第七十八話 アジ・ダハーカ 対 クルサ―スパ
*
ハッ!
「……何、今の……?」
夢、なのだったのかな?
私は思わず、上体を起こした。
でも、まだ夢の中にいるみたい。見渡す限り引、真っ暗な空間で、床も壁もない場所にいる。
体は地面に触れておらず、ただ“浮いている”だけ。
でも、今が夢ならさっきまで見ていた映像は何?
あまりに鮮明で、伝承の通りの物語。
あれはまるで……。
『そうだ。夢ではない。あれは――“過去”だ』
低く響く声が、背後から聞こえた。
振り返ると、銀の鎧をまとい、堂々とした巨躯の男が立っていた。
「……あなた、誰?」
『俺は――スラエータオナ』
スラエータオナ……ってさっきの映像に出てきた人?
確かに……見た目も声もそっくり。でも、
「あなたはもう寿命で死んだはずじゃ」
『その通り。しかし、俺の意識だけはこの場に残り続けた。理由は俺にも分からん」
「じゃあ、さっき私が見たものって」
『俺の記憶をお前に見せた。千年前の記憶を』
彼の記憶、そうか、だから千年前の伝承通りに進んだんだ。
でも、分からないことだらけ。まずは状況を整理しないと。
「ここはどこ?私はなんでここに……そうだ、ゼーロとの戦いは? もしかして私は……死んでしまったの?」
『それを話す前に――』
「……前に?」
『――それを隠せ』
スラエータオナが淡々と、私の視線の少し下を指差した。
……え?
そこでようやく気づく。
この空間の私は、服を一枚も身につけていなかった。
「~~~~っっ!!!?」
反射的に脚をぎゅっと閉じ、両腕で胸を押さえる。
だが、大きすぎるせいでうまく隠れない。
この瞬間だけは本気で自分の体を恨んだ。
顔まで熱くなる中、私は男を睨みつけて言い放つ。
「……っ、変態」
『待て。俺がお前を裸にしたわけでは無い。俺にはどうすることもできん』
彼は目が見えないのか、私への配慮なのかずっと目を瞑っている。
「目を閉じてくれているのだろうけど後ろ向いて。あなたのこと、まだ信用していないから…薄目で見てるかもしれないし」
『……あぁ、分かった。まったく、手のかかる娘だ』
スラエータオナは素直に踵を返し、軽く咳ばらいをひとつ。
その背中越しに、静かな声が響いた。
『――話を戻す。端的に言えば、お前は死んでいない。ここは“呪い”の中だ』
生きているという言葉に安堵したのも束の間、耳慣れない単語が続く。
「……呪いの、“中”?」
『下を見ろ』
――っ!
視線を落とした瞬間、息が止まった。
闇の海を覆い尽くすように、白く血に染まった無数の手。
ざわつく声が耳に直接触れる。
殺せ、殺せ、殺せ――。
『あれは人類の“殺意”の具現だ。アジ・ダハーカを殺したいという願いそのもの』
そのまま彼は説明を続けた。
・千年前、アジ・ダハーカはあまりに多くの命を奪いすぎた。
・その結果、世界中に竜への怒り、憎しみ、恐怖――負の感情だけが溢れ返った。
・それはやがて“空気”として定着し、酸素やマナと同じようにこの世界の構成要素になった。
・負の空気は生物の脳細胞を侵し、耐えきれなかった種は連鎖的に死滅していった。
――世界が壊れる。
そう悟った神は、ひとつの決断を下した。
負の空気すべてを、“ひとりの人間”に押し込める。
その器となったのが、スラエータオナだった。
・途方もない負の空気を抱えた彼の身体は強烈な拒絶反応を起こし、それは“竜を拒絶する力”――呪いとして形を得た。
・竜が強くなればなるほど、呪いも比例して強まる。
・私はそのスラエータオナの子孫。生まれた時から、その呪いを受け継いでいた。
今まで気づかなかった。
けれど、どうやら私は――
この世で唯一、竜を殺せる人間 らしい。
いきなりそんなこと言われても、現実味なんてない。
……でも、ちょっと待って。
“呪いが強くなっている”ってことは、つまり――
私の予想は悪い方向に傾いた。
『今、あの竜は封印から目覚めた。力を振るい、世界を揺らしている。一刻も早く――アジ・ダハーカを殺さねばならない』
嘘……。映像で見た、あの竜が。
「冗談よね? あなたが封印してたじゃない!」
『俺にも分からん。ただ――お前の呪いがこうして解放され、意識がここに引きずり込まれたということは、竜が蘇った証拠だ』
そんな……。
今この瞬間も、暴れていて。
オリオンが、そこに――。
「止めないと……! オリオンが危ない!」
『オリオン、という者が誰かは知らん。だが判断としては正しい。――そこでだ、クルサ。ひとつ頼みがある』
淡々とした声音なのに、その奥に宿った重さは揺らぎひとつない鋼そのものだった。
『竜の復活で“呪い”の枷が外れ、お前の意識はここにある。つまり、今――お前の肉体は空いている。今ならば体の主導権を俺に譲れるはずだ』
そうすれば、俺がお前の代わりに竜を殺す。
『記憶で見せた通り、俺はかつてアジ・ダハーカと戦い封印している。お前よりは確実に殺すことが出来るだろう。多少、肉体に違和感はあるだろうが……(胸が大きい)』
言っていることは分かる。
筋が通っている。
でも――。
「あなたなら、あの竜を倒せるってことよね」
『俺の記憶をお前に見せたのはその言葉が真実であるという証明をする為だ。もしもまだ信用ができないというのであれば、それはそれでお前の選択。世界は滅びの道を歩み、お前が言うオリオンとやらも……」
見ず知らずの男に“体”を渡すなんて。
どれだけ英雄だろうと、そんなこと、簡単にできるわけがない。
だって私は――
オリオン以外に、体を預けたくない。
胸の奥が痛むほどざわつく。
だけど、悩むより先に答えは決まっていた。
「……分かった。ただし、一秒でも早く終わらせて。すぐ返して」
今まさに、オリオンのすぐそばで竜の爪が振り下ろされているかもしれない。
迷う時間なんて、どこにもなかった。
『約束しよう』
その言葉は、簡潔で、けれど重かった。
――オリオンを助けられるなら。
そのためなら、私は。
何だってやる。
*
こうしてクルサはスラエータオナに体の主導権を明け渡した。
一方その頃――現実世界。
ガタタタ…… ダンッ。
生き物の三分の一が、
たった一体――アジ・ダハーカの存在だけで、息絶えていた。
「シャアアアアアアアア!!!!」
「きゃあああ!!」
奇跡的に生き残っていた少女は、迫りくる異形の影に震えた。
痛みが来るはずだった。死が訪れるはずだった。
ぽわんッ!!
ガンッ!!!!
ダンッ!!!!!!
「ぎぎ……ぎっ……!」
……だが、痛みは来ない。
そっと目を開いた少女の前に――七つの影が立っていた。
巨大なゲートが開き、炎と煙の中から降り立つ巨影。
その背中は、濃い影をさらに黒く染めるほど大きい。
「大丈夫か? お嬢ちゃん」
「あ……あなたは……!」
「俺はヘラクレス。そして――まあ、細けぇことはいい。後は俺らに任せな」
その名を皮切りに、“英雄”たちが次々と炎中に着地する。
ヘラクレス。シリウス。ゼノン。
ロキ。アスモデウス。ゼーロ。
そして――クルサ。
竜を討つため。
世界を救うため。
七人は終焉の地へと踏み入れた。
その様子を見て、アジ・ダハーカの三つの咢が愉悦に震える。
【……来たか】
咢が重なり、地を呪う詠唱が響く。
【冥界門】
ウィィィィィィン……ッ ガシャンッ!!
空間が悲鳴を上げ、裂けた。
黒鉄と瘴気で組み上げられた巨大な門が天へ向かって伸び上がる。
かつて聖都市を沈めた門――その“倍以上”。
【出てこい】
――開いた。
境界が破壊され、世界は魔界と直結した。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド……!!!
形なき叫び、脈打つ肉塊、牙と脚を持つ影。
悪夢が奔流となって溢れ出し、地を覆い尽くす。
さらに――
ピン…… ピン…… ピン――
ドンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
「グウゥゥゥ……ウォオオオオォォォォォ!!!!!!」
冥界の番犬・ケルベロスが咆哮と共に飛び出す。
続いて背後から、腐肉を引きずる“異犬”が整列し、絶叫する。
「さぁ、暴れましょう♡」
蜘蛛の女王・アラクネが妖しく笑い、
無数の蜘蛛の眷属が門から這い出した。
「全ては、主の御心のままに」
蠅の王・ベルゼブブ。
掲げた片手に六つの魔法陣が広がり、
そこからフルレティー、サタナキアら“六大悪魔”が降臨した。
――三柱の悪夢が、大地に立つ。
ヘラクレスたちは誰一人として言葉を発さない。
燃えさかる炎の中を、ただ前へ歩き出す。
目的はただひとつ。
千年前と同じく――クルサがアジ・ダハーカを討つための道を開くこと。
各々が戦う相手は、すでに決まっている。
後は、戦うだけ。
こうして――最終決戦が幕を開けた。
ヘラクレス VS ケルベロス。
シリウス VS 異犬・蜘蛛の群れ。
ゼノン VS アラクネ。
ロキ VS ベルゼブブ。
アスモデウス VS 六大悪魔。
ゼーロ VS 無限の異形。
全員が一斉に動き出し、正面衝突。
最後の都市が激しく揺れ、爆発があちらこちらで巻き起こる中……
タッ タッ
ただ一人。
炎をくぐり抜け、瓦礫を踏みしめながら、
クルサースパ(中身はスラエータオナ)は“竜”の正面へと歩み出た。
*
【……クルサ、なのか?】
こやつらが来ることは想定通りだ。
聖都市で我が軍勢を見せた以上、奴らが役割分担して挑むことも読んでいた。
だが――
我の前に立つのが「クルサ」だと?
本来なら相手はハルク、もしくはロキ。
そう考えていたが、これは完全に予想外だった。
あの時、我がこやつに魔法を与えなかった場面を見られていたのか?
可能性はある。だが、もはや関係ない。
今の我は、世界を沈める覚悟でここにいる。
都市では正体不明の感情に揺らぎ、場を離れた。
だがもう、迷いはない。
たとえクルサが相手であろうとも――容赦などせん。
……なのに、何だ?
胸奥を逆撫でする、このざらりとした“違和感”は。
理解不能の“兆し”。
そして、それは――音を伴って姿を現した。
――シ。
バンッ!
メキメキメキメキメキ――ッ!
直後、空気そのものが破裂した。
ドガァァァァァァァァァァン!!!!!
【……何!?】
我の“中頭”が、
クルサの拳――たった一撃で粉砕された。
巨躯も、鱗も、すべてが紙のように、軽々と吹き飛ぶ。
理解が追いつかない。
怒りより先に、言葉よりも先に――
“恐怖”が生まれるほどの衝撃だった。
……
次回:第七十九話 最悪の展開とは何か?……これだ




