⑨
太陽が西側のマンションの屋上に半分だけ隠されたとき、福田はユニフォームやシューズを入れたバックを肩から提げて、駐車場へ向けて歩いていた。斜め後ろから、豊田が声を掛けてきた。
「福田、お疲れ」
「おーっ、お疲れ」
二人の顔は晴れやかだった。スポーツの後だからという訳だけではなさそうだ。針葉樹の隙間から溢れ出された夕日のみかん色で、肌の色は健康的に写された。
「なんだ、何かいいことでもあったのか?」
福田と豊田同じタイミングで尋ねた。
「いや、なにも」
再び同じタイミングで口を開いた。そしてほくそ笑んだ。
「仕事ではないスポーツもいいものだ。いろいろ教えてくれる」
三度同じ言葉を同じタイミングで話した。福田と豊田は顔を見合わせて笑った。
「俺、子供の頃一生懸命やっていたスポーツがあってよかったよ。なんか、辛い事があっても、立ち向かおうって気になるもんな」
福田のちょっとシックな言葉に豊田もうなずいた。
「ああ、俺もそう思う。あの頃がんばっていたから、社会に出て辛い事があってもあの頃を思えばなんとかなるような気がするし」
豊田の顔が西日で照らされた。
「ウチの引きこもりにも、何かスポーツをやらせようかな」
「ショージ君。野球やっていなかったのか?」
「ああ、引っ込み自案って言うか、守りに入っちゃうって言うか、あいつは俺じゃなくてウチの妻に似たのかもしれない」
「守りに入るか………じゃ、キャッチャーがいいかもしれないぞ。お前の大変さも少しは理解するかもしれない」
北から吹く夕方の風に、落葉樹からこぼれ落ちた葉が豊田の目尻をかすめた。福田には豊田が泣いたように見えた。
「豊田。子供の頃スクールウオーズって、テレビでやっていたよな。あの中に泣き虫先生って出てきて、不良達をラグビーの力で更正させていくって話だったよな」
「ああ、そんなドラマあったな」
豊田は西側をオレンジ色に染めた鱗状の雲を見つめながら答えた。福田は豊田の子供を引き合いに出して話を続けた。
「野球の力で引きこもりを学校に行かせる事もできるかもしれないな」
「ああ、野球は日本中の子供の心を動かす事が出来る」
「あのイベント屋の言う事が本当ならば一人っ子は個性を押し出す。その特徴を持ってすればスポーツには向いているはずだ」
二人は何も語らずにうなずいた。
「俺、中学生の時体育の先生が言っていた言葉思い出したよ」
福田が下を向いて笑った。豊田も下を向いてうなずいた。
「ああ、おれも思い出した」
福田がワイヤレスキーでアルファロメオスポーツワゴンのトランクを開けた。トランクは「カチャ」と音をさせて、少しだけ浮き上がった。福田はバックを下げていない右手で、ハッチを引いてトランクを引き上げた。豊田も同じように自分の国産車のトランクを開けた。
福田が左肩に提げたバックをトランクに「ドス」と落としてから口を開いた。
「スポーツは社会の縮図だと人の振り見て、我が振りなおせ」
豊田は驚いたように福田の顔を見つめた。
「ちがう、ちがう。スポーツは全ての縮図だよ。全ての。それに、もう一つは立ち向かえば怖くないだ」
「いや、それは………」
福田は途中で言葉を止めた。豊田の言葉に反論しようとしたが、止める事にした。全ての縮図というのも間違いではないと感じたからだ。スポーツは家族や仕事の縮図と考えても思い当たる節がある。
「いい先生だったよな」
「ああ」
豊田は運転席のドアを開けて笑っている。福田も運転席のシートに腰掛けて、満足げな顔をしている。エンジンは静かな音で回転を始めた。お互いに運転席側の窓を開けた。左ハンドル車を運転する福田が先に口を開いた。
「今日の子供達もそう思ってくれたらいいな」
「ああ、そして、今日の子供達が次の子供達に伝えてくれたらいいな」
「立ち向かえば、怖くないって」
「いや、スポーツは全ての縮図だって」
最後は違った言葉を吐いた。そして、お互いに笑った。福田は公園を出て右へ曲がった。駒場の方角だ。豊田は左へ曲がった所沢の方角だ。
それぞれの、現在と未来へ向かって。
流線型の福田の車体は、タイムマシーンのように少しだけ過去へ戻る事を選択した。
「ゆかり、泰人です。いま、さいたまからそちらへ向かっている。少しだけ会えないかな」
福田はゆかりの携帯電話へ留守メッセージを残すと、高速道路の入り口へ向けてタイムマシーンの舵を切った。
胸にスポーツは家族の縮図だという地図を広げて。
つづく