第71話 『箱底のエルピス』
「そんなことより、なにをそんなに急いでたんだ? まさかまた新手のシャドウか?」
「あっ、そうだった、ユウさんを待たせてるんだった。シャドウ……かどうかはわかんないんだけど、ちょっとこっち来てくれる? シンダーさんたちも」
「只事ではなさそうですわね。伺いましょう」
「できれば戦闘はもうこりごりですがね。ま、見てみないことにはなんとも」
念のため武器は出したまま、アレンたちはノゾミの案内に従う。
歩きながらの説明では、『ゴーストエコー』を使った後、作戦上の役目を終えたノゾミとユウは念のため周囲の警戒をしてくれていたらしい。
「そこで、あの辺りに『ゴーストエコー』を使ったんだけど……あ、ユウさん。みんなを連れてきました」
「全員無事みたいだね。よかったよかった」
「ユウ。なにか見つけたのか?」
「そうだね、百聞は一見に如かずだ。ノゾミ君、もう一度ユニークスキルを頼めるかな?」
「はいっ。『ゴーストエコー』!」
「これは……!?」
手をかざし、再度のユニークスキル発動。そうして現れ出たモノに、アレンやシンダーたちは息を呑んだ。
既にシャドウたちは失せ、周囲には生命のない森の冷気だけが満ちている——
そのはずだった。が、しかし、繁茂する植物の中を白い実線が精査すると……十五メートルほど先の地面のそば、ちょうどひときわ太い樹木の根元に身を横たえるようにして、何者かのシルエットが浮かび上がったのだ。
「誰か、いる。こんな場所に?」
「こいつぁ……シャドウですかね?」
「さあ。だけどこんな場所に転移者がいるなんて考えにくい。万が一シャドウで、目が合った瞬間に襲われる——なんてコトも十分にありえるんで、こうしてみんなを待ってたってわけ」
シャドウたちの挙動は個体によって様々だ。ぐずぐずになってしまった記憶、ばらばらになってしまったデータの断片から、日常的な習慣や執着を部分的に再現しているのだろう。
警戒して近づかないユウの判断は賢明と言えた。
「そうだな、こんな森深くに好き好んで入る転移者なんて……。いや、そういえば俺も転移直後はこの森で目を覚ましたな。新規の転移者って可能性はないのか?」
「それはありえないよ。転移者が転移する順番は決まっている。アレンちゃんより後に転移する人間はいない」
「え? ……そういえば、俺、アーカディアのサービス開始直後に始めたはずなのに、ノゾミ曰くかなり遅い転移だったな」
「うん、初期の人たちと比べて半年くらい遅かったよね、アレン。わたしも会った時はびっくりしちゃった、まだ転移って終わってなかったんだって」
「俺より後に転移する人間はいない……俺が最後だってことか? ユウ、なんでそんなことがわかるんだよ」
「それはもちろん、『前回』のループで最後にゲームオーバーになったのはアレンちゃんだったからね」
「——」
そうだった、とアレンは自身の間抜けさに苦々しい表情を浮かべる。
主観的にその感覚はなくとも、この世界は65536回目なのだ。ならばアーカディアのサービス直後にゲームへ参加したとしても、それは第一回目のループの話であり、今回には微塵も関係がない。
「つまり、ひとつ前のループでゲームオーバーになった転移者順に、次のループでは目を覚ますのか?」
「僕が見た限りそういうことみたいだ。ああ、僕はそもそもクラウンで強化した『糠に供犠』で世界の崩壊自体に巻き込まれなかったんでノーカウント、そもそもゲームオーバーにはなってない」
「……で、『前回』の俺はお前を除けば転移者最後の生き残りだったってことか」
「思ったよりは驚かないね。結構ショッキングな内容だと思うんだけど。それとも疑っているのかな?」
「実感がない、ってとこだ。だがゲームオーバーの順番はゲームオーバーレコードが記録している。あれが次のループの転移順に参照されているっていうのは、それなりに筋が通っていると思う」
墓碑にも似た、あの奇妙な円盤状のオブジェ。その表面にはゲームオーバーになった転移者の名が記され続けている。確認こそしていないが、マグナやカフカの名もそこにはあるのだろう。
ノゾミは「あれ? じゃあ『前回』のわたしは最初期にゲームオーバーになってたってこと?」と気付かなくていいことに気付き、勝手にショックを受けていた。
「ここで言っていても始まりません。鬼が出るか蛇が出るか、確かめてみましょう。なに、もしもシャドウであっても恐れるには値しません。ノゾミさまの『ゴーストエコー』で見えたのはたったのひとりなのですから」
「そうだな。よし、ユニークスキルの効果が切れる前に確認しよう。SPだって無尽蔵じゃないんだ」
「わたしのは消費SPの軽いタイプだから、まだ平気だけど……そうだよね、のんびりしてるとまた別のシャドウがやって来ないとも限らないんだし!」
——だからこそ、ずっこけて時間を無駄にするような真似は控えてほしかった。
とは言わないのがアレンの優しさだった。
アレンを先頭に、木の根本にいる何者かへと近づく。〈デタミネーション〉におけるアレンの役割はフラッガー、敵地へのエントリーを担う切り込み役。一番前を務めるのは慣れたものだ。
(……なんだ、近づいてみれば……やけに小さい。子どもの体躯だ)
草木をかき分け、『ゴーストエコー』で明らかとなった人影へと近づく。
五メートルほどの距離。それは体を折りたたむようにして、地面の上に倒れているらしかった。だが、体勢のせいで正確な身長こそよくわからないものの、どう見ても大きくはない。アレンとさほど変わりはすまい。
そのシルエットがいるのはひときわ大きな樹木の裏手。アレンは念のための警戒を欠かさず、アレンの胴体より二回りほど太いその幹を回り込む。
果たして、そこにいたのは倒れる少女の姿だった。
「やっぱり子ども……、——ッ!?」
白と黒の中間、灰色の髪をした女の子。冷えた地面に寝そべるように倒れている。
しかしアレンが驚いたのはその姿に対してではなかった。灰の髪はアーカディアでも珍しいが、裏を返せば珍しい程度のもの。類似した転移者はいよう。
驚愕はその髪色に対してでも、身を横たえて目を閉じる顔のいとけなさに対してでも、森の中には似合わない黒いドレスのような服に対してでもない。
その——名前に。
距離が近づいたことで視認できるようになった、少女の頭上に浮かぶ、転移者IDにこそ驚いたのだ。
「アレン? どう? どんな感じー?」
背後から緊張感のない様子で、ノゾミがひょいと覗き込む。
「——女の子? シャドウじゃないね。転移直後……でもないんだとしたら、一体どうしてこんな場所に?」
「みんな、IDだ。油断しない方がいい。どう見てもふつうじゃない」
「ID? これは……!」
「……おいおいおい! こいつはなんだってんだ? 見たことないぞ、こんなの」
シンダーたちもその少女を前にし、驚きを隠せない。
それもそのはず。少女のIDは、判別不能だった。
——『■■■■■■■』。頭の上に浮かぶ表示は、真っ黒に塗りつぶされ、とても解読など不可能。
ネームレスやシャドウのように、初めからIDのない存在ではない。彼女はIDを持ちながら、それが壊れている。他に一切類似のない、一目でわかる異常さだった。
「——」
ある種、シャドウ以上の奇怪さ。アレンは固唾を呑み込み、IDから目を離して今一度少女のことを観察する。
体を折りたたむように、くの字になって倒れる幼い子ども。長い前髪で片目は隠れていたが、もう片方の目元、灰色の長いまつ毛に飾られるまぶたはすっかりと閉じられ、開く気配はない。
血の気がないように見えるほど白い肌と相まって、すわ死んでいるのかと疑ってしまいたくなる。だが、アーカディアで死ぬ——HPゲージがゼロになることは、すなわちゲームオーバーを意味する。そうなれば転移者であろうがシャドウであろうがモンスターであろうが、あるいは耐久値がゼロになったアイテムやオブジェクトであろうが、なんであれ粒子となって消える定めだ。
そうならないということは、少女はまだ生きている。現に耳をそばだててみれば、すうすうと穏やかな寝息も立てていた。深い眠りに落ちているようだ。
「……見た目はかわいい女の子、だね?」
「ああ……」
「あ、アレンもかわいさじゃ負けてないよ! 大丈夫っ」
「そこのフォローはマジで要らない……」
隣人の気が抜ける言葉をよそに、アレンは少女の顔を凝視し続ける。
——やはり既視感がある。この子は、まるで。
片目を覆い隠す前髪。だが、それとて顔かたちを見えなくするほどではない。
同じ親から生まれた姉妹のように、この少女の顔はどこか似ているようとアレンは思った。
第70層で遭遇した、権能という異種の力を振りかざす管理者。パンドラに。
「——そんな馬鹿な。こんなことが……どうすればいいんだ? 敵か、それとも……いや、もし目を覚ましたらどうなる? 管理者——権能は使えるのか?」
「ユウ?」
この黒塗りのIDを見れば誰であれ驚きもしようが、ユウの困惑はそれにしても不可解だった。一歩よろめき、倒れかけてさえいる。
疑問を露わに視線を向けたアレンに対し、ユウは呼吸さえ忘れていたとばかりに一度深く息を吸い、それから件の少女を見つめながら、硬い声音で言ったのだった。
「この顔。忘れもしない……この子は、パンドラだ。『今回』じゃない。僕のいた、『前回』の……!」
「前回の……パンドラ!?」
「ええ——っ!?」
彼女こそ、崩壊した世界、データの泡沫と消えた『前回』のアーカディアを司る者。
ループに伴う管理者の代替わりを知らなかったユウが当初、今回もバベルの頂で待っていると考えていたパンドラ。第70層で今回のパンドラが、ものぐさと評していた人物。
つまりはユウと同じ。ループの境界を越えた、二人目のイレギュラー。
バベルからモンスターは消え失せ、理想郷の果てからは影の軍勢たちがにじり寄る。65535回続いた輪廻は、なにもしなければ半年を待たずして次の一回を迎えることになるだろう。
しかし権能を持ち、バベルを支配するパンドラに対抗する手立てはない。
希望を探せ、と名無しの彼は言い残した。ならば——
廃棄物の海に沈んだはずの箱庭の旧管理者。それは更なる厄災を招くか。
それとも——世界の底に残された、最後の希望になりうるだろうか?
第二章 『21845/65535の黄金郷』 了
最終章 『継ぎ接ぎの王』 へ続く




