<第一章>赤い瞳の少年・1
まるでバウムクーヘンを半分に切ったような楕円のガラス天井から、朝の光が施設内に溢れている。
欧州の心臓——アレマン帝国。その三番目に大きな都市の駅は、今朝も多くの人が行き交っていた。
そこへ滑り込んでくる緑色の蒸気機関車を目にして歓声をあげているのは、なにも幼い子供だけではない。
大人も、老人も。あらゆる人々が、この新しい乗り物に夢中だった。蒸気機関車の登場は数十年前のことだが、この緑色は特殊な改良が加わった新型だ。
「お父さんお父さんっ、この汽車ってエーテルクォーツで動くんでしょ? エーテルクォーツってどこにあるの!?」
幼い少年が、飛んだり跳ねたりしながら列車を観察している。
小さな手が握っているクマのぬいぐるみは、腕が切れんばかりに振り回されていたのだが、大事なお友達のピンチにも気づかないくらい夢中になのだ。
父親が笑いながら言った。
「ここからじゃ見えないよ。汽車の秘密を知りたかったら、機関士さんにならなくちゃ。
でもご覧——」父親は、蒸気に混ざる青緑光を指差した。
「あのキラキラした光。あれがエーテルクォーツの輝きだよ。
いいかい、エーテルクォーツがこの列車を動かすんじゃなくてね。手助けをするのさ。刻まれた錬金術式が、増幅や再生を指示することで、自動給炭機よりも単純な構造で、無駄なく、しかも安全に運行出来るんだそうだ。
すごいねぇ……。お父さんがお前くらいのころは、錬金術は錬金術師だけのもので、科学と組み合わさるだなんて考えもしなかったものだよ。それがエーテルクォーツが普及した今じゃあ錬金術師の技術は乗り物に工場に、使われていないところを探すのが難しいくらいだ——」
父親は、感じ入ったような顔で青緑光を見つめている。一方幼い少年はと言うと、理解出来ない話しへフゥンと大人を真似た相槌を打っていた。
しかしすでに興味はそれて、新しい発見を探そうとキョロキョロし始めている。
目をひいたのは、近くに立っていた若い男だった。
すっと背筋が伸びた体を包む詰襟の青い燕尾服と黒いブーツ。肩章に通した飾緒でマントを片側の肩にかけている。
髪は飾緒と同じく輝く金色で、作り物のように完璧な姿は、おもちゃ屋のショーウィンドウに飾られている人形を思わせた。
「兵隊さん、かっこいい……」
思わず口をつくと、若い男も少年の方を見下ろした。
目があって、少年はどきりとした。
その男の目は、血のようでもあり、燃える炎のようでもある。——とにかく今まで見たどの瞳の色とも、違っていたのだ。
*
「ちっちゃい子にビビられてたね。
脅かしでもしたの? 困った弟だなぁ」
背中を手のひらで叩かれて、赤い瞳の男は振り返って肩をすくめる。
身内を前にして表情が少し崩れると、その面差しに少年らしさが現れた。幼い子供から見れば大人の男に見える彼も、実際はまだ曖昧な年齢——十七歳なのだ。
彼の兄は仕立ての良い三揃いのポケットから、列車のチケットを「ほら」と取り出した。大雑把な性格のせいで今しがた発券したばかりなのに、もうくしゃくしゃに折れている。
弟はチケットを兄の手からひったくり、神経質そうにシワを伸ばし始めた。
「かっこいいって言われたよ」
「本当にぃ?」
「見栄張ったって仕方ないだろ」
チケットがあらかた綺麗に戻ると、彼は旅行鞄を手に列車の隣を歩き始めた。
九月の初旬だが、まだ晩夏の暑さを感じる。そんな日だった。厚着の下に感じる汗が不快だったのだろう。詰襟に指を突っ込み、空気を入れるように寛げる。
首に細い鎖が覗いた。
「物騒だよな、それ」
兄は憮然として言った。
彼の弟の首にかかっているのは、軍隊で使われる認識票と呼ばれる小さな金属板だ。
名前のほかに生年月日や血液型などが彫られており、装着者が戦場で意識不明になろうとも必要な処置を受けられるように。或いは原型をとどめないような死に方をしても、身元を確認できるようにするためのものである。
だから兄は気に入らないのだ。
「そんなものして、まるで軍人じゃないか。これからお前が行くのは学校だってのに」
「近隣の出動について行く時に必要らしい。万一のためだろ、そう気にすることじゃない」
「万に一回だとしても、可能性があるようなところに、どうして行かなくちゃならないんだ?
確かにおまえの目指す<術士>は、魔物から人を守る立派な仕事だよ。目指したいのは分かるけれど、危険だ。うちの家でおまえの頭なら別の学校にも進学出来るし、術士を支援する仕事とか、他にやりようがあるんじゃないか?
なあ、ミヒャエ——」兄が名前を呼び終える前に、弟は言葉を被せた。
「その話はもう終わっただろマテウス。心配性だな。
俺はやりたいことがあって、<ロツィリアン防衛術学院>を選んだんだ。最近は体調も安定してる。問題ないさ」
話しの間に二人は目的の車両の前に到着していた。弟はここ数ヶ月の経験から会話が争いに発展しそうなことを察知して、兄が二の句を続けるより先に乗務員にチケットを見せ、さっさと列車に乗り込んで行く。
「着いたら連絡しろよ。電話でも、手紙でもいいからさ。
父さんも、他の兄弟たちもお前が——」
「分かってる、大丈夫だ。
ああほら後ろの人が待っているから俺はもう行くよ。そっちも仕事だろ。じゃあ見送りありがとう」
*
チケットに指定された個室は、他に乗客がいないようだった。
着席してすぐ窓の外に見えたのは、兄が遠ざかっていくところだ。流石にあれだけ冷たくあしらえば、諦めたのか肩を落として帰っていく。
その姿に良心が痛まないでもないが、互いの関係を思えばこのくらい距離を取るのが正しいのだ。彼は一度目を瞑って息を吐いた。
やがて出発を高らかに告げる声が響き、列車がゆっくり動き出した。
他の乗客たちが窓の外を見て、旅の始まりを笑顔で迎えているその時、彼はただ静かに席に着いたまま、件の認識票を握り締めていた。
「ミヒャエル・シュナイダー……。
死んだら、永遠にこれが俺の名か」
金属板に記された名前を口にして、自嘲気味に口の端を上げる。
こんなものは、ただの文字列だと理解している。それでも虚しさと理不尽さ、言いようの無い怒りが湧いてくるのは、これが彼の本当の名ではないからだ。
数年前まで彼は、ミハウと呼ばれていた。
目まぐるしく変わっていく外の景色を眺めている彼の目に見えているのは、失った故郷の景色。家族の姿。そして——。
白い影が記憶を覆い尽くした瞬間、窓に映る赤い瞳が、炎のように揺らめいた。




