシシィがマントの下から顔を出した。ダンが心配げにシシィの頭を撫でる。
「シシィ、大丈夫? ごめん、苦しかったね」
「ううん、大丈夫よ。……少なくとも私はね」
そう言いながら、シシィは顔を引きつらせつつ周囲を見回した。
単なる風圧でしかないはずのダンの一撃は、廊下と、その周囲にあったすべての部屋を巻き込み、遥か遠くの壁をぶち抜いていた。崩れた壁の向こうには、城の裏側に広がっていた森が見えている。
解放派の村で見た時よりも、遥かに聖剣の威力が上がっていた。そもそも魔王城はちょっとやそっとじゃ傷つかない造りになっているのだ。実際、百年前の魔王討伐の時でさえ、凄まじい死闘を繰り広げたにも関わらず魔王城は傷ひとつなかったのだから。さすがのダンも困惑したように聖剣を見下ろす。
「…………なんで?」
「たぶん、聖剣が本来の力を取り戻したからだと思うけど……」
それしか考えられない。だが、それにしたってこの威力はなんなんだ。シシィは半眼で聖剣を睨みつける。こんなに強いのならもっと早く本気になってほしかった。
そんなことを考えていたら、ことさら強い寒気に襲われてシシィがぞくりと身を震わせる。
「……っ寒……」
まるで、床から冷気が這い上がってくるかのような悪寒。尋常ではないシシィの震えに、ダンが慌ててぎゅっと抱きしめてきた。
「シシィ、どうしたの? 大丈夫?」
「ちょっと大丈夫じゃないかも……待ってね、いま自分の魔力を、操作、して……」
歯がガチガチと鳴るほどの寒気。ダンが体をさすってくれているが、ほぼなにも感じない。
シシィは目を閉じて、意識を集中させた。全身に満ち溢れている魔力を、少しずつ体の外へと放出していく。
この悪寒がなんなのか、シシィは薄々察してた。ただ、自分にそれが向けられる日が来るとは、今の今まで思っていなかったのだけれど。
「ダン、気をつけて。あなたの聖剣が覚醒したように、ヴェルザードの魔剣も覚醒したみたい」
「!」
創造と消滅を司る、魔剣ミスティルテイン。ヴェルザードを魔王として認めた魔剣であり、かつてはシシィにも懐いてくれていたが、さすがに今は完全なる敵として認識されているようだ。まあ、当然である。
現在、シシィは魔剣の遠隔攻撃に遭っていた。ミスティルテインは、対象者の魔力を奪う能力も持っている。奪うといっても吸い上げるようなものではなく、対象者に自ら魔力を捨てさせるのだ。ちなみに魔力を捨てない場合、対象者は凍え死ぬ。
ヴェルザードが命令したわけではなさそうだが、聖剣に意思があるように、魔剣にも意思がある。そしてあろうことか、聖剣よりも魔剣のほうが主人思いであるらしかった。勝手に魔王の敵を排除しようとするくらいには。
自身の魔力を放出することで、シシィの体にわずかな温かみが戻ってきた。抱きしめてくれているダンの体温を感じる。シシィはホッと息を吐きだして、しかしすぐに険しい表情を浮かべた。
「ごめんね、ダン。もしかしたら私、あんまり役に立てないかもしれないわ」
「え?」
「魔力を放出しないと凍え死にそうなんだけど、魔力を放出したらヴェルザードとまともに戦えるほどの力が残らないのよ」
そうしてシシィから魔剣の説明を受けたダンは、数秒置いてから首を傾げた。
「……それ、なにか問題があるの?」
「……え?」
「魔剣のせいで、シシィはあんまり魔力を使えないってことだよね? でも問題ないよ。僕はシシィに戦ってもらおうとは思ってないから」
シシィはダンがなにを言っているのかわからなかった。……戦ってもらおうとは、思っていない?
急に、シシィは足元が崩れるかと思うほど心細くなった。いつだってダンの隣いて、彼を支えてきたという自負があった。だからこそ、一緒に戦えないということは、シシィにとってはダンの隣という居場所を失ったことと同義でもあって。
ぶるりと身震いをする。魔剣のせいではない寒気と不安に襲われて、シシィの手がカタカタと震えた。
「シシィ……?」
「……ダン。私はもう、いらないの?」
「え?」
「だって、一緒に戦わなくていいだなんて、そんなの……」
まさか、こんな一番大事な場面で戦力外通達されるとは思わなかった。声が震えないようにするだけで精一杯だ。ダンの顔を見たら泣いてしまう気がして、シシィは顔を上げられなかった。そこでようやくシシィの不安を察したダンが、慌てたように「違うよ!」と珍しく声を張る。
「違うんだ、そういう意味じゃない。僕はただ――」
その時、魔導衛兵たちが再びわさっと現れて飛びかかってきた。反射的に応戦しようとしたシシィを押し留め、ダンが再び聖剣を振る。今度は先ほどよりも弱めに。
結果、魔導衛兵たちは今度もまた木っ端微塵になったが、先ほどとは違って粉微塵にはならなかったし、壁を壊すほどではなかった。全力を出さない勇者に聖剣はちょっと不満げにチラチラと明滅を繰り返すが、ダンは完全に無視している。というか、たぶん気づいていない。ダンにとっての聖剣とはそういう立ち位置でしかないからだ。なんとも世知辛い。
「……さっきの続き。僕はただ、シシィが戦えなくても今まで通りだって言いたかっただけだよ」
「……今まで通り?」
うん、とダンは頷いた。ついでに核を壊しきれずに復活しかけていた魔導衛兵にとどめを刺す。まったく、大事な話の最中なのだから黙っていて欲しい。
「だってシシィ、今よりもずっと魔力がない状態で、それでも僕を支えてくれていたでしょ? 今回もそうだよ。魔力があろうがなかろうが関係ない。シシィのことは僕が守る。だからシシィは戦わなくていいんだ」
シシィはようやく顔を上げた。そこにはマントのフード越しにこちらを心配げに覗き込んでくるダンがいた。心なしかおろおろしているようだ。
「ごめんね、シシィ。誤解させるつもりなんてなかったんだ。それに、シシィとヴェルザードを戦わせたくないのも本音。……むかつくけど、あいつはシシィにとって大事な従兄だから」
言葉を尽くして先ほどの言葉の真意を語るダンに、シシィは思わず笑ってしまった。
そうだ。なにを急に不安がってしまったのだろう。いつだってダンは誰よりもシシィを大事にしてくれているのに。
「そうね、ごめんねダン。あなたが私を置いていくなんて、あり得ないものね」
なにがあっても、シシィだけは誰にも譲らないダンなのだ。たとえシシィ以外のすべてを失っても、世界中の人々から敵意を向けられるようなことになっても、ダンはシシィだけは手放さない。仮にそれでシシィから嫌われることになってもだ。
愛する存在を、見返りなくただひたすら愛する。どこまでも身勝手で、どこか危うくて。でもそれがダンだった。
周囲に自分たち以外の気配がないことを確認してから、二人は再び歩き出す。魔導衛兵に関しては気配がほぼないのでわからないが、仮に現れても聖剣さえあれば大丈夫だろう。ただし、周囲のすべてを巻き込みかねないことを考えると、近くに味方がいない時に限るが。
それにしても、どうしてこんなに人気がないのだろう。シシィは訝しげに周囲を見回す。……本当に気配がない。こんなことはシシィが知る限り初めてのことだ。
一方、シシィの手を引いて歩きながら、ダンがなにかを思い出したようにふと彼女を見下ろした。そういえば、魔導衛兵が襲ってくる前にシシィがなにか言いかけていた。
『……ダン、あなたはもしかして……』
「ねえ、シシィ。さっきはなにを言いかけてたの?」
「え? ……ああ、あれは――」
だが、今度も最後まで言い終わらぬうちに、シシィがハッと顔を上げた。
――魔王城の下層。魔力炉のメンテナンス用通路に、誰かいる気配がする。エセルとフィル。そして。
「……どっちに来るかと思っていたけど、グロリアーナはエセルたちの排除を選んだみたい」
「へえ」
急にスンと真顔になるダンである。いっそ清々しいまでに関心がないダンの様子に、シシィがちょっと眉を吊り上げた。
「へえ、じゃないのよ。大丈夫かしら」
「あの二人なら大丈夫でしょ。早く行こ」
「あなたね、なにを根拠にそんな」
「だって、あの二人には綸言の秘薬を渡してあるし」
……数拍おいて、シシィは目を丸くしながらダンを見上げた。




