第17話 『相容れぬ協力者』
「『二色領域の支配者』。こいつは壁がなくちゃあ駄目なんだ。天井や……床じゃなく、な」
「マグナさん——どうやって」
マグナがすぐ近くに立っている。遠く、正反対の建物のそばに立っていたはずのマグナが!
見れば路地の入口、その壁面に、青色の渦のようなものが現れていた。
明らかに自然的なものではない。かすかに発光する、ちょうど人が通るのに適したサイズの渦巻き。
「ユニークスキル……!」
「ご名答。だが気付くのが遅かったな、『ゴーストエコー』はいただいていくぜ」
「きゃあっ!?」
「ノゾミッ!!」
マグナは強引にノゾミの腕を引き、壁へ近づく。
壁の——渦へ。
「待て!」
「おぉっと、撃つなよ? 『ゴーストエコー』がどうなってもいいのか?」
「アレン……っ!」
「く……この卑怯者!」
反射的にキングスレイヤーを向けるアレン。
しかしマグナは銃をインベントリへとしまうと、狡猾にもノゾミの身を引き寄せ、肉の盾とした。
引き金を絞れるはずもない。ノゾミに当たる可能性を思えば当然だ。
「あぁそうだな、おれは卑怯者だ。だがならば、お前はやっぱり半端者だよ。別にその引き金に力を込めたところで、どうってこたぁねえのによ」
それでもマグナの言う通り、撃つべきだったのかもしれない。ここはアーカディアだ。
仮に運悪くノゾミの頭部に弾丸が命中したところで、即死ということはまずない。ゲームオーバーにはならない。
ならば、あとから回復ポーションを飲めばなんの問題もないではないか。
「何度だって言ってやるよ。ここはゲームだ。おれたちFPSプレイヤーのために神が用意したユートピアだ」
「マグナさん——マグナ!!」
「じゃあなアレン、お前にはほとほとガッカリしたぜ。どうしてその手に銃があるのか考えたこともないのかよ?」
最後は侮蔑を含んだ嘲笑交じりに、マグナは渦の中へと身を投じる。
追いすがるアレンだったが、マグナが通った瞬間に渦は掻き消え、壁面はただの冷たい石壁に戻った。
「くそっ!!」
当然、そうなればアレンは通れない。
キングスレイヤーをにぎる手を振り上げ、苛立ちのまま、グリップの底で壁を思いきり殴りつける。銃把を通し、びりびりとしたしびれが手全体に伝わった。
「どこだ……どこへ行った! マグナぁっ!!」
叫びながら、アレンは路地の周囲を見渡す。〈エカルラート〉の構成員が集まってくるかもしれない——などという懸念は、頭に上った血と入れ替わりに消えてしまっていた。
だがマグナの姿はない。彼が連れたノゾミも。
バイカラー・ドミネーション。壁に現れ、そして消えた青い渦。
あのユニークスキルは瞬間移動を可能にするものだと思われた。そのために、離れた建物のそばにいたはずのマグナが、先回りするようにして突如路地の入口に現れたのだ。
そして同じく、あの渦を通り、どこかへ消えた。
どこへ?
わからない。一体、どれほどの距離を移動できるのか。なんらかの制約はあるのか。
一切の情報がない。それはこの場における追跡が不可能であることを示していた。
どうすることもできない——
そう認識した途端、胸中に絶望が去来する。
「守るって——言ったばかり、なのに」
昨日、助けると告げたばかりなのに。涙を流して、死にたくないと言ったノゾミの願いを裏切った。
手足の力が抜ける。
「あ……」
路地の冷えた地面にへたり込む。すると耳の奥で、マグナに言われた言葉が反響する。
——腑抜け。
——半端者。
そして……偽物。
(俺が、弱いから——偽物だから、ノゾミを守れないのか)
マグナに指摘されるまでもなく。〈ゼロクオリア〉に敗れたあの日、沸き立つ会場で、アレンは失意とともに認めたはずだ。
本物のプロとはフランボワーズのような、人間の枠を外れた実力を持つ者のことなのだと。そして自分は、あくまで常人の域を出ないプレイヤーだったのだと。
半端、偽物。その通りだ。
夢を手放したあの日、身の程を知った。今さら否定などできない。
「————ッ」
できない、はずなのに。
ぎり、と知らず口元から音が鳴る。自然と歯ぎしりをしていた。
——ああ、どうしてだろう。
アレンは地面に手をつくと、ゆっくり立ち上がる。
半端者も偽物も、自分でその通りだと納得できる。腑抜けの誹りも。
だというのに——
(自分で認めたはずなのに……この煮えたぎるような感情は、どうして湧いてくるんだろう)
力が抜けていた手足に、由来不明の熱が宿っている。
まだ諦めきれないと思った。マグナの目的はアーカディアの支配だ。そして〈解放騎士団〉との抗争で勝利するために、ノゾミの『ゴーストエコー』を欲している。
裏を返せば、抗争を終えるまでは、マグナにとってノゾミは必要不可欠な駒のはず。ならばゲームオーバーにされることはない。
まだ、助けることはできる。少なくとも現状彼女が無事であることは、視界の端においても保証されている。
(……問題は、マグナがどこへ行ったのかだ。〈エカルラート〉のギルドハウスはまだ見つかってない)
だがそれでも、騎士団の助力を請うことは必要に思われた。
なんらかの情報はつかんでいるかもしれない。あるいは甘い期待であるかもしれないが、カフカであればひょっとすれば、改めて〈エカルラート〉の根城を捜索するのに人手を割いてくれるかも。
少しばかり落ち着きを取り戻した頭で、アレンは次にどうするかを思案する。
そこへ——アレンが入ってきたのとは逆の方向、路地の先から近づいてくる人影があった。
「……誰だ!?」
男の体格。だが、マグナではない。
中肉中背の男で、背も高くがっしりとしたマグナとは似ても似つかない。服装も、アーカディアよりはむしろ現実世界で目にするような、紺色のシャツを羽織った身軽な出で立ち。
しかしマグナでなくとも、〈エカルラート〉の一員であることは十分に考えられる。
警戒は当然。立ち上がったアレンは、いつでも射撃姿勢に移れるよう右手の銃を意識する。
「おぉっと、これは失礼。怪しい者じゃない」
「それはこっちが判断する。何者だ?」
「なに、通りすがりさ。だからその、手に持ったままの拳銃はどうかこちらへ向けないでもらいたいね」
信用できない、そうアレンは直感した。
大した根拠はない。ただ、なんとなく相性の悪さじみたものを第一印象から感じ取っただけだ。
男は敵意がないことを示すためか両手を上げながらも、アレンの方へと歩み寄ってくる。
「……ユウ?」
一定以上に近づくと、その頭上には転移者IDが現れる。
そこにはたった二文字、簡潔にこう記されていた——Yu。
(こいつ……確か、どこかで)
そう——昨日、装備屋で話しかけてきた男だ。IDを見てアレンは思い出した。
男、ユウの方はその時のことを覚えているのかいないのか。アレンの目の前まで来ると、はたと足を止めた。
「で、アレンちゃん。どうやらお困りのようだね? 大切な彼女が〈エカルラート〉のギルドマスターに誘拐されて、追いかけようにもどこへ向かえばいいのかわからないわけだ」
「——、お前」
遺憾にもちゃん付けを見過ごしてしまうほど、ユウの言葉は核心を突いていた。
「見てたのか。俺たちのやり取りを!」
「まあそんなトコ。しかし不覚を取ったものだね、いかな『鷹の眼』と言えど同じプロゲーマー相手じゃ楽勝というわけにはいかないか。転移の時差による経験の違いもある」
路地の壁——ちょうど先ほどまでマグナが出現させた青い渦が浮き出ていたところに、ユウはぽすんと背をあずけながら言う。
アレンは当惑するしかなかった。
この男はなぜ『鷹の眼』のことを知っている? リカと同じで、現役時代のアレンを知る者だろうか?
しかしユウはそれだけではなく、アレンが今日転移してきたことまで知っているような口ぶりだ。
「わかったようなことを。お前、やっぱり〈エカルラート〉か……!?」
「いいや、あんなルール破りなプレイヤーキラーの集まりといっしょにはしないでほしいな。僕は穏健派でね、〈解放騎士団〉の一員だよ」
「騎士団?」
ユウは顎を引くようにしてうなずく。
「じゃあ俺のことも、カフカ……それともリカに聞いたのか?」
「え? ああうん、そうそう。そんな感じ」
「……なんだその、『そういうことにしておこう』みたいな返答は。俺をおちょくってるのか?」
「おっと、そんなつもりは。誤解だよアレンちゃん」
「ちゃんを付けるなっ……!」
やはりこの男とは相性が悪い。性格が合わない。
だがアレンは、平時ならともかく、今はそれだけの理由で会話を打ち切ることはできなかった。
ユウは騎士団の一員だと言った。それが本当であれば、ちょうど騎士団に助力を頼もうと思っていた今、渡りに船というやつだ。
なんとかカフカに取り次いでもらえないか。そう、アレンが頭を下げて頼み込もうとする。
「〈エカルラート〉のアジトはバベルの第12階層だ」
「……は?」
だというのに、先に答えが出た。




