領主との交渉
アインズビル領主一行とハラハラな交渉を終え、リディルレーネは疲れたように布団に潜りこんだ。
「……おいっ!」
朝早く部屋のドアを叩く音がする。
「リディルレーネ!入るぞ!お客様がお呼びだ!」
叔父の声だ。
寝ぼけ眼をこすり、髪を適度に整え切り替える。
「駄目です!貴族ならば許可なく入ってこないでください!少しお待ちください。身支度をします」
彼女はささっと支度をする。
扉を開けると叔父とグレイザックが立っていた。
リディルレーネはすぐに跪く。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、朝から悪いな。カルムクライン領主どのと話をつけてしまいたいと思ってな」
グレイザックはそう述べる。
「かしこまりました。どこでされますか?応接室にされますか?」
彼女は少しだけ顔を上げ、尋ねた。
「この部屋でも良いか?」
「椅子が足りません。良いのですか?」
彼女は尋ねる。
「用意させる。サムエル」
「かしこまりました」
グレイザックに呼ばれ、側近のサムエルはすぐさま行動する。
サムエルが椅子を持参し、その椅子にはカルムクライン領主が座り、グレイザックは彼女の部屋にある椅子に腰を下ろす。
彼女は床に跪いたまま。
「領主どの、お願いがあるのだが良いか?」
「グレイザック様の頼みでしたら何なりと」
手を揉みながら笑顔を見せる叔父。
「ありがとう。では、この娘を私の弟子としてもらいたい」
「!!??え!?」
叔父は驚き、大声を上げる。
「お静かに」
サムエルが注意する。
叔父は慌てて取り繕う。
「え、ジュリエーレではなく?」
叔父は尋ねる。
「嫁、ではなく、弟子、と言ったのだ」
グレイザックは不機嫌な口調で答える。
「弟子だ。この娘は見所がある。是非、弟子としてもらいたい」
「き、急に言われても困ります」
叔父は慌てる。
そりゃそうだろう。
日頃の収支報告、会計など諸々前領主夫妻の子どもであるリディルレーネとバイリムートがやっているだから。
「で、弟子ということは、こちらからも定期的に金銭的援助などがいるということでしょう?あまり余裕がある領地ではないので難しいです……」
叔父は苦し紛れの言い訳で返す。
「金銭的援助はいらん。ただ、家に帰ることができなくなるだけだ。正直、前領主夫妻の子どもたちの面倒までみようと思ったら、そなたが大変だろう?」
グレイザックは唇の端を上げて、そんなことを言う。
「金銭的援助はいらんと言っている。そなたらの負担にはならんだろう。どうだ?」
グレイザックは畳みかける。
「嬉しいお言葉でございます。で、ですが、ジュリエーレはどうするおつもりでしょうか」
どうしてもジュリエーレを娶ってほしいらしい。
リディルレーネはグレイザックの方をちらと見ると、ものすごい不機嫌そうな顔をしていた。
「昨夜の宴では盛り上がっていたではありませんか」
カルムクライン領主はまだ言葉を続ける。
そろそろ口を閉じるべきだと思うのだが、リディルレーネは何とも言えない。
「……あれが盛り上がっていた、と?」
冷え切ったような声がグレイザックから漏れた。
一瞬で部屋の空気が氷点下になったように感じた。
「勘違いも甚だしい。ふざけるな。小領地のカルムクライン如きが、アインズビルに嫁げると思うな。ましてや礼儀や作法もなってない小娘には憤慨していた所だ。それに比べて、こいつを見ろ。立場をきちんと弁えている」
グレイザックは忌々しそうに吐き捨てた。
「考えて物を言え。そして躾をやり直せ。あれは酷い。領主ならしっかり教えておけ」
「……グレイザック様、その辺でおやめください」
サムエルが口を挟んだ。
「昨日のあれでかなりカルムクラインの評価が落ちたが、このリディルレーネのおかげでこうして罰せられずにいることに感謝せよ」
叔父がリディルレーネを見てきた。
「何をした」
叔父は彼女を睨む。
「特には」
彼女は簡潔に答える。
「そんなことないだろう。お前は接触する機会がなかった筈だ」
叔父が怒っているのがよく分かる。
第三者がいるので怒鳴りつけないだけで、本当ならぶたれていただろう。
「グレイザック様は魔術学院で優秀な成績をおさめていることを知っておりましたので、是非、自分の研究の考察に助言をいただけないかと申し出た次第です。お忙しいところ、私の為に時間をつくっていただきましたこと、感謝しかございません」
「良い。面白い研究内容が見れて楽しめた」
彼女は接触した時間などは濁し、内容だけ述べる。
グレイザックもそれに合わせた回答をしてくれる。
「カルムクライン領主どの、よく考えた方が良いのでは?私の弟子としてそなたの姪が活躍すれば、そなたの名声も上がるのでは?」
「……分かりました」
目の前の餌につられ、叔父は承諾した。
「では、血判証明を」
グレイザックは紙を出す。
内容はカルムクラインの保護から離れ、リディルレーネをグレイザックの弟子として認めること。グレイザックが後見人をつとめることを認めること。彼の庇護下に入れば、彼女はカルムクラインは名乗れないのを認めること。
叔父が血判をし、彼女も内容をみる。
〝カルムクライン”は名乗れない。
上手い言い回しだった。
先程はグレイザックの弟子として名を馳せた姪を自慢できるぞ、と言っておきながら、姓を名乗れないということはカルムクラインとは全く関係のない人間になるということ。
リディルレーネがどれだけ活躍しようが、カルムクラインとは関係ない、とグレイザックは一蹴しそうだ。
彼女はちら、とグレイザックを見つめる。
意地の悪い笑みを浮かべている。
そして、昨日も思ったのだが、彼の周辺は何故かチカチカしているのだ。
恐らく他の人には見えてないのだろう。
そして、それを口にする勇気は彼女はなかった。
「領主どの、急にこのようなことになって申し訳ないな。1週間後、迎えを寄越す。リディルレーネ、それまでに荷物をまとめておけ」
「かしこまりました。ありがとうございます」
彼女は礼を言い、頭を下げた。
これで、連座は免れた。
兄だけが心配だが、潔く諦めるか、粛清より前に兄を救えるかのどちらかだ。
彼女はぎゅ、と拳を握りしめ、グレイザックが部屋を出ていくのを見送った。