12. 魔王城潜入
翌日。
撹乱の帳を新しいものに交換したシシィは、ダンと一緒に『転送盤』の前に立った。
「……じゃあ、行ってくるわね」
「うん。二人が行ったらあたしたちもすぐに出るから」
今シシィたちがいる解放派の隠れ家から魔王城までは、徒歩で四時間ほどかかる。しかしさすがは魔工学が発展している魔界都市というべきか、移動に便利な『転送盤』が外縁部にもいくつか設置されていた。中心部に比べると圧倒的に少ないが、それでもないよりはずっといい。
シシィは転送盤を操作して、魔王城に一番近い転送盤を行き先として指定する。そのやり方をエセルとフィルも確認し、二人はあとで別ルートで魔王城へと潜入する予定だ。ちなみにシシィとダンは堂々と真正面から入城する。
「ダンさん、体の調子は大丈夫そうですか?」
「ああ」
「良かった。シシィさんがそばにいれば大丈夫なのはわかっていますけど、必要であればいつでも肉体固定術をかけるので言ってくださいね」
ダンとフィルの様子を眺めつつ、シシィはちょっと感慨深くなった。あのダンがシシィ以外と意思疎通することも、あのフィルがダンに気兼ねなく声をかけることも、旅を始めた当初は考えられない光景だったのに。
成長しているなと、そう思う。それはもちろんエセルに関しても言えることで、パーティ内では最年少である彼女は、この旅を通して随分と心に余裕が出てきたようだった。トラウマに対してうまく折り合いをつけられるようになってきたかもしれない。
なら、自分はどうなのだろうか。シシィは一人考え込む。
この四人の中で最年長でもある自分は、果たしてこの旅の中で成長したのだろうか……。
「……シシィ?」
「え?」
不意にダンがシシィの顔を覗き込んでくる。思いがけないその近さに、シシィは反射的に一歩下がった。しかしそれが嫌だったのか、下がったぶんだけダンが距離を詰めてきた。
「すごく難しい顔してる。なに考えてたの?」
「大したことは考えてないわよ。ただ、みんな成長したなって」
「本当にそれだけ?」
「そうよ。他になにを考えていると思ったの」
「……ヴェルザードのこととか」
どうやらダンにとってヴェルザード問題はかなり根深いものらしい。シシィは呆れた顔をした。単なる従兄だと言っているのに、どうしたらわかってもらえるのか。
しかしエセルとフィルはダンの気持ちがわかるらしく、後ろでコソコソと「ダンさんが嫉妬してる」「これは仕方ないです」などと話していた。後ろといっても距離は近いので丸聞こえだが。
シシィはダンに向き合った。そろそろ魔王城へ行くべきだとわかっているが、ヴェルザードに会う前に、ダンには釘を刺しておく必要があった。
「ダン」
「?」
「世界で一番大好きよ」
ダンの心に不安を残しておけば、ヴェルザードに付け入られる隙ができてしまう。実力的にも条件的にも互角であるのなら、あとは心理戦がものを言うだろう。
数拍おいて、ダンの目がカッと大きく見開かれた。かと思いきや、手加減なしで全力で思い切り抱きしめられる。シシィは本気で背骨が折れるかと思った。
「僕もシシィのことが大好きだよ。世界で一番好き。誰よりも大好き」
「ええ、ありがとう」
「どんな姿でも、どんな立場でも。その声も、視線も、髪の先まで、シシィの全部が大好き」
「……そ、そうなのね。照れちゃうわね」
「ヴェルザードになんか、絶対に渡さない」
シシィは気が遠くなった。照れや恥ずかしさなどではなく、普通に圧死しかけたのである。気づいたフィルが大慌てでダンからシシィを引き離してくれなければ、決戦前に危うく気絶するところであった。
そんな余計な一幕がありつつも、改めてシシィとダンは転送盤の前に立つ。そして座標を確定して、今度こそ魔王城前へ転送を開始した。
「――――」
内臓が、ぐるんとひっくり返ったような心地になる。転送盤を使ったのはそれこそ百年ぶりだが、こういうところはてんで改善されていない。魔導衛兵がしゃべるように改造するのであれば、むしろこっちを改良して欲しかった。
しかし、転送自体はあっという間だ。酔う間もなく、二人は魔王城前の転送盤の前へと降り立つ。慣れていない者は尻餅をつくだろうが、少なくともシシィとダンは綺麗な姿勢で着地した。
勇者と聖魔女の登場に、魔王城前にいた正規兵たちが一斉にざわめき始める。
しかし、三日前の魔王の宣言はすべての兵士たちが聞いており、だからこそ警戒はされても止められることはなかった。明らかに魔王の敵対者である二人だが、それ以上に魔王の命令は絶対なのだ。
そうして二人は、真正面から魔王城の中へと足を踏み入れたのだった。
◆ ◆ ◆
シシィとダンが消えたあと、エセルとフィルも転送盤の前に立っていた。
「……よしっと。フィル、大丈夫? いけそう?」
シシィからもらった鋼鉄のシルク製のポンチョを着て、エセルがフィルを振り返る。同じものを着たフィルが頷いた。
「大丈夫です。結果論ですけど、これポンチョ型で良かったですよね。荷物ごとすっぽり覆われますし」
「ね。サイズを測っていないからって言ってたけど、むしろこれで良かったよね」
二人は深くフードを被って、全身の気配を曖昧にする。魔王が言っていた猶予期間は今日で終わり。そしてシシィとダンが魔王と対面した瞬間、魔力監視網は復活することになるだろう。鋼鉄のシルクや撹乱の帳を使わなくては、すぐに居場所を知られてしまう。
ポンチョのフードを被りつつ、エセルとフィルはどちらともなくダンの姿を思い出した。なんだかんだで寝る時以外は絶対にマントのフードを脱がないダンだったので、二人が明るい場所で彼の素顔を見たのは、裂魂の荒野が初めてであった。
魂を揺さぶる風が吹き荒れ、あの時のエセルとフィルは自分のフードが脱げないよう必死だった。下手にこの風を浴びたら気が狂うからだ。だが、強風に煽られてダンのフードが脱げた時、思わずフードを押さえていた手が緩みそうになった。思い出したエセルが乾いた笑いを漏らす。
「ダンさんの顔ねえ……別に予想外ではなかったけど、あれはびっくりしたよねえ」
「普段からチラ見えしている部分だけ見ても、圧倒的な美貌でしたからね。確かにあれはフードを被っていないといろいろ面倒でしょう」
深い翠眼と、くせのない黒髪。彫刻のように整った面差しと、野生動物を思わせるしなやかな体躯。シシィを見つめるときだけ薄い唇が緩み、圧倒的な美青年から少年のような雰囲気へと変化する。
「というわけでフィル」
「なんでしょう」
「あたしはこの魔王討伐戦を生き残り、シシィちゃんとダンさんの結婚式に参列することを目標に奮戦することを誓います!」
突然の宣誓にフィルは一瞬きょとんとしたが、壮大な目標があるのはいいことだ。はたから見れば微妙な目標かもしれないが、エセルにとってはかなり重要な目標であることはわかっていた。
仮にあの二人が結婚するとして、運悪く式に出席できなかったら最後、事あるごとに「もう一度式を挙げて!」とか言って一生付き纏ってきそうなエセルである。
「それじゃあ僕は、エセルさんの目標が無事に達成できるよう、三人を全力で支援することを誓います」
エセルの目標は、エセル自身はもちろん、シシィとダンも無事であることが大前提だ。だからこそフィルは、持てる力のすべてを駆使して彼らを支援することを誓う。
戦闘能力がないとしても、できることが一つもないというわけではない。魔界都市までの旅の中で、フィルはその事実を噛み締めていた。シシィもエセルも、そしてあのダンですらフィルを頼りにしてくれた。それがどんなに嬉しかったか、きっと三人は知らないだろう。
エセルとフィルが転送盤の座標を確認していた時、後ろから「待ってください!」とグェンが駆けてきた。
「良かった、間に合いました……!」
「あれ、どうかしましたか?」
息を切らしたグェンにエセルが首を傾げる。確かグェンたち解放派の面々も、それぞれシシィから任務を言い渡されていたはずだが。
二人に追いついたグェンはポケットから何かを取り出した。赤い宝石のネックレスと、青い宝石のブレスレットだ。
「こちら、母からです。ネックレスはエセルさんに、ブレスレットはフィルさんにだそうです」
手渡されたそれを、二人はまじまじと見つめる。よく見れば、宝石の中央部分が炎のようにゆらゆらと揺らめいているのが見える。ただの宝石ではなさそうだ。
「これは……?」
「魔力を持つ解放派の者たちが、それぞれ少しずつ魔力を込めた結晶です。色が違うのは効果が違うからで、エセルさんの赤い結晶はおもに攻撃力特化に効果があります。そしてフィルさんの青い結晶はおもに防御力特化に効果があります」
なんとそんなことができるらしい。なんとなくエセルは、これをシシィの雑貨屋の商品にしたらバカ売れするのではないかと思った。
「ただ効果は限られていて、込められた魔力を消費するたびに結晶の色が薄くなっていき、最後には透明になって割れてしまいます。乱発はせずに、使うタイミングを見極めてください」
「わかりました。ありがとうございます」
グェンの母であるアロンドラは、魔界都市には来ていない。解放派の村の拠点を移したばかりなので、そちらの仕事が忙しいようだ。
それでもこうして支援してくれることがありがたくて、魔王討伐が終わったら、もう一度アロンドラに会いに行こうとエセルは新たな目標を立てた。目標が増えれば増えるほど、生き残らなければという意志も強くなる。エセルは隣にいたフィルを見上げた。
「行こう、フィル。シシィちゃんたちの援護に向かおう」
「はい。グェンさん、本当にありがとうございます。解放派の皆さんがいてくださって心強いです」
「こちらこそ。どうかご武運を。我々解放派も微力ながら支援させていただきます」
グェンに見送られて、エセルとフィルは今度こそ転送盤を起動させた。行き先はシシィたちが向かった魔王城前ではなく、もう少し離れた場所だ。魔導衛兵たちの巡回を躱しながら、シシィたちとは別ルートで魔王城に潜入しなければならない。
そうして二人は内臓がひっくり返りそうになりながらも転送を成功させ、尻餅をつきつつ目的地へと移動した。
「……い、ったたた……ちょっとこれ、もう少しどうにかならないのかなあ」
「大丈夫ですか、エセルさん」
「あ、ありがとフィル」
フィルが差し出してくれた手を借りて立ち上がりつつ、エセルはきょろきょろと周囲を見回した。
魔王城の裏側。正門とは反対の位置にある、表に比べたら格段に人気の少ない場所だ。見つかる前にと、とりあえず二人は近くの茂みに身を隠す。
「ええと、シシィちゃんの話によると、そろそろ巡回の魔導衛兵たちが来るんだよね?」
「はい。そして彼らが魔力炉のメンテナンス口に入ったら、その機会に乗じてそこから魔王城内部に潜入します」
今頃シシィとダンは、魔王と対面しているのだろうか。あるいはまだ城内で別の敵と戦っていたりするのだろうか。離れているからかもしれないが、現時点では激しい戦闘が繰り広げられている音は聞こえない。
しばらく様子を見ていると、やがてシシィが言っていた通り魔導衛兵たちがぞろぞろやってきた。三体いる。すぐにでも攻撃したい気持ちを抑え、二人は気配を殺しつつ魔導衛兵がメンテナンス口を開けて中に入っていくのを見届けた。そして。
「せいっ!」
掛け声と共に、エセルが魔導衛兵たちの核を一気に壊す。まずは一体、それから間髪入れずに残りの二体も。エセルの矢は魔導衛兵だけを追跡するので、矢が飛び交う中フィルは恐れずに走り出した。せっかく開いたメンテナンス口の扉が閉じてしまったら台無しだ。
こうしてフィルが半開きになっていた扉に滑り込んでエセルを待ち、魔導衛兵を見事に仕留めたエセルが駆け込んで来てから素早く扉を閉めた。二人は思わず安堵の溜め息をつく。
これで第一関門は突破した。次はこのまま魔力炉の中を通りつつ、シシィに指示された通りの場所にある扉を探して外に出なければならない。
フィルはポンチョの中に隠していた『消えぬ灯火』取り出した。千時間は消えぬこのランタンは、旅の当初からずっと火が灯ったままだ。それで『退魔の香木』を焚きしめながら、エセルと並んで暗い通路を歩き出す。
途中で小さな魔物の声が聞こえたような気もしたが、退魔の香木のおかげで変なものは近寄ってこない。しかし気を抜くわけにはいかなかった。魔物は撃退できるとはいえ、退魔の香木は魔導衛兵や魔族を退けることはできない。だから。
びゅ、と風を切る鋭い音がした時に、フィルは反射的にエセルの頭を庇うようにして地面に伏せた。
「なっ……」
「ううう、やっぱりねえ。シシィちゃんの言っていた通りだったねえ」
エセルが引きつった声を漏らす。ランタンで照らし出されたのは、見覚えのある大斧だ。
コツ、と誰かの靴音が通路に響く。
「ごきげんよう、裏切り者のお仲間さんたち。そしてさようなら。お兄様の敵は、たとえ蟻だろうと排除するわ」
この上なく美しく、上品に、そして可憐な笑みを浮かべて。
魔王の妹であるグロリアーナが、これ以上ないほどの殺意をたたえてエセルとフィルの前に立ち塞がっていた。




