第70話 『今度こそはさよならを』
手にした武器もあの特徴的な赤い銃床こそ黒く染められてはいるが、『クリムゾン』に相違ない。あの時マグナの遺志によって時計台の床に残され、今はアレンのインベントリに収められているはずのそれをシャドウが携えていることはなんら不思議ではない。なにせ廃棄物の海には今回のループを含めれば都合65536人のマグナのデータが収められているはずなのだ。このシャドウはきっと、単に『今回』のマグナではないというだけ。
アレンの碧い双眸が暗闇の面貌を直視する。黒に塗りつぶされたシャドウに眼球など窺えないが、それでもアレンは目が合ったと認識する。
瞬間——漆黒の銃口が跳ね上げられた。
旋回する銃口。不意を突かれたとは思えぬ反射。完璧な照準。
鋭い銃声が響き渡る。有無を言わさぬ急転射撃は、過たずアレンの胸を貫いた。
「うぁ————っ!」
常識外の対空射撃を受け、アレンはべしゃりと地に墜落する。
自爆同然の爆風に巻かれての滑空、それも当たり判定は幼女サイズ。そんなものを会敵一番に撃ち抜く狙撃手など悪夢じみている。
(けど……そんなことは織り込み済みだ、このスナイプモンスター!)
悪夢の具現——この猟犬の恐るべき狙撃を味わったのは、なにもアレンとて初めてではない。ノゾミを取り戻すために戦った時計台の廊下でも、マグナはアレンの自爆移動に反応していた。
あの時はわずかに狙いが逸れて着弾こそしなかったが、今度は狂いなき照準で射抜いてみせた。あるいは理性の削ぎ落された亡者となったことで、逆に本能の反射が冴えわたったのかもしれない。
しかし、ともかくだ。前例がある以上、それを計算に組み込まないアレンではない。
土に倒れるアレンの口元に笑みが浮かぶ。胸には未だ鋭い痛み。視界の端、HPバーには約六割のダメージ。
『鷹の眼』が描く終局は、自身の撃墜さえも織り込んでいる。
「行け……っ、シンダー!」
「体を張りますわね、貴方も……! ええ、やってみせますとも!」
アレンを迎撃したマグナのシャドウ。その側方から、輝く銀の槍が迫る。
シンダーが回り込んでいたのだ。とはいえ『ブラストボム』による自爆移動をしたわけでもない彼女は、未だシャドウとは七メートルほどの距離を隔てており、到底槍の届く間合いではない。
しかし、そのユニークスキルであれば、穂先の届く距離を延長させられる——
「『ハイドロ・ハリケーン』ッ!!」
荒れ狂う三本の水流が放たれ、射撃直後の影を呑み込む。マグナのシャドウは吹き飛ばされるも、地面に手をついてなんとか転倒を免れる。そして即座に銃のコッキングを終えて銃口を跳ね上げ、シンダーに向けてカウンターのクイックショットを放とうとする。
「おっと、うちの団長を撃とうなんて不遜な輩は見逃せないな。『アンブラルエッジ』」
その背を、一本の刀が貫いた。
シャドウとは似て非なる黒の色をした刃。アレンを囮にしたシンダーをさらに囮にし、背後からシルヴァが接近していたのだ。『アンブラルエッジ』——己の武器を強化するだけの極めてシンプルなユニークスキルは、剣技に優れた彼にとってはあつらえ向きと言えた。
「——、れ、ゥ」
黒い影がなにごとかをうめく。痛みなどもはや感じないはずのソレが、言葉にならない苦しみを漏らす。
マグナの影は銃床で殴りつけるように長い狙撃銃を振り回す。シルヴァは刀を引き抜き、冷静に後方へ下がった。適切な判断だ。無理に追撃をする必要はない。
なぜなら。
「今度こそは……きちんとお別れを言うよ」
静かな、しかし燃ゆる意志のもと。友の幻影を葬るべく、碧眼の鷹がそこに立つ。
湿った土を踏みしだき、アレンはマグナのシャドウへと近づく。手には王殺しのリボルバー。HPは回復していないが、問題はない。
そこは既に射程距離であり。『鷹の眼』が視た終局まではあと一手。
「れ、る——やレ、る。おれ、は——」
「マグナさん……」
「——おれは、まダ……! おレは、マダ、ヤレル——!! マダ、マダ————!」
「……さよなら。俺にこの夢を与えてくれたのは、あんただ」
実力の衰え、年齢による感覚の劣化。二十歳も半ばを過ぎれば老兵扱いとなるほどに熾烈極まるFPSゲームの競技シーン。人知れず苦悩を抱えていたその男の影は、不安の中でもがき苦しむように身をよじり、叫び声を上げる。
——その苦しみに、気が付いてやれればよかったのに。
わずかな悔いに口元をきつく結びながら、アレンは引き金を引いた。
「————っ、ガ……ぁ」
影の額を撃ち抜く弾丸。終局が訪れる。
常人をはるかに超える射撃精度と、数多の情報を瞬時に処理する比類なき『鷹の眼』。
……そのどちらも、〈デタミネーション〉で仲間たちと過ごした修練の日々があってこその能力だ。いかな才能を有していようとも、その結実には血のにじむような努力が要る。
「ありがとう、あんたには、本当に世話になった」
大切な日々を——悩みと疲労に満ちていながらも充実した、かけがえのない時間を共有する無二の仲間。その別れだからこそ、アレンは結んだ口元を緩め、笑みを形作る。
今度は泣いたりもしない。影の輪郭は崩れ、体の端から粒子へと還っていく。彼の崩壊を目にするのは二度目だ。
消えゆく間際。表情など窺えるはずもない黒い面貌が笑ってみせたように見えたのは、やはりアレンの勘違いなのだろうか。
「やりましたわね。よい連携でしたわ」
「そっちもな。シルヴァにも助けられた。まあ、正直なところ作戦立案は専門外なんで、多少強引な策だった。ふたりが手練れでよかったよ」
「はは、なんせふたりも被弾するのが前提ですもんねえ。つっても相手は腕利きのスナイパーだ、各個撃破される前に人数差で押しつぶすってのは正道でしょう」
シルヴァは労うようにそう言ってくれるが、〈デタミネーション〉のリーダー、コーディエであればより優れた策を思いついたのだろうとアレンは思う。司令塔たる彼であればきっと、誰ひとり被弾せず、マグナのシャドウを倒す作戦を立てたに違いない。
「……でも、とりあえず窮地は脱したかな。今度こそ街へ戻ろ——」
「——アレンっ!」
「ノゾミ?」
一息つこうとしたところで、後ろから聞きなじみのある声。振り向いてみると、ノゾミがぱたぱたと駆けよってくるところだった。ずいぶんと急いだ様子だ。
足場の悪いところでそんなに急いだら危ないぞ——そう警告をしようとした瞬間、浮き出た木の根につまずき、見事にノゾミは頭から地面へ激突した。
「ノゾミ……っ!?」
「痛ぁ——っ!」
派手にすっころんだが、頭をぶつけようともここはアーカディアだ。深刻な後遺症などになる可能性はなく、せいぜいHPバーがちょこっと削れた程度のものだろう。ため息をつき、アレンはノゾミの手を引いて起こしてやる。
「まったく不注意だな、足元を見て走れって」
「う……足元、よく見えないもん」
「は? いくら森の中でも、そこまで暗いわけじゃ……」
そこまで言って、アレンはふとノゾミの胸元に目をやる。
一目でわかる驚異の胸囲。対してアレンはと言えば幼女ボディであるため、胸などあろうはずもない。
なるほどそれだけ大きなものをふたつも有しているのであれば、足元はさぞかし見えづらいことだろう。肉体的に同じ性別であっても、その成長の差によってこうも感覚に違いが出るものなのか。
「…………いや、敗北感を覚えちゃいけない気がする。ここで負けた気分になること自体が、なんかこう、男としてダメな感じがする……」
「——?? どうしたのアレン、急に難しい顔しちゃって。お腹空いた?」
「俺はノゾミほど大食いじゃないよ。飯の時間にはまだ早い」
「なっ……大食いとはレディに対して失礼な! アレンこそ甘党異常者のくせに!」
「異常者呼ばわりの方が失礼だ。俺はただ日に角砂糖100個相当の糖分を摂取しないと生きていけないだけだ」
「確実に異常者だよそれ。というか重病者になるよ、間違いなく」
怒りが鎮まり、冷静になるくらいにはノゾミも引いていた。




