5.ピンチとお守り{後}
北の軍事大国ジデオンの国土は広く、わが国と隣国ハミークはそれぞれ国土の北側をジデオンと接している。東西に長くのびたジデオンの、南側の国境に沿って二つ並んだ国の内、西側がノルドラン、東側がハミークという関係だ。
寒冷なジデオンの地は農業に適しておらず、不作の年には他国に攻め入り収奪を行ってきた歴史を持つ。
そして、このたびハミーク軍が現れたのはわが国から見て北東の端、つまりわがノルドランだけでなくジデオンとの国境にも近い位置であり、現在ジデオン軍が集結している北の国境からは目と鼻の先。
(もしやこれは、ハミークとジデオンの共同作戦?)
この状況から導き出される結論に、私は絶望しそうになる。
私と第二王子の婚約は破れたとはいえ、ハミークとは友好関係を築いてきたはずが。
(それに、アーチーさんとの約束も)
今日の夕方までに何かしらの手段をとるという彼の言葉を思い出し、
(間に合わなかった……)
私は首から下げたお守りのペンダントを握りしめる。
と、そのとき。
「えっ?」
指の間からこぼれ出た強い光が、私の顔を照らした。
(水晶が、光ってる!)
ペンダントヘッドを手のひらに乗せると、明るく輝く表面にはなにか映っているようだ。
「父上、これを!」
慌てて私は、家臣に囲まれた父に紫水晶を掲げてみせた。
「――これは」
父と家臣たちも息をのむ。
そこに映っているのは、ジデオン軍と、それを迎え撃つかのように国境を挟んで立つ数名の騎馬兵、そしてその背後のわが国の国境警備隊の姿だった。
どういう仕組みなのかはわからないが、この水晶は、問題の北の国境の様子を映し出しているらしい。
こちらに背を向けた騎士たちは、伝令の情報通り、装備からハミークの者たちと思われる。それも、一般の兵士ではなく軽装の近衛兵だ。
しかも、
(どういうこと?)
予想と異なり、ジデオン軍との共同作戦どころか、わが国の者たちを守ろうとするような態勢だ。
彼らの背後の国境警備の者たちも、そして前方のジデオン軍も、私と同様、突如現れたハミークの騎士たちの意図がわからず、困惑しているようだった。
なにしろ、ハミーク王族を守るのが役目のはずの近衛兵が、当事国ですらないにもかかわらず、一触即発のノルドラン・ジデオン両兵の間になぜか立ち塞がっているのだ。
彼らが立っているのはノルドラン領であるため、わが国の国境警備隊が対応すべき事態ではあるが、相手がハミーク王族に近い立場の騎士たちとあっては、こちらも慎重にならざるを得ない。
と、騎士たちが、一糸乱れぬ動きで馬から降りた。
その場で一人の騎士を囲み、残りの騎士たちが外向きの小さな円を作る。
中央の騎士に背を向けた彼らが、揃って一歩前に進み出ると、天に向かって長銃を構えた。
(――まさか、これは)
大陸西部諸国に共通の儀式に通じる、彼らの動作。
その意味するところはわかるものの、今この場でそれを行う意図をはかりかね、ジデオン軍もわが国の国境警備隊も、そして王宮の私たちも、あっけにとられて事態を見守る。
と、
『ハミーク王弟アーチボルト様と、ノルドラン第一王女セシリア様の、ご婚約を祝して!』
騎士たちの大音声に続いて、ジデオン・ノルドラン両国の兵士たちの前で、銃声が鳴り響いた。
火薬だけの空砲――祝砲だ。
きちんと規定にのっとって放たれたハミーク近衛兵たちによる祝砲に、見守っていた両国の兵士たちと私のいる王宮の執務室が、
(――やっぱり)
という、なんとも気の抜けた空気に包まれる。
そんな中、唐突に名前を出された私は、ひとり仰天していた。
(え、何? どういうこと? 婚約? ハミーク王弟殿下?)
おまけに、手にした水晶からは、さっき聞いたのとはまた別の祝砲らしき音まで聞こえてくる。こちらはおそらく、北東の国境に集結しているというハミーク軍の大砲によるものだろう。
次々と起こる予想外の出来事に、声も出せずにいる私の手の中で、水晶に映る円陣の中央にいる騎士が、不意にこちらを振り向いた。
「アーチーさん!」
父や大臣たちの前にもかかわらず、思わず私は叫んだ。
確かにそれは、ハミーク王家の印が施された白いマントに身を包む、近衛兵の姿のアーチーさんだった。
(どうして? ハミークに帰ったの? ううん、彼が今いるのはノルドラン領)
混乱する私に笑いかけるように、こちらをみつめる彼が右の口角をきゅっと上げる。
『……アーチー様。アップはもう十分撮れましたので、そろそろ続きを』
水晶から、聞き覚えのあるクールな声が聞こえた。
(デイヴィッドさんだ)
私が気づくのと同時に、「あ、そっか」みたいな顔になったアーチーさんが再びこちらに背を向ける。
数歩前に出た彼が、国境の向こうのジデオン軍に向かって声をあげた。
『ジデオン軍に告ぐ! こたびの婚約により、ハミーク・ノルドラン両国は堅固な結びつきを得た。よってわれらハミークは、今後ノルドランへのいかなる攻撃も自国へのそれと同等とみなし、必要な手立てをとる。現在ノルドラン・ジデオンとの国境に集結しているハミーク軍は、その証である!』
(――へ?)
どうしてアーチーさんがそんな、国の代表みたいな宣言を?
私は頭をかかえる。
だいたい、なんで私、ハミークの王弟殿下と婚約したことに?
(……あら?)
そのとき、とある記憶がよみがえり、私は動きを止めた。
――当代ハミーク王の年の離れた弟殿下は、王位継承争いを避けて他国に移り住まれたと。
(待って?)
……一般に、“アーチー”とは男性の愛称。正式名は“アーチボルト”
(いや、まさか)
……さっき聞こえた、『ハミーク王弟アーチボルト様』って……。
「――はああああ?!」
父と家臣たちの前で二度目の大声を出した私を、はしたないと咎めないでほしい。
「王弟殿下?! アーチーさんが?!」
聞いてないって、そんなの!
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