第四十六話 竜 対 竜:破壊される三つの心臓……永劫の苦悩
静まり返った魔界。
ただ黒と赤が混じる空の下、そこに立つのは一頭の竜と、一人の人間。
一見すれば、戦いにすらならない、あまりにも歪な構図。
だが、実際に震えていたのは、竜――ファフニールの方だった。
竜眼は捉えている。
そこに立つ人間が、“何者”であるかを――。
緊張が骨の髄を凍らせる。
【どうした……】
ビクンッ――。
低く、確実に芯を貫く声音。
人間のものとは到底思えぬその言葉に、ファフニールの巨体が怯えたように揺れる。
【まぁ、いい。それよりも、だ。ファフニール……貴様を蘇らせたのは、誰だ?」
その問いが放たれた時、魔界の空気がわずかに揺れる。
オリオンが“ジークフリート”ではなく、“ファフニール”との戦いを選んだ理由は三つある。
一つ、ファフニールを蘇らせた黒幕を暴くため。
二つ、強大な竜を喰らい、魔力をさらに増大させるため。
三つ、ただ、遊ぶため。
しかし、ファフニールは怯えきり、なおも沈黙したままだった。
仕方ない――。
そう割り切ったオリオンは、即座にベルゼブブの呪いを付与しようと、ファフニールの瞳を見据える。
ドクンッ
全異形の力を自由自在に操るオリオンの能力。これは、ローゼに掛けた呪い……【王の瞳】。
【貴様を蘇らせた者は誰だ……言え】
その命令が、重くのしかかるようにファフニールの精神に食い込む。
抵抗しきれず、ファフニールの口が動こうとした――その時だった。
シュゥゥゥドンッ!!
黒い霧が突如として噴出し、ファフニールの全身を覆った。
「ガアァァッ……ヴァアアアアアアアアアァァァァアッッ!!!!!」
苦悶と狂気が交じるその叫びに、周囲の大地が震える。
これは――「絶対の指輪」の効果。
命令は「洞窟にいる生徒を殺せ」。
今、オリオンが人間として正体を晒したことで、「学校の生徒」という条件は満たされた。
ここまでなら、指輪の効果は発動せず、ただ呪いによって従っていただけだ。
だが、決定的な要素があった。
――彼の肉体は、“同時に”洞窟にも存在している。
オリオンは、魔界と洞窟という二つの空間に同時に存在するという異常な状態にある。
その矛盾こそが、《絶対の指輪》の命令を成立させてしまったのだ。
「――グギ……ギィィィ……ア、アアア……アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
ファフニールが叫ぶ。
それは咆哮でも雄叫びでもない、苦悶と憎悪と命令に突き動かされた、破滅の蠢き。
シュゥゥゥーーーーピンッ ドォォォォーーーーーン!!
魔力の爆風が魔界の空を抉る。黒紫の雷が空間を走り、大地を割る。
……もはや理性の欠片もない。
指輪の命令によって増幅された魔力が、限界を超えて暴走する。
眼前の“敵”を殺す……それだけに意識が向いた。
【な、何が起こっている……!?】
オリオンは息を呑んだ。
ベルゼブブの呪いは確かに発動していた。
なのに、なぜ動く? なぜ暴れる!?
脳が理解に追いつかない。
この現象の意味に、思考が凍りつく。
ファフニールはそんなことに構わず――口元に、全魔力を集束させる。
「■■■■ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
ドドドドドドドドドクッ
咆哮と共に、放たれた。
「竜極魔法:終極毒嵐咆」
ズゥゥゥゥゥ……ヴオオオオオオオオオンッ!!! ギィイイイイイン!!! グワァァァァァッ!!!
喉奥から放たれたファフニール最大の猛毒光線。
その射線は紫に輝きながら、オリオンの視界と魔界の地表を塗り潰す。
あまりに広範囲……零コンマ数秒。
バァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
パリンッ パリンッ ピキィィィィィィィィ……ッ パキンッ!!!
ヴァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアア……!!!
オリオン(アジ・ダハーカ)の肉体は崩れ落ちた。
猛烈な毒によって焼き尽くされ、溶解し、三つの心臓が破壊された。
ズバァァァァァァァァンンンンンンンッ!!!
ドドドドドドドドドドドドォォォォォォンンンッッ!!!
一定時間、絶え間なく放たれる毒の奔流。
それはファフニールの前方に存在していた魔界そのものを塗り替えた。
紫に染まる焦土。削り取られた大地。蒸発し、崩壊した海。
そこには、もはや“地形”という概念すら存在しない。
――そして、静寂。
標的は、もういない。
ファフニールは咆哮をやめ、荒く息を吐く。
その瞳にわずかな理性が戻り始める――
【全く……何が起こったと言うのだ……理解できん】
パンッ
音が響く。
紫煙を突き破り、オリオンの頭部が唐突に再生した。
瞬きの間に、肩が、胸が、腕が、脚が、すべてが――完璧に蘇る。
標的の復活。
それを視認した瞬間、ファフニールの魔力が再び暴走する――
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
収束する魔力。膨れ上がる怒気。
その口内に、“再び”同じ魔法の兆しが――
……トン……トン……トン。
カーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「……ここは……?」
ファフニールの口が、勝手にそう呟いた。
――その瞬間、異変は訪れた。
暴走していた魔力が、一切合切、霧散した。
巨大な圧が、何もなかったかのように消え失せた。
否、強制的に解除された。
…………
中頭…中央の心臓は不死。何度でも頭が蘇る。
左頭…左の心臓は「苦痛」を宿す。
アルバートと同様……ファフニールにも苦痛という呪いが付与された。
そして……
右頭…右の心臓は「苦悩」を宿す……。
……右の心臓を破壊した者は【66秒前の行動しか取れなくなる】。
寸前の動作、発動していた能力、付与された強化能力、唱えていた魔法、魔術(時限式も含む)、その他一切の効果が無かったことにされ、【ただ、ひたすら、66秒前の一秒間に動いた動作を繰り返す存在と化す】。
ファフニールの【66秒前の行動】――それは、魔界に転移され、周囲を見渡しながら呟いた一言だった。
「……ここは……」
ファフニールの運命は固定された。
右の心臓を砕いた代償に、彼はこれから先、未来永劫――【「ここは……」と口にしながら、辺りを見回すことしかできない】。
「……ここは……」
ゆっくりと、ぎこちなく。壊れた人形のように、首を左右に傾ける。
もう、自らの意思で動くことは決してない。
思考はある。怒りもある。恐怖も、焦燥も、すべてある。
脳は必死に抗おうとする。怒声を上げ、暴れ、嘆く。
だが、肉体は決して応えない。
何一つ、意思に応じない。
繰り返すことしか、許されない。
脳だけが稼働し、永久に苦しみ続ける。
――【苦脳】……これが呪いとしてファフニールに与えられた……。
…………
「ここは……」
虚ろな声が、空間にぽつりと落ちた。
ファフニールの視界は歪み、思考は霞み、何もかもが遠ざかっていく。
ん……何だ……俺は……さっきまで、何を……。
【まさか、ベルゼブブの呪いを解除したのか……?いや、あの暴走は明らかに不自然だった。これもまた、“黒幕”の意図……ということか】
「ここは……」
また口が動く。意味を成さない言葉。
視線は泳ぎ、焦点は合わず、口は勝手に動き続けていた。
――俺は……さっきから……何を……言っている……?
思うことしかできない。
思うことさえも、すぐに崩れ落ちる。
左の心臓を破壊したことで、苦痛も同時に味わっているファフニール……意識が遠のく。
【貴様を復活させた者……黒幕を突き止めれば我の転生の原因……手掛かりになると思ったのだが……。聞き出せなかったのは残念だ】
「ここは……」
何度目かもわからないその言葉を繰り返しながら、ファフニールはただ辺りを見渡す。
【我はもう少し楽しんでも良かったが、右の心臓を破壊した以上、貴様は何もすることはできない】
「ここは……」
虚ろな呟き。
そして――
ゴギギギギギ……メキ……バキバキバキッ……!!
その瞬間、オリオンの背中が異様な音を立てて“裂けた”。
皮膚が、骨が、肉が、――何もかもを押し分けて背中から現れたのは……
一頭の首……巨大な竜の頭部。
全身が漆黒。無数の瞳。蛇のような舌が、空を舐めるように揺れ、
その口腔からは、この世ならざる瘴気と、地獄の咆哮が漏れ始めた。
【……ファフニール……せめて、“我の糧”となれ】
次の瞬間――
ヴォ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!
“それ”は、咆哮と共に、ファフニールへと喰らいついた。
グチャ……ッ、バギィッ……ズチャァ……!!
魂ごと、呪いごと、記憶ごと――すべてを砕く、咀嚼音。
グァーーーーーバギィッ……。
…………
一つの戦いはここで終わった……。
アジ・ダハーカの心臓の能力は判明した……。
しかし……アジ・ダハーカの能力は【まだまだ判明】していない……。
最凶の竜……その威厳は……【ここから】である……。
そして、忘れてはいけない……アジ・ダハーカは現在……ただの人間であると言うことを……。
…………
宴は終わりに近い……続きは「英雄」と「女王」の舞台だ……。
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第四十七話 「お前を……殺す」「もぉぉぉっと感じさせなさぁーーーーいーーーーーーーーーー!!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡」




