【 終末 】
ここから始まるのは、先にクルサの剣がアジ・ダハーカの中央の心臓に届く……
物語だ。
*
私は、呪いの奥底から――
今、私の身体を操っている英雄スラエータオナの戦いを見ていた。
ザクッ。
「……っ!」
鮮明な手ごたえ。
私の剣が、アジ・ダハーカの胸――
中央の心臓に達した。
【ガッ……!】
ピキッ。パリン。
呪いの膜が砕け散る音が走る。
【……まさか。ジークフリートですら成し遂げられなかったことを……貴様がやり遂げるとは】
竜は痛みを見せず、
むしろ……どこか 安堵したようなまなざしで私を見ていた。
【申し訳…ございません。アンリマユ様……今、そちらへ】
ダンッ ダンッ ダンッ
その言葉を最後に、巨体が崩れ落ちる。
地響きが腹の底に響く。
なのに、胸だけが妙に熱い。
勝った。
そう思うべきなのに――
……どうしてだろう。
胸がぎゅっと締めつけられる。
竜の最後の表情が、心に刺さったままだ。
それに…
「クルサ……って。なんで、私の名前……叫んだんだろう?」
知らないはずの竜が、私の名を呼んだ。
しかも、まるで――
ずっと私のことを知っていたみたいに。
そんなはず、ないのに。
考え込んだ瞬間、背後で声がした。
『俺の役目はここまでだ』
「えっ……?」
振り返ると、スラエータオナがゆらりと立っていた。
炎が消える直前みたいに、その輪郭が揺らいでいる。
『さらばだ、我が子孫よ』
「あっ……ありがとうございました!」
気づけば、お礼を言っていた。
英雄さんは静かに、優しく笑う。
次の瞬間――
暗い世界が白く膨れ上がり、私を覆う。
光に飲まれる。足元が消える。息がひゅっと詰まる。
そして私は――光の中へ落ちていった。
*
気づけば、私は現実世界に戻っていた。
片手には剣。
目の前には――倒れ伏す竜、アジ・ダハーカ。
この竜がどうして封印から解かれたのか。
あの英雄さんでさえ理由を知らなかった。
本当に、どうして……?
でも、倒した。私の身体で。私の手で。呪いの力で。
今までオリオンに守られてばかりだった私が、今度は助けることができた。
そう思うと胸が温かくなる、はずなのに――
……どうしてだろう。
心の奥が、妙にざらついて、落ち着かない。
千年前の恐ろしい竜を倒せたのに、腑に落ちない感覚だけが残ったままだった。
そんな理由も分からないまま周囲を見渡す。
戦いが早すぎて気づかなかったけれど、ここは聖都市じゃない。
どこだろう、と辺りを見ていたそのとき――
瓦礫の中に、見覚えのある建物の残骸が目に入った。
「ここって……アインツ・ベルン?」
そう。
倒壊したバベルの塔が、確かにそこにあった。
魔法合宿の場所だ。
ローゼが言っていた――
「千年前からある、補強が強固な建造物だよ」って。
……ローゼ、が。
その名前を思い出した瞬間、
涙が勝手にこぼれた。
黒髪の私を“友達”だと言ってくれた、初めての人。
合宿中も、帰りの電車でもあんなに笑っていたのに……
もう、会えないなんて。
もっと、話したかった。
もっと……ずっと。
胸がぎゅっと掴まれる痛みに耐えきれず、私は手で涙を拭った。
「クルサちゃ~ん。お疲れ様ぁ~」
その時だった。
怒りを煽り立てる、あの高い声。
――ゼーロ。
オリオンをナイフで刺した相手。
私は涙で滲む視界のまま反射的に振り向き、魔法を放とうとした――
しかし、冷たい刃が私の首に触れた。既に背後に回り込んでいた。
「なぁ~に涙流してるの? 悲しいことでもあった?」
その声音が、やけに遠く聞こえた。
私は答えず、ただ睨みつけた。
熱い涙で視界がにじみ、胸の奥でぐしゃぐしゃに絡まり合った感情が、形も境界も失っていく。
怒り。悲しみ。そして――
もう、嫌だ。
マイラに裏切られ、ローゼは死んだ。
オリオンとも離れ離れになった。
せっかく竜を倒して……
やっと、オリオンに――
会えると思っていたのに。
……あれ?
…………待って。
「……オリ、オンは?」
呟いた途端、記憶の破片が激しくぶつかって跳ね返り、脳の内側でガラスが割れるような痛みが走った。
都市で、オリオンがゼーロに刺されて。
私は怒りのまま暴走して、呪いに落ちて。
千年前の記憶を見せられて。
竜が暴れていると知って。
オリオンが危ないと思って。
英雄さんに体を預けて……ここに、戻ってきて。
――そうだ。
あの瞬間から、
* 私は一度もオリオンを見ていない *
そこにいて当たり前だと思っていた。
あの人は、絶対に消えないと思っていた。
その幻想が、ぺりぺりと剥がれる。
ゾワッ。
背骨に氷を押し当てられたみたいな悪寒が、首まで駆け上がる。
「オリオンちゃん? そういえばナイフで刺した後から見てないね」
……え?
待って。
「うっ……嘘つかないでよ」
「本当に見てないよ? 覚えてないだろうけど、竜が都市に現れたとき、とんでもない爆発があったでしょ? あれで死んじゃったんじゃないのぉ~。ボクはクルサちゃんの後ろにいたから助かったけど」
やめて。
「嘘」
「オリオンちゃんが強いとはいっても、人は人だよ? あれだけ大きな聖都市が瓦礫になるくらいの爆発だったんだし、死んでても全然おかしくないよ~?」
本当にやめて。
「嘘」
声が震えていた。
けれどゼーロは、ただ楽しそうに続ける。
「信じられないかもしれないけど、信じてよぉ~。ボクが君に嘘つくメリットって何? 逆に教えてよ?」
「……」
「現実を見よっか。爆発のあと、聖都市を上から全部見たけど――オリオン君はいなかったよ。ほんとに」
「……」
――カタン。
胸の奥で、小さな何かが落ちた。
音が、した。
その瞬間、身体の力がざあっと引いていく。
視界がじわり、じわりと黒く滲み、世界の輪郭がほどけていく。
遠くで石が転がる音が、まるで自分の心が崩れる音みたいに聞こえた。
胸の奥にあった“支え”が、崩れ落ちた。
呼吸ができない。
肺が締めつけられ、喉が空気を拒む。
苦しいのに、痛みがない。
ただ、空虚が広がっていく。
音が消え。
色が消え。
温度が消え。
匂いが消え。
世界が、一つずつ、丁寧に私から抜け落ちていく。
ぽたり。
頬を伝った涙の感覚だけが、まだかろうじて生きていた。
それが落ちた瞬間――
世界は、本当に暗くなった。
タ……タ……
自分の足音が、自分のものに聞こえなかった。
生きている実感すら、足の裏から漏れていくみたいだった。
「クルサちゃぁ~ん? どこ行くのぉ~?」
その声は耳に届いても、意味を持たなかった。
頭の中には、ただ一つの名前だけが浮かんでいた。
「オリオンを……探さなきゃ」
その言葉が、自分の声に聞こえなかった。
ただ、口が勝手に動いただけ。
“探さなきゃ”。
それだけが、残った。
もう存在しないかもしれない相手を――
まだどこかで生きているはずの人を――
ただ、求めて。
*
オリオンの正体――アジ・ダハーカ。
現在、それを知る者はただ一人、ロキ。
アジ・ダハーカが倒れた瞬間に全ての異形がその場から消滅し、戦っていたベルゼブブも消えたため、ロキは、クルサとゼーロの会話を遠くから見下ろしていた。
クルサとオリオンが恋仲だったことを知らない。
知っていても、言わない。
言う理由など、初めからない。
“オリオンという少年はアジ・ダハーカであり、
クルサ、お前が殺したんだ”
そんな真実を告げる価値も意味も、ロキにはなかった。
歩き出したクルサを止めなかった理由も、単純。
厄介な竜を殺したのならば、クルサはもう用済みだから。
ただし、殺す気もなかった。
ロキが滅ぼす対象は、黒髪以外の全人類。
黒髪だったクルサは、淘汰の対象外だった。
だから、ロキはただ淡々と事を進めた。
瀕死のヘラクレスに止めを刺し、
ゼノン、シリウスを殺し、
最後に残ったカイザーを殺し、
近くにいたマイラも殺した。
五人は皆、ロキの手によって息を絶った。
抵抗はあったが、ロキには“魔族化”という奥の手があった。
ベルゼブブとの戦いで魔力が枯れかけていたが、ヘラクレスを喰らい、魔力を補充し、再び怪物へと変貌し、殺したのだ。
そして――この世界は、ロキのものとなった。
黒髪以外の人間は淘汰され、差別も争いもない、ロキが望んだ平和(独裁)の世界が完成した。
……
一方……
クルサは歩き続けた。
自分がオリオンを殺めたことなど知らず。
もうこの世にいない彼を、
まだどこかで生きていると信じて。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
・
・
・
・
この”物語”はこうして、幕を閉じる。
【 終末 】 完
……
ジリ……ジリ……
こんにちちちちちちちちちちちは、T.Tですすすすすすすすす。
これれででで……
シュン
……
・
・
・
これは、一つの終わり方。
クルサ―スパが、アジ・ダハーカを殺す……
神話通りの終末。
しかし、この物語は、神話にあらず。
……
【終焉】




