第七十三話 【終焉】の音
このオリオンたちはいつ現れていたのか、何をしていたのか?
数分前の出来事。
オリオンはゼーロの刃に貫かれ、地面に倒れていた。
全身に巡る毒。だが、彼は呻きもせず、ただ笑った。
【……喰え】
皮膚の下から蠢く異形たちが、毒に侵された肉を貪り食う。
肉片が削がれ、再生する。血が蒸発する。
瞬く間に傷は塞がり――次の瞬間、オリオンは拳を大地に叩きつけた。
ドガァァァァンッ!!!
土煙が巻き上がる。
その中心でオリオンはゆっくりと立ち上がり、自らの両腕を手刀で切り落とす。
ズバァッ!!
地に転がった二本の腕が痙攣し、膨張し、裂け、骨と筋肉が暴れ狂うように再構成されていく。
ケルベロスの能力により、やがてその肉塊は人の形を取り、同じ顔を持つ――二体のオリオンが立ち上がった。
こうして、聖都市に【三人のオリオン】が現れたのだ。
本体がジークフリートの元へ向かい、戦っている中、
残りの二体は【異形たちと共に魔族化した人間及び、黒翼の団員、散らばっていた無数の死体、全てを喰らっていた】。
それらが“この場”に戻ってきたということは――。
ヒゥ~
ジークフリートがようやく異変に気付く。
冷たい風の音。
所々で戦闘音は聞こえるものの明らかに静かになっていたのだ。
思考の奥底で、嫌な予感が形を取る。
――そう、気づいていなかったのだ。
この激戦の最中、魔族化した人間、黒翼の幹部以外の“全員”がいなくなっていたことに。
本体がゆっくりと右手を上げる。
【来い】
――ズズ……ッ
二体の肉体が溶け出し、黒い液状となって流れ込む。
本体の中へ吸い込まれていく。
ドクン――
ドクン――
ゾワッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ジークフリートはその光景を前にただ立ち尽くす。
脳は最後の景色を見せていた……。
*
「ジーク」
病室のドアを開けると彼女はベッドに横たわっていた。
私はゆっくりと彼女の隣へと座り込む。
左手には銀色の指輪。その手が、ゆっくりとこちらに差し出される。
私は、その細い指を両手で包み込んだ。
少しでも体温を分け与えようとするように。
「……今日は、来ないでって言ったのに」
「……」
「そんな顔、しないでよ。泣き虫さん……」
「……」
頬を伝うものを止められなかった。
ポタリ――ポタリ――
涙の音が、静かな病室に響く。
今日は、彼女の命日だった。
ヒュウ……ヒュウ……
かすかに響く呼吸音。
胸の上下が、ゆっくりと、けれど確実に弱まっていく。
かつて無数の治療器具に囲まれていたベッドも、
今はただの白い布に包まれているだけだった。
薬も、痛みも、もう彼女を縛らない。
けれど――
その穏やかな顔を見て、私は胸の奥が締め付けられた。
「……ヒルト」
名を呼ぶと、彼女はかすかに微笑んだ。
あの頃と同じ、優しい笑みだった。
「ねぇ……私ね、幸せだったよ」
「……」
「あなたと出会って、笑って、泣いて……それだけで、十分」
涙が頬を滑り落ち、彼女の手の上に落ちる。
それを見た彼女は指を動かし、私の手を握り返した。
「ジーク……あなたがいたから、ここまで……生きられた」
かすれた声で、彼女は微笑む。
その表情は、どんな光よりも美しかった。
「……本当に、ありがとう」
……彼女の声と共に……【中途半端】に記憶の扉が閉じていく。
…………
式を挙げたのはお互いが19歳の時。
亡くなったのは2年後。
彼女は1年、運命に打ち勝ち、21歳でこの世を去った。
生きたいという意思の表れか、死の直後、聖剣となり現世に残った。
…………
彼女のように強くありたかった。
彼女と共に過ごした、この世界を守りたかった……。
ただ、それだけだった……。
*
パンッ!!!!!!!!!!!!!!!
――空気が、弾けた。
一瞬の出来事。
オリオンが三体を統合したその瞬間、音もなく、
ジークフリートの胸の中心に“穴”が開いた。
竜の鱗のように黒く、禍々しい腕が、彼の体を貫いていた。
「……ッ!」
反射的に剣を振るう。だが――
ガブッ!!!!
オリオンの左腕が変形し、竜の顎と化していた。
その咆哮と共に、ジークフリートの右腕ごと喰い千切る。
カラン……。
血に濡れた聖剣が、音を立てて地に落ちた。
「ぐっ……は……」
口から溢れ出す血が、朱の雨のように宙を舞う。
それでも彼は、最後の力で魔法を練ろうとした――だが。
グワリ。
貫いていた腕が、無慈悲に引き抜かれる。
ジークフリートの体が、重力に従うように崩れ落ちた。
……初めから、分かっていたのかもしれない。
初めて相対した時から――オリオンの中に、あの竜の“気配”を感じていた。
ファフニールの匂いを。
だから剣を振れなかった。
少なくとも、脳はそう判断していた。
――この者には、勝てない。逃げろ、と。
バタン……。
地面に叩きつけられた体から、血が静かに流れ出す。
徐々に目の光を失いながら……。
オリオンはジークフリートに最後の言葉を告げる。
【数々の英雄を屠ってきた我であるが――中でも、貴様は最も強かった……本来なら喰らいたいところだが、止めておこう】
その場で見届けるがいい……
【貴様を屠った我が、“世界”を滅ぼす瞬間を】
黒き腕を下ろし、オリオンは一歩、また一歩と前へ進む。
その足跡のたびに、大地がひび割れた。
*
――もう、手遅れではあった。
だが、もし違う未来があったとしたら。
異形の能力を行使する際、使用者は必ず“本体よりも弱体化した”力を使う。
オリオンはケルベロスの力を借り、三つの心臓を分身に分けて現出した。
本体を殺すことは決して出来ない。
だが、右と左の心臓を宿す分身を倒していれば――
オリオンが三つの心臓をひとつに統合することもなかっただろう。
黒翼の団の誰かが。
魔族化した誰かが。
この場にいる誰かが。
ほんの少しでも早く刃を届かせていれば。
違う、結末があったかもしれない。
*
ドクン ドクン
オリオンは魔族化した人間及び、黒翼の団員、死に倒れていた者たち(騎士団長も含む)を全て喰らい、我がものとした。
大量の魔力が、流れ込む……。
ドクン ドクン ドクン
三つの心臓が激しく鼓動する。
その音だけで微かな衝撃波が巻き起こった。
皮膚の下で蠢く何かが、血肉を押し裂いていく。
やがて――
ベリベリベリ……ッ!
“人の皮”が静かに、音を立てて剥がれ落ちた。
ゴロゴロゴロゴロ……。
空が鳴動する。
世界そのものが震え始めた。
次回:第七十四話 終わりの始まり:それぞれの”終末”:「アアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




