結界への侵入者
あっという間に領主会議の日になり、領主ライリルムントと側近ザファムート、護衛騎士の代わりにグレイザックがアインズビルの正装に身を包む。
「行ってらっしゃいませ」
3人の見送りに城の者が全員集まった。
「お父様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
シャーリネーヴェが声をかける。
「ああ。………シャイリーネ」
ライリルムントが妻を呼ぶ。
シャイリーネはスッとそばに寄る。
「どれくらいかかるか分からん。……城を頼む」
「かしこまりました。……グレイザックも気をつけて」
シャイリーネはライリルムントの横に控える彼に声をかけた。
グレイザックは無言で頷く。
「……サムエル」
グレイザックは静かに名を呼んだ。
「俺がいない間、頼んだ。ケネスもフィリアもグレークも騎士団もいるから大丈夫だとは思うが……」
グレイザックはそう言いながら、リディオノーレが眠る部屋を見上げる。
サムエルもゆっくりと見上げた。
「大丈夫ですよ」
サムエルはグレイザックを安心させるようにそう告げた。
グレイザックは最後まで彼女の部屋を見つめたまま、領主会議を行う王宮に向かって行った。
3人の姿が完全に見えなくなった所で、シャーリネーヴェがサムエルの方を向いた。
「一体、リディはどうなっているのですか。グレイザック様は何も仰りませんが、姿が見えなくなって約2ヶ月ですよ?いくらなんでもおかしいではありませんか」
「……グレイザック様が仰らないことを私が申し上げるわけにはいきません」
サムエルは目を伏せながら答えた。
「あの子は私の妹のようなものなのです!!心配なのですよ!!」
シャーリネーヴェが声を上げる。
「分かっています」
サムエルはまた目を伏せる。
「ですが、グレイザック様の許可なくてはどうにもなりません」
頑ななサムエルの対応にシャーリネーヴェは睨みつける。
「シャーリー、やめなさい」
シャイリーネが止めに入る。
「リディオノーレの状態を知る術はないのですか」
シャイリーネが娘を抑えたまま、そうサムエルに尋ねた。
「詳しいことはグレイザック様しか分かりません。彼女の部屋には何重もの結界が張られておりますので、私も入れません」
「……そうなのですね。では………生きているのですか」
シャイリーネの質問にシャーリネーヴェが少し息を呑んだ。
「死んだとは聞いておりません」
サムエルのその答えにシャイリーネは安堵したように息を吐いた。
「なら良いのです」
「このようなお答えしか返せませんで申し訳ありません」
サムエルは頭を下げた。
「無事さえ分かれば良いのです。シャーリー、行きますよ」
シャイリーネは娘を城の中に連れていった。
「私は先に戻ります」
ムナグレークがサムエルに言う。
領主会議中、執務がシャイリーネとムナグレーク、サムエルに負担がかかる。
フェルバールとバルデミアンも手伝ってくれるのでどうにかなりそうなのはありがたい。
ムナグレークもリディオノーレのことが気になっているはずなのに、何も聞かずに黙々と仕事をこなす所は感心している。
何も事情を知らないのに。
サムエルは少し肩を回した。
ふぅ、と息を吐く。
「リディがいたら、仕事も楽だったのですが」
サムエルはため息をついた。
執務の腕で言えば、グレイザックに次ぐ。
「さあ、仕事しますよ」
サムエルはフェルバールとバルデミアンに声をかけた。
領主会議7日目。
早く帰りたいグレイザックはかなり苛々していたが、王族の前でそんな態度をするわけにもいかず、我慢の日々だった。
各領地の領主がこの一年の歳出入を報告し、それが合っているのか統括領地であるアインズビル領主に確認する。
貴族の結婚や、違う領地に嫁いだりする時も報告義務がある。
そんな最中、グレイザックがリディオノーレの部屋に施した厳重な結界の中に何者かが侵入してきたのを察知した。
「!!!!!」
思わず目を見開くグレイザック。
彼の術を破れる者などいないはずだ。何があった。
グレイザックは義兄に念話を送る。
念話の魔術具を持つ者同士なら心の中で会話ができるとても便利な物である。
『リディの所に侵入者が』
グレイザックの声が焦っている。
『どういうことだ』
『分かりません。至急、帰りたく存じます』
『待て。王族の前だ』
慌てて止めるライリルムント。
『……部屋に戻ったときにそのまま転移させてもらいます。明日の朝にはまた転移で戻ってきます』
『……それなら許す』
その日の会議が終わり、あてがわれている部屋に戻ったグレイザックは夕食も食べずにそのまま転移した。
「……っ!!!」
人の転移は転移場所にも同じ陣を敷いておかないといけないのだが、彼はリディオノーレの部屋に予め転移陣を施しておいた。
久しぶりの転移だったので少しふらつくと、グレイザックは杖を抜き、リディオノーレに触る青年に術をぶつけた。
だが、その青年は手を振り払っただけで、グレイザックの術を軽くいなす。
「……何しにきた」
グレイザックが青年を睨みつけた。
この青年、アラウィリアでリディオノーレが見たという男である。
「お前の周りの精霊がうるさいのでな」
リディオノーレに「イル」と名乗った青年は呆れたようにそう言い放つ。
「お前が荒れ狂っていて暴走していると聞いたぞ」
イルは横たわるリディオノーレの頬を撫でた。
「触るな」
グレイザックが威嚇し、魔力の圧をぶつける。
「そう怒るな。助けに来てやったのに」
イルは今度は彼女の頭を撫でる。
グレイザックの威圧など何も感じてないようだ。
「……よく保っているな」
イルは少し感心したようにグレイザックを見た。
「………どう助けてくれるんだ」
グレイザックは杖をしまい、そう呟いた。
しおらしいグレイザックにイルは目を丸くした。
「それほど大事なのか」
「大事云々の前に、俺の弟子を攻撃した。やり返さなければ気が済まない」
その言葉にイルはため息をついて、彼の額を弾いた。
グレイザックは身内認定した者のことは、とことん守り抜く性分である。
その彼の身内に攻撃したのだ。
「……っ」
久しぶりに額を弾かれ、グレイザックは目を瞬いた。
「若いな」
イルはにやりと笑って、リディオノーレの額に手をかざした。
「解毒はほぼ終わっている」
イルのその言葉にグレイザックが安堵の息を吐いた。
「よく解毒薬があったな」
「………こいつの兄の毒を突き止めたときから、つくっておいた方がいいと思って用意していた」
「相変わらずの用意周到さだな」
イルは感心する。
「複数は用意しておけ。きな臭い」
「……そっちの精霊も騒いでいるのか」
グレイザックは真剣な目になる。
「メティスが咲いた年だからな」
「……何か情報はあるのか」
「グリュルが他国で咲くことくらいだな。まあお前も知っているだろうが。〝あの雨″が降ったことも分かっているだろ?なら、あとひとつ、何が必要か分かっているだろ」
イルはグレイザックを一瞥し、今度は傷口を見た。
ほぼ消えかけている。
イルの言葉にグレイザックは歯軋りした。
「分かっている」
「どうするつもりだ」
「どうするもこうするもギリギリまで隠し続ける」
「今回で魔力が底ついたため、また魔力が上がるぞ」
「……あの目薬では無理そうか?」
グレイザックが睨む。
「まだ大丈夫だろう。次に魔力が上がることがあれば、あの目薬では足らんな」
イルは隅々までリディオノーレの体を視診する。
「お前も精々、気をつけろ」
イルの言葉にグレイザックは少し目を見開いた。
「……心配してくれるとは珍しい」
「お前のせいで精霊たちがうるさいんだ」
イルは眉間に皺を寄せた。
「俺のせいじゃない。リディにこんなことをした奴に言ってくれ」
グレイザックは言い放つ。
はあ、とひとつため息をついてイルは彼女の額に手をかざした。
「体力と魔力が自然回復するのを待つなら一年。今ここで我が手助けすれば、3ヶ月だ。どちらがいい」
「………リディの為なら一年の方が良いか」
グレイザックは尋ねる。
「自然回復の方が良いことは確かだ」
イルはそう答える。
「だが、この娘が眠ったままだとお前が気が気でないだろう」
イルはグレイザックを見つめる。
「さあ、どうする」
イルは唇の端を上げて尋ねた。
グレイザックは数拍考えた。
「3ヶ月の方で頼む」
グレイザックはそう言って、長椅子に腰を下ろした。
執務も続けながら犯人探しに繰り出し、睡眠時間も削っていたのでいつ倒れてもおかしくないのは自分でも分かっていた。
それでも倒れないのは、リディオノーレの疲労回復の腕輪のおかげでもある。
それにあと1年目覚めるの待っていたら入学前の1年が死ぬほど忙しくなる。やることが山積みなのに。彼も、彼女も。
「分かった」
イルは返事をすると術をかけ始める。
恐らく回復を促進する術だろう。
グレイザックも知らない術だ。
リディオノーレの周囲に前から付き纏っていた精霊たちも力を貸している。
契約していないのに3体もリディオノーレを心配しているようだった。
「…………終わったぞ」
イルが長椅子に座るグレイザックに声をかけた。
「………礼を言う」
ものすごい嫌そうな顔でグレイザックはそう告げた。
「それは礼を言う顔じゃない」
イルは呆れたように彼の額を弾いた。
「お前も自愛しろ」
イルはそれだけ告げると風のように消え去った。
グレイザックはリディオノーレの頬をひと撫でする。少し、血の気が戻っている気がする。
今、すごく安堵している。
肩の荷がおりた気がした。
思わず、口を押さえ俯いた。
嗚咽が漏れる。
「……っ」
赤の他人のくせにグレイザックを家族と言うほどの信頼ぶり。
それだけでリディオノーレは特別な娘であることには違いなかった。
義兄は歳が離れすぎて、家族という感覚ではなかった。
サムエルは幼い頃から側近なので、彼も家族という感覚ではない。
実父母も幼い内に逝去したため、思い出がないに等しい。
そのため、リディオノーレはグレイザックに出来た初めての家族と言っても過言ではない。
「…っ」
グレイザックは唇を引き結んで、立ち上がった。
「早くよくなれ」
グレイザックはリディオノーレの額を軽く弾くと、隣室に続く自身の部屋の扉を開けた。
「!!!」
リディオノーレの部屋の扉が開いたことに驚き、サムエルが腰を上げた。
「!!??グレイザック様っ!!???」
サムエルは声を上げる。
「え」
サムエルは目を瞬く。状況が理解できない。
「領主会議に行っていたのでは……?」
その言葉に「その通りだ」とグレイザックは苦笑した。
その様子にサムエルは目を瞬いた。
グレイザックの険がとれている。
「3ヶ月後に目が覚める」
グレイザックはそう告げた。
「………!!!!!」
サムエルはまた少し目を瞬くと、驚きを露わにする。
「そういうことだ。すまないが、明日の朝には王宮に戻らねばならん。少し寝る。日が昇る前に起こしてくれ」
グレイザックは疲れたようにそう告げる。
「あーー……、サムエルだけ通れるように魔法を登録する。血をこの結界に垂らしてくれ」
グレイザックは杖を出して何か唱え始める。
サムエルは杖を小刀に変え、指の腹を切り、血を垂らした。
登録が完了したのか、結界全体が淡く青に光った。
「日が昇る前に頼む」
再度グレイザックは頼むとリディオノーレの寝台横に置いてある長椅子に寝転んだ。
ほんの数拍後、グレイザックの規則正しい寝息が聞こえてきて、サムエルは胸を撫で下ろした。
グレイザックがやっと寝れるようになった。
それだけで安心する。
サムエルは結界を通り抜けて、彼に布団をかけてやる。
そして、久しぶりにリディオノーレの顔を見た。
額を触ってみる。
熱もない。
乱れている髪の毛を直してやると、頬をひと撫でする。
「早く目覚めるのですよ。皆待ってるんですから」
サムエルはそう彼女に話しかけると隣室のグレイザックの部屋に戻って行った。




