第92話 『意義を持つもの』
「ごめんなさい、みんな。エルに、パンドラを倒すほどの力は、ない。掌握できる権能はこのひとつだけ……それも、たぶん、パンドラに比べれば出力で劣る。もっと力になれるかと、思ったけど……」
「いいや、最初っからエルに丸投げしようだなんて思ってないさ。これでも充分に強力だ」
「そうだね、あれだけのモンスターの動きを止めるくらいだ。そこいらのユニークスキルの範疇は超えている。鎖の本数はまだ増やせるのかな?」
「んー……30本くらいまでなら、出せる。それ以上は、古い順に、消える」
「さ、さんじゅうもっ!? ええーっ、エルすごい! それならどんなモンスターもへっちゃらだよ!」
申し訳なさそうに顔を伏せるエルに駆け寄り、その手を取るノゾミ。
エルはびくりと肩を震わせ、金色の目をしばたたかせる。
「当初エルの協力に反対していた身としては手のひらを返すようですが、凄まじい力です。バベル攻略はもとより、パンドラとの決戦でも頼りにしたい。改めて、力を借りてもよろしいでしょうか、エル」
「ほ——ほんと、に? わたし、役に立てる? みんなの仲間に——一員になれる?」
不安げに揺れる瞳。健気な少女を安心させるように、ノゾミはぎゅうと強く抱きしめた。
「大丈夫だよ。初めから、エルはわたしたちといっしょだから」
「あ……」
その言葉はなんらかの琴線に触れたのか。黄金の目が潤み、まなじりに涙が溜まる。
エルの手が控えめにノゾミの背に触れ、やがて、熱を求めるように抱き返した。
「……ありがとう、ノゾミ」
「もういいの?」
「うん。エルはもう、救われた」
しばらくして、エルは自分から身を離す。少し恥ずかしそうに笑っていたので、アレンは驚いた。
赤らんだ頬はノゾミの体温が移ったせいか、それとも彼女自身の感情のせいか。
ほとんど表情を見せないのが常のエルにしては、こうも笑みを浮かべていること自体が珍しい。けれどアレンを驚かせたのはそれ以上に、その笑顔が自然で、とても人間らしかったこと。
普段のエルが非人間的、それこそNPCのように不自然的というわけではない。
だが、いつもの人形じみた表情と比べれば、今のエルはずっと等身大の少女のように見えた。
「結局、キミが正しかったわけだ」
「ユウ?」
周囲に聞こえないくらいの声量で、ユウはアレンに話しかける。
どこかあきらめたような。それでいて、爽やかなものを感じさせる声音。
「記憶が欠落している以上、あの子の目的とやらがなんだったのかはわからずじまいだ。けれどあの顔を見るに、少なくとも願ったことのひとつは、もう叶ったんじゃないかな」
「どういうことだ?」
「いや、なに。僕が会った『前回』のパンドラは終始気だるそうで、やる気のないように見えた。たぶんそれは本当のことで、管理者の役割なんて捨てたくて仕方がなかったんじゃないかな。本当は……むしろ、僕たちの——転移者の側に立ちたかった」
ちらちらと降り、積もっていく雪の白色は、忘失を思わせる。
すべては廃棄物の闇に消えた。『前回』の管理者がどのような思惟、どのような志を持っていたのかなどわかりはしない。
だからその推論の正しさを保証するものもなく、それは根拠の足りない想像に過ぎない。
けれど——
「だとしても、『前回』の管理者は役割に殉じた。そうでなければ『今回』は発生しないからな。一体どうしてだ?」
「……さあ、どうしてかな。管理者の気持ちまではわからないし、僕の考え自体、的外れなのかもしれない。でもそれでもあえて、ひとつ理由を立てるとすれば」
もったいつけるなよ、とアレンは視線で先の言葉を促す。ユウはうなずき、ちらりとエルの方を見る。
忘失の上に立つ少女は、失った痛みなど感じないかのように、新たに得たものを慈しんで微笑む。
「目的を持って生まれた者は、役割を以て自己を成す。そういうものなんじゃあないかな」
「余計にわからん……なんの話だ。目的も役割も同じじゃないか?」
「ハハ。ま、似たようなものだ。でも視点が違うんだよ。ともかく、『前回』の管理者は役割を捨てなかった。それはそうするしかないという強迫観念に似たものなんじゃないかと、僕は思う。けれど同時に、誇り……矜持とも言える。そうも思うよ」
「矜持、ねえ? 正直ピンと来てないけど」
「きっと僕たちにはわからない感情だ。僕たちは、わけもなく生まれてくるものだからね。それよりも言祝ぐべきは、役割を全うしたそのあとだ。エルちゃんが『今回』に現れたということは、新たな目的を得たということだからね」
「——ああ。少しだけ、理解した。俺たちは後天的に目的を得る。そしてエル……『前回』の管理者もまた、そうだったってことか。なんだ、ノゾミのやつそこまでわかって言ったのか? そんなわけないか」
「どうかな。ああ見えて案外鋭いところもある。キミの方がそういうの、知ってるんじゃない?」
「ん、それは……まあ」
いつも明るいノゾミだが、周囲のことを考え、時には思い悩む姿をアレンは見ている。そしてノゾミの懊悩を通じてアレンもまた、この箱庭の実像を知ったのだ。
おそらくは『前回』のアレンや、ネームレスが『アレン』だった時にはなかった、得がたい出会い。
旧友と然るべき決着を付け、ユウや〈サンダーソニア〉の面々とも友好な関係を築けたのは、遠因的にはノゾミのおかげと言えた。
「アレン! 見て、エルが笑った! きゃぁーっ、すっごくかわいい……あっ、元の顔に戻ってる。ねえエル、さっきのお顔して?」
「んー……? エルは、ずっとこの顔。なぜならアバターの見た目を変更するような権能は使用できない」
「表情の話だよぉ! えーっ、またエルの笑ったところ見たいなぁ。ほら、にこってしてみて? にこーっ」
「……にこー」
「真顔! ぜんぜん真顔だよそれっ!」
やいのやいのと騒いでいる姿からは、あまり想像のできないことでもあったが。
「エルの笑顔なら見たよ。バベルの中なんだから、ノゾミもあんまり遊ぶんじゃないぞ」
「むー、なにその子ども扱い。アレンの方がちっこいくせに」
「ちっこいのはアーカディアの中だけだ!」
「そんなこと言って、実は現実でもお子さまなんじゃないの?」
「んなわけあるか! 現実の俺は……それはもう筋骨隆々、上背もあって、こんなちんまりボディとは全然違うんだからな!」
「それは嘘だよね?」
「そりゃないよねぇ」
「嘘ですね」
「なんだよみんなして寄ってたかって……!」
総ツッコミだった。ノゾミとユウはともかく、シンダーはプロゲーマーのアレンを知っていたので、ひょっとすればネットの大会配信などでアレンの顔を見たことがあったのかもしれない。
最近はオンラインの大会でも、不正防止のためにWebカメラで顔を映しながらプレイをすることがルールで定められていたりする。
「アレン、かわいそう」
「くっ……慰めがかえって傷口にしみる!」
エルに同情され、うなだれる。そんなアレンを見てノゾミたちはくすくすと笑う。
和気あいあいとした、いつもの光景といった様相に、バベルの中とは思えない和んだ雰囲気が場を包む。
そのままアレンたちはしばし歓談を続けていたが、「あのー」と何者かが控えめな声を上げる。
懸命に周囲の警戒を続けていた、シグレだった。
「あのモンスター、そろそろ倒してしまってもよいのでは……」
「……あ」
誰もが、忘れていた、という風に動きを止める。
エルが鎖で動きを止めたモンスター。一同の視線がそちらへ向く。
『関数殺し』の効力は健在で、そこには先ほどとなんら変わらぬ姿の巨大モンスター。
「ブモォー……」
真っ黒い拘束で四肢をつながれた獣は、一度だけ、寂しげな鳴き声を上げたのだった。
*
結果として、エルが有する権能はパンドラのそれに匹敵するものではなかったものの、唯一使用できた『関数殺し』はバベル攻略、ひいてはパンドラとの対決に十二分に役立つと思えた。
さらには『スクワッド』の面々はFPSゲーマーだけあって戦闘面は優秀、アレンとの連携も問題ない。
そうして新たな仲間を迎え、第79層は危うげなく攻略完了。
次の第80層はボス部屋だ。勢いで軽々に踏み込むのは危険が大きい。立てこもりの一件でバベル入りが遅れたこともあり、その日のバベル攻略はここまでとなった。
「アレン、おやすみー」
「ああ、おやすみ。明日はボス部屋だから夜更かししちゃダメだぞ」
ということで、夜。部屋に戻ったアレンとノゾミは寝支度を整え、いつものように各々のベッドに入る。
流れでズルズルと続けている相部屋もすっかり慣れ、アレンはもはやなんの感慨もなく就寝の挨拶を交わす。
たまに、四日に一回くらい、『男女なんだし今からでも部屋分けた方がいいよなぁ』なんて考えも頭をよぎるのだが、幸か不幸かノゾミの方にそういった意識はまるでない様子なので、なんだか面倒で気付いたらそのままになっていた。




