宝珠の密売事件
母さんの温かい手も、弟や妹達の笑い声も・・・みんなみんな忘れた。誰も信じない。周りは全部敵だ!
生きたいのか?死にたいのか?もう・・・それさえもどうでも良いと思うのに・・・全てを拒絶しているというのに・・・身体は勝手に生きようとする。母さんが〝生きろ〟と言ったから?弟達の分まで生きなくてはと思ったから?そんなの分からない!
自分はこれから一人でただ生きるだけだ!
服も顔も手もぼろぼろで汚れ放題の子供は裸足で廃屋に立つ。かつて幸せだった頃を追憶する跡さえ無い―――家屋は焼かれているのだ。
子供が立ち去ろうとした時、何かが地面で光った。そっと手を伸ばし、それを拾い上げてみた。涙が溢れてくる―――
弟達と遊んだ硝子玉だった。淡い空色をした硝子玉は、傾きかけた陽の光りを受けてキラキラと輝いていた。これが欲しいと言って泣く弟や妹にさえ、絶対やらなかった宝物だった。子供はそれを握り締めて声を出して泣いた。もう、これっきり泣かない!今だけだと泣くのだった。
天龍都の青天城―――
カサルアが天龍王となっても、各地で旧体制の火種はくすぶっていた。彼らの新しい風に協調した者、甘受した者、付和雷同した者など様々だったからだ。広大な州の人々全てが一致団結したのでは無いのだから当然だろう。特にゼノア時代に甘い蜜を舐めていた者達程、その傾向があった。各州の州公達も王の意向に従って奔命しているが、長く続いた政治の腐敗は早々に解決出来るものでは無かったのだ。
天龍王の腹心の部下となる四大龍はまさしく王の分身と言っても過言では無かった。カサルアから絶大な信頼を受ける彼らは、何にも動じない鉄壁さで王を助けていたからだ。各地で州公らに手に負えない問題が起きれば、速やかに彼らが赴き処理をしていた。
今日もその問題で四大龍らが集められたようだった。
天龍王の居城でもあり、全州の中枢でもある青天城の無数にある部屋の一室に彼らは集まっていた。
天龍王カサルアを中心に銀の龍のイザヤ、紅の龍のラシード、翠の龍のレン、そして碧の龍のラカンら五名が、早朝より会合を続けている。
今回の問題は離龍州の州公クエント・オーガより、もたらされた宝珠の闇売買の件だった。
離龍州は年中夏季の砂漠地帯で貴石の宝庫だ。それよりも特筆すべき事は宝珠が多く生まれる地域でも有名だった。しかも州公オーガは、宝珠を只、綺麗に着飾らせて眺めて愛でるのが趣味という、ちょっと・・・というか困った・・・というか、純粋な宝珠馬鹿の龍なのだ。
そのオーガから届いた内容は、宝珠に発現した少女らが、ある日突然消えるとの事だった。その中にはオーガが目をつけていた者もいたとの事だった。オーガは当然、躍起になって探したが手がかり一つ見つけられなかった。だがある日、その宝珠が突然見付かったのだ。しかし彼女からは事情を聞く事が出来なかった。その少女は心が壊れていた。だが、そうなってしまった理由は直ぐに推測出来た。身体中についた、それとしれる責め苦の痕や、時折叫ぶ内容から、かなりの虐待を受けていたものだろう。
龍の力を増幅させる為に宝珠を欲するのが普通だが、一部では見目麗しい宝珠を、まるで玩具のように扱う痴れ者が昔から存在するのだ。密かに個人的に囲う者もいれば、不特定多数を相手とする歓楽街へ売られる場合もある。宝珠は生きた最高の貴石のようなものだから誰もが欲しがり、当然ながら高値で売れるのだ。
そこでこの事件だ。宝珠は龍を自ら選ぶのだから彼女達の意思を無視して拘束するのは違法にあたる。宝珠を専門とした人身売買組織が動いているらしい―――
ラカンは話が進むにつれて腹が立ってしょうが無かった。気分が悪くなるぐらいだ。
「おいっ、イザヤもう御託はいい!で?どうするんだ?まさかまだ調査してからとか、ぬるいこと言うんじゃないだろうな?」
長々と今回の背景を話すイザヤに、ラカンは珍しく喧嘩ごしに言った。
イザヤは手にしていた書類を卓上で整えて静かに置き、ラカンを真っ直ぐに見返した。
「ぬるい?そのような言葉で表現してもらったら心外だ。私もお前と同様、この身に流れる血がたぎっている」
ラカンはニヤリと笑った。
「イザヤ、お前、珍しい事いうじゃん?でも、この件は譲らないよ。だから俺に振ってくれよな。こんな事する奴らなんか絶対に許さねぇ。そいつら見つけたら、ギッタギッタにして、青天城のてっぺんから逆さ吊りにしてやる!」
「ラカン、頭を冷やせ。今からそんなだと、冷静に対処出来なくなるだろう?」
同じく気分を害しながら聞いていたラシードが、憤るラカンを諌めた。
「俺はな!人身売買が一番嫌いなんだよ!こんな事、絶対に許さない!」
「ラカン、皆、同じ気持ちですよ。ですから早く解決出来るように話し合っているのですから」
今度はレンが間に入ってラカンを落ち着かせようとした。
ラカンは彼らと行動を共にする以前、同様の事件に関わった事があったのだった。それは宝珠では無かったが、自分の力不足で悲惨な結果に終わったのだった。助ける事も出来ず、証拠隠滅で皆殺しにされたのだ。中にはまだ幼い子供もいた。ラカンはその事件を思い出す度に苦い後悔で胸がいっぱいになるのだった。
ラカンは大きく息を吸った。
「悪かった。ひとりで熱くなってさ。修行が足りねぇな」
そしていつものように明るく笑った。
カサルアもつられて笑いながら言った。
「ラカンは昔から熱血だからな。大人しい方が熱でもあるんじゃないかと心配になる」
「違い無い」
ラシードも同意した。
ふてくされるラカンを中心にその場が和んだ。
カサルアが言った。
「いずれにしてもこの件は、早々に解決しなくてはな。あれが煩くてかなわない」
「オーガ公ですね?」
イザヤは珍しく溜息をつきながら嫌そうな顔をして言った。彼にこんな顔をさせる人物はそうそういないだろう。カサルアも同じような顔をしている。
「昨日も分かった、と言うのに私の肩衣を泣きながら放さなかったんだ。自州に追い返すのにどれほど苦労した事か・・・・」
「お疲れ様でございました」
愁傷な顔で言うイザヤに、カサルアはジロリと睨んで言った。
「イザヤ?お前、逃げただろう?」
「まさか。席を外したのはたまたまでございます。しかし本当に早めに解決しないとあれでは政に影響しかねません」
「まあ・・オーガはのらりくらりと言っても州をまとめて、あのゼノア時代を生き抜いたのだから奴の手腕は認めているが・・・確かにあの趣味が身を滅ぼしそうだな・・・」
カサルアとイザヤはお互い溜息をつくしかなかった。
結局、この件は流通に強いラカンが担当する事になった。
ラカンは口笛を吹いて指を鳴らした。
「了解!じゃあ、ラシードお前もこい!」
「いきなり何を?」
何の為に今まで段取りを話合っていたのか・・・唐突な申し出にラシードは友を見た。
「どうせ暇だろうが。二人でちゃっちゃと片付けちまおうぜ!」
いいじゃないか、とカサルアが頷いた。それで決まりだ。
「あっ!ラシード。アーシアは連れて行くなよ」
「アーシアを?」
「アーシアが狙われたら大変だろうが。それにあんまり彼女にベタベタ引っ付いているとお前、アーシアから飽きられるぜ!」
ラシードはラカンの言葉に息を呑んだ。
(ベタベタ?飽きられる?私が?飽きられる・・・・・)
意外にもショックを受けたらしい。
ラカンはニヤリと笑うとラシードの肩に腕を回した。
「さあ、行こうぜ!親友殿。今回は俺らの友情を深めようぜ!」
と、いう訳でアーシアは留守番となり、ラシードは蜜月中だった彼女との別れを惜しみ、カサルアがアーシアを独り占め出来ると喜んだのは言うまでも無い。
首都から南西に位置する坤龍州は離龍州の隣の州で夏と春の気候が廻る砂漠地帯と湖が点在する土地だった。そこで最も有名なのが全州一の歓楽街があることだ。この州で一番大きな湖にその街はあった。湖と言ってもその全景は見えない。水上に建物が建っているような造りだからだ。湖にかかる沢山の橋と水上建築はこの州の特徴なのだ。そしてその入り組んだ造りは迷路のようだった。
「はあ~やっぱ此処は相変わらずだなぁ~昔も今も変わっちゃいねぇ。ゴチャゴチャとしてて此処に来れば博打で一夜にして大金持ちになったり、丸裸になったり酒に女にと、ありとあらゆる快楽が手に入る・・・・男達の天国だな。なあ~ラシード、アーシア置いてきて良かったな?お前が他の女にでれ~としてるの見られたら〝ラシード!最低!〟って言われちまうぜ」
ラカンはそう言いながら、街角で色目を使う女達に愛想よく手を振りながら言った。
「心配しなくともお前と違ってそんな事はしない。それに此処はそれだけじゃないだろう?有名な保養地でもある」
「おやおや、お坊ちゃまは言うことが違うね。俺は庶民派だからこっちが馴染みやすいけどラシードは上流階級の行く保養施設がお好み?だけどさ、そこからちら~とこっちに遊びに来る旦那連中は多いよな?」
「・・・・ラカン。今日は自棄に絡むな?何が気に入らない?」
ラカンは、ニヤっと笑った。
「ああ、やっぱ分かった?八つ当たりしているの?」
ラシードが溜息をついた。
「馬鹿か?何年、お前と付き合っている?」
「だよな――気に入らないんだよ。此処が・・・・昔とちっとも変わって無いのが・・・俺たちがゼノアを斃し、全てが変わらないといけないのに変わっていない!自分達の不甲斐無さに腹が立ってくるんだよ!」
「ラカン、まだ私達は始めたばかりだろう?そんなに直ぐ結果は出やしない。此処は特に前時代の名残が色濃く残っているのは確かだし、州公も手を焼いているみたいだ。度が過ぎない娯楽は必要だがその線が曖昧な点が問題のようだな。今回の事がいい例だ」
「俺もここを全部否定するつもりは無い。だけどな、今回は度が過ぎるどころじゃ無いぜ!絶対に尻尾をつかんで息の根を止めてやる」
ラシードがその通りだと頷いた時、通りの向こう側でひと騒動あっていた。男達の怒鳴り声と物が壊れる音。何かを追いかけているようだ。
「なんだ?」
「さあ?――うわっ!」
振り向いたラカンにぶつかったものがいた。それは勢いよく転がってしまった。
「おっとなんだ?はあ?ガキ?」
通りの向こうで誰かを探す怒鳴り声が聞こえる。
転んでいた子供はビクリとして起き上がり駆け出そうとした。それをラカンは捕まえた。
「馬鹿やろう!放せよ!」
その子はまるで逆毛を立てる野良猫のようだった。どこをどう歩いたらそんなになるのか疑問に思うぐらい小汚く痩せっぽちだったが、大きな瞳がギラギラとしていて印象的だった。
また大きな声が、仲間を呼んでいる様子が聞こえた。
その子がまたビクリとするのをラカン達は見逃さなかった。
「おまえが追われているのか?」
「ち、違う!おいっ、放せよ!この馬鹿野郎!」
ラカンは大げさに溜息をついた。
「まったく口の悪いガキだな。じゃあ~おお~い、お兄さん達――」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!あいつらオレを捕まえて売りとばそうとしているんだよ!」
それを聞いた二人の行動は早かった。その子を荷馬車に積んでいた箱に隠して喧騒とした通りを何食わぬ顔をして通り抜けて行ったのだった。