第七十二話 最凶 対 最強
*
地面に頭を打った衝撃か。
あるいは、あまりにも多くの出来事が同時に起こりすぎて、脳が現実を処理しきれなくなったのか。
それとも――神のいたずらか。
私は、昔のことを思い出していた。
……。
「かかってこい、私は強い」
幼い頃の私には、正義の味方というものに憧れがあった。
弱きを助け、悪を挫く――単純で、眩しい夢だった。
ある日、三人のいじめっ子が、一人を袋叩きにしているのを見た。
我慢ができなかった。
気づけば拳を振り上げ、そのリーダー格の頬を殴っていた。
その一撃がきっかけで、今度は私が標的になった。
坂の下、川のそばの広場。呼び出された私は、三人に囲まれていた。
風は冷たく、湿った泥の匂いがしていた。
三体一。
拳を交えた結果は――ほぼ相打ち。互いに血を流し、倒れ込み、それでも立ち上がる。相手も私も負けず嫌いのようだ。
これはしばらく続くなと思い、もう一度、拳を構える。
その時だった。
「こら! 喧嘩はやめなさーい!!」
坂の上から甲高い声が響いた。振り向くと――車椅子に乗った少女がいた。
彼女は、坂道をものすごいスピードで下ってくる。
止まる気などない。
そのまま一直線に、リーダー格の男へ――
ドンッ!!!
男は川へ吹っ飛んだ。
「どう? まだやる気ぃ~?」
少女は車椅子の上で拳をシュシュッと突き出す。
そして……今までに感じたことのない大きな魔気を放ったのだ。
いじめっ子たちは完全に気圧され、川に落ちた仲間を助け起こして逃げていった。
私は呆然とその光景を見ていた。
――これが、私と妻の最初の出会いだった。
*
【いつまでそこにいるつもりだ?英雄】
頭上から響く、冷たくも愉悦を帯びた声。
オリオンの声だ。
ジークフリートの意識は一気に現実へ引き戻される。
未だ分からないことだからけ。
しかし、一つ明確になったものがある。
オリオンが世界の脅威、自分の敵という事実だ。
シー シャキン
彼を学園の生徒ではなく、己の敵として認識したジークフリートは剣を強く握り、地面を蹴る。
ドカンッ!!!
瓦礫が四方に散る。
次の瞬間、翼を広げたジークフリートが空を裂き、オリオンへ飛びかかった。
交錯――斜めの一閃。
空気が悲鳴を上げる。
ボコッ! ボン! ガシィッ!!
オリオンは即座に反応。
体内の異形たちを呼び寄せ、右腕を肥大化させる。
黒い肉塊が脈動し、巨腕となってジークフリートの剣を掴み受け止め
ザザザーーーー
れない。
ジークフリートの剣は異形の腕を容易く裂き、肉を断ち、骨を粉砕し、
そのまま胴を貫いていく。
刃先が左の心臓へ迫る――あと、数ミリ。
ギギギギ――ッ!!
「ッ……!?」
だが、剣が止まった。
見えない壁にぶつかったかのように。
オリオンの肉体の内側で、無数の異形が重なり合い、剣を圧縮して固定している。
筋肉が異形の群体と化し、金属のように硬化していく。
ボコッ、ボコボコッ――ガチンッ!
オリオンの瞳が細まり、唇が歪む。
【初級魔法:鉄拳】
ズガァァァァン!!!!!!
膨れ上がった左拳が鉄の塊と化し、至近距離からジークフリートの体全体をぶん殴る。
空気が爆ぜ、風圧だけで近くの建物が崩壊。
ジークフリートは受け身を取り、体をひるがえしながら、瓦礫を蹴って姿勢を立て直す。
「……初級とは言えん威力だな」
オリオンの放つ魔法は確かに“初級魔法”。
その一撃が英雄を軽々と吹き飛ばすには明確な理由がある。
異形たちによって膨張された巨腕、傷がつくたびに強固となった皮膚による質量に加え、鉄となりさらに重い攻撃となっていたからだ。
上空に浮かぶオリオンが手を差し出す。
【上級魔法:岩石弾】
轟音と共に、オリオンの周囲に大きな岩塊が出現、連射された。
ジークフリートは翼をはためかせ、剣で全弾を切り裂く。
岩の破片が閃光のように散り、気づけばオリオンの後ろ。
彼の両腕両足を切った後だった。
【さすがだな。魔法を打ち破り、かつ我の四肢を切り飛ばすとは……だが】
オリオンの声音に、わずかに愉悦が混じる。
戦いを楽しんでいる――そんな不気味な笑み。
ババババンッ!!!!!!!!
【無意味だ】
ジークフリートはオリオンがアジ・ダハーカとは知らない。故に何一つ能力が分からない。属性すらも。
ジークフリートの斬撃で切り落としたはずのオリオンの手足が、蠢く肉塊となって再生していく。
黒い筋繊維が骨を生み、皮膚が瞬時に覆う。
ジークフリートは目を見開いた。
魔法を詠唱しておらず、一瞬で体が再生した。少なくとも人間の成せる芸当でない。
不意を突かれた英雄は重い拳を喰らい、真下へと急降下。
翼を広げ、地上に着く寸善で勢いを殺しきった。瓦礫を巻き上げながら体勢を立て直す。
顔を上げ、低く呟く。
「……お前、人間ではないな」
先ほどの再生能力、無数の手下、全身から感じる圧倒的な存在感。
――そしてファフニール……竜と同じ匂い。
その時、答えはもう導き出されていた。
【いつから、我が人間だと錯覚していた】
「……」
シュン バンッ――。
シュン バンッ――。
シュン バンッ――!
次の瞬間、白と黒の残光が、都市上空を幾重にも駆け抜けた。
空を裂く閃光と、爆ぜる雷鳴。
──ドドドドドドドドッ!!
オリオンの姿が掻き消える。
火炎の尾を引きながら右へ、氷の刃を撒き散らしながら左へ、雷を纏って前へ――
炎、氷、風、雷、闇。
様々な属性の魔法を放ちながら空中を縦横無尽に暴れまわる。
ジークフリートは聖剣で全てを受け流し、オリオンの後を追う。
「一体、いくつの属性を宿している」
ジークフリートの目が細まる。
炎の爆発が視界を覆ったその瞬間、背後から気配。
反射的に振り向く。
オリオンの拳がすでに眼前に迫っていた。
──ガァァンッ!!
衝突。
剣と拳が激突した瞬間、衝撃波が周囲数百メートルに拡散。
雲が千切れ、稲光が星々を照らす。
衝突の中心で、二人は互いに押し合う。
ジークフリートは歯を食いしばり、刃を軸に身体をひねった。
ザーーーーーーーーーーーーザンッ!!!
剣をクルリと回転。
オリオンの腕を中心に旋回し、鋭い軌跡を描いて切り裂く。
首に向かって……
「融合魔法:轟雷爆葬・深淵斬」
雷と闇の一閃。
天地を貫く轟音とともに、オリオンの首が断たれた。
漆黒の雷がビリビリと弾け、切断面を焼き切っている。
しかし――
バンッ!!
「……首を切っても死なないとはな」
オリオンの頭部は、まるで何事もなかったかのように再生する。
肉が蠢き、骨が再構築され、再びその顔が現れる。
ジークフリートの瞳がわずかに揺れる。
だが、諦めるわけにはいかない。
敵を倒さねばならないと、体中の細胞が叫ぶ。
一刻も早く――。
だが脳は、その意思とは真逆の方向へと働く。
まるで【脳が逃げ場を求めているように】……勝手に、過去の扉を開いていくのだ。
*
「ジーク!ほら見てなさい!見ての通りちゃんと立て、あぁー!」
――おい。 ぼふっ。
「あまり無茶をするな」
急にベッドの上で立とうとして、倒れそうになった彼女を支えた。
大人しくしろと言いながらゆっくりとベッドへと戻す。
「えっへへ」
彼女は生まれつき体が弱かった。
魔力量は常人の何倍もあったが、それに全てを吸われてしまったかのように、他が欠けていた。
左目は白く濁り、前髪で隠している。そして、その髪は色を抜かれたように真っ白。両足の筋肉が弱く自分で立てるのは数秒、ずっと車椅子での生活。
余命は二十歳。
死が、あらかじめ約束された人生。
その話を初めて聞いたとき、私は“可哀想”だと思った。
定期的に繰り返される手術。
痛み、苦しみ、絶望――それを考えるだけで、私は耐えられそうにないと思ったのだ。
けれど、彼女は強かった。
ベッドの上でガッツポーズをする彼女はこう言うのだ。
「こんなのへっちゃら!あと10年も生きられるもの。い~い?今のうちにワタシという存在を刻み込んでおきなさい!ジーク!」
彼女の笑顔を私は未だ鮮明に思い出せる。
その後、小・中・高と同じ学園を共に過ごすうちに――
私は、自然と彼女に惹かれていった。
*
【もっとだ!】
バンバンッ! ドドドッ!
シュン! キンキキンッ! ドンッ!
バシンッ! キィィィィン――バンッ!!!!!!!!
【もっと本気を出してこい】
ダダダダダダダダダダダダ――ッ!!
キキキキキキキキキキキ――ッ!!
「……ッ!」
*
「ジーク見て見て〜! 今日の祭りのために買った浴衣〜。どう? 似合ってる?」
車椅子に乗りながら、彼女は浴衣をひらりと広げてみせた。
私は直視できず、顔を背けた。
心の中で――“似合ってる”と返事をして。
*
ドカンドカンドカン
ダッバンッ
シュウィーン ババババババババー!!!!!!
*
「中学校最後の旅行だよ?せっかくこーんなに広い水族館に来たんだから、ワタシのことは放っておいて、違う子と回ってきなよ」
「……」
「ジークはただでさえモテるんだから……ほら、あそこのクラスの女子。きっとあなたのことを狙ってるのよぉ〜。行ってきな」
私はその女性に見向きもせず、言うことも聞かず、彼女の車椅子を押した。
*
ガタンッ――!
ドシュッ ガギィン!! バリィィィィンッ!!
*
「聞いてよ!こないださぁ~」
*
キィィィィィィィィィンッ!!
ズドドドドドドドドドドッ!!!
ガガガガガガガガガッ!! バァァァンッ!!!
*
「手……繋いでいいって言ってない。だっ、ダメとも言ってないでしょ。バカ」
*
ズバァァァァァンッ!!!
ドシュドシュドシュドシュドシュッ!!
バリィィィィンッ!! バキィィィィィンッ!!!
グワァァァァァァァァンッ!!
*
「また、二人っきりだね。いつもかw へへ」
*
ドガァァァァァァァァンッ!!!!
ドドドドドドドドドッ!!!
ギャリィィィンッ!! バチバチバチバチッ!!!
*
「もう少し、一緒に居てよ」
*
ダンッ!!!!!!!!!
*
「いいよ……ぎゅー……して」
*
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
――青白い閃光。
彼女との思い出が頭の中をよぎる中、ジークフリートはオリオンを何度も殺していた。何度も……何度も。
斬り刻み、貫き、焼き尽くし、粉砕した。
それでも奴は再生する。
細胞が瞬時に蠢き、より強固に、より冷たく。
――無限に命があるが如く。
それでも、ジークフリートは諦めていない。
未だ希望がある。それは心臓だ。
体の至る所を切ったが、オリオンは心臓を守るように立ち回っている。
ならばそこが“核”だ。そこを断てば終わる。
その希望だけを支えに、彼は剣を構えた。
カン……。
深く息を吸う。
ビリ――ビリビリ――ビュシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
シュワンッ!!!
ピキィィィィィィィィィィン――!!!
雷、闇、光――三つの属性が蠢き、交わり、弾ける。
ジークフリートの周囲に、世界の理そのものがねじれ始めた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!
エーテルが吸い上げられ、空気が歪む。
やがて、彼の体が爆ぜるように輝いた。
ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……!!
「超級融合魔法:雷神滅翼・断界閃嵐」
ピンッ――。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ズガガガガガガガガガガガッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ジークフリートは光そのものと化し、
音よりも速く、空を裂いた。
――バシュンッ!!!!
――ギュインッ!! ザンッ!!!
――バババババババババババンンンンンンン!!!!!!
天地を貫く一閃。
アラクネを屠ったあの一撃が、今、オリオンを穿つ――。
………………
………
次回:第七十三話 『竜をころし――――えい、ゆ………』
ジリ……ジリ……ジリ……
じじじ……次回っ……:だだだだいっ……666888話……
――――シュンッ。
・・・・・
・・・・
・・
・
【……素晴らしい。ここまで“殺された”のは初めてだ、ジークフリート】
静寂を切り裂くように、低く響く声。
黒い靄が立ちこめ、オリオンの姿が、再び、そこにあった。
【実に……楽しい。永遠に戦いたい気分だ】
……それと同時に最悪の気分ともいえるがな。
【貴様のような強者であっても……我を滅ぼすことはできぬ。この事実が、どれほど絶望的か……理解できるか?】
・
・・
・・・
・・・・・
体内にいる異形たちの力が使えるオリオン。
現在、ベルゼブブとアラクネは外にいるため使えない。
……だが、オリオンは今、異形の力を使っている状態にある。
力の根源は……魔界の番犬「ケルベロス」。
そして、その能力は……
【自身を三体に分ける】。
――シュドンッ!! ――シュドンッ!!
雷鳴のような着地音が二度、響いた。
砂煙が巻き上がり、焦げた風がそれを払う。
やがて、ゆらりと揺れる黒影の中から――二人の影が現れる。
それは鏡写しのように、同じ顔、同じ気配、同じ笑み。
立っていたのは――
【二人のオリオン】だった。
……
次回:第七十三話 【終焉】の音




