③
出演者控室1のドアを開けて入ってきたのは、イベント会社のディレクター高橋と、浦和レッドのユースリーグに所属する三人の選手、そして埼玉西部ライオンズの育成枠選手三人だった。
「済みません。遅くなりました」
最近のスポーツ選手は先輩よりも遅く現れることも珍しくはない。いや、それはスポーツ選手だけではなく、会社員にもお笑い芸人にも言えることのようだ。上下関係が重要視されない組織形態になってきているということだろう。
「遅いぞ、お前ら」
豊田が先に口を開いた。福田も続いた。
「お前ら、ユースだからって甘えちゃだめだぞ」
レッドとライオンズのユニフォーム姿の六人は、口々に言い訳をしながら、畳まれたパイプいすを広げて腰を下ろした。六人と一緒に入ってきた高橋が、書類を八人に回した。書類はA4のコピー用紙十枚を左側上部をホチキスで留めたもので、スポーツ教室の実施概要やスケジュールが書かれていた。
「両チームの広報担当の方にはお伝えしていますが、改めて皆さんに今回のスポーツ教室の概要と、スケジュールを説明させていただきます。あっ、広報の方ですが先ほど電話がありまして、あと」
高橋は自分の左腕をあげて時計を見た。
「二十分ほどで到着するとおっしゃっていました。時間がないので説明だけ先にさせていただきます」
〈広報担当者にこれだけ放っておかれるスポーツ選手も珍しいな〉と、自分のことながら福田は、ほくそ笑んだ。豊田は下を向いて「フッ」とため息をついた。
「まず表紙をめくって、一ページ目をご覧ください」
高橋の声に合わせて全員が表紙をめくった。
「今回の催事タイトルは、【市制十周年記念 さいたまLR計画 育め未来への可能性】となりまして、市制十周年を記念したイベントになります。タイトルにもあります、埼玉LR計画とはさいたま市が打ち出した、文武両道の精神をレフト。左と、ライト。右で表現しました。つまりアート的感覚に優れた右脳と、情報伝達能力に優れた左脳をどんどん発達させましょうという考えからです。解りやすく申しますと、右利きも左利きも、攻めが得意な人も守りが得意な人も、全ての人がスポーツを通して、個性的な長所を伸長させていきましょうと、いうことです」
解りやすくと入っているが、解りづらい。と豊田も福田も感じていた。他の六人も同じ顔をしている。その雰囲気を察したのか高橋は、頭をかいた。
「ちょっと難しかったですかね?この企画のプレゼンをした頃は脳科学ブームで、脳に関連したプランだと、クライアントの受けがよかったのでこんな理屈になっただけです。気にしないでください」
高橋は気まずそうに笑みを作ると、説明を続けた。
「続けます。さいたまでLRと言いますと、ライオンズとレッド。皆様方のチームを誰もが思い浮かべます。という理由から、スポーツ教室のメインはライオンズの選手とレッドの選手にご協力いただき、行おうとなったわけです」
高橋は残念そうな、諦めたような表情を見せた。豊田も福田もその表情の理由をすぐに理解した。本当は伊予原やトゥーリオのようなスター選手に参加してほしかったのだろうが、時期が悪く、俺たちのような一流半の選手しか手配できなかったのだろう。福田も豊田も同じ考えだった。
二人の気配に気づいた高橋は、両目を三秒間に六回という高速で瞬きさせた。
「いや、その、そんな理由から、左利きの福田選手と右利きの豊田選手に本日はお越しいただきました」
高橋はニヤニヤしながらなんとか取りつくろった。福田も豊田も渋々納得した。高橋は気を取り直して説明を続けた。
「続けてスポーツ教室の主旨ですが、最近は一人っ子や二人っ子といった兄弟構成が増えています。ある学者の研究発表では、一人っ子の場合、二人っ子やそれ以上の兄弟環境で育った人に比べコミュニケーション能力に欠如する傾向にあるとあります。また、選択肢を与えられた場合に、判断を下すことができなかったり、判断するまでに多くの時間を必要とする結果が出たそうです。これは、近くに兄弟というサンプルがないために、自分が選択したモノが自分だけの価値観で決められたモノになるためです。ちょっと解りづらいですね。解りやすく話しますと、兄弟がいた場合、兄が熱湯に手を触れて火傷をした現場を弟が見たとします。弟は熱湯は危険なのだと認識します。熱湯には触れないようにしようと思うのです。これが、一人っ子ですと自分で危険な目に遭わないと、熱湯は危険だと認識できないのです。例えば、熱湯は危険だと母親に教えられても、どの程度危険なモノなのか言葉だけでは理解できないはずです。近親者の苦痛にゆがんだ表情が強く印象に残ることにより、記憶に深く刻まれるのです。二人っ子の場合サンプルの件はクリアできますが、喧嘩や勝負において、常に勝ちか負けになるシチュエーションが植えつきます。引き分けがないのです。例えば、兄弟喧嘩をしたとしましょう。二人兄弟だとお互いに自分が正しく相手が間違っていると思います。喧嘩や勝負などの争いごとは常に白か黒になってしまう傾向になるためです。これが、三人兄弟ですと、客観的に兄弟喧嘩を見ることができるのです。兄と姉が喧嘩をしているのを弟が見ていたとしましょう。弟は自分に関係がない争いを客観視します。姉はここが正しく、ここが間違っている。兄はここが正しく、ここが間違っているという風に公正にジャッジができるのです」
高橋はそこまで話すと、室内を見回した。豊田も福田もポカーンとして、高橋の話を理解していないようだ。高橋は天井を見上げた。
「解りやすく言いましょう。野球やサッカーのように団体で行うスポーツを通じて、客観視したり、自分のポジションを確認して、そのポジションに自分がいることにより周囲にどんな影響を与えて、そして与えられるのかを確認しましょうということです」
室内のユニフォームを着た八人は何となく理解した。簡単に言えば、スポーツで団体行動を身につけようということなのだろう。高橋は八人の顔を見渡し、首をすくめて話を続けた。
「まっ、企画を通すためのフックなんですけどね。ただそれだけ」
豊田も福田も参加者リストの件を思い出していた。〈参加者は確かに、一人っ子や二人っ子が多かったな〉
高橋の解りづらい話は続いた。
高橋の話が終わりに近づいた頃、浦和レッドと西部ライオンズの広報担当者が【出演者控室1】のドアを叩いた。
「済みません。遅くなりました」
十一月だというのに、額に汗をにじませながら、息を切らしながら二人は入室してきた。
「お待ちしてました」
豊田がすねたような口ぶりで二人を迎えた。福田も同じように笑った。
「選手をここまで、放っておくチーム広報はどんなモノかと思いますけれどね」
福田の言葉に広報担当者は頭を掻くばかりだった。
スポーツ教室はそれぞれのグランドで分かれて行われる。野球は野球、サッカーはサッカー。出演者控室1の前で、福田と豊田は握手をして別れた。
「怪我すんなよ!」
「お前こそな」
お互いにやりと笑った。その後を、ユースの選手と育成枠の選手がそれぞれついていった。
つづく