碧の龍
一方攫われたアデルは初め軽く抵抗したようにしたが、言われた通り大人しく捕まっていた。ラカンの言っていた通り大人しくしていれば危害を加えられる様子は無かった。逆に丁寧に扱われているぐらいだ。大事な商品だから傷でも付けたら大変なのだろう。目隠しをして連れ込まれた場所は窓一つ無かった。ひんやりとした空気が漂う空間は地下だろうと思われた。アデルは此処に来る間も来てからも何人かの男達を見たが見知った者はいなかった。自分の追っている奴らと違うのかもしれないと落胆はしたが、ラカン達の仕事に役立つなら頑張ろうと思っていた。
食事を運んで来た男にアデルは問いかけた。
「オ・・わたしをどうするんだ!」
男は不満そうに睨んだ。
「どうするだって?こっちが聞きたい!せっかくこんなに良い宝珠を捕まえたというのに、まだ売るなと言うのだからな。大儲け出来ると言うのに!まったく何を考えているやら」
この男の声を聞いてアデルははっとした。先日の人身売買の会場でタニアに話しかけてきた主催者側の男だった。アデルはゴクリと唾を飲み込んで慎重に問いかけた。
「オ・・わたしを売るの?」
男はアデルが怯えていると勘違いしたようだった。憂さばらしにもっと怯えさせて楽しむのも良いかと思ったようだ。男の顔が残忍に歪んでいる。
「そうだよ、お譲ちゃん。鞭を持った優しいご主人様に飼って頂くんだよ。綺麗な愛玩動物は、それはそれは高く売れるからな。言う事を聞くまで鎖に繋いで躾られるんだ。楽しそうだろう?」
アデルは、ぞっとした。
男はそれを見て満足したようだった。そして次に現れた時もその続きをした。
「お嬢ちゃんの事について今連絡が来た。何だと思う?」
男は楽しそうに笑いながら話を引き伸ばして恐怖を煽りたい様子だった。
「お嬢ちゃんは売らないそうだよ」
アデルはえっ?と大きく瞳を見開いた。それでは困るのだ!
「ははは、嬉しいか?でも残念だ!俺達の恐ろしいご主人様がお嬢ちゃんをご希望されているからな。ご主人様は本当に怖いからな。用が無くなった奴はあっさりと殺す――だけどお嬢ちゃんは他の宝珠のように愛玩道具としてじゃなく、宝珠として望まれているから大変だな。契約しないと相当酷い目にあう。早く同意しないと殺されるかも・・・」
男は満足そうに笑っていた。
「もうそろそろお着きだ。直ぐに案内してやる。はははは」
アデルは何が何だか分からなくなった。宝珠売買の親玉が自分を欲しがっていると男は言っている。売る筈の商品に自分が手をつけるのだ。
(オレがそんな龍と契約する?契約って言ったら・・・)
アデルは宝珠として暮らしていなかったが本能でそういったものは分かっている。宝珠は自分で龍を選び契約をする。無理やりに契約は出来ないと思う。だけどそれを知っていて自分のものにすると言うその悪党は、出来ると思っているからそう言っているのだろうか?心をねじ伏せられるまで痛めつけられ、もうどうなってもいいと思うぐらい追い詰められたらそうなるのだろうか?
アデルの心がざわめいた。そんなのは絶対に嫌だと震えているようだった。
去って行った男が出て行った扉を見つめた。直ぐと男が言っていたが本当に直ぐにその扉が開いたのだ。
そこから現れたのは二人―――アデルは驚き瞳を大きく見開いた。初めに入って来たのはあの指輪をしていた男。そしてその後ろにいたのは忘れもしない家族を殺したあの男だったのだ。
ラカンから言われていた事なんか全部弾け飛んでしまった。鼓動が異様に乱れて脈うっている。悲しみと憎しみで目の前が真赤に染まりそうだった。
「人殺し!」
アデルの叩きつけるような叫び声にその男達は立ち止まった。アデルの家族を殺した男はこの邸宅の持ち主でもあるザーランドだったのだ。そしてもう一人はその片腕で裏の仕事を任せているガルニ。
ザーランドがアデルを値踏みするように見た。
「会って早々に人殺しとは・・・穏やかではありませんね」
そう言ったザーランドの灰色がかった水色の瞳が冷たく光った。
「父さんや母さん、弟に妹をお前が殺した!」
ザーランドは少し首を傾げて考える振りをした。そして薄い唇を残忍に歪めて言った。
「さて?どの親子でしょうか?沢山殺しましたからね。一々覚えていませんね」
アデルは信じられなかった。覚えていないなんて・・・そんなに家族の命を軽く扱っていたなんて・・・・怒りで身体が震えた。
「指輪・・・指輪を作っただろう!」
ザーランドはぽんと手を叩いた。
「ああ、あの細工師一家のことか!覚えていますよ。作ってもらうのに苦労しましたからね。あの時の子?確か三人子供がいた―――生きていたんだな」
声が低くなった。
アデルは後ろへ飛びのいた。逃げられないのにザーランドの側から離れなければと咄嗟に思ったのだ。
ザーランドは喉の奥で愉快そうに笑っていた。
「本当にあなたのお父上は素晴らしい。私の思い通りの指輪を作ってくれて、そしてあなたという宝珠を与えてくれたのだから・・・感謝しなくてはね」
「近寄るな!なんで殺したんだ!」
「何故?それは困るでしょう?あの指輪は大事なものだから同じものを作られたら大変だし、それに私の顔を見ているからね・・・殺すのは当然」
ザーランドの一見温和そうな表の顔は既に消えていた。さっきの男が評した恐ろしい存在が立っていたのだ。アデルの家族を殺し、火を放った時のように冷たく残忍な微笑みを浮かべている。アデルは自然と足は震えてきたが歯を食いしばって睨んだ。
その時、扉の外が騒がしく大きな音が聞こえてきた。その音が段々と近づいて来るようだった。そして扉が勢いよく開いたと思ったら数人の男達が転がって来たのだ。それはザーランド達の仲間だったがそれらを転がしたのはラカンとラシードだった。
その二人を見たザーランドは驚愕し呆然と立ち尽くした。反対にアデルは飛び上がるように喜び二人のもとへ走り寄った。そして興奮するように言った。
「ラカン!こいつ!こいつがオレの家族を殺した奴だ!それにこいつの仲間が宝珠を売っているって言っていた!」
「アデル、怪我なんかしてないか?本当に良くやったな。後は俺らに任せてくれ」
ラカンはアデルに微笑みかけると、庇うように自分の後ろに引かせた。そしてザーランドと向き合った。ラカンのいつもの人を和ませる陽気な雰囲気は無くなっていた。その表情は親友のラシードでさえも滅多に見る事の無いものだった。
ラカンは滅多の事では本気で怒ることは無い。怒ったように見えてもあくまでもそういう風に見せかけている振りなのだ。怒っていても許している大きな心を持つラカンの性格だろう。だが本当に怒れば話は別だ。許しの心など持ち合わせてはいない。冷血無比なのだ。
そのラカンが言い放った。
「ザーランド。もうおまえは逃げられない。大人しく縛につけ!」
この件の仕事は元々ラカンの担当だ。ラシードは一歩引いて見守っている。
ザーランドは驚いていた顔を取り繕うようにぎこちなく微笑むと、逆に驚いたように言った。
「これはこれは・・・いきなり我が邸宅にお越しになられたかと思いましたらどうなさったのでしょうか?おいでになられると分かっておりましたらお迎えする準備をさせて頂きましたものを・・・何か誤解でもあるのでは無いでしょうか?我々の首座でいらっしゃいます碧の龍ラカン様――」
そして深々と礼をした。
ザーランドの言葉にアデルは驚いた。ラカンが王の次に偉い四大龍の一人である〝碧の龍〟と言ったからだ。ラカンの後ろ姿を見た。もう彼は龍力を抑えてはいなかった。眩むような力が身体からみなぎっている。横に冷徹な表情で立つラシードからも凄まじい龍力を感じた。
ラカンが嗤った。彼にしては珍しい笑い方だ。
「この状況でしらを通すのかい?」
「しら?はて?何の事でしょう?まさかこの子供の言っている事を本気でお聞きになられているのでしょうか?碧の龍ともあろうお方が?」
ザーランドはすっかり落ち着きを取り戻して平然と言い逃れを始めた。
「宝珠の闇売買に細工師一家の殺害・・・言い逃れ出来ると本当に思っているのか?」
「―――証拠はその子供の証言でございますか?それだけで?その者が嘘を言っていればそのような言葉だけでは証拠になりませんでしょう?不当だと訴えます」
「オレは嘘なんか言わない!」
アデルはそう叫んで飛び出そうとしたのをラカンが片腕で押し留めた。
「ザーランド、アデルは嘘を言っていない。だからおまえが何を言おうと無駄だ!それに俺は〝碧の龍〟で、その称号は飾りなんかじゃない!知っているだろう?おまえぐらい審理無しでこの場で裁ける権限はあるんだ!処刑さえもな」
ラカンの怒りは頂点に達していたようだった。本当にその場でザーランドは殺されてもおかしくない感じだ。龍力が右手に集まってきているようだった。右袖の無い腕には碧色の龍紋が浮かび上がってきた。
その時、入り口から数人の者が入って来るとラカンの前で一斉に跪いた。
「碧の龍、ご報告申し上げます。邸内の全ての者を捕縛いたしました」
ラカンは頷いて、ザーランドを見ると、澄ました顔をしていた悪党も流石に怒気をのぼらせていた。しかし往生際は悪かった。龍力を集中させ一気に天井を突き破り外へ逃れたのだ。崩れる天井の漆喰が視界を遮った。
アデルは上を見上げて叫んだ。
「ラカン!奴が逃ちまう!」
「ああ、大丈夫だよ。俺に任せなさい!」
焦る様子も無く、ラカンはそう答えた。その右腕の龍紋が鮮やかな碧に輝いている。
横を見ればラシードもさっきと同じ涼しげな顔で立っていた。しかしその右腕に紅い龍紋が浮かび上がっている。
「さっ!ラシードが支えてくれている間に出よう」
アデルはえっ?と思って再び天井を見上げると、ぞっとした。よく見れば天井が中途半端に傾いて、時が止まったかのようにピタリと止まっている。ここは地下室なのだからザーランドが壊した段階で屋敷ごと崩れて生き埋めになるところだったのだ。ラシードは天井が落ちないように龍力で支えているようだった。
唖然と口を開けて上を見ていたアデルをラカンがひょいと抱えあげた。そして彼女が抵抗する間も無くザーランドが開けた場所から外へ出たのだ。アデルはその一瞬、ラカンの力の宿る右腕に触れ、全身が雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
そして地面に下ろされ周りに目を向けた時、更に衝撃を受けてしまった。先程からラカンより立ち昇る龍力の正体が分かったのだ。
それは屋敷の周りに張り廻らされた天まで覆いそうな水の壁だった。近辺の湖水を集めたかのようなその巨大な壁はまるで巡回する大滝のようだ。
空を眩しそうに見上げていたラカンはアデルの方に向いた。
「ほらね。逃げられないだろう?」
そう言って笑った。
空と水とラカンの瞳の色が青く眩しかった。
厚顔な男も流石に観念した様子で、その水壁の前でへたり込んでいた。そして大人しくラカンの部下達に捕縛されて行ったのだった。
ラシードは力を引くラカンの肩を叩いた。
「終わったな。ラカン」
ラカンは大きく息を吸って吐くと、ああと言って笑った。そしていつの間にかラカンの左袖の端を握り締めているアデルに向って言った。
「アデル、もう大丈夫だよ。これから奴の余罪を追及して罪は裁かれるからな」
アデルは呆然としていた。あっという間に家族の仇が捕まり、しかも本当にラカンがあの〝碧の龍〟だったからだ。その力の一片を目の当たりにして心の奥が震えるような衝撃だった。アデルはそのラカンと瞳が合って、はっとして手を離した。
「お、おまえ!あ、碧の・・碧の龍だって!オレに嘘言ったな!何が下っ端役人だよ!そんな下っ端がいるもんか――っ!」
「うわっ!ごめん!アデル。隠密だったからだね・・・うわっ!ごめんって!」
アデルがラカンを拳でどかどか叩いた。
ラカンのうろたえぶりが面白くてラシードが珍しく吹き出した。今度はアデルがギラリとラシードを睨んだ。
「あんたも〝何とか龍〟とか言うんじゃないだろうな?」
ラシードの笑いが引っ込んだ。答えたのはラカン。
「そうそうラシードは〝紅の龍〟だったりする」
アデルは、むぅっとした。ラカンみたいに叩くつもりは無いらしい。
「うそっ―アデル!何でラシードは叩かない訳?」
「うるさい――っ!」
アデルはまたくるりと向き直ってラカンを叩いた。
結局ラカンはラシードの分まで叩かれる羽目となったようだ。
その後、ザーランドとその一味は一掃され人身売買と宝珠売買の大きな組織は壊滅した。もちろん売られた者達は救出され、買った者達も裁きを受ける事となった。
アデルは命の恩人とも再会した。それも天龍王カサルアだったので再び驚いたのは言うまでも無い。そしてタニアも浮気を心配した夫が追って来て無事に仲直りをしたが後日しっかりラカンから例の件を取り立てたようだった。
そして三年と半分の月日が過ぎた―――