第80話 『王冠の誘い』
「——ここまでかな。宿題、結構進んだんじゃないか? そろそろ疲れただろう。俺たちはもう行くから、みんなも一度休憩にするといい」
「わ、もうこんな時間。そうだね、わたしたちはもう行かないと」
「あっ……わかりました。すみません、お忙しい中」
「いいよー。子どもが遠慮なんてしちゃだめなんだから。たっぷり頼ってね、システム的には加入してないけど、わたしもアレンももう〈サンダーソニア〉のギルドメンバーみたいなものなんだし」
小一時間ほどしたところで席を立つ。申し訳なさげなミソラの頭をなでているノゾミを横目にしていると、アレンのそばにもサクとエルが寄ってきた。
「アレン……ありがとう。おかげで……今回は……シンダーの雷を落とされずに、済む……」
「普段は落とされてるんだな……。そうか、それはなによりだ」
文字で埋まったノートを見せ、むふーと自慢げに胸を張るサク。もしこれをやっていない場合、母親のようにサクを叱るシンダーの姿が目に映るようだった。
「アレン。今から、シンダーたちと話す、の?」
「……エル?」
袖を引っ張られ、そちらへ視線を移すと、すぐ近くにエルの顔があった。
丸い、夜空の月のような黄金の瞳。髪こそ灰の色に染まり、一度廃棄物の海へと落ちた代償としてその影響を浴びてはいるが、瞳の輝きだけはなんら損なわれていない。
その黄金こそアーカディアを管理する者の証だ。単なるNPCとは大きく区別されるべき特権を有する、いわばこの継ぎ接ぎの箱庭における、王のような存在の——
「アレンたちは今バベルを、進んでる。そうだよ、ね?」
「まあ……そうだな。隠しててもこれだけ連日ギルドハウスに来てたらわかるよな。それとも、ユウにでも聞いたのか」
「ユウ? ううん。あの男の人は、孤児院には来ない」
「なに?」
アレンは思わず、ミソラとサクの方を見る。ふたりは顔を見合わせ、うなずいた。
「エルの言う通りです。少なくとも、わたしは孤児院でユウさんを見たことはないですね」
「同じく……。外にいると、ギルドハウスに入っていくのは……見かける。だけど……こっちには来ない」
「なんだよあいつ、薄情者だなぁ。そうだったのかよ」
ふたりの返事に、呆れたと肩をすくめる。てっきりユウも、自分やノゾミと同じようにエルたちの様子を見に来ていると思っていたアレンだったが、違うらしい。
「ユウさん、シャドウとの戦いだとタンク役を引き受けてくれてるから。疲れたんじゃないかな」
「あいつがそういうタマか? あのカフカのチェーンソーでぶっ刺されてもヘラヘラしてたようなやつが……」
「エルは、森で目が覚めてから、ここでお世話になっている。みんな……ミソラもサクもマチも、出自のわからないわたしを受け入れて、優しくしてくれてる」
「……エル?」
エルはさらに身を寄せ、もどかしい思いをなんとか形にするように、たどたどしい口調で言葉を紡ぐ。いつも自己主張の乏しいエルが、初めて自分からなにかを求めようとする姿にアレンは半ば呆気にとられた。
「エルも——なにか、役に立ちたい。立てる……バベルでならエルは、わたしは、きっとみんなの役に立てる、はず」
「俺たちのバベル攻略に加わりたい、ってことか?」
「ええっ、そ、そんなの危ないです! 子どもがモンスターと戦うなんて駄目だって、リーダーもいつも言ってます!」
「ミソラの……言う通り……危険。特に……みんなの攻略する最前線は、ティラノみたいな……ううん、あれよりも危ないモンスターが……たくさんいる」
「でも……」
常日頃、シンダーから強く釘を刺されているのだろう。モンスターは危険だと、孤児ふたりはエルに詰め寄る。
エルは助けを求めるように、アレンを見た。
(——さて、どう答えたものか)
不自然にならない程度の沈黙。表情を変えぬまま、裏側で『鷹の眼』が思考する。
自ら協力を望んでくれた。『あのこと』を実行に移すのなら、申し出自体は願ってもない。
しかし、まだ早い。現時点ではしがらみがある。
可能になるのはユウが棚上げしている問題を解決してからだ。せめて明日以降の、シャドウ組と合流したタイミングでなければ。
思案の末、アレンは答えた。
「いいや、駄目だ。みんなの言う通り、バベルは危険だからな」
「だけど、エルは」
「駄目なものは駄目だ。みんなの役に立ちたいってのは殊勝だが、俺たち大人に任せること。そんで、エルは大人しくしてる」
「——っ」
「いいな?」
エルはむくれた顔でアレンを見つめる。子どもらしい頑なさがにじむ、いかにも反抗的な所作。
「……アレンだって、子ども。エルと、同じ」
「見た目だけだ! いいか、何百回でも言ってやる、見た目だけだ!」
「そ、そんなにムキにならなくっても。そっちの方が子どもっぽいと思うなぁ、わたし……」
アレンが念押しすると、エルは不承不承といった様子でうなずいた。
この場を収めるため、仕方なしにやっただけだ。きっと心の内ではとても納得などしていないに違いない。
——ああ、これでいい。これが最善のはず。
「さあ、行くぞノゾミ。遅刻したらみんなに迷惑だ」
「あっ、ちょっと! もう、アレンってば……ごめんねエルちゃん、アレンも心配だから言ってるの」
孤児たちへの挨拶もそこそこに、アレンは孤児院を出る。もう間もなくミーティングの予定時刻だ。足早にギルドハウスの方へと赴く。
「……くそ。自己嫌悪だな」
そして背中越しに追いかけてくるノゾミの足音が追いつくより先に、そう一言だけつぶやくのだった。
*
ミーティングは特に何事もなく、滞りなく済んだ。
シャドウ組とバベル組に別れて行動をする最終日ということで、シャドウによる被害が想定よりも大きいだとか、予定よりバベルの攻略が進んでいないだとか、そういったイレギュラーを予期して事前に取り決めていた。
しかし、蓋を開けてみれば結果は順調そのもの。アレンからすれば麻痺したり凍ったり石になったりと散々な数日間だったが、スケジュールに遅延はなく、大局的には上々だ。
シャドウ組の動向についてもアレンは既に知っていた。同じ部屋で寝泊りしているのだから、ノゾミからおおよそのことは伺える。
積極的にバベル攻略に参加しない町の転移者たちも、バベルの狩り場からモンスターが枯渇し、ある意味尻に火が付いたことで手を貸してくれているのだという。第100層を目指すプランは、滞りなく進んでいる。だが——
(——これはあくまで、第100層に行くための……パンドラに挑むための前段階に過ぎない)
現状の最前線が第78層であるからして、アレンたちは80層のボスモンスターや、それ以降の階層攻略についても考えなければならない。
しかしそれでも、最終的な目標はあの超越的な管理者、パンドラなのだ。
バベル攻略がうまくいっているからといって——否、うまくいっているからこそ、今のうちにパンドラに対する手立てを得なければならない。
(明日からはシャドウ組とバベル組で合流する手筈。だったらお前も、そろそろ誤魔化すのは止めにするんじゃないのか)
ギルドハウスの応接間。特に議題に挙げるべき問題もなく、シンダーの仕切りで今日は解散となる。昼食を挟んで昼下がりに、シャドウ組とバベル組で別れての最後の仕事を始めるのだ。
そうして、皆が席を立つ。アレンを除いて。
いや、アレンだけではなかった。鷹の碧眼が見据える先にもうひとり。
「待っててくれるなんて気が利くね。キミもずいぶんと、僕のことをわかってきたみたいだ。気持ちが通じ合うっていうのかな」
「気色の悪いことを抜かすな。……そら、立てよ。話があるんだろ」
「ああ、そうとも。話をしよう。僕たち転移者の行く末を左右する、大切な話を」
ユウは深々と座っていたソファから身を離し、立ち上がった。声色は硬く、ただし表情は普段と同じ軽薄さ。
わかったようで、わかっていない。この男の肝心なところは不明なままだ。
そう、アレンは何気なく思った。
「とはいえよそ者がふたり、ここで話し続けるのもよくないだろう。外に出ようか」
「別に、シンダーは気にしないと思うけどな。ここまでギルドハウスに入り浸ってて、今さらだし」
「それでも僕たちは正式な〈サンダーソニア〉のメンバーじゃない。筋は通すべきだ。人が来るかもしれないしね」
「まあ、そりゃあそうだけどさ。お前ってヘンなところで律儀だよなぁ」
「ルールを守るのが僕のモットーでね。楽しいデュエルはルールを守ってこそ、だよ」
「いや、俺カードとかやんないし……」
カードゲーマーとしての矜持かなにかなのだろうか。あいにく、カードではなく銃を手にしてきたアレンには共感のできない話だった。もちろんゲーマーとしてルールを守る大切さ自体は身に染みているが。
アレンとユウはギルドハウスの建物を出て、人気がないことを確認し、孤児院の陰に入った。
「いかにも内緒話って風情の場所だな。もう少し腹を割って話せそうなところはないのか?」
「この辺りはギルドハウスが密集したエリアだ、入れるような店はない。高級なレストランなんかはあるんだけど、それはそれで雰囲気合わないでしょ? ま、長く時間をかける気はないから安心してよ。お互いまだ今日はひと仕事残ってるんだ」
ひと仕事、というのはアレンは第79層の攻略、ユウはシャドウ狩りのことだろう。
陰の中で。ユウは笑みを消して、本題を口にした。
「パンドラを倒すために、『クラウン』を顕現させたいと思ってる」




