第七十六話 涙は【絶望】……【別れ】……【希望】と共に
アジ・ダハーカが聖都市を離れたその頃――。
*
【絶望】。
*
バラバラ……ガタン。
「あっ、あぁ……っ!」
ヤバいことが起きると思った俺は咄嗟にマイラに覆いかぶさり、全部の魔力を使って防御に徹した。
ポタ、ポタ……。
……が、このザマだ。
右腕は折れて、左腕は……千切れてやがる。
瓦礫の破片が全身に刺さって、血が止まらねぇ。
体中が痛ぇのに、不思議と頭だけはやけに冷静だった。
さっきまで、背中越しに“死”を感じてたおかげかもしれない。
……けど、どうやらもう、去ったみてぇだな。
マイラは――無事、か。
目を見開いて、呆然とこっちを見ている。
良かった。
ヨセフ、見てるか?俺は……お前の女を守った、ぞ。
……あ、やべ。視界が……滲む。
こりゃ、マイラに止め刺されて終わりだな。
シリウス、すまねぇ……後は頼んだ。
皆、ヨセフ……今、そっちに――
バタン。
・
・
・
「なんで、私を庇うのよ……」
・
・
・
ポワン。
「……ん、……ん……?」
目を覚ますと、全身が緑色の優しい光に包まれていた。
治癒魔法――だ。
夜空を照らすみてぇに、光がゆっくり俺を包んでいく。
寝転がっている俺の隣に、誰かの影。
ぼんやりと目を凝らすと――。
「……マイ、ラ……?」
信じられなかった。
俺に治癒魔法をかけていたのは……マイラだった。
「な、何してんだ……? 俺を殺すんじゃ、なかったのかよ」
マイラは光の中で、ゆっくりと顔を上げた。
そして、小さく首を傾げて――。
「うん。そう、私はあなたを殺すために……でも、もう分かんないの。自分が何をしているか」
彼女は両手を俺に向け、必死に治癒魔法を続けていた。
けど、治りが遅い。
俺の傷が深いせいもあるが……マイラの表情を見れば、原因は明らかだった。
暗く、虚ろな目。
さっきまでの殺気も、魔気も、もう微塵も残っていない。
――真実を聞かされ、仇である俺に何をしていいか分からなくなってる。
その証拠に、殺そうとしていた俺に、今こうして治癒をかけている。
「……俺の話を、ゴホッ、信じてくれたのか?」
「……ううん。信じてない」
「そうか」
「……信じたくないから」
マイラは小さく息を呑み、沈黙のあとに言葉を零し始めた。
「……だって」
彼女は、全部を話した。
復讐のために組織に身を投じ、膨大な魔力を与えられたこと。
俺とシリウスを狙う命令を何度も遂行してきたこと。
そして、この作戦で確実に二人を仕留めるように指示されていたこと──その組織の名が《黒翼》だということまで。
話を聞いて、当然、俺はまず驚いた。
一瞬、殺意が湧いたことも否めない。だが、それはすぐに薄れていった。
話の筋をたどれば、マイラは「魔族化」という概念そのものを知らされていなかったらしい。
彼女を動かしていたのは復讐と命令だけ。
黒翼に「都市に魔族が現れる混乱を利用して二人を仕留めろ」と持ちかけられ、復讐の遂行を手伝う見返りに力を与えられた。
一件協力的に見えるが、黒翼はそんな奴らじゃ無い。
きっと、マイラは用が済めば捨てられるただの駒だ。
今日が終われば始末されるのだろう。
想像の域を出ない部分もあったが、それでも、聞けば聞くほど事実が輪郭を得ていった。
そして、心が苦しくなった。
あの日、俺とシリウスが仲間を失ったときの痛みより、ずっと深い哀れを感じた。
マイラの瞳がうるんだ。
今にも崩れ落ちそうなほど脆く見える。
だが、涙は流れない。流せないのだろう。
俺たちと同じで、感情の大半を捨てて復讐に身を捧げてきた——そんな風に見えた。
「ねぇ、カイザー。私は、ヨセフを魔族に変えた黒翼の言いなりになっていたって、そういうこと?」
声は震えていたが、言葉そのものはまっすぐだった。
俺は息を吐いた。
喉の奥に、何かが詰まる。
どう返せばいいのか、どれだけの言葉が許されるのか、分からなかった。
「……」
「今まで、ただあなたたちを殺すためだけに命令に従ってきた。村も焼いた。大人も子どもも殺した。全部……全部、復讐のためだからって……」
「……」
「どうして……どうして私を庇ったの!? こんなことになるくらいなら、あの爆発で死んでおけばよかったのにっ!」
マイラの叫びが、夜の静寂を裂いた。
その声には怒りも悲しみも、何もかもが混ざっていた。
俺はゆっくりと手を伸ばし、右腕でマイラの頭を包み込む。
そっと胸元へと引き寄せ、子どもをあやすように髪を撫でた。
「お前は、何も悪くない。だから……泣いていいんだ」
その一言で、マイラの肩がびくりと震える。
「……なに、してるの……?」
「ヨセフだったら……こうすると思ってな」
「うん……意味わかんない……意味、わかん、ないのに……」
ツゥ―――
頬を伝って、ひとすじの涙が落ちた。
「あれ……なんで……う、うん……なんで、わたし……わたしはぁ……!」
声が崩れ、涙が止まらなくなる。
マイラは俺の胸の中で泣きじゃくり、今まで押し殺していたものを全部、吐き出すように嗚咽を漏らした。
*
【別れ】。
*
ガタガタ ダンッ
「大丈夫、か?」
俺はシリウスとゼノンに覆いかぶさり、危機を乗り切った。
「ありがとうございますっ!先生っ!」
「チッ、貸しにするつもりはねぇからな」
生徒を守れたことは良かったが、情けない。
ブル……ブル
あの気配を感じた瞬間、反射的に膝が笑った。
千年ぶりだというのに、体が勝手に“死”を思い出しやがる。
理由なんざ分かりきってる。――奴が、蘇ったんだ。
数えきれぬ命を奪い、文明を飲み込み、大地の形すら変えた災厄。
幾千万の神々を屠り、天を喰らった竜。
竜王――アジ・ダハーカ。
あの化け物を止められるのは、スラエータオナただ一人。
だが……その英雄はもう、この世にいない。
……ったく、こんなことになるなら推しに全額投資すればよかった。
俺は震えた膝をぶっ叩き立ち上がり歩き始めた。
「おい、どこ行くんだ?」
ゼノンの声が背中越しに聞こえた。
さっきの戦いで傷一つ付いていないとは、さすが学園一位。
それにシリウスもゼノンの攻撃に完璧に合わせていた。
協力したことはないはずだが、良く取れた連携、この二人の力は欲しい。
そういや、さっきまで戦ってた蜘蛛女の姿が見えない。
あの爆発のあと、魔気の気配が途絶えた。
まさか死んだ……?いや、あり得ねぇ。あれだけの化け物が、あんな程度で死ぬわけがない。
というか、あの竜の仲間の可能性が……まぁそんときはそん時だな。
「聞いてんのかよ、先生!」
「お前たちも来い」
振り返りざまに言う。
「あの竜が復活した以上、一日ももたずに世界が崩壊する。――それを止めるぞ」
倒せねぇのは分かってる。
こっちが一方的にやられることもな。
だが――抗わねぇ理由にはならない。
せめて、奴のツラに一発、拳を叩き込んでやる。
俺の推しがいるこの世界をそう簡単に壊されてたまるか。
二人に簡単に状況を説明し、俺たちは崩壊した聖都市の中央へと歩を進めた。
……数分後。
瓦礫と灰の舞う中、俺たちは足を止めた。
辺り一面、更地だ。
そして――その中心に。
「……ジークフリート!」
そこに横たわっていたのは、俺の弟子だった。
血が地を染め、周囲には肉片と焦げた石片が散らばっている。
酷い欠損だ。治癒魔法を――そう思って駆け寄った俺は、すぐに気づいた。
「お前……」
死んでいる。
近くにいるだけで圧を感じたあの魔気が、完全に消えていた。
心音は止まり、瞳は光を失っている。
口をわずかに開いたまま、もう何も言わない。
「……ふざけんなよ」
拳が震えた。怒りで、悲しみで。
ツゥー。 ポタッ。
「誰だァ――ッ!!」
俺は涙を流しながら叫んだ。
天地を裂くような声で。
「誰だ、ジークフリート……俺の弟子を殺した野郎はッ!!!」
その時、ゆらりと立つ影がひとつ――。
黒翼のアスモデウス。
その顔を見た瞬間、俺の理性は吹き飛んだ。
拳に全ての筋肉を集中させ、地を蹴る。
「テメェかァァァァァァァ!!!」
地面を砕き、風を裂き、俺は飛び込んだ。
*
【希望】。
*
もう、全てが無意味だ。
今まで幾年もかけて練り上げてきたこの計画も――われ(ロキ)の描いた新世界も――すべて。
だが、不思議と怒りはなかった。
結局のところ、自ら壊したも同然なのだから。
それにしても、われの人生とやらは、とことん終わっていると再確認させられた。
まさか、こんなにも近くに――あの化け物が転生していたとは。
この計画の最中に現れるなど、誰が想像できただろうか。
悪神を蘇らせるために用意した生贄も、魔族化した人間も、一匹残らず喰われた。
挙句、われら黒翼までも奴の糧となり、膨大な魔力を取り戻してしまった。
もはや、スラエータオナという英雄なき今、あの竜を止められる者は誰一人として存在しない。
――世界は、われの望み、崩壊へと向かう。
夜空を見上げながら、創造の夢を潰された無念と、腐りきったこの世界がようやく終わるという安堵。
相反する二つの感情が、胸の奥で鈍くぶつかり合う。
「ロキ……生きておったか」
「……」
声のする方へ視線を向ける。
そこには、黒翼を広げ、斜め上からゆっくりと降りてくるアスモデウスの姿があった。
「よう分からんが、ワシらは殺されず、どうにか生き延びた。……これからどうするつもりだ?」
「どうもこうもない。計画はもう終わった」
「何もしない、というのか?」
「そうだ」
これで全てが終わ……
ドンッ!
「アスモデウスーーーッ!!!」
キンッ!バンッ!!!!
ガガガガガガ……
われの横から、突然、巨腕が振り下ろされてきた。
危機一髪、アスモデウスが素早く結界を展開し、攻撃を受け止める。
「──これは、これは。英雄ヘラクレスではないか」
アスモデウスの声が冷たく響いた直後、ヘラクレスの怒号が場を裂く。
「アスモデウス!お前がジークフリートを殺したのか!」
「ジークフリート?ワシの担当ではなかったが……」
「嘘つくんじゃねぇ!誤魔化すんなら、ここら一帯ごと吹き飛ばすぞ」
ヘラクレスの魔気が爆発的に膨れ上がり、空気が重く沈む。
その身に刻まれた筋肉が膨張し、地面が軋むほどに圧が増していく。
急に現れたかと思えばこの怒号——
“ジークフリート”という名を聞いた瞬間、われは大体のことを察した。
「待て、ヘラクレス」
「……その声は……ロキ、か?」
われはゆっくりと彼の肩に手を置き、静かに状況を語った。
――――。
「……お前が、あの竜を復活させた、だと?」
「そうだ。我が聖剣:レーヴァテインの力で」
「なぜ、そんなことを……。英雄のお前が!」
「英雄、か。それは――うぬらが勝手に押しつけた称号に過ぎん。
われは一度たりとも、自らを英雄と思ったことなどない」
「なぜこんなことをした! 自分が何をしでかしたのか分かっているのか!!」
「こうなることを……望んでいたのだ。数十年前から、ずっとな」
「数十年前……お前、まさか……。じゃあ、アルターが言っていた“あの方って野郎”は――」
「われ、だろうな」
「くっ……!」
アルターが何を語ったのか、正確には知らん。
だが、ヘラクレスの表情は一変した。アスモデウスに向けていた鋭い視線が、今はわれに突き刺さっている。
憎悪と絶望の混じったその顔を見れば、もう理解しているのだろう。
――この惨状を生み出した張本人が、われであると。
ヘラクレスの怒りは頂点に達し、空気が震えた。
爆発的に膨れ上がる魔気。
われは咄嗟に構え、いつでも剣を抜けるように手に力を込めた――だが。
……魔気が、止んだ。
「……はぁ――。ロキ、お前には……失望した」
彼はゆっくりと背を向け、低く、しかしはっきりと問いを投げた。
「ジークフリートを殺したのが、誰か分かるか?」
「あの竜だ」
「……そうか」
ヘラクレスは短く答えると、背を向けたまま歩き出した。
その肩越しに漂うのは、怒りでも悲しみでもなく――ただ、諦めだった。
静寂が訪れようとしたそのとき。
「僕は残る。やっと……みんなの仇が取れるのだから」
低く燃えるような声が響いた。
制服姿の青年――金髪の男だ。確か、マイラが殺したがっていた学園の生徒。
この場に生き残っているということは……本当に、あの人形は使えんな。
だが、どうでもいい。
この金髪の復讐も、人形の復讐も――全てが無意味だ。
そう、世界そのものが無意味。
……この瞬間までは、確かにそう思っていた。
「ちょぉ~っとそこにいるお兄さんたち~、ロキ様~!聞いてほしい話があるんだよねぇ~」
甲高い声。ゼーロだ。
彼女の手には一振りのナイフ――その刃先が、一人の女の首筋へとぴたりと添えられていた。
「もしかしたら~、この女を使えば、世界を救えちゃうかもよ?今は意識ないけどさぁ~」
ドクンッ。
胸の奥が、熱を帯びたように脈打つ。何だ、これは……。
「ゼーロ、どういうことだ?」
「ロキ様!この女……もしかしたら、英雄スラエータオナと同じ。あの竜の力が“効かない”存在かもしれないんだよ!」
ゼーロは語った。
先ほどまでクルサという女と交戦していたが、竜が復活した瞬間、死の気配を感じ、咄嗟に防御魔法を展開したという。
そして――周囲一帯、都市そのものが吹き飛んだ中で、彼女は気づいた。
ただ一か所、自分の立つ場所だけが“避けられていた”のだ。
魔法のせいではない。
瓦礫も、魔気も、暴風も――すべてが、まるでそこを通らぬように流れ去っていく。
その原因は、自分がクルサの“背後”に立っていたからだと。
この女が竜の力を拒絶するように見えたと。
英雄:スラエータオナのように、と。
ドクンッ――ドクンッ。
心臓が、これまでにないほど強く鳴った。
そして、頬を伝う一筋の涙に気づく。
ツゥ……
それは悲しみではない。
何かが――この胸の奥で蘇っていくような感覚だった。
われは震える唇で、ゆっくりと笑みを形づくる。
その口角が、不気味に――、そして確かに――上がった。
……
次回: 第七十七話 敵か味方か、正義か悪か、死か生か




