第57話 『拡張された才能』
昔日の、知らず思い出さぬよう蓋をしていた記憶。その蓋をアレンは開く。
「それで、教室に行くのが嫌になった。不登校になったんだ。結局手を出した相手にも謝ってない……親が謝罪しに行ったって聞いたのはあとからだった」
「情けないことだ。そんな小さなきっかけひとつでお前は部屋に引きこもるようになって、有り余る時間と向き合いたくない現実から逃げるためにFPSゲームを始めた」
アーカディアに来て初日の夜、ノゾミに、プロゲーマーと学業の両立について訊かれたことがあった。
そんなの、微塵もできてはいない。アレンは学業を完全に棄て、代わりにプロゲーマーという道を選び取った。
「そう、逃げたんだ。アレン。お前はなにも、プロゲーマーという道を自ら選んだわけじゃない。教室の人間関係から逃げて、なし崩し的にそうなっただけだ。そんなものは選択ではない」
それを単なる逃避であるとネームレスは断じる。
……言い返す言葉はアレンには浮かばない。浮かぶはずもない。ネームレスが語ったことは、そのままアレンが考えることでもある。
まっとうに学校に通って、ふつうにクラスに溶け込み、まともに社会へ出ていく。そんなレールの上をアレンは踏み外した。多くの人間にできていることができなかった。
その事実が。そして、そのきっかけとなった、幼い日のひょっとした諍いが、今も胸の奥には残り続けている。
「お前が——俺たちがすべきだったのは、ゲームの世界に逃避することなんかじゃない。勇気を出して登校して、あの日傷つけた相手に『ごめんなさい』と謝ることだった。それができなかったのは、まぎれもない過ちだ」
「まさか、自分に説教を受けることになるなんてな……けど、そうだな。そこについてはお前の言う通りだ。確かに俺はあの時、間違ったんだろう」
「理解したか。そうだ、俺たちは間違った。あの時正しい選択をしていれば、俺たちはプロゲーマーになんてならなくて済んだ。こんな世界にも……来なくて済んだんだ」
淀んだ感情ばかりがよぎる碧色の瞳に、強い後悔がにじみでる。
『鷹の眼』があるからか。それとも、単に同じ過去を歩んできた人物だからか。アレンはその一瞬の感情の揺らぎを汲み取った。
ネームレスは悔いている。あの日、教室から逃げ出した自分を——
(——要するにこいつは、全部が全部、初めから後悔してるんだ。このアーカディアに来たことよりも遡って、起源のところから)
まるで『アレン』として過ごした人生すべてを否定するかのように。
一体なにがあったというのか。それを問いかけるより先に、ネームレスは机を下り、手元の銃に目を落とす。残弾数を目視で確認したようだ。
そして再び顔を上げた時、その双眸には再び憎しみが燃えていた。
「これでわかっただろ。プロに復帰する? ふざけるな。その夢は初めから間違いによって生まれたものだ。過ちを取り消すことができないのであれば、代わりに『アレン』を消すしかない。誤った産物を……お前も俺も。ここで、すべてを消し去ってやる」
ネームレスの体が沈む。重心を落とし、倒れ込むように駆け出す。
咄嗟に迎え撃つアレン。しかしやはり射線は同じ『鷹の眼』に読まれている。すんでのところでかわされ、カウンターとばかりにネームレスのキングスレイヤーが銃口を跳ね上げる。
けれど、ふたりの『鷹の眼』は同等。ネームレスがアレンの射線を察知して回避したように、アレンもまた、ネームレスの射線を避けられる——
「——っ!?」
頬をかすめる弾頭。軌道はアレンの想定をやや外れていた。
「フランボワーズに負けた日、自分が偽物だと悟った時。プロになったこと自体が過ちで、目指してきた夢そのものが偽りだと気が付くべきだった! それができなかったから、お前は、俺は……!」
「く……お前の後悔をっ、俺に押し付けるな! お前と俺は違う、俺の夢は——」
「同じだよ。俺も、俺のループでは『アレン』だったんだから」
反撃のため、立ち位置を変えながら銃を構える。その動きもタイミングも読まれていたのか、横に振るわれた銃先によってあらぬ方向へ銃口をそらされる。そのまま発砲。辛うじて読み切ったアレンは地面に屈んで回避する。
次弾の対処をすべく接近。ネームレスは既に一歩後ずさっている。距離を殺す前に引き金を引かれる。肩に着弾。
「痛……ぁあ!」
痛みを堪え、強引にキングスレイヤーを撃ち放つ。しかしその瞬間、銃口をつま先で蹴り上げられた。弾丸は天井を虚しく穿つ。
アレンは奥歯を噛み、キングスレイヤーを構え直す。肩にはまだ鈍い痛み。
手が届かなければ足を使う。なるほど合理的かもしれないが、それもアレンの動きを完璧に読まなければ間に合うまい。
やはり読み合いで負けている。能力が同じならば、撃ち合いは拮抗するはずなのだ。
「はっ、不思議そうな顔だな。同じ『アレン』なのになぜ自分だけが圧倒されるのか。教えてやるよ、答えは単純だ。俺の『鷹の眼』はこいつで強化されている」
「強化?」
先ほど表面に触れた、耳に着けた黒いインカムを指す。
「俺がパンドラのやつに与えられた権能はふたつ。バベルの地形を操作する『再構築』。そして、この『拡張脳』だ」
「拡張脳……その機械がもうひとつの脳ミソだってことか!?」
「あくまで外付けのハードウェアみたいなものだよ。これは思考の補佐を担う。端的に言えば思考速度の加速装置だ、使うたびにカロリーをばかみたいに食うのが不便だがな」
「……じゃあやっぱそのインカム、脳に直接つながってんのか。びっくりサイボーグ人間かよ」
「はっ。ゲームの世界だ、なんでもアリは今さらだろ」
『鷹の眼』の真髄とは、一瞬にして並列的に情報を処理する思考速度にある。そんなネームレスにあの『拡張脳』はまさに鬼に金棒、ともすれば『クラウン』に匹敵するほどの強化アイテムというわけだ。
(権能っていうのはユニークスキルみたいなものと見ていいだろう。そしてパンドラに与えられたとも言っていた。ならやっぱり、ネームレスがいるのはパンドラの差し金だ)
『拡張脳』を得たネームレスの『鷹の眼』は、アレンの持つ才能の完全な上位互換だ。そしてそれ以外の能力は同等。
アレンの頬に冷や汗が伝う。チートじみたその権能。対抗する手段などあるのだろうか?
「俺を殺して……ゲームオーバーにして、お前はどうするつもりだ」
「パンドラのやつが俺に転移者IDを与えられなかったのは、お前のそれと重複してしまうからだ。だがお前が消えれば枠が空く。俺がお前に成り代わる、ってのも面白いかもな?」
「成り代わる!? 冗談じゃない、そんなことあってたまるか!」
「だよな。それが今の俺の気持ちだよ」
声を荒げたアレンに対し、ネームレスの声色はひどく冷え切っていた。
「死んだはずがいきなり目覚めさせられて『キミはもうアレンじゃありません』なんて話、聞かされた時どんな気持ちになったと思う? ははっ、笑えるよな。俺は笑えなかったけど」
「——っ、お前はやっぱり『前回』の。いや、それ以前のループの俺なのか?」
ユウは自らの視点で今が『二周目』であると言った。だが知覚できていないだけで、もっと多くのループが起きていた可能性はある。
そのどこかで、アレンと同じように『アレン』だったネームレスがいた。そしてゲームオーバーとなり——それを『今回』において、パンドラがなんらかの超越的な手段で蘇らせた。
もしそうだとしたら。アレンはネームレスの境遇を自らに置き換えて想像する。
アレンとして生きてきた自分が、いつの間にかアレンではなくなっている。それは恐怖以外の何物でもない。IDを失い、パンドラの手先として生かされるその絶望は察して余りある。
「知るか。どうせそうだろ、俺とお前がそれぞれ何回目かなんて興味もない。どのみち俺たちがなにをしようが、次のイテレーション……お前が言うところのループになれば全部リセットされるんだ。お前に成り代わったところで、なんら意味はない」
「じゃあ俺を消す意味もないはずだ。いくら俺を否定しても、世界がリセットされればまた次の俺が走り出す。そういうことなんだろ」
「ああ、だが次の世界にネームレスはいない。俺はパンドラによって廃棄物から複製された存在だ。俺という個人が意志を持つ瞬間は今をおいてほかにない」
意志、そうネームレスは言った。
昏い碧色の瞳には怒りや憎しみといった負の感情がにじみ、底にまで沈殿しているようだった。だがその奥に、アレンは確かな光を垣間見る。
それはアレンが宿す夢とはまったく異なる、自らの痕跡を消し去るという確固たる意志。鏡に映る自らを殺すという、叶うはずのない願い。
「そうすることが正しいと、お前は思っているんだな」
ネームレスがアレンを憎んでいるというのは本当だろう。それはドッペルゲンガーじみて、自身と同じものを許せないという嫌悪なのかもしれない。誤った自分、失敗した自らへの自己嫌悪だ。
しかし、それだけではない。
「『アレン』は死を撒き散らす厄災だ。すべてを巻き込んで破裂する爆弾と言ってもいい。八つ当たりかもしれない、憂さ晴らしかもしれない。だがお前を消し去ることが、きっとこのアーカディアに平穏をもたらす」
「……まさか二日続けて爆弾扱いされるとはな」
「なんだそりゃ、どうやら気の合うやつがいるみたいだな」
「やめろ。お前と気が合うってことは俺とも合うことになるだろ。むしろ逆だ」
ゲームオーバーレコードの前であのロシアンルーレットを行った時、ユウは懸念を抱いていた。アレンがプレイヤーキラーになるのではないか、という懸念だ。
アレン自身にまるでその気はないが、事実ノゾミと出会わなかった『前回』のアレンはそうだったらしい。ならばおそらく、このネームレスも似たようなものなのだろう。
(さっき、こいつはここを『ゲームの世界』って言ってたしな……)




